06, Oct 2009

国際仏教学大学院大学学術フロンティア
「奈良平安古写経研究拠点の形成」

平成17年からスタートした大規模な古写経研究プロジェクト。東アジア仏教の視点から、わが国の豊饒な奈良平安古写経を研究する同プロジェクトの概要と現状、意義についての論考。

Ⅰ. 日本古写経研究の意義と将来

執筆:落合 俊典(国際仏教学大学院大学教授 学術フロンティア実行委員長)

1.日本古写経研究の意義とその背景

奈良時代から平安・鎌倉時代にかけて書写された一切経は相当数に上るが、今日まで連綿として受け継がれてきた古写一切経は両手で数えるばかりになってしまった。そしてどういう訳か、文献学的方法に基づいてこれらの古写一切経を厳密に研究しようという試みはほとんど行われず、テキスト研究の対象としてよりも文化財としての価値を有するものとしかみなされてこなかったのである。文化財ともなれば、それを閲覧することは必ずしも容易ではない。しかしながら、こうした外的環境の制約ばかりではなく、古写経を自らの研究に用いようとする仏教研究者もほとんどいなかったのが実情であった。近年、正倉院聖語蔵の奈良写経を中心とする経巻のカラー画像を収録したCDが発売されたが、その販売実績は芳しくなく、また聖語蔵を参照して研究発表したという話もほとんど耳にしない。これは単にCDが高価であるためばかりではなく、日本の古写経に対する位置付けが低いことにその原因がある。

大正時代から順次刊行され始めた漢文大蔵経の活字本『大正新脩大蔵経』(以下、大正蔵と略)は仏教学をはじめ各学問分野に広く貢献してきた、わが国が世界に誇るべき出版物であるが、この『大正蔵』の底本には高麗版一切経が採用され、対校本として宋版、元版、明版が用いられている。 もちろん聖語蔵、その他の古写経や江戸時代の刊本なども用いられているが、基本は13世紀に刊行された高麗版に拠っている。この高麗版は「厳密な校訂」が行われたと謳われているが、実際には高麗時代の価値判断が加えられている感が強いように思われる。

聖典テキストとしての一切経は仏教教団にとって最も重要な中核部分であるから、本来そこには変化が起こりにくい。しかし、不思議なことに実際には細部にわたる文字の異同ばかりでなく、換骨奪胎された経典も確認されてきているのである。こうした変化が生じているのは何らかの背景があったればこそであろう。そこには必ずやダイナミックな思想的変動のドラマが存在したに違いないのである。

2.本プロジェクトの目標

奈良平安古写経の総体は驚くほど豊饒である。もとより、最も重要な奈良写経の現存数は一千から二千巻前後と限られてはいるが、平安・鎌倉写経を加えると数万巻に達する量となろう。

9世紀初頭に弘法大師空海によってもたらされた『貞元入蔵録』(西紀800年撰)に拠って、刊本一切経が刊行されるよりも前の唐代一切経の全体(五千数百巻から成る)を、まさに日本の古写経を用いることによって復元してみよう、というのが本プロジェクトの目標である。この目標を達成するために、京都国立博物館、京都大学人文科学研究所、和歌山大学、大阪大谷大学(旧大谷女子大学)などに属する研究者の協力を得ながら、本プロジェクトは平成17年度から5カ年計画で始まったのであるが、最初に着手した仕事は『貞元入蔵録』を基準とした現存一切経の対照目録の作成であった。かくして、1.正倉院聖語蔵、2.金剛寺(大阪府河内長野市)、3.七寺(名古屋市)、4.石山寺(滋賀県大津市)、5.興聖寺(京都市)、6.西方寺(奈良県大和郡山市)、7.新宮寺(宮城県名取市)、8.妙蓮寺(京都市)のそれぞれに蔵されている一切経の存欠情報を、『貞元入蔵録』に記載された経典順に整理して一覧化させた『日本現存八種一切経対照目録』が成り、現在は本プロジェクトのウェブサイトからそのPDFファイルを誰でもダウンロードすることができる(http://www.icabs.ac.jp/frontia/publishing.html)。この対照目録をもとにして日本各地に残る古写経を博捜すれば、一部一巻の遺漏もなく『貞元入蔵録』に記載されている唐代仏教の基本典籍の復元が可能となるのである。

大正新脩大蔵経

大正新脩大蔵経

日本現存八種一切経対照目録

日本現存八種一切経対照目録


落合 俊典 Toshinori Ochiai
落合 俊典 Toshinori Ochiai

1948年生まれ。佛教大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。専門は東アジア仏教。平成14(2002)年度より国際仏教学大学院大学教授。現在は学術フロンティア・プロジェクト「奈良平安古写経研究拠点の形成」の実行委員長を務め、日本古写経をはじめ、李盛鐸旧蔵敦煌本、金剛寺聖教文献などを研究している。主な論著は、牧田諦亮監・落合俊典編『七寺古逸経典研究叢書』全六巻(大東出版社、1994年~2000年)。

国際仏教学大学院大学学術フロンティアホームページ

http://www.icabs.ac.jp/frontia/index.html


3.本研究の発端-真本『馬鳴菩薩伝』の発見-

ところで、日本古写経研究の発端は筆者が七寺一切経中に真本『馬鳴菩薩伝』を発見したことに遡る。七寺本『馬鳴菩薩伝』は、高麗版を底本とした大正蔵の『馬鳴菩薩伝』と全く異なっているのに対し、興聖寺本や西方寺本とは同一であったのである。七寺本『馬鳴菩薩伝』の冒頭部分を高麗版のそれと比較して挙げてみよう。

七寺一切経の『馬鳴菩薩伝』

七寺一切経の『馬鳴菩薩伝』

高麗版大蔵経中の『馬鳴菩薩伝』

高麗版大蔵経中の『馬鳴菩薩伝』

この比較から両者が全く異なるテキストであることが容易に見てとれよう。では、どちらが本来の『馬鳴菩薩伝』なのかということが問題となるのであるが、『馬鳴菩薩伝』を引用する唐代の『法苑珠林』や『一切経音義』が大正蔵の『馬鳴菩薩伝』を一文一句さえも引用していないことから、七寺本(興聖寺本・西方寺本も)こそが真の『馬鳴菩薩伝』であると判明したのである。この真本『馬鳴菩薩伝』の発見が端緒となって日本古写経の調査研究が始まったのであるが、本プロジェクトによるこれまでの調査においても、『馬鳴菩薩伝』のごとく大正蔵と異なる経典が多数発見され、現在プロジェクトに関わる研究者らによって精力的に研究が進められているところである。

4.将来の方向性-日本古写経を用いたデジタル版校訂大蔵経の作成-

最後に、近未来の方向性を提示しておきたい。この研究事業は『貞元入蔵録』に基づく一切経デジタル画像の集大成を目標としているが、それは決して究極の目標ではなく、無限の研究を惹起させる端緒に過ぎないということである。例えば、この事業は新たな「デジタル版校訂大蔵経」作成の出発点ともなり得るものである。世界中の仏教研究者が漢文大蔵経の一点一点につき新たな校訂本を作成し、記名してネット上に公表する。その時に用いる資料の一つにこの奈良平安古写経のデジタル画像が含まれるのである。経典の一文一句の相違に注意しながらそれを丹念に読み込む情熱さえあれば、誰もが仏典の校訂に参加できるということである。これは実に気宇壮大で楽しい研究計画ではなかろうか。本プロジェクト「奈良平安古写経研究拠点の形成」がこの5年間に行ってきたことは、まさにそのための土台造りにほかならないのである。


Ⅱ. 日本古写経デジタル画像の集積とその利用に向けて

執筆:林寺正俊(国際仏教学大学院大学 学術フロンティア研究員)

1.金剛寺一切経の調査と撮影

天野山金剛寺は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の古刹である。寺伝によれば、奈良時代に行基が開創し、平安末期に阿観(1137-1207)が再興したという。金剛寺には国宝や重要文化財に指定されているものをはじめ、貴重な古文書や古画などが多数蔵されているが、そのうち本プロジェクトの調査対象となっている一切経は平安末期から鎌倉後期にかけて断続的に書写された写経群である。一切経書写の指針となる『貞元入蔵録』(西紀800年撰)には一切経として五千数百巻が記載されているが、金剛寺には約4,500巻が現存しており、その中には古逸書とされてきた安世高訳『十二門経』など多数の貴重な経典が含まれている。また、300巻弱に漉き返しの料紙が用いられていることも金剛寺一切経の特色の一つである(注:当Webの坂本論文を参照)。

本プロジェクトでは、先行する二つの科学研究費補助金(基盤研究A)による金剛寺調査の成果を受け継ぎ、一切経の調査(経典の寸法を測り、経典の内題・尾題・奥書などを調べること)と合わせて、経典のデジタル撮影を行ってきた。現場の作業手順としては、法量調査あるいは撮影すべき経典の収められた保存箱(中性紙製)をまず宝物館から運び出し、その上で調査部屋と撮影部屋に分かれてそれぞれの作業が行われる。カメラはNikon D2Xを使用し、撮影は基本的に3人のチームで行う。中央の座には古写経の上にガラス板を置いてシャッターを切る撮影担当者、その左には経巻の未撮影部分を送り出す人、右には撮影し終わった部分を巻き取る人というように、役割を分担することによって撮影効率を上げるとともに、貴重な古写経をより丁寧に扱うべく細心の注意が払われるのである。法量調査に関しては初期の段階で終了していたが、現存する約4,500巻のデジタル撮影については本年(2009年)7月にようやく完了した。これまでに本プロジェクトが行ってきた金剛寺調査の日数と参加人数(学部生・大学院生・研究員・教員など)を合計するならば、この4年半の間に合計113日の調査が行われ、のべ1,302人が参加したことになる。これに先行する科学研究費補助金の調査を含めるならば、その数はさらに増えるであろう。調査撮影の完了までにどれほど多くの時間と人員を要したかが以上によって知られよう。

2.デジタル画像の集積状況

金剛寺の一切経についてはすべてデジタル撮影が終了したが、他寺院の一切経についてはまだ完了の目処はたっていない。日本古写経研究の発端となった真本『馬鳴菩薩伝』(注:当Webの落合論文参照)が発見された七寺には平安末期書写の一切経約4,954巻が現存しているが、これまでに撮影を終えることができたのはそのうちの約1,200巻である。その他に、西方寺(奈良県大和郡山市)・大門寺(大阪府茨木市)・興聖寺(京都市)・徳運寺(愛知県新城市)などの寺院が蔵する一切経についても調査と撮影を行ってきたが、調査日数が限られていることなどにより、集積できたデジタル画像はそれぞれにつき約100~250巻程度にとどまっている。

3.デジタル画像の公開とその利用に向けて

上述した各寺院所蔵一切経のデジタル画像は、とりわけ全撮影の完了した金剛寺一切経を中心として、本年度(2009年度)中にデータベース化される予定である。このシステムは、経典名、経典に付された番号(大正蔵番号も貞元入蔵録番号も可)、収蔵寺院などの項目によって目的の経典を検索し、本学に当該経典のデジタル画像が集積されている場合には、そのデジタル画像を表示するシステムである。ただし、古写経を蔵する各寺院の所有権の問題やデジタル画像データのセキュリティ上の都合があるため、経典全体のデジタル画像は本学内においてのみ公開することになる。しかし、経巻冒頭のJPEG画像は本学のウェブサイト上ですべて公開するので、本学に如何なる古写経の画像が集積されているか、また経巻の冒頭の状態や経典の内題はどうなっているかなどについてはインターネットを通じて誰でも知ることができる。なお、閲覧を希望し本学に来学する方には経典全体のデジタル画像の閲覧が認められる予定である(本学が新校舎に移転する2010年4月以降)。

閲覧システム(試作版)画面

閲覧システム(試作版)画面

このデジタル画像の閲覧システム(試作版)は、本年12月5日(土)に開催される本プロジェクトのシンポジウムにおいてデモンストレーションする予定である。ご関心のある方は是非ともご参加いただければ幸いである。
シンポジウムの詳細については以下に掲載。
http://www.icabs.ac.jp/frontia/event20091205.html


本プロジェクトでは、この5年間で金剛寺一切経をはじめとする各寺院一切経のデジタル画像を集積してきた。そして、今後も集積し続ける予定である。複数の古写一切経の閲覧を可能にするデジタル画像のデータベースは、各寺院に直接赴いて実地調査する研究者個々人の労力と経済的負担を大幅に減らすばかりではなく、経典のテキスト研究そのものを飛躍的に効率化することにもなろう。

向こう5年先、10年先に果たしてどれだけ多くのデジタル画像が集積されているであろうか。また、それらを用いて一体どのような新しい知見がもたらされるであろうか。古写経のデジタル画像を利用して聖典テキストの真の姿を復元する、21世紀の「漢文大蔵経ルネッサンス」が今まさに幕を開けたのである。

金剛寺境内

金剛寺境内

金剛寺一切経の経巻

金剛寺一切経の経巻

保存箱(中性紙製)

保存箱(中性紙製)

撮影風景

撮影風景


林寺 正俊 Shoshun Hayashidera
林寺 正俊 Shoshun Hayashidera

1971年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はインド仏教。平成17(2005)年度より国際仏教学大学院大学の学術フロンティア研究員として日本古写経の調査と研究に携り、現在は金剛寺などから発見された新出資料の研究を中心に行っている。

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http://www.icabs.ac.jp/frontia/index.html


Ⅲ. 天野山金剛寺所蔵古写本の科学分析

執筆:坂本昭二(龍谷大学 古典籍デジタルアーカイブ研究センター研究員)

1. はじめに − 金剛寺は紙の博物館 −

大阪の河内長野市にある天野山金剛寺には重要文化財に指定されている歴史的に貴重な建造物、仏像、絵画、古文書などに加えて、国宝指定されている延喜式なども所蔵しており、質量ともに豊富な文物を所蔵している。本稿の執筆者の一人である林寺も述べているように、金剛寺は平安後期から鎌倉中期にかけて書写された「金剛寺一切経」と呼ばれる仏教経典を約4,500巻所蔵している。例えば、この一切経に含まれる『宝星陀羅尼経』『勝思惟梵天所問経』『入楞伽経』『月灯三昧経』『大威徳陀羅尼経』『大方等陀羅尼経』『観仏三昧海経』『法集経』『大智度論』『瑜伽師地論』『阿毘達磨順正理論』には宿紙(しゅくし)と呼ばれる故紙を漉き返した薄墨色の再生紙が使われているが、これ程大量の宿紙が一カ所に残されているのは非常に珍しいことであり、料紙の観点からも貴重な資料であるといえる。また聖教類に至っては平安後期から近世にかけて書写されたものが約8,000点も今日に伝えられている。このように、金剛寺古写本は中国からの経典の伝来や奈良平安時代の仏教伝播の姿を知る上での非常に貴重な資料であるばかりでなく、古写本に使用されている料紙の観点からみても中世から近世にかけての製紙技術発展の歴史を明らかにする貴重な資料でもあり、金剛寺コレクションはまさに紙の博物館の様相を呈している。以下では、これらの古写本の料紙を情報工学と分析科学の観点から調査した成果のいくつかを紹介する。

2. 紙背文書のデジタル復元 − 念仏要文抄(仮題)を例として −

『念仏要文抄』(仮題)は南北朝から室町初期にかけて書写されたと思われる写本で、その内容は源信の『勧心誡行偈』と『婬欲教誡詞』の一部が順に書写され、次に一遍の踊念仏和讃が七五調のリズムで書かれており、さらに善慧(証空)、法然の伝記や法語が書写されている。一遍に関する資料は極めて少なく、この写本は一遍を知る上で数少ない貴重な資料の一つである。

この写本の形態は袋綴じであり、料紙は全15紙(すなわち、全30ページ)からなる。そして特筆すべきは反故紙を利用していることである。すなわち、この写本は不要になった妙法蓮華経の版本の料紙の裏面を利用して書かれている。従って、袋綴じの内側には妙法蓮華経が印刷されているのがわかる。ここでは、この袋綴じの内側に印刷された妙法蓮華経のデジタル画像化を非破壊で行ったので紹介する。

今回行った方法は透過光撮影による単純な方法で、安価に実現できる。しかし、この方法を行うには袋綴じの内側に光源を入れる必要があるので、通常の撮影で使用されるような大きな光源では不可能である。従って、薄いシート状の光源が必要であるが、今回は均一輝度を持つ平面光源であるEL(Electroluminescence)シートを光源として用いた。用いたELシートはA5サイズ(約146mm×208㎜)で厚さ約0.56mmであり、袋綴じの内側に容易に挿入することができる。撮影は暗室で行われ、バックライトとしてELシートを袋綴じの内側に入れ、デジタルカメラにて(今回の場合分割して)透過光撮影を行い、画像処理ソフトウェアを使って撮影したデジタル画像に左右反転の処理を行い、そして分割撮影された各画像を統合するためにステッチング処理を行う。このようにして、全紙の袋綴じ内側に印刷された妙法蓮華経のデジタル画像を得ることができた。

このような画像化によりこれまではっきりと見ることができなかった情報を得ることができ、この写本の新たな知見が得られることを期待する。


坂本 昭二 Shouji Samoto
坂本 昭二

龍谷大学古典籍デジタルアーカイブ研究センター研究員、国際 敦煌プロジェクト日本センタープロジェクトマネージャー。専 門分野は計算機科学、デジタルアーカイブ、文化財の科学分析 など。近年は大谷コレクションの分析に取り組んでいる。博士 (工学)

国際敦煌プロジェクト日本語Webサイト

http://idp.afc.ryukoku.ac.jp

龍谷大学 古典籍デジタルアーカイブ研究センター

http://www.afc.ryukoku.ac.jp/


3. 装飾表紙のデジタル復元
− 大般若波羅蜜多経 巻第十九 表紙を例として −

『大般若波羅蜜多経』は全600巻にも及ぶ膨大な経典であり、大乗仏教の般若経典の集大成である。そして金剛寺には平安時代に書写されたと思われる大般若波羅蜜多経が現存しており、一部欠巻があるもののこの経典だけでもその数は約900巻にも及ぶ。

ここでは、『大般若波羅蜜多経』の巻第十九(貞1_19a)の表紙を例として調べた。この表紙は装飾されているようであるが、一見してその文様は不明瞭で確認しがたい。そこで、まず蛍光X線分析によって含まれている元素を調べたところ、金色の部分からはAu(金)が、黒ずんでいる部分からはAg(銀)が検出された。きらきらと光る部分からはSi(ケイ素)が検出され、雲母を使って装飾されていることが明らかとなった。銀箔が施されている部分の色は銀色ではなく、酸化によってその色は黒ずんでいるが、顕微鏡観察で確認すると金属光沢がかろうじて確認できる。

次に赤外線撮影により酸化して黒ずんだ銀箔部分を明瞭に 浮かび上がらせることができた。この表紙の装飾には金箔、銀箔が使われ、雲母が塗られている。また、表紙中央の紐が巻かれる部分も同様に黒ずんでいるが、赤外線撮影画像には何も写っていないことから銀ではなく、長年の巻子の開閉によってできた黒ずみであると思われる。

金箔部分の蛍光X線元素分析結果

次に、通常撮影画像から金箔の色領域を抽出、同様に赤外線画像から銀箔の色領域を抽出し、実際の金箔と銀箔を撮影した画像を各抽出領域に重ね合わせた。この結果、図のように表紙全体の文様を推定することができた。

オリジナル 赤外線 推定復元

4. 大宝積経の料紙分類

金剛寺所蔵古写経の中にある『大宝積経』は120巻から成る経典であるが、このうち105巻が現存している。この『大宝積経』の特筆すべき点として、経典に使用されている料紙が宿紙であることがあげられる。上述のように宿紙とは故紙を漉き返して作った薄墨色をした再生紙であるが、この経典においては約1,800枚の宿紙が現存している。全120巻分の料紙の枚数では約2,000枚に及んだことであろう。上述のようにこの他にも金剛寺一切経には宿紙が多く使われており、これ程大量の宿紙が残されていることは非常に珍しい。この大宝積経の料紙は、故紙の他に楮、稲藁を原料として作られており、巻23などは雲母引きの故紙を漉き返したと見られる。原材料に関する詳細は次節に述べる。

ここでは、『大宝積経』の全体を料紙の違いで分類することを試みる。製紙の過程で使用される道具の一つに簀(す)と呼ばれるものがあり、これは竹ひご、萱、葦などから作られている。簀を桁に挟んだものを簀桁と呼び、紙漉きにはこの簀桁に紙料(紙のもととなる繊維や填料などが混ぜ合わされた溶液)を汲み込み、そして水分を取り除くことを数度繰り返す行程がある。簀の目はこの行程で紙に残される縞状の横線模様である。一方、簀の上に紗と呼ばれる布を敷いて紙を漉く方法(または、布だけで紙を漉く方法)を紗漉きと呼び、この漉き方では簀の目模様が残りにくい。しかし、布の織り目の模様(紗の目模様)が紙に残る場合がある。一般的に、紗の目模様は簀の目模様に比べて細かい模様である。簀の目、紗の目の計測には開発した簀の目計測ソフトウェアを使用した。この計測では、透過光撮影で得られた画像を高速フーリエ変換で周波数領域に変換する事によって、周期的に現れる簀の目や紗の目のパターンを解析している。この解析の結果、簀の目が1cm当り約6.5本(分類表中の水色)、約8本(分類表中の深緑色)、約8.5本(分類表中の青色)の3種類の料紙、紗の目が1cm当り15本の料紙(分類表中の赤色)、簀の目も紗の目も見えない紗漉きの料紙(分類表中の黄緑色)が確認でき、少なくとも5種類の宿紙が存在することがわかった。この他に分類表中では紗漉きと思われる料紙を灰色、宿紙でない料紙を黄色、未分析の料紙を白色で表している。料紙を透過光で観察すると、紙繊維の絡まり具合が均一な紙や不均一な紙がみられる。均一に見える紙を地合の良い紙といい、逆に不均一な物を地合の悪い紙という。今回調査した宿紙に関しては、紗漉きの料紙は地合が良く、比較的明るい色の料紙であった。このように、この『大宝積経』には簀漉きの宿紙や紗漉きの宿紙、粗さの異なる簀によって漉かれた宿紙が存在していることがわかる。従って、写経のための大量の料紙を用意するためには何カ所かの製紙工房から料紙を調達する必要があったと思われ、中世の製紙事情を垣間見ることができる。あるいは、作られた年代に差がある可能性も考えられる。このような分析方法は経典が形成された過程を知る上でも有用な情報を与えるだろう。


5. 料紙分析 − 原材料同定と紙漉き方法 −

上述したように、金剛寺は質量ともに豊富な古写本を所蔵している。これは料紙の観点からみると、金剛寺には中世以降の様々な種類の料紙が存在することを意味しており、実際に紙の博物館の様相を呈している。ここでは、それらの中から12点の資料を例にとって詳細に料紙を分析した結果について述べる。

表.1

表.1に示した中世に書写されたとする12点の資料について、高解像度のデジタル顕微鏡を用いて詳細な料紙観察を行った。

まず、原料となる繊維の同定については全ての資料の料紙が楮を主原料として作られていることが確認できた。また、資料(1)(2)(3)(4)(5)(8)(12)には稲藁の混入が見られ、資料(2)及び(12)には麦藁の混入も見られ、さらに試料(8)にはススキも使われていたと思われる。大宝積経 巻第六十六(資料(4))には墨で書かれた文字跡が残る断片(大きさは1cm程度)の混入が見られ、さらに、顕微鏡による観察においても料紙全体に渡って微小な墨跡が見られた。この結果は薄墨色の大宝積経(資料(3)(4))の料紙が宿紙であることを裏付けている。宿紙は薄墨色をしており、一見して再生紙とわかる色をしているが、一方で、薄墨色でない料紙からなる資料(1)(2)(8)(12)にも微小な墨跡が見られた。すなわち、宿紙以外の料紙にもが補助原料として使用されていたことを確認できた。従って、中世の都市部における紙の大量消費に起因する製紙原料難の問題を解決する手段として、補助原料としての稲藁、麦藁、ススキ、の使用が行われていたようである。

次に漉き方に関して調べた。簀桁に紙料液を(基本的に1回)汲み上げ、繊維が均等に分散するように簀桁をわずかに揺り動かし、水が自然に下に落ちるまで待って紙を作る技法を溜め漉きといい、繊維流れの方向性は見られない。一方、漉き舟の中の紙料液を4~5回以上簀桁に汲み込み、繊維を簀の上を前後に揺らして繊維の絡みを作る技法を流し漉きと呼び、簀を前後に揺らすために紙の表裏両面に繊維配向性が見られる。トロロアオイ、ノリウツギなどから採取したネリ(粘状物質)を加えることに特徴がある。そして、両者の中間の漉き方とも言える溜め漉き法から流し漉き法に変化していく途中過程の漉き方を半流し漉きといい、まず、流し漉きの行程にある「初水」を行い、最後は溜め漉き法と同じ脱水法を行う。従って、片面(簀に接していた面)に繊維配向性が見られる。

顕微鏡を用いて料紙の表裏両表面の繊維流れの方向性を調べた結果、表裏両面に繊維の方向性の見られない溜め漉きで漉かれたような料紙と片面のみに繊維の方向性がみられる半流し漉きで漉かれたような料紙がみられた。しかし両面に繊維の方向性が現れる流し漉きによる料紙はみられなかった。このことから中世前期には流し漉きはまだ普及していなかったと思われる。

古文書料紙の科学的な方法による研究は世界的に見てもあまり行われておらず、今後、その分析方法の普及と分析データを蓄積するデータベースの開発も含め、新たな古文書研究を切り開いていきたい。


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