10, Aug 2010

アート・アーカイヴ-多面体 その現状と未来

アーカイブ、この語は、基本的に文書資料についてつかわれることが多い。しかし、最近では、アーカイブズ学や歴史学のみならず、他分野でもつかわれるようになってきている。本稿では、このような流れのなかにあって、特に「アート」の分野での「アーカイブ」についての動向について、AMeeTではおなじみとなった當山日出夫氏に寄稿いただいた。

當山日出夫(立命館大学グローバルCOE 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点 客員研究員)

アート・アーカイヴ-多面体 その現状と未来

01.はじめに -アート・ドキュメンテーション学会-

2010年6月12・13日と、アート・ドキュメンテーション学会の年次大会が、慶應義塾大学で開催された。これは、慶應義塾大学のアート・センターとの共催である。そのシンポジウムのテーマが、「アート・アーカイヴ-多面体 その現状と未来」であった。以下、このシンポジウムについてレポートする。

まず、アート・ドキュメンテーション学会であるが、これについては、このAMeeTの過去の記事に言及がある。昨年(2009)の12月におこなわれた、学会創立20周年記念フォーラムの様子がレポートされている。(執筆は、山村真紀氏および筆者)。

アート・ドキュメンテーション学会 Japan Art Documentation Society
http://www.ameet.jp/digital-archives/digital-archives_20091221-2/#page_tabs=0

くりかえしになるが、学会の概要を記しておく。創立は、1989年にさかのぼる。設立当初は、アート・ドキュメンテーション研究会、それが、2005年より「学会」に名称を変更して、昨年には、20周年をむかえている。

その学会の趣旨は、「図書館、美術館・博物館、美術研究機関、関連メディア、及びこれらに関係あるものの連絡・連携のもとに、わが国、さらには国際間における、アート・ドキュ メンテーションをめぐる諸問題の解決と進展に寄与すること」とある。

さすがに学会(研究会)の創設から20年が経過すると、それをとりまく状況や課題も大きくかわってきている。現在のこの学会の存在理由を、筆者なりにまとめるならば、アートを軸としたMLA連携、その中核をになう学会、とでもいえようか。MLAとは、M(ミュージアム、美術館・博物館)、L(ライブラリ、図書館)、A(アーカイブ、文書館・史料館)である。その相互の連携が、これからの日本の、いや世界の、大きな流れとしてある。現在の日本において、このMLA連携を主題として掲げることのできる、メインの学会であるといってよいであろう。

昨年の20周年記念フォーラムの後をうけて、2010年度の年次大会のテーマとして選んだのが、「アート・アーカイヴ」である。(なお以下本稿では、テーマで使用の用語・用字とは別に、より一般的であろうとおもわれる「アーカイブ」の表記を使用することにする。)


當山日出夫 TOUYAMA Hideo
當山日出夫 TOUYAMA Hideo

1955年、京都生。慶應義塾大学文学部(国文学専攻)。専門は、日本語学 (日本語の歴史的研究)。最近の研究テーマは、主に文字についてのこと。人文学研究でのコンピュータ利用に、初期のパソコンの時代からかかわる。情報処理学会の人文科学とコンピュータ研究会運営委員など。文字研究会代表。J ADS(アート・ドキュメンテーション学会)は創立当初の研究会のときからの会員。個人ブログ「やまもも書斎記」では、主に人文情報学をテーマにあつかっている。

個人ブログ「やまもも書斎記」

http://yamamomo.asablo.jp/blog/


02.慶應アート・センター

今回、共催となった、慶應義塾大学アート・センターは、1993年に設立された。慶應義塾のなかでも、比較的新しい研究機関である。(以下、慶應ACと略記する。)

慶應義塾大学アート・センター
http://www.art-c.keio.ac.jp/

その設立の目的は、HPから文言を借りるならば、以下のようにある。

慶應義塾の歴史と伝統がつちかってきた学芸の土壌とさまざまな学問領域の成果を総合する立場から、現代社会における芸術活動の役割をめぐって、理論研究と実践活動をひろく展開しています。/私たちの日常をふりかえっても明らかなように、今日ほど情報の多様化、感性や価値観の変容が著しい時代はほかにないでしょう。アート・センターは、既成の学問の狭い枠に閉じこもることなく、新しい時代にふさわしい文化的・芸術的感性の醸成と表現活動の可能性を追究し、溌剌とした文化環境の創出に寄与することを目的としています。

この慶應AC自身もまた、既存の学問領域の枠組みにとらわれない斬新な活動を展開している。その活動の一端としては、まず、コレクションがある。慶應ACのコレクションは、メインとなるものとして、

  • 土方巽(舞踏、身体表現)
  • 瀧口修造(造形・評論)
  • ノグチ・ルーム(彫刻・建築・環境デザイン)
  • 油井正一(ジャズ評論)

があり、まさに多岐にわたっている。

これらのアーカイブを中心にして、様々な展覧会や講演会などのイベントを開催している。たとえば、筆者のこのAMeeTの前稿でふれた、土方巽作品をめぐる、写真家・細江英公氏の講演会などが記憶に新しいところである。

また、展覧会としては、最近では「アーカイヴの現場」などを開催している。この展覧会は、ちょうど、アート・ドキュメンテーション学会の開催と時期が重なり、その見学会も学会の行事に組み込まれるものであった。この展覧会は、上述の「土方巽、瀧口修造、ノグチ・ルーム、油井正一」の各コレクションを展示するものであり、まさに「アート・アーカイヴ」とは何であるかを、体現する展覧会であった。

慶應ACは、アート・ドキュメンテーション学会のシンポジウムを開催するにあたって、絶好のパートナーであったということができよう。


03.プログラム概要

シンポジウムは、学会のホームページにも掲載であるが、ねんのため、ここにも記しておくことにする。「挨拶」などの類は、省略させていただくことにする。

アート・ドキュメンテーション学会
http://www.jads.org/news/2010/20100612.html

シンポジウム「アート・アーカイヴ―多面体: その現状と未来」

美術のみならず芸術にかかわる研究においては、完成作品を調査し、刊行された文献を参照することに加えて、その創造過程に横たわる多様な資料に分け入る作業を欠かすことはできない。それゆえ、芸術を研究する者にとっては、美術館、図書館、そしてとりわけ、アーカイヴの存在が極めて重要である。しかしながら、芸術創造に関わる資料を保有するアーカイヴをアート・アーカイヴと呼ぶとき、美術館や図書館とは異なり、それは必ずしも組織体として独立しているとは限らない。アート・アーカイヴは、美術館の抱えている資料体として存在している場合もあれば、大学の研究所に属する資料体として、あるいは図書館内の特別文庫内の資料として存在する場合もあり、また、遺族がささやかに収集蓄積していることも少なくないなど、その有り様は実に多岐にわたる。
いま一度、アート・アーカイヴについてその役割と現状を検証し、同時に、芸術創造に関わる資料の顕在化と研究活用への促進についても考えていきたい。

基調報告
「アート・アーカイヴとコミュニケーション」渡部 葉子 慶應義塾大学アート・センター 教授/キュレーター
報告1
「野島康三アーカイヴの形成と公開」光田 由里 渋谷区立松濤美術館 学芸員
報告2
「東京芸術大学におけるアーカイヴ構築準備作業および資料保存―公開の現況」吉田 千鶴子 東京芸術大学美術学部 教育資料編纂室
報告3
「建築アーカイヴ―いま、そこにある危機」山名 善之 東京理科大学 准教授
報告4
「舞踊アーカイヴの形成に向けて」松澤 慶信 日本女子体育大学 准教授
コメンテート1
内藤 正人 慶應義塾大学アート・センター副所長
コメンテート2
小川 千代子 記録管理学会副会長/国際資料研究所代表
パネルディスカッション
パネリスト:渡部 葉子、光田 由里、山名 善之、松澤 慶信
モデレータ:水谷 長志 東京国立近代美術館
イントロダクション「極私的アート・アーカイヴ小史」
※司会進行:山村真紀(ミュージアム・サービス研究所主宰)


04.シンポジウム(1)

まず基調報告として、渡辺洋子氏(慶應AC)から話しがあった。慶應AC所蔵のコレクションを中心に「アート・アーカイヴ」とはどのような営みであるのかについての、根源劇な問いかけであったと理解する。

その根源的な問いかけの基本は……「アート・アーカイヴ」は、組織体として独立していないということが指摘された。図書館や美術館、それに、アーカイブを専門とする文書館などは、それ自体として独立している。しかし、「アート・アーカイヴ」は、特定の組織や機関に、一定の法則にしたがって収集・管理されることによってなりたつものではない。

その上で二つの論点が指摘された。

一つは、どこにどのような形で資料が存在しているのか、それを顕在化させることの意義である。もう一つは、資料の保存や利用の状況の多様性である。総合的にまとめれば、あるアーティストにかかわるアーカイブは、そのアーカイブを見る利用者の視点によって、様々に可変的である、と言い換えることもできよう。

そして、「アート・アーカイヴ」の課題となるのは、個々のアーカイブをつなぐハブとしの機能の重要性であり、個々に独自性を持って存在する各資料(アーカイブ)どうしのコミュニケーションである、と述べる。その具体的事例として、慶應ACの各アーカイブが事例として紹介されたのであった。

次に、光田由里氏(渋谷区立松濤美術館)による「野島康三の形成と公開」があった。これは、松濤美術館が刊行した『野島康三 作品と資料集』を実際に編集作成するうえで、どのような問題点があったかを、かなり具体的な事例に即して報告するものであった。

野島康三(1889-1964)は、日本近代を代表する写真家。写真家であるが故に、独自の困難がそこにはある。オリジナルの「作品」(写真)とは何であるのか。それとも、「作品」ではなく「資料」としてあつかうべきなのか。まず、このような段階で、判断をくだしていかなければならない。また、野島自身ではなく、周辺の人物にかかわるもの、特に書簡などの資料をどこまで収集(この場合は、公刊)の対象とすべきかの判断にまよう事例も多々あったとのことである。

これは、「資料集」の刊行という範囲にとどまらず、美術館・博物館が、どのように作家の「作品」や「資料」を収集すべきか、また、それを展示・公開すべきかにかかわる、重要な問題となっている。この意味で、多くの美術館・博物館にかかわる発表であったということができよう。


05.シンポジウム(2)

吉田千鶴子氏(東京芸術大学)からは、東京芸術大学におけるアーカイブ構築の事例報告がなされた。

現在、東京芸術大学では、独自にアーカイブ構築をすすめている。その具体例として、

  • 東京美術学校外国人留学生史料の公刊
  • 六角紫水史料の公刊
  • 大西西崖史料の公刊計画
  • 今泉雄作「記事珠」の公刊計画

これらについて、具体的事例として報告があった。

そして、そのうえで、指摘された重要な点としては、「史料というものは研究があって初めて史料となり得るということだ。一つの史料を公開するにはそれについての十分な研究がなければならない」(予稿集、p.12)ということが指摘された。ただ、史料が史料として独立して存在するのではなく研究の裏付けが必要であるという観点は、先にのべた、渡辺氏(慶應AC)のいう、アート・アーカイヴの自立性の問題とも関連することとして、理解すべきであろう。

山名善之氏(東京理科大学)からは、建築アーカイブについての報告があった。

日本の建築アーカイブは危機的状況にある、端的にいえばこのように要約できるであろう。

たとえば、フランスなどでは、旧オルセー駅が、現在のオルセー美術館となっているように、古い建築について、文化遺産として保存するという発想が基本的にある。現在、日本で話題になっている、国立西洋美術館はコルビジェの作になるものである。これを残すためには、まず建築についてのドキュメンテーションとアーカイブが必要である。文化遺産としての価値の認識と、それについてのドキュメンテーションとアーカイブが日本は、決定的に遅れているとの指摘があった。

たとえば、明治期に、浮世絵の名品が数多く外国に流出したごとく、現在の日本の建築アーカイブは、危機的である。ドキュメンテーションを残そうとしていない。むしろ、捨ててしまっていることの問題を、するどく指摘するものであった。

フランス、オランダ、カナダなどの先進諸国の事例を具体的にとりあげながら、建築アーカイブ、その設計図面のみならず、種々のドキュメンテーションをふくめて、総合的な建築アーカイブの必要性を、非常に強くうったえるものであった。

日本においても、建築博物館は必要であり、それは急務である。


06.シンポジウム(3)

松沢慶信氏(日本女子体育大学)からは、「舞踊アーカイヴの形成に向けて」と題した話しがあった。

松沢氏は、専門とされている、「舞踊」(バレエ)についての発表であった。これは、前述の山名氏の建築アーカイブのように、実物そのものを保存するというのとは、根本的に性格が異なる。

まず、第一に、舞踊は、(当たり前のことであるが)実物が残っているというもの、実物を残せるというものではない。そこから、次のような問題点が発生する。

舞踊の実物そのものを残せないのであるならば、その受容の歴史として資料を残すことで、芸術史を構築できるのではないか、という問題点である。それから、残す技術の問題である。たとえば、20世紀以降のものであれば、映像としてバレエが残るようになる。しかし、これは、映像作品として見るべきであるのか、バレエの作品として見るべきなのか、という新たな課題を生じることになる。

これを一般化すれば、アーカイブと、アーカイブの技術との問題である。されに、これを私的に拡大して解釈するならば、現在問題になっている、「デジタルアーカイブ」の問題ににも、つらなってくる。どのような技術があるから、なにを、どのように残せるのか、という問題をあらためて提起することにつながると理解する。

以上の報告について、コメントがよせられた。

小川千代子氏(国際資料研究所)からのコメントで、興味深い点としては、「アート・アーカイヴ」は、インスティテュートであるのか、それとも、コレクションであるのか、という指摘である。(アーカイブズ学の用語として、ある組織がその業務の遂行にともなって義務的・機械的に残していく史料のことをインスティテュート、そうではなく、後になってから特定の分野領域に沿ってものを集めたものをコレクション、と大きく分類する。)

芸術作品の創造にかかわる資料群というものは、はたして、いずれに分類されるべき性質のものであろうか。

内藤正人(慶應AC)からのコメントとしては、次のようなことが指摘された。現在の展覧会は、専門家向けというよりも、より一般目線からのものに変わってきている。また、興味深い指摘としては、絵画資料などから、アーカイブ(保存)できなかったものを見る。たとえば、浮世絵に描かれた楽器から昔の音曲を考えるなど、アーカイブするとはどういうことであるのか、根源的に考えるべきであるとの発言があった。



07.シンポジウム(4)

最後に、水谷長志(東京国立近代美術館)を司会として、フロアをふくめての全体討論となった。ここでは、話題のなから、次のような論点を紹介しておきたい

建築やダンスなどの総合芸術の場合、いった誰に、どのような権利があるのか、という問題の指摘である。たとえば、ダンスの映像記録は、そのダンスを作った人なのか、おどる人なのか、それとも、映像を撮った人なのか。このような問題は、アートにかかわるアーカイブだからこそ生じる問題かもしれないが、きわめて重要である。

このような記録のための、あるいは、作品そのものを作るための技術の変化によって、アーカイブもかわってくる。たとえば、建築アーカイブの場合であれば、現在では、設計図面は、CADのデータになってしまっている。では、これは、デジタル資料として、どのように保存すべきであろうか。

また、資料というのは、はじめから存在するものなのであろうか。日本の古い建築などは、大工の棟梁の現場の指図で建てられたという。このような事例では、設計図面は無かったといっていいかもしれない。だが、近現代以降のものについては、資料があり残すべきである。しかし、そもそも、何を、残す、保存するか、ということも問題である。今の時点の判断としては、不必要とされるものでも、将来、必要になってくるものがあるかもしれない。それは、研究の進展、新たな発想の転換によって、必要とされるものが変わる可能性がある。では、いったい何をどのようにしてのこしておけばよいのであろうか。

さて、このような議論をふまえて、会場から文化庁の栗原氏の発言がフロアからあった。現在(シンポジウム開催の時点)、文化庁では、パブリックコメントを募集している。それは、文化審議会文化政策部会「審議経過報告」に関する意見募集の実施についてというものである。文化政策部会とあるが、ここで審議されている内容の多くが、アーカイブにかかわる。特に、文化・アートにかかわる領域での、アーカイブである。この審議会の簡単な紹介が、司会の水谷氏よりなされ、パブリックコメントへの意見を出してほしい旨、栗原氏より要望がのべられたのであった。

パブリックコメントの募集は7月9日までであるので、本稿の掲載時期からは、離れてしまうのであるが、しかし、我が国の文化政策と、アーカイブをめぐって、このようなことがあったということは、ここに記しておくに値すると判断する。国の文化政策の基本理念のなかに、特にアートにかかわる分野において、アーカイブというものが、しっかりと認識されはじめていることが確認できるのである。

追記
なお、この件については、2010年7月8日に、「文化遺産に関するアーカイブ資料の保存と活用のための施策の充実を求める意見書」を、アート・ドキュメンテーション学会から提出した(他に、記録管理学会、情報知識学会、日本アーカイブズ学会、慶應義塾大学アート・センターと、連名。)
http://www.jads.org/news/2010/ikensho_rev20100707.pdf


08.まとめとして

アーカイブが日本に定着して、まだ新しい。とはいえ、アーカイブズ学会の活動も軌道にのり、ようやく公文書管理法も制定された。今後、日本において、各種の方面で、アーカイブというものの考え方がひろまっていくことであろう。

一方、国立国会図書館の大規模電子図書館構想のような動きもある。電子図書館といっても、その対象となるものは、近現代の書籍にかぎらず、いわゆるMLA連携にかかわるデジタル資料を多くふくむ。

このような時代的状況を背景として、JADSのシンポジウムのテーマとして、「アート・アーカイヴ」が設定されたことの意義は大きいといわざるをえない。主に公文書・史料を中心とした、伝統的なアーカイブズ学、その一方で、我が国では国立国会図書館の電子図書館、そして、世界的規模では、グーグルブックス、あるいは、欧州におけるEUROPEANAの構想。これらは、まさに、「文化」にかかわる。文化遺産のデジタル化が、日本の、また、世界の緊急の大きな課題となっている。

アートのアーカイブ、これこそ、いま現在のアーカイブの世界でもっともあつかいづらいもののひとつであろう。芸術の創造過程をどのように記録していくのか、いや、それ以前に、芸術の記録とはそもそもなんであるのか。まず、このところから、多様な視点があり得る。そして、そこには、正解というものがない。

ここには、旧来のアーカイブズ学でも、また、図書館情報学でもとらえきれない世界がひろがっている。そして、今回のシンポジウムを通じて、筆者が感じたことを最後に述べるならば、アートのアーカイブそれ自体が、常に生成していくものであり、創造活動そのものである、ということである。これは、従来の学問領域ではとらえることのできないものであり、新たな学際的研究領域を切り拓いていくことにほかならない。それは、まさに、「アート」としか称するほかのない行為である。

慶應ACでアーカイブされている、芸術家たち……土方巽・瀧口修造・イサム=ノグチ・油井正一、これらは、すべて、既存の価値観を打ち破ることによって、自己の世界を確立していった人々である。これらのアーカイブの作業が、クリエイティブでないはずはないのである。

新しいアーカイブの領域としてアートの世界をみつめていく必要がある。


アート・アーカイヴ-多面体 その現状と未来





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