13, Sep 2010
『DVD版内村鑑三全集』(※以下、適宜、『DVD版全集』などと略記することにする。) は、その名のとおり、パッケージ(DVD)による電子書籍である。現在、世の中で、電子書籍として考えられている、iPad(Apple)や、Kindle(Amazon)などによるものではない。また、Googleや国立国会図書館の電子図書館構想とも、また違っている。非常にささやかな、ただ一枚のDVDであるにすぎない。しかし、この一枚のDVDのなかには、現在の電子書籍の問題点のいくつかを、逆に照射するおおきな成果と可能性がつまっている。
結論から言うならば、DVD版全集は、その利用者が、自らの手で、自らが必要とするものをつくりあげたものである。ただ、自分たちの利用のため、また、これを必要とするであろう人たちのためだけを考えて作成された。そこには、電子書籍ビジネスの商機をねらう発想などは皆無である。ただ、純粋に、デジタル化された内村鑑三全集は、どのようにあるべきかを考えて作られている。
本年、2010年は、電子書籍元年などともいわれる。前述のごとく、iPadやKindle、それにGoogle、国立国会図書館の電子図書館構想などについて、さまざまな言説がながれている。書店には多くの電子書籍関係の書物がならび、WEB上でも様々なニュースがとびかっている。しかし、まだ、現実に、電子書籍として市場が形成されているわけでもないし、また、実際に電子書籍で読書をするというのが一般的になっているというわけではない。今は、電子書籍元年というよりも、電子書籍前夜といった方がよいかもしれない状況である。だが、世の趨勢として、電子書籍の方向に向かっていくであろうことは、確実であるといってよいであろう。
その中にあって、あえて、時代錯誤的な印象をあたえる『DVD版内村鑑三全集』をとりあげて紹介してみたい。それは、いったい、誰が何のためにデジタルの書物を必要としているのか、ということの原点を考えてみる必要があるからである。
今の電子書籍をめぐる議論の多くは、先にiPadやKindleなどのプラットフォームがあり、そこから話しがはじまっているように思える。ある意味、そこには、そもそも利用者が何をもとめているのかの観点が欠如しているきらいがなくもない。ここは、まず、原点にたちかえって、ユーザが電子書籍に何をもとめているのか、ということから考えてみたいのである。この意味で、時代の先端からは古色蒼然とした印象のあるDVD版について、考察と紹介にもいささかの価値があろうかと思う。

『DVD版 内村鑑三全集』

1955年、京都生。慶應義塾大学文学部(国文学専攻)。専門は、日本語学 (日本語の歴史的研究)。最近の研究テーマは、主に文字についてのこと。人文学研究でのコンピュータ利用に、初期のパソコンの時代からかかわる。情報処理学会の人文科学とコンピュータ研究会運営委員など。文字研究会代表。J ADS(アート・ドキュメンテーション学会)は創立当初の研究会のときからの会員。個人ブログ「やまもも書斎記」では、主に人文情報学をテーマにあつかっている。
ここで、概略、内村鑑三についてふれておくことにする。日本近代を代表するキリスト教信者(無教会主義)として著名であり、その影響は、南原繁や矢内原忠夫などを経過して、今日にまでひろくおよんでいる。現在でも、無教会主義キリスト教信仰は連綿としてつづいており、また、その一方で、その思想史的研究もさかんである。いまも、『内村鑑三研究』という研究誌が、定期的に刊行されている。
つまり、明治の初期から、昭和の初めにかけて著述活動にかかわっており、一人の人間が、近代という時代を通じて一貫して残した文章としては膨大な量にのぼる。それは、現在では、全40巻の編年体編集の全集にまとめられ刊行されている(岩波書店)。
これは、単に日本近代におけるキリスト教思想史という側面からのみとらえるには、あまりに膨大な言語資料でもある。日本語研究はもちろんのこと、社会・風俗にかんする研究においても、貴重な資料となり得るものである。
ただ、その書かれた時代が、明治~昭和初期ということもあって、ルビや圏点などを多用した文章になっている。近代の日本語の文章が確立していくプロセスとまさに重なって、その著述活動は行われている。この意味で、その文章データのデジタル化には、非常な困難がともなう。文字(漢字の字体・表記法の問題)、それに、きわめて多用されるルビ(ふりがな)の問題など、デジタル化にあたっては、課題の大きい文章である。しかし、そうであるが故にこそ、そのデジタル化された資料をつかいこなすことによって、得られる知見もまた大きなものが期待されるのである。
『内村鑑三全集』(書籍版)
『DVD版全集』の出版の経緯については、全集にも解説のパンフレットがつけてある。そこから適宜ぬきだすと、概略、以下のようである。
つまり、岩波版全集の刊行から20年ほどして、ようやくコンピュータ環境が整いはじめた。今からふりかえるならば、Windows98の時代ということになる。それから、さらに、10年近くの年月を経て、全集全巻の入力と、検索システムの構築にいたったものである。
この間、種々の課題があった。技術的な問題以外に、ものの考え方にかかわる課題としては次のようなものがあったと聞いている。
第一には、著作権の問題である。これは、DVD版出版会のメンバーの多くが、かつての、岩波版全集の編集にたずさわっていたということもあって、なんとか、岩波書店の了承をとりつけるにいたったとのよしである。このあたりの著作権処理の経緯について、そのうち明らかにしてもらえると、今後、類似の企画のためには非常に参考になるのではと、筆者には思われる。ともあれ、この種の仕事の最大の難関である著作権問題は、このDVD版については、あまり大きな問題となることなく、解決するにいたっている。
第二には、基本方針の問題である。二つの大きな方針があったと仄聞している。一つには、より簡便なかたちで内村全集を読者の手にとどける、より安くより簡単に読めるようにしたい、というもの。もう一つは、内村全集をデジタル化するのであるならば、いっそのこと、内村鑑三コンコーダンス(総索引)を作ってしまおうというもの。高度な学術利用に耐えるだけの機能をそなえたものにしようという発想である。
これらは決して相反することではない。しかし、ある意味では、現在の電子書籍論にもかかわる問題である。著作権は無論のこと、どのような機能を電子書籍に付加するかということと、そのコストの問題は、今後の電子書籍の実際の製作・流通において、現実的な課題となっていくであろう。この現代のこれからの課題が、すでに10年以前、DVD版の企画の段階から、すでに議論がされてきていたということは、電子書籍の本質を考えるうえで、参考になることと思われる。
DVD版全集の初期画面
ここでは、基本的に次の二点が重要になる。第一には、岩波版全集(40巻)を忠実に、デジタルで再現したものであること、である。第二には、この作業は、基本的に手作業によっているということ、である。
デジタルで全集を再現するといっても、一般的には方法は二通り考えられる。第一には、画像としてスキャンしてしまう。画像データとして見せる方法。もう一つは、テキストデータとして、全文をテキスト化する方法である。
これは、実は、現在の電子書籍の議論ともふかくかかわってきている。画像データで見せるのか、テキストデータで見せるのか。画像データであれば、ある意味で見え方も安定しているし、安価につくることができる。しかし、そのデータの再利用(機械的な引用)などはできない。読むだけである。
一方、テキストデータに作る方法は、手間暇、コストはかかる。しかし、本文の検索機能など、コンピュータ上のテキストならではの意義を発揮できるのは、テキストデータにおいてである。検索・引用(コピー)などが自在におこなえてこそ、電子書籍であるという考え方もある。
内村全集にも、この二つの選択肢があった。全集を高精度でスキャンして画像データとして提供する方向である。しかし、これでは、内村鑑三を読むことはできても、そこから、研究の資料としてつかうことができなくなる。内村鑑三コーダンスはつくれない。結局、DVD版出版会で選んだのは、
1.全集の全文を、ワープロソフト「一太郎」をつかって再入力する。全集のルビ(ふりがな)、圏点、などはもちろん、凡例から奥付にいたるまでを忠実に再現する。
2.それをPDFにする。そのPDFデータをもちいて、閲覧のみならず、検索機能をも付加する。
という方向である。
言うまでもなく、内村鑑三全集は過去の著作である。これから書かれるものであるならば、はじめから電子的テキストということも十分にあり得る選択である。それを、過去の著作の、デジタル化において遡及して採用している。したがって、そのコストは多大なものとならざるをえない。だが、それを、あえて採用することによって、最終的に、内村鑑三全集の全文検索機能ということが実現可能になったのである。
検索画面
検索結果(全件表示)
簡単に、DVD版の機能の概略を説明しよう。
岩波版全集(40巻)のテキストをデジタル化してあるので、その本文について、全文の検索が可能である。
ただし、若干の制限がある。
(1)文字列検索であって、語の検索ではないこと。つまり、同一のことばであっても、異なる表記がなされているものは、検索からもれることになる。
(2)ルビが検索できないこと。検索対象となっているのは、本文の本行のみである。これは、全集を再現したPDFから本文の本行のみを抜き出して、検索用本文として作っていることによる。
(3)ページにまたがる文字列は検索対象にならないこと。
これらは、強いていえば欠点である。しかし、これらの欠点は、今後の電子書籍においても、同様の問題が発生するにちがいない。テキストデータで電子書籍があれば、本文の検索が可能である、とはいっても、では、その検索の単位は何であるのか、何を検索対象とするのが妥当であるのか……実は、これらのことはまだ大きな議論の問題点とはなっていないのが現状である。DVD版内村全集をつくり、検索機能を実装してみて、はじめて顕在化した問題点であるともいえよう。
本文閲覧、検索結果表示画面から、自由にPDF表示にきりかえることができる。そして、このPDF表示からは、自在に、本文の該当箇所をコピー(引用)して取り出すことが可能である。
これは、内村鑑三の著作を読むだけにとどまらず、その全集をつかって研究をしたいとなった場合、決定的な意味をもつ。内村鑑三研究のような人文学研究の場合、原著作からの引用が自在にできるということは、きわめて有意義である。検索ができて、そして、その箇所の引用ができる。これこそ、研究目的の利用にとって、最重要なことがらである。
なお、内村鑑三自身の著作権はすでにきれている。また、DVD版作成にあたって、版元の岩波書店の了解は得てある。論文を書くとき、全集から本文をコピー(引用)できるのである。このことの意義はきわめて大きいと判断できるものである。
PDF拡大表示
PDFからのテキストコピー
今の時代に話題になっている、「電子書籍」、つまり、iPadやKindleをプラットフォームとするもの。あるいは、Googleによる大規模な書籍のデジタル化。日本国内においては、国立国会図書館の大規模電子図書館構想。これらとならべたとき、DVD版内村全集は、いかにも、一時代前の古色蒼然とした趣さえ感じさせる。だが、本当に、時代遅れの遺物なのだろうか。
いやそうではないと、筆者には思える。たしかにメディアとして、DVDパッケージというのは、WEBを主体で考えている今の電子書籍からは古風ではある。しかし、電子書籍に何をもとめるか、どのように使うかの本質的な部分については、重要な意味をふくんでいるのではないであろうか。
「読み書きソロバン」・・・リテラシの基本として今も変わらないだろう。このことばのなかには、「読む」と「書く」とが平行している。連続したものとしてある。これは、デジタルの時代になっても変わることがないだろう。コンピュータをつかって何かものを読むこと、そして、それを読んで思い浮かんだことを書くこと、これは、連続するひとつづきの流れのなかにあるだろう。そして、デジタルならでは利点は、コピー(引用)が簡単にできることである。
ここで、DVD版内村全集にかえって考えてみよう。
第一に、書籍版をそっくりデジタル化したものであること。これは、引用するとき、巻・頁・行にいたるまで、確実に特定できることを意味している。現在の電子書籍では、「ページ」の概念がどうなるか、ただテキストが読めるだけの読書端末であるのか、今のところ確定したものではない。この意味では、DVD版全集は、完全に問題が無いといえる。
第二に、検索画面の結果表示、あるいは、読書用表示画面から、PDFに簡単に遷移することが可能である。そして、PDFからは、自由にテキストがコピーできる。特に人文学研究の分野では、研究対象となる著作からの引用は、きわめて重要な意味をもっている。それが、全40巻にわたる全文検索の結果から、簡単にコピー(引用)でき、かつ、前述のごとく、巻・頁・行ついて特定できるのである。
これはまさに内村鑑三研究のための、読書と研究のためのツールであるといってよい。「読む」と「書く」とにまたがった、知的生産のためのツールなのである。
現在の電子書籍論の多くが、そのプラットフォームをめぐって議論しているなかにあって、着実な知的生産のためのツールとなり得るDVD版全集の存在というのは、一つのあるべき姿をしめしてはいないであろうか。
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筆者が、DVD版全集にかかわりをもつようになってから、認識を新たにしたことがいくつかあるが、その一つに印刷業の存在がある。
電子書籍について語られるとき……印税が何%になる、出版社や取次はどうなる、書店のゆくえは……などと、よくいわれる。しかし、実際に、DVD版全集の製作の現場にかかわってみえてきたのは、まったく異なる側面であった。それは、印刷業の存在感である。
内村の書籍版全集の印刷は活版印刷である。そして、それを、ボランティアの手作業でDVD出版会の人たちがデジタル化した。これは、ワープロ文書を作成するまで、である。その後、それを確実にPDF化し、かつ、閲覧用ソフト(LeafThrough、大日本スクリーン)、データベース(HiBase、ホロン)を実装して、製品化したのは、精興社である。実は、最初の活版印刷の時の印刷も精興社が担当している。
このようなプロセスを経験した目で電子書籍を見るならば、また違った側面が見えてくることがわかった。電子書籍、それが、かつて刊行された書籍をデジタル化するものであるのか、あるいは、これから新たに刊行する書籍をデジタル版として刊行するのか、いずれにせよ、その核となる技術をもっているのは、印刷業である、ということである。出版社ではない。
さらにいえば、以前に刊行された書物をデジタルで再加工・再利用しようとしたとき、そのデータを持っているのは誰であるかというと、著者でもなければ、出版社でもない。印刷業者のところにある。もちろん、権利関係として、著者に著作権がある。出版社にも権利がある。だが、実質的なデータそのものの所在と加工技術となると、まったく、立場がことなってくる。
たとえば、WEB上で利用する百科事典として、ジャパンナレッジがある(有料)。これに、最近、『国史大辞典』(吉川弘文館)が加わった。そのいきさつはいろんな背景があるが、印刷業(東京印書館)が、デジタルのデータをもっていたということが大きな要因としてある。
DVD版内村全集の場合、もとが活版印刷であるので、デジタルデータがあるというわけではなかった。新たにゼロからデータ入力することになったわけである。しかし、それを、最終的に、DVD版全集として、世に出る形にもっていったのは、印刷にかかわる精興社の技術力によっている。
印刷業ついて、旧来の単なる印刷業ではなく、デジタルデータ処理の専門と見なければならない、これが、電子書籍のある種の一面であると認識する次第である。
2010年7月3日、『DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウム』が開催された。於:国際基督教大学。その時のプログラムの概要を記しておきたい。
これを見ればわかるように、旧来の伝統的な人文学研究の手法による内村鑑三研究から、これからのインターネットの将来を考えた、新たな研究環境のあり方まで、幅広く議論するものであった。特に、最後の岡本真氏の発表は、パッケージとして閉じている現在のDVD版全集が、今後のWEBの発展のなかで、どのように利用されていくべきであるかを展望するものであった。
内村鑑三の著作は、デジタル化されたものとしては、DVD版全集のほかに、
などがある。これらの有機的な連携による、今後の内村鑑三研究のありかたが重要になってくる。そして、それは、決して内村鑑三だけにとどまるものではなく、人文学研究とコンピュータやWEBの利用にかかわる、すべての分野についていえることであろう。
デジタルアーカイブというと、えてして画像データなどを中心に思い浮かべがちである。しかし、電子書籍の時代をむかえようとしている今日にあって、われわれの目の前にあるのは、膨大な量の、テキストのデータである。かつての人間の知のいとなみは、その大部分は、書籍としてのこされている。
それをどのようにしてデジタル化して、将来に活用するのか、いままさにスタートの時点にたっていると認識する。過去10年の年月をかけて手作業で作り上げられてきた、DVD版内村全集は、それを考えるひとつ出発点を我々におしえてくれるものではないだろうか。
最初に述べたごとく、電子書籍がスタートしている。しかし、まだ、現実の社会に影響をおよぼすまでにはいたっていない。むしろ、先行しているのは、電子書籍論である。電子書籍をめぐっては、おびただしい言説が、WEB上にあふれ、多くの書物が刊行されている。
電子書籍で何をしようというのだろうか。時代や環境が変わっても、もし、「読み書きソロバン」のリテラシの基本が変わらないとするならば、知的生産につかえる電子書籍とはどんなものであるか、少なくとも、ソーシャルメディアに発信能力のあるプラットフォームは何であるか、このような観点からの議論が必要ではないだろうか。
ただ、紙の本の代わりとして、読むだけの本として、電子書籍が終わるはずはない。新しい、読書と知的生産、コミュニケーションのパラダイムを、作り上げていくことだろう。そのとき、その原点にたちかえる意味で、『DVD版内村鑑三全集』は、多くのことを教えてくれるにちがいない。
参考文献
岡本真・仲俣暁生(編著).『ブックビジネス2.0』.実業之日本社.2010
植村八潮.『電子出版の構図』.印刷学会出版部.2010
高島利行(ほか).『電子書籍と出版』.ポット出版.2010
田代真人.『電子書籍元年』.インプレスジャパン.2010
村瀬拓男.『電子書籍の真実』.毎日コミュニケーションズ.2010
中西秀彦.『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』.印刷学会出版部.2010
長尾真.『電子図書館』(新装版).岩波書店.2010
「電子書籍を読む!」.『ユリイカ』(2010年8月号).青土社.2010
『本の窓』(9・10合併号).小学館.2010
付記:
筆者が、DVD版全集にかかわりをもったのは、その製作の最終段階において、特に文字コード関係のことで、出版会(斎藤みち氏)より相談をうけたことにはじまる。筆者が出版会のメンバーであるということではない。しかし、DVD版製作の経緯については、最終的な精興社との会合にも同席することもあり、具体的な電子出版の実情に接することができた。本稿は、このような見地からのものである。
なお、最後に、困難な事業をなしとげられたDVD版内村鑑三全集出版会の皆様に、深甚なる謝意と敬意を表するものである。
DVD版内村鑑三全集と電子書籍
Category: Digital Archives