10, Nov 2009

工芸のなかでも、陶芸は近年、時代と共に進歩した「テクノロジー」の恩恵をうけながら発達してきたといえる。
まず「窯」がそうである。中世からつい40年ほどまえまでは、山の傾斜地にレンガのアーチを築き、薪を燃料として用いる原始的な窯が用いられていたが、今ではおおむね鉄骨づくりの電気やガスを燃料とした窯になっている。窯に用いる温度計も、父の若い頃には、まだまだ精度に欠ける代物であったゆえ、火の色を見て温度をよむことも多かったそうだが、今ではいうまでもなく精巧な温度計がある。ちょっと気の利いた窯なら温度はコンピュータにより管理されている。
陶磁器の表面を覆う「釉薬」も著しい進歩を遂げた。古来より経験や言い伝えによって守られてきたレシピは、化学的なアプローチにより解き明かされ、色や解け具合、質感などを自在にコントロールできるようになった。京都や瀬戸、九州など陶芸の盛んな土地に存在する「工業試験場」では、日々釉薬の研究がなされている。私自身、定期的に試験場を訪れ、釉薬の新しい研究成果やレシピを勉強している。
原料の「土」においてさえ、実は進化している。多くの人が、「陶芸家の用いる土は自ら野山からこれぞと思うものを持ち帰ったもの」と思うかもしれないが、自然そのままの土というのは、実は非常にリスキーなのである。たとえ粘り気があって成形はできても、乾燥による収縮がひどく割れてしまうもの、窯のなかで炎に耐えられず崩れてしまうものなど・・・。土の原料屋さんは、様々な土をブレンドして、機能として優れ(成形しやすい、われにくいなど)、また焼きあがりの土味が優れたものを追求してくれる。私がつくる大きな陶製のオブジェも、ある土屋さんの特定のブレンドの強い土でないと成形ができない。他の土では乾燥中に崩れてしまうのだ。
そんな私の作品のテーマは「日本の伝統的美意識の探求」という、古さにこだわったものだが、テクノロジーは積極的に受け入れようとしている。テクノロジーは表現の幅を大いに広げてくれるからである。表現する美意識は伝統的でもスタイルやツールは新しくてかまわないのである。しかし、テクノロジーの進歩を拒否し、道具も考え方もすべて昔に倣って、という考え方の陶芸家も少なくはない。野山を歩き、天然で産出する良い土を探し、成形は電動の轆轤ではなく、手や足で回すものを用い、さらに昔ながらの薪の窯で焼成をする。彼らの多くは桃山や室町時代の焼き物を手本としている。
そのようなアプローチをする作家の仕事に以前はあまり興味など無かったのだが、最近はそんな焼き物にも魅力を感じることがある。土も成形も焼成も全てがいわば原始的なゆえ、焼きあがった作品には、人間がコントロールできない、あるいはしないことで生まれる偶然の面白さを発見することが出来るからである。その偶然のひとつ、いわゆる「窯変」とよばれる美しく不思議な色を呈する現象には、まるで神の業かと思わせるものが確かに存在する。
はてさて、陶芸に限ったことではないが、テクノロジーの受け止め方は「人それぞれ」ではある。

茶道に用いる茶碗の歪み、茶室の内部における窓や柱の一見アンバランスな造形、余白を極端に残す屏風絵など。これら、「西欧における均整のとれた造形美」とは全く異なる「日本独自の美意識」を追求する陶芸家。立体や平面のオブジェ、茶器、を主に制作。
1992年 東京藝術大学大学院博士課程修了(デザイン専攻)
2004年 日展特選受賞
著書 「歪みを愛でる」ポーラ出版 2004年
陶芸におけるテクノロジー
Category: Column