21, Dec 2009
2009年12月4日・5日の両日、東京国立博物館においてアート・ドキュメンテーション学会創立20周年記念フォーラム「第4回アート・ドキュメンテーション研究フォーラム日本のアート・ドキュメンテーション−20年の達成 MLA連携の現状、課題、そして将来 M(useum) , L(ibrary), A(rchives)」が開かれた。
「図書館、美術館・博物館、美術研究機関、関連メディア、及びこれらに関係あるものの連絡・連携のもとに、わが国、さらには国際間における、アート・ドキュメンテーションをめぐる諸問題の解決と進展に寄与すること」を目的として掲げているアート・ドキュメンテーション学会は、20年前の1989年4月にアート・ドキュメンテーション研究会として発足し、2005年4月からアート・ドキュメンテーション学会に名称を変更、現在300人以上の会員を有している。
アート・ドキュメンテーション学会の特徴を一言で表すとすれば、それは個人的には「異文化交流」ではないかと思っている。ミュージアムの立場、ライブラリの立場、アーカイブの立場という所属組織間での横の交流やつながりだけではなく、ミュージアムであれば、学芸員とミュージアム・ライブラリの職員(司書)という同じ組織の中でも業種の異なる人たちが集まる場としての機能が強く意識されていると感じられるのである。
MLAと現在では並び称されることも増えてきたミュージアム、ライブラリ、そしてアーカイブであるが、それぞれに業界があり、業界内における言葉があり文化があることを考えると、近くて遠い異文化交流が必要となる。アート・ドキュメンテーション学会が他の学会に比べるとMLAの現場に属する方が多いということも、またこの交流の機会提供がひとつの目的としてきちんと掲げられていることに由来するのではないだろうか。
今回、そのMLA連携を冠した20周年記念フォーラムの取材とあわせて、その創設から関わるアート・ドキュメンテーション学会副会長である水谷氏にインタビューを行った。フォーラムでは、初日に第1部・第2部としてアート・ドキュメンテーション学会20年の足跡を示すもの、日本のアート・ドキュメンテーションの20年の達成を顕著に示す機関・企業による展示と発表が行われ、2日目の第5部において20年間の学会長・幹事長による振り返りが行われた。この2日間のフォーラム終了直後に行ったインタビューでは、今回のフォーラムを改めて振り返ってもらうとともに、20年前の研究会発足に関する経緯についても話を聞くことができた。
これまで「アート・ドキュメンテーション」という言葉を聴いたことのない人から、学会に参加していても、詳しい経緯を知らない後進にとっても、アート・ドキュメンテーション学会の経緯と現状について、この分野に興味関心を持つきっかけになればと思う。

2006年立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修了。社会デザイン学修士。専門はミュージアム・サービス/ホスピタリティ論、ミュージアム情報デザイン。2006年から2009年まで慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構にてミュージアム・コミュニケーション・チャンネルプロジェクトリーダーとしてミュージアム等の動画配信実験などに関わる。2009年よりミュージアム・サービス研究所を立ち上げ。アート・ドキュメンテーション学会幹事就任。その他、日本ミュージアム・マネージメント学会幹事。
1989年という今から20年前の今日を思い出すことができるだろうか。アート・ドキュメンテーション学会創立20周年記念大会が開催された初日の2009年12月4日、個人的には20年前の同じ日には数ヶ月前に海外転勤で先に渡米していた父の元につき、初めての異国の新しい我が家で一晩あけた日である。当時まだ小学生高学年だった自分がこの先5年間アメリカのメリーランド州でスミソニアン博物館群に親しみながら、20年後の今、ミュージアムに関わる仕事についているとはかけらも想像すらしていなかった年月である。
1989年の4月にアート・ドキュメンテーション学会の前身であるアート・ドキュメンテーション研究会が発足した。詳しい経緯については、別途水谷氏のインタビューを参照してもらいたいが、今回のフォーラムで配布された「予稿集+資料編」では、1989年4月から2008年までの詳細な活動記録が収録されている。今回のフォーラム実行委員会の足跡も入っており、まさにドキュメンテーションの一端を垣間見ることができるのである。この資料にはさらに研究会発足までの経緯も年表とともに記述されており、ひとつの大きなきっかけとして1986年に東京で開催されたIFLA(国際図書館連盟:International Federation of Library Associations and Institutions)の美術図書館分科会が深く関わっていることがわかる。このIFLA東京大会の成功が、その後の“美術図書館を考える会(仮称)”から、美術図書館だけではなく広くアートをドキュメントする行為まで広げた研究会としてのアート・ドキュメンテーション研究会、そしてその後の学会へと発展する流れの源といえると予稿集には記述されている。
フォーラムの初日最後の発表として「年表に見る日本のアート・ドキュメンテーション-20年の達成」が行われたが、その中で20年を5年4期にわけそれぞれの5年ごとにフォーラムが開かれているのが見て取れる。第1回アート・ドキュメンテーション学会研究フォーラム「美術情報と図書館」は1994年11月に開催され、その二日目に開催されたシンポジウム「ミュージアム・ライブラリ・アーカイヴをつなぐもの」ではすでにMLAの文字を見ることができるのである。その後1999年に第2回研究フォーラム「アート・ドキュメンテーションの領域と方法」、2004年の第3回研究フォーラム「東アジアにおける美術・文化財情報のネットワークを考える」、そして今回の第4回研究フォーラムにいたるまでの20年間にわたり、MLAという一貫したテーマで研究フォーラムが開かれていたことわかる。
1989年から20年後の今日、すでにアート・ドキュメンテーションの中心は、1990年代に登場したインターネットとウェブを活用したデータベースをはじめとする公開型システムへと移行している。第4回研究フォーラムの初日には、展示会とその内容発表ということで、東京と奈良にある国立博物館をはじめとする各機関や大学によるすでに実装・公開済みのデータベースや文化財情報発信に関するインターネットを中心としたサービスについて紹介された。
中でも特に印象に残っているのは、具体的なエピソードを含めて発表された国立西洋美術館の報告である。どのようなデータベースであるか、どんな検索ができるかといったシステムの解説だけではなく、実際にウェブ公開されているデータベースを見た海外の研究者が、来日・来館したおり、国立西洋美術館が提供しているサービスをどのように活用して利用していったかという事例が報告され、今後公開されたデータベースを含むシステムの利用について調査研究の課題となることを意識させられた。また現在単独で公開されている各データベース等であるが、今後他施設との連携、ネットワークということも強く意識されている発表もあり、システム構築から構築後のシステムをどのように利用し、一般の人へ提供できるかという議論への移行を見て取ることができたように思う。
ウェブ上における情報提供については、その利用者ターゲットの多くが今後いわゆる生まれたときからPCやウェブ環境があたりまえのデジタル・ネイティブ世代による活用が見込まれる。実際にミュージアムやライブラリ施設を利用する前に、ウェブ上で情報を検索・確認してから来館するという、利用の流れや方法についても変化が見える今日、どれだけ情報を提供しているかだけではなく、どのように利用者が求めている情報を提供し、どれだけ容易に目的の情報にアクセスできるかという視点が今後さらに求められるはずである。
今回のフォーラムでは、MLA連携の現状と課題、そして将来というテーマであったが、次の5年間でこれら連携はより具体的に動き出す萌芽が今回のフォーラムでうかがうことができた。5年後に開催予定の第5回アート・ドキュメンテーション学会研究フォーラムでは、MLA連携の実践報告とその活用について議論が深まり広がりを見せることに期待したい。




2006年立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修了。社会デザイン学修士。専門はミュージアム・サービス/ホスピタリティ論、ミュージアム情報デザイン。2006年から2009年まで慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構にてミュージアム・コミュニケーション・チャンネルプロジェクトリーダーとしてミュージアム等の動画配信実験などに関わる。2009年よりミュージアム・サービス研究所を立ち上げ。アート・ドキュメンテーション学会幹事就任。その他、日本ミュージアム・マネージメント学会幹事。
MLA連携ということが、最近、よく言われるようになってきている。M(ミュージアム、美術館・博物館など)、L(ライブラリ、図書館)、A(アーカイブズ、公文書館など)の、相互連携の動向である。これは、今後、デジタル技術を軸として、中核的テーマになっていくものである。
まず、アート・ドキュメンテーションとMLA連携についてである。その基盤と必然性について考えてみる。
アート・ドキュメンテーションには、そもそもMLA連携にかかわる必然的な要素を内包しているとみてよいであろう。「アート」といっても、この学会で対象とする範囲はひろい。そして、その「ドキュメンテーション」つまり、記録・管理については、必然的に、L(ライブラリ)とA(アーカイブズ)に関係することになる。ここでは、M(ミュージアム)の観点から、LとAの関係を概観してみよう。
まず、Lについて。Mは、単に美術品を収蔵・展示するだけの機関ではない。それを、収集、保管、管理、調査、研究、さらには他館との連携など、種々の業務がともなう。そのためには、Mの内部にも、独自に図書室、資料室が存在する。各種の美術研究書、雑誌、展覧会カタログなどを中心とした図書室、資料室が必須となる。これは、Mの業務遂行のうえでなくてはならないものである。Mの中のL(ライブラリ)である。しかし、その存在はあまり一般に知られていない。
次にAについては、Mがある組織としてその業務を果たしていく限り、種々の業務上の文書が発生する。この組織の活動の記録文書を管理保管する業務として、Mの内部においても、A(アーカイブズ)が必須である。そして、このAによって、本来のMの業務がささえられている。本来、このようにあるべきものである。
しかし、現実に今の日本で、「アーカイブズ」がまともに機能している組織がどれほどあるであろうか、という懸念もある。実は、その専門の学会「日本アーカイブズ学会」が設立されたのは、2004年になってからのことである。ようやく、2009年に、いわゆる公文書管理法が成立したとはいえ、一般的にアーカイブズの業務にたずさわる専門職(アーキビスト)が、公的に認定されている状態にはない(この点では、とりあえずは、学芸員・司書という資格制度のある、MやLとの社会制度上の問題が残されている)。
一方、既存のMLAではなく、純然たる利用者の側から見た場合どうであろうか。ある資料(史料)が、たまたま所蔵しているのが、MLAのうちのいずれかであるという場合が多くある。たとえば、歴史的なものとして、浮世絵や古文書の類などは、MLAのどこの所有であってもおかしくない。また、上述、MのなかのLについては、一種の専門図書館と見ることもできようし、また、美術史研究の観点からはは、MのAが重要な意味を持ってくることは確かである。
とりあえず、以上を総合すると、
1.「アート・ドキュメンテーション」という行為のなかには、必然的に、MLAのそれぞれにかかわっていく流れがある。
2.利用者の側の視点からは、MLAは相互に連携してこそ利用価値がある。
このような背景のもとに、今後のデジタル技術を基盤としたMLA連携の目標と存在意義がある。
さて、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の20周年記念フォーラム「日本のアート・ドキュメンテーション-20年の達成-MLA連携の現状,課題,そして将来 M(useum) , L(ibrary),A(rchives)-」の開催についてである。詳細なプログラムは別掲のものを参照ねがうとして、第3・4部で特に話題になったことで、筆者が重要と思う点のいくつかについて記すこととしたい。
第一に、MLA連携といっても、MLAそれぞれになりたちが違う。歴史的な背景や、日本社会での認知のされかたに差異がある。このことをふまえねばならない。MLAのうち、M(美術館・博物館など)とL(図書館)については、おそらくほとんどの人がその存在について知っている。学校には図書館が附属するものであるし、美術館・博物館などは観光でもおとずれることが多い。ちょうど、このJADS20周年記念フォーラムの最中にも、修学旅行生とおぼしき生徒たちを、東京国立博物館の会場で多く見かけた。
ここで、まず、MとLの違いがある。利用者への情報発信をサービスの基本理念とするLでは、そのコレクション(本)がより多く閲覧されることを目標とする。一方、Mでは、コレクション(文化財)の保存が基本にある。そのため、社会的な情報発信という観点から見たとき、基本的な発想の基盤にひらきがあることが指摘された。
さらにそのなかにあって、A(文書館)は、MLAのなかであまり知られることのない存在である。本来、民主的な国民国家の基本にあるべきAが、日本では、従来、「官」と一部の研究者によって利用されてきたにとどまるという不幸な歴史がある。そのため、不特定多数の利用者を対象としたサービスの経験の蓄積がない。日本で、MLA連携の必要は理解できるものの、現実にどのように対応すべきかは、今後の大きな課題となっている。これは、MLAの利用者の側からも、情報の提供者の側からも、双方の視点からの問題点である。
そうはいっても、全体の方向としては、デジタル技術をつかっての各組織の横断的な利用の方向で、なんとか将来のMLA連携を模索していこうという動きは確実に始まっているというのが、筆者の感じたところである。すでに、登壇者の誰もが、デジタル技術をつかってということを当然の前提とした発言であったことは、ある意味で時代の流れを感じさせるものであった。デジタル技術によってということが当たり前の時代-デジタル・ネイティブの時代-の到来を強く印象づけるフォーラムであった。




1955年、京都生。慶應義塾大学文学部(国文学専攻)。専門は、日本語学 (日本語の歴史的研究)。最近の研究テーマは、主に文字についてのこと。人文学研究でのコンピュータ利用に、初期のパソコンの時代からかかわる。情報処理学会の人文科学とコンピュータ研究会運営委員など。文字研究会代表。J ADS(アート・ドキュメンテーション学会)は創立当初の研究会のときからの会員。個人ブログ「やまもも書斎記」では、主に人文情報学をテーマにあつかっている。
2009年12月7日(月) 東京国立近代美術館 アートライブラリにて
――20周記念フォーラムを終えていかがでしたか? 2年前に国立新美術館で「発現するドキュメンテーション」という題で年次大会を開いたときに、アート・ドキュメンテーション学会(JADS)の催し物として、はじめて200人の延べ参加者数を越えたんですね。今回20周年で東京国立博物館との共催で、テーマもかなり広くライブラリ、アーカイブ、ミュージアムという3つの領域にまたがるテーマなので、初めて300人超えるかなと思ってはいたんですけれども、かなり近い線で300人には達しませんでしたが、多くの方々に参加していただきました。
その参加者の内容をざっと見てみると、(JADSの)会員だけではなく一般の方々、そして初めてこの会に参加した方々も増えたので、今後の拡張性という意味では、拡大というか、かなり期待が持てるのではないかという風には思っています。
――今回のフォーラムの見どころをお教えください。 初日の9つの機関・研究所等々の実際にすでに稼動しているシステムについて展示とプレゼンテーションを行うことができたと。この9つのラインナップは、私のほうでかなり選定させていただいたんですけれども、いずれの人も現在の学会の役員もいますし、過去に幹事あるいは幹事長だった人、あるいはいろいろな学会の催し物等でいろいろな形で協力してくれた、いままでの20年の歴史の中で学会と強いコンタクトのある9つの機関だったんですね。
その機関を一同にこうやって集めて、それを展示あるいはプレゼンテーションとしていろいろな人に改めて見ていただく機会を設けられたことはかなり良かったのではないかと思います。それから、展示の会場に例えば東京国立博物館の銭谷館長も、翌日の記念鼎談会のMLAのそれぞれの館長もかなり興味深げに、かつ熱心にその展示を見ていただきました。なかなか博物館とかそういうところの上層部は現実のシステムを見る機会はあまり多そうではないので、改めて現状とその成果物を見る機会を設けられたということはお互いにとってもプラスにではなかったかなと思っています。
それから二日目の第3部に当たるテーマ研究発表会・共通論題「日本におけるMLA連携の現状と課題」ということで、私が最初本当に10分間くらいですけれども、二日目の第3部、第4部、第5部全体をあわせるイントロダクションを行いました。非常に感慨が深いのは第1回の研究フォーラムは1994年国立国会図書館ですけれども、そのときのテーマが「ミュージアム、ライブラリ、アーカイブをつなぐもの」というもので、そのときまさかそのときのテーマが今日のMLAという言葉につながるとはまったく予想もしていなかったわけですね。
そのときなぜ偶然MLAという風に並べたのかということも、よく振り返ってみると可能性とすればLMAということでもいい訳ですよね。でもなぜMLAになったというのはやっぱり語呂がよかったのかという気もするんですけれども、偶然ながらそういう連携が今日までつながってきたと。それが、アート・ドキュメンテーションという領域のひとつの通奏低音というかずーっとつながる調べになっているという意味では、15年前から今日まである程度の一貫性があったのではないかと。
ただし、そのときMLAといってもみんなポカンとしてました。なぜならば、MにしろLにしろAにしろそれぞれの機関が強いて他のLがMに、あるいはMがAに連携する兆しというのは組織体の活動目標にはけして掲げられていたとは考えられない。ですので、高階秀爾さん西洋美術館の館長でMの立場。それから上田修一先生、この方は慶應義塾大学の図書館情報学科の先生。それから安澤秀一先生、この方がアーカイブの立場から。で3人が並んでこういう趣旨の元に議論しましょうという誘い水をかけて、それなりの趣旨の説明文を私書いたのを、今回の予稿集にも再録しているんです。
それぞれ連携することについて、みんな価値は見出しつつはあるんですけれども、じゃあ具体的にどうすればよいのかといったとき、あるいは3者が議論したときに、やはりその共通言語がないというか土俵がないのです。ですから、なかなか私のように進行する者にとっても、実際登壇していただいて話していただく人にも、あるいは聞いているほうにも、なかなかきつい進行状況だったと思います。そいういう意味では他所にもない初めての試みだったので、ひとつの今日でいうところの本当MLA連携のきっかけになったと。まあ、きっかけを築けただけでもそのときはよかったのかなぁと思っています。
そのときの報告書がここにあるわけなんですけれども、その最後のシンポジウムも重要だったんですけど、このシンポジウムに先立ってオランダの国立図書館の方が来ました。特に美術、アートライブラリアンとしても活動されていた人で、ウィスハウプトさんという方をお招きして「美術研究者と美術図書館員:電子時代の技能と領域」という先進的なお話をされたんですよ。いろいろなスライドを映しながら。でスライドといっているようにこのときまだパワーポイントは使われていないと思うんですね。94年ですからウィンドウズ95前。で、このときはじめてインターネット、あるいはウェブ、HTMLの世界を垣間見た人が多いかもしれないですね。私も第1回記念フォーラムは94年ですからその年の夏に筑波の図書館情報大学ではじめて、ウェブというのを『モザイク』のブラウザーを通じて見た記憶があるんです。そういう時代ですよ。
ですので、この第1回フォーラムを準備するときに、若干メールは使ってましたよね。ニフティメールってみんな使っていたじゃないですか。あのモデムにつなぎながら電話回線で、パソコン通信でピコピコって。それで、テキストをお互いメールで送りあう、あるいはフロッピーでやりあう人はその当時先端的な人だったんです。連絡は主に私もそうですけれども、基本的にFAXが多かったんです。ですから原稿を添付ファイルでWORDで送るなんてないわけです。そういう状況のなかでウェブもないし、添付ファイルを送れるようなメールもないし、パワーポイントもないし、それでこれだけの展示も行ったんですね、かなりの量の。ということは、今で言う作業量から考えれば、ま、10倍くらいかかっていると思うんですよ。
例えばなにかこれの実行委員会で10人20人に連絡するときに、今ならメールで同報でポッとメーリングリストにまわせばいいですが、それができなかった時代ですから、それにくらべると隔世の感があるなと。今回も展示をやったりブースの展示をやっても事前の準備はあんまりなかった。ないわけじゃないけど各機関や会社にコンテンツを用意させておいて、そのコンテンツというのも基本的にホームページにウェブに出ているものだから、電源とネット環境をつくれば基本的にコンテンツはその場でいいわけです。だから、あの展示会のために新たにコンテンツを作るってことは基本的になかったわけです。ひとつあったのはパネルを作るだけでしたが、あれもパワーポイントかなにかで作ってもらって、それを日写さんのところでプリントアウトしただけだから、展示をするだけでも非常に楽だなぁと。まあそういう意味では状況が変わったのではないかということも改めて感じましたけどね。


1985年より東京国立近代美術館企画課で情報資料担当、2006年より独立行政法人国立美術館本部事務局に置かれた情報企画室長を併任。その間、国立新美術館のアートライブラリの立ち上げに関わり、併任。JADSの創設時メンバー、幹事、幹事長をつとめ、2005年より副会長。第1回フォーラム(1994年)の「ミュージアム・ライブラリ・アーカイブをつなぐもの」のシンポジウム・テーマが、今日のMLA連携に至ったことの奇遇を驚くとともに、この20年、なんと早かったことか、といささかの感慨を覚えている。
話は脱線しましたけれど、2日目の「MLAの現状と課題」では、慶應大学、国立国会図書館、国立公文書館、それから国立博物館の4人がプレゼンをして、近畿大学の田窪さんがモデレートしたんです。この方々はMLAの本当の現場において、現場の仕事を進めるとともに連携の可能性を模索している人たちなので、今回のMLAの連携の問題については一番なんというか、地に足を着けながら提言をできる人たちだろうということでお呼びしてディスカッションをしてもらったのです。それぞれかなり中身の濃い話が展開されたのではないかと思います。
それからディスカッションにおいても適切というか重要な質問がフロアから出てきました。例えば利用者の開発の問題とか、MLAはシステム開発的に見ればどんどんどんどん進んでいくのだろうけど、じゃあ実際いったい誰がどう使うのかっていうことについても、視野に入れるべきだという指摘もいただきました。またその連携連携といって情報が雑然と検索されて提供するだけであるならば、いままでMLAがそれぞれ築いてきた情報の組織化の秩序みたいなのははもう関係ないのか、というような指摘もあり、これは重要な指摘だったと思います。
で、これを踏まえて午後にどちらかというともうちょっと上の立場、館長の立場からそれぞれのMLAの単なる館長ではなくて、ナショナルなミュージアム、ナショナルなライブラリ、ナショナルなアーカイブの長が3人そろってそれぞれこの連携についてお話しをしていただいたというのが、今回のフォーラムの中でひとつの重要なセッションだったと思います。
この館長さんたちには、事前に鼎談のストーリーを示しておいたんですね。例えば、最初の設問は各館の紹介を兼ねたMLAそれぞれにおいて今直面する課題について紹介してもらったのですね。それから次は、例えば佐々木館長は現在Mにいるわけですけれども、実は佐々木館長は長尾館長が京都大学の総長だったときの京都大学の付属図書館長だったんですね。で、かつその京都大学の大学アーカイブ 、大学文書館の館長もされていたんです。
そうすると佐々木館長はもともと美術史研究者ですから本来的にもミュージアムに近い人、ミュージアムそのものの人なんですけど、今までもLとかAにかかわってこられたわけです。ですから、いまMにおられる佐々木館長から見たLとA、あるいは長尾館長からみたMとA、高山館長からみるMとLをお話していただいて、どういう風に見えるかというのも重要なことで、3つの理解があって初めて連携することの可能性と意義が語られることなので、そういうシナリオを書いていきました。
そうすると一番最初の直面する課題のところから最初5分程度でお話いただく予定だったのですが、5分が収まらないで各館館長10分以上話されていたんです。でそれは単に長いということは本質的なことではなくて、佐々木丞平館長、長尾真館長、高山正也館長とともに、いずれもそれぞれの課題について十分な議論の準備をされていてですね、説得的なお話をしていただいたので、さすが論客であるなということは感じました。たぶん、フロアの方々も改めて、国立のMLAの館長がそれぞれの現場の課題をこのように率直に話されたのを聞くのは初めてなんじゃないのかなと感じています。
それからそれを踏まえて、連携することの可能性についてお話をしていただきました。特に実際の連携について具体的な作業に取り掛かっているのはやっぱり国立国会図書館なんで、国立国会図書館がすでに実装して提供しているPORTAっていうデジタルアーカイブのポータルサイトについて、午前中にも国立国会図書館の佐藤課長が説明されていましたけれども、そういうPORTAあるいはこれからはじまるデジタル情報資源のラウンドテーブルというのをはじめるのですね。で、それは国会図書館がラウンドテーブルをもって図書館の人、アーカイブの人、ミュージアムの人をみんな呼んでこの連携について討議をするということについて準備をはじめていると。
で、じゃあなぜ国会図書館が、Lである国会図書館がMLAの連携についてそういう試みをはじめたのか、という一種の国会図書館にとってのMLA連携のインセンティブがなにかというのを私のほうから問いかけたら、やはり長尾館長は国会図書館というひとつの窓口は国会図書館であったとしても、多様にすでに存在しているいろいろなMなりAなりそれから他のLにおけるデジタルアーカイブ的な、データベースも含めてですが、そういうところにつなげていく意義は本当に大きいだろうと。
個々に存在しているだけではなくて、たまたま国会図書館であったとしても国会図書館が用意したPORTAという窓口から、すでにある多様な文化資源や情報資源にアクセスするゲートウェイをつくる。それは国会図書館にとっても意義のある事業であろうと具体的に語っていただいたので、それで今回のMLA連携については少なくともそういう見識があそこに参加した人には共通意識を持てたのではないかと感じています。
それから佐々木館長は特に文化財という側面から、文化財あるいは文化力という言葉をお使いになって、それなくして日本が存在意義というか存在はありえないわけであると。そしてそれを支える一翼がMであるしLであるしAであるということを改めて確認することは本当に必要だろうと。そのためにも、いろいろな課題はあるかもしれないけども、単独で事に当たるのではなくて、連携しつつ、なんらかの社会的なメッセージを出していってことに対さなければ、今非常に事業仕分けとか厳しい状況ですので、乗り越えられないだろうと。そういう連携の政策的な一面もありますけれど、政策的にもそういうスクラムを組むことの必要というのを語られたと考えています。
――その社会的なメッセージというのは具体的にでてきているのでしょうか? 具体的にメッセージというのを今回特に記念鼎談会を開いて、これから先政策提言までまとめるというところまでは当然行っていませんので、今回はやっぱり15年前MLA連携にとってのきっかけが生まれたと同じようにですね、もしかするとこの場から政策につながるようなことが行われる可能性を残したという程度ですけれども、そこまでが今回のひとつの成果だったのではないかと思います。


1985年より東京国立近代美術館企画課で情報資料担当、2006年より独立行政法人国立美術館本部事務局に置かれた情報企画室長を併任。その間、国立新美術館のアートライブラリの立ち上げに関わり、併任。JADSの創設時メンバー、幹事、幹事長をつとめ、2005年より副会長。第1回フォーラム(1994年)の「ミュージアム・ライブラリ・アーカイブをつなぐもの」のシンポジウム・テーマが、今日のMLA連携に至ったことの奇遇を驚くとともに、この20年、なんと早かったことか、といささかの感慨を覚えている。
――ご自身とJADSの20年を振り返るといかがですか? まず私が近代美術館に入ったのがもう20年以上前ですけれども、入ったときには前任者で、資料担当の方がいらっしゃいました。でその方がちょうど定年でお辞めになるので、入れ替わりというので入ったんですね。そのときには、今ここは近代美術館のアートライブラリなんですが、こういうようなものはぜんぜんないわけですよ。で、ここがこういう形でできたのは、ちょうど7年前の2002年の1月にリニューアルオープンしたんです。狭いですけれど、これだけの空間を確保して、公開の施設を持つことができた。
それまでは、すでに東京都美術館、1989年まさにアート・ドキュメンテーション研究会が発足した89年に横浜美術館といったところが、美術館の中のアートライブラリ、公開するライブラリというのがあったんです。近代美術館には資料はありましたけれど、本当に屋根裏のようなところにでした。そんな屋根裏のようなところに本が置かれていて、公開できるような状況になるとはまったく誰も思っていなかったです。
じゃ何をやっていたかというと、公開はしないけれど学芸員がいて研究員がいて、作品を集めたり展覧会をするわけですからやっぱり資料は必要なわけですよね。写真も沢山あった。それを整理して提供すると同時に前任者の方は特に日本近代美術の作家の年譜あるいは書誌をつくる第一任者だったわけですね。それで仕事をずーっとされていて、私もそういう仕事をいくつか手がけたことがあります。 で結局そういう状況だと前任者の方はその道のベテランでそういう仕事にまい進されてきたわけですが、私がその後に入ったときに公開の図書室もないし、美術館の中にいるだけではいわゆう相互協力のネットワークというのはまったくなかったわけです。で、どう考えても相互協力のネットワークというのは必要だというふうに考えていた人たちがやはり何人かいたわけなんですよ。
それで、たまたま私が近代美術館に入ってまもなくですから1986年に国際図書館連盟のIFLA(イフラ)の東京大会というのが開かれまして、そうするとIFLAというのは図書館全体にまたがる組織ですから、当然のことながら、専門図書館部会というのがあるのですね。でその専門図書館部会の下に美術図書館の分科会があるわけです。そうするとIFLA東京大会が開かれるということは専門図書館部会が開かれ、美術図書館分科会が開かれるということです。
その分科会をオーガナイズするのは日本人ではないわけです。もうすでにその分科会というのは何年も前から活動をしている。で、当時の分科会の議長はオーストラリアの人だったと思うんですけど、その人が東京でIFLAを開くんなら、美術図書館の分科会を開くと、ついては日本の関係者にそのお膳立てというかをしてくれと。会場とかそれからいろいろな見学をするとか。で、じゃあお膳立てをしてくれといわれてもその受け皿がまったくなかったわけです。今のようにアート・ドキュメンテーション学会があれば当然のことながらJADSが受け皿になるわけですけれども、その当時そういう横の連絡組織がないわけですから急遽何人かの人たちがかき集められて。で私もその一人だったし、駿河大学の副学長になっている波多野宏之さん、武蔵野美術大学の方なんかが中心となって、ミーティングをしたんです。
そのときからなんとなく日本にも美術図書館のメンバーが集まる会があるべきではないかということをいくつか積み重ねてました。そしてちょうど私が1988年にIFLA東京大会の2年後にこのIFLAのシドニー大会というのがあって、私がそのオーストラリアの分科会議長に呼ばれてシドニー大会の美術図書館分科会で話したんです。ペーパーを発表して日本の現状を話して、帰国後、その報告会を開いたんですね。それが1988年のそれこそ秋ぐらいだったんじゃないですかね。でそのときからじゃあこういうメンバーが集まったんだから、実際の組織にしていこうという準備を始めました。それが1988年の10月ですね。10月に第1回美術図書館を考える会というのを開いているんですよ。
これは今回の予稿集の年表に書かれているんですけれども、1988年の10月と12月に会を開いて、翌年の89年の2月に第3回を開いてこれをこのままアート・ドキュメンテーション研究会に持っていきました。だから88年に私がシドニーに行ってそれの報告会を兼ねた美術図書館を考える会第1回が開かれて、第3回を開いたときに研究会を作ろうと。ただし研究会の名称は美術図書館だけではなくて、もうちょっと広がりのある可能性のあるネーミングをいろいろみんなで意見を出し合って、考えました。でアート・ドキュメンテーションが良いだろうと。それでアート・ドキュメンテーション研究会をもう作っちゃおうということで、1989年の4月1日をもって研究会発足ということですね。
それで今日まで来たと。ただしその途中で研究会から学会へ変えるというようなプロセスはありましたけれども、1994年の第1回研究フォーラム、それから第2回が99年、第3回が04年というプロセスを踏んで20周年を今回開いたということです。


1985年より東京国立近代美術館企画課で情報資料担当、2006年より独立行政法人国立美術館本部事務局に置かれた情報企画室長を併任。その間、国立新美術館のアートライブラリの立ち上げに関わり、併任。JADSの創設時メンバー、幹事、幹事長をつとめ、2005年より副会長。第1回フォーラム(1994年)の「ミュージアム・ライブラリ・アーカイブをつなぐもの」のシンポジウム・テーマが、今日のMLA連携に至ったことの奇遇を驚くとともに、この20年、なんと早かったことか、といささかの感慨を覚えている。
――アート・ドキュメンテーション学会の課題についてお聞かせください。 20年を経て、今回の記念フォーラムも300人弱で、会員も300人を超えているわけですから、今後の課題ということについて言えば、やっぱりそのMLA連携というのはかなり継続的な課題として続けていくと思います。でもやっぱりミュージアムはミュージアムだし、ライブラリはライブラリ、アーカイブはアーカイブなので、それぞれの領域でのレベルアップというのは当然のことながら必要だと思うんですよね。それでレベルアップをしつつそのレベルアップをした成果を持ち寄る場としてアート・ドキュメンテーション学会がやはり継続してあるのではないかと思いますね。
その中から例えばメタデータの統合であるとか、画像データの共有環境を作るとかそういう形でMLA連携というのが具体的には進んでいくと思います。あるいはもうライブラリにいる人間はライブラリアンの今まで伝統的な技能だけを持っていればよいというものではないし、アーカイブはミュージアムのキュレーター的な仕事がないかといえば当然あるわけです。それからミュージアムの方も当然のことながら情報とか資料について、あるいは電子媒体とかEブックとかEジャーナルとかそういうことについて直面していくわけですから、今までの伝統的な枠組みの中でそういうことが済むわけではありません。ですので、当然のことながらそういうMLAを全体を見渡せるような組織としてJADSは生き残っていくのではないかと考えています。
それから、フォーラムの場でも幾度となく言われた、そして最後のセッションの質疑応答の中でも、やはりアート・ドキュメンテーション学会への期待の一環としてやはりアート・ドキュメンタリストなりアート・ドキュメンテーションを担う人のやっぱり人材の問題というのは大きいかなと思います。じゃあこれをどういう風な形でOn the Jobのトレーニングであろうが、あるいは大学あるいは大学院での教育の場においてもどういう風に伝えていけるのかということが、これからの課題だと思います。
で、もうひとつは切実な問題であるのはそういうトレーニングを積んだ人たちが実際に現場で活躍できるようなヒューマンリソースを、それぞれの現場において採用ということも含めて、任用ということも含めて、きちんと配置するような体制を築いていくと。これはもう今の世の中一番ここが厳しい状況だと思いますので、そういう人材が必要だということを提言するとともに、そういう領域に技能、アート・ドキュメンタリスト的な技能を持った人が配置されたときに、どういう効果が築けるのか、それに対する展望というのはやっぱり現場において成果を出さなければその展望も開けませんし、提言もできるわけではない。なので、やはり現場においてある程度の成果が出たならば、その成果をキチンと対外的にメッセージとしてアピールをしていく必要があると。そして単にアピールをするだけではなくて、それに対してはふさわしい評価をしていくということをきちんとしておかなければ、いくら提言や教育をしても、やはり最終的にこの配置ということろまではつながりません。これが一番大きな課題ではないかと思います。
そういう意味では優れた成果をきちんと評価して検証していくという機能を考えるときに、アート・ドキュメンテーション学会は野上賞という賞がありますので、野上紘子さんの記念の学会賞があり推進賞があるわけですから、これをきちんと活用というかしていくということはとっても大事なことだと思います。
ただ意外と忘れられがちなんですけど、賞をつくってその賞のためにすぐれた業績なり成果を推薦するってことは本当は大変なことなんですよ。推薦するってことは極めて重要な批評行為ですから、何でもいいから推薦すればよいといのでは決してなくて、推薦する人はきちんとした評価基準を持ってきちんとした評価推薦文を書いて、なぜその人材なり成果なり業績が優れているかということをきちんと言葉として表現する責務もある。そういうプロセスを踏まなければ、野上賞の価値はないし、野上賞がそれにふさわしい権威に育っていかないということもやはり学会員全員がきちんと認識してほしいなと思います。
で、やっぱり野上賞を受賞するような活動なり業績というのは誰が見ても「あ、やはりアート・ドキュメンテーション学会の野上賞を受賞するだけのものである」というふうに回を重ねていかないといけないわけです。アート・ドキュメンテーション学会には野上賞というのがあり、野上賞を受賞したあのシステムなりあのデータベースなり、あの成果物というのはさすがに重要だと。そしてなぜそういう成果物が生まれたかといえば、そこにはきちんとしたアート・ドキュメンテーションにかかわるプロフェッションがあったからだという風にならないといけない。
正社会的な非常に重要なメッセージのひとつの武器、ひとつのチャンネルを我々はもっているわけですから、それについてきちんとした推薦をするための努力は学会員全員、特に役員達は担わないといけないという自覚がもっとあってしかるべきだと思うんですよね。やはりそういうプロセスを踏まえていかないと単にMLA連携とか社会に対して発現するといっても、じゃそういうときになにが財産としてあるのと問われたときに、きちんとした説明ができないというようになってしまうので、それはあまりにも残念だと。
推薦するということは自分の現場だけではなくて関連する分野に対してかなり広い展望をもって置かないと、すぐれた仕事というのは見つけられないわけですから、そういう視野の広さもやはり必要だと思います。そのためには日常的に情報収集をしてそれぞれの開発されたものがどういうものなのかという見る目がなければ、そういう推薦もできません。やはりそういう点についてもひとつの課題であると指摘しておきたいと思いますね。
――今後の20年後の未来に向けてのメッセージ、あるいは展望などをお聞かせください。 新しい世代交代が進んでおりますので、是非新しい方々がですね、すぐに役員にならなくても例えばSIGというSpecial interest Groupというのがありますので、そこに参加していただくなりさまざまな研究会なり見学会に是非参加していただきたい。参加するだけではなくて例えば懇親会の場で躊躇せずに、あまり恥ずかしがらずに知らない人とでも一言二言でも会話、あるいは名刺交換の中からやっぱり人の輪をつなげていただければいいのではないかなぁと。自分からコミットしていかないとやっぱり得るものはないので、今このような状況の中では待っているのではなくて自分からコミットしていくと。でコミットすればするだけの分はなんらか得られるような会であるので、是非コミットしてください。で、もしコミットしてこの会というものにある価値を見出していただけるようであれば、是非役員に参加していただければいいのかな、という風には思っております。
JADSを知らない人、これから仲間に入ってもらう人に対してのメッセージとしては、まずは面白がることですね。意外とこの(MLAに関する)世界は面白い要素が沢山あると思うんですよね。で単に本や資料やデータというだけではなくて本といっても例えば美術書の世界というのはかなりいろいろな多面性がありますので、例えばアーティストブックというのもひとつの対象領域なんですが、こんなに面白い本はないわけです。そういうところからでも入っていける分野ですので、そういう面白がるというか発見するというような、きっかけをこのアート・ドキュメンテーション学会の活動から見出していただいて是非積極的にコミットしていただけるといいかなという風に思っています。


1985年より東京国立近代美術館企画課で情報資料担当、2006年より独立行政法人国立美術館本部事務局に置かれた情報企画室長を併任。その間、国立新美術館のアートライブラリの立ち上げに関わり、併任。JADSの創設時メンバー、幹事、幹事長をつとめ、2005年より副会長。第1回フォーラム(1994年)の「ミュージアム・ライブラリ・アーカイブをつなぐもの」のシンポジウム・テーマが、今日のMLA連携に至ったことの奇遇を驚くとともに、この20年、なんと早かったことか、といささかの感慨を覚えている。
アート・ドキュメンテーション学会
Japan Art Documentation Society
Category: Digital Archives