15, Dec 2011
――はじめに、MoMAK Filmsを始めるに至った経緯をお聞かせ願います。
(牧口)
もともとは、独立行政法人国立美術館が発足した2001年から、私たちは法人内の各館が保管している作品を公開していきたいと考えていたんです。そうした動きの中で、東京国立近代美術館フィルムセンターの協力を得ることができ、映画の継続的上映を、両館の共催事業として立ち上げることとなりました。それが2007年のフランス無声映画上映会『鉄路の白薔薇』です。これが好評を博し、第2弾として上映されたのが、2008年、エイゼンシュテインの『イワン雷帝』。これは野外上映会という形で行われました。これを機に、単発で上映会を打ち出していくのではなく、定期的に見られるような環境を整えていこうという方針が定まったんです。
ただしその時は、うちの美術館では上映をするための環境がなかなか設備的に整っていないという問題がありました。そんな時にたまたま左京区のドイツ文化センターに行ってこの話をしたところ、上映プログラムに興味を持っていただき、上映会場としての協力を得ることができました。
こうしてドイツ文化センターを会場に、年5回の定期上映会として2009年、MoMAK Filmsは始まりました。

フランス無声映画上映会(ピアノ共演) 『鉄路の白薔薇』 上映風景
2007年12月15日(土) 京都国立近代美術館1階ロビーにて

野外上映会『イワン雷帝』 上映風景
2008年8月1日(金) 京都国立近代美術館 北側駐車場にて
――現在はこちらの館の中の上映設備で、行われているということですよね。
(牧口)
2010年度からは、京都国立近代美術館で行っているのですが、これはドイツ文化センター京都(ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川)の改修工事があったからなんです。
急きょ京都国立近代美術館の講堂の映写室を整備して、映画の上映ができる環境を整えて、「MoMAK Films @ home 2011」として上映会を継続しました。
――現在企画として参加されている、川村・富田両先生と一緒にお仕事をするようになったのはいつごろからですか?
(牧口)
第2回の『イワン雷帝』の後に、今後の作品のラインアップを考えるにあたって、お二人にご相談し、企画協力という形で参加していただきました。ですから、その後の「MoMAK Films@Goethe」の上映プログラムの企画には、お二方のアドバイスをいただいています。
―では川村先生、冨田先生お二方は、初めてMoMAK Filmsの企画協力のお話があった時に、どのように感じられましたか?
(川村)
フィルムセンターは、6万タイトルものフィルムを保存していますが、施設としては東京にしかないわけです。私は以前横浜に住んでいたので、フィルムセンターさんに足を運んで、通常の映画館ではほとんど見られないような作品を見ることができました。ただ、こういった状況では、関西をはじめとする東京以外の地域に住んでいる方々が、こうした映画を目にすることは非常に難しくなってしまうわけです。
今回のMoMAK Filmsは、こうした希少な映画を目にする機会を広げることになります。特に京都であれば、大阪・神戸あたりからも足を運ぶことのできる位置ですよね。映画に興味を持つ方に、東京で日常的に楽しまれているもの、通常の映画館ではなかなか目にすることのできないものを提供できる、と思いました。
(冨田)
そうですね。このお話は、フィルムセンターの方から電話でいただいて、もう本当に嬉しくて、二つ返事でお引き受けしました(笑)。それだけ画期的なことだったんです。
今思うといささか無責任ではありますが、関西では、絶対に目にできないものを上映したいと思いました。川村先生がおっしゃっていたように、フィルムセンターという日本国内の唯一の施設でしか上映されない作品が多い、ということに関しては、以前からさまざまな不満と、問題意識を訴える声があったんです。そういった声に応えるためにも、こうした画期的な取り組みのスタートに関わり、協力できるのは本当にありがたいことでした。
ただし、現在私たちは非常にマニアックな視点から作品を選んでいるので、今後はもっと集客のための発想をしていかないと、という思いはありますが。

大阪大学大学院文学研究科博士前期課程修了。2006年から京都国立近代美術館研究員。担当した展覧会に「イチハラヒロコ+箭内新一 プレイルーム。」(2007-)、「キュレトリアル・スタディズ04: 笠原恵実子」(2010)、「モホイ=ナジ/イン・モーション」(2011)など。
MoMAK Films
http://www.momak.go.jp/Japanese/
films/index.html
京都国立近代美術館
http://www.momak.go.jp/

東京国立近代美術館フィルムセンター客員研究員などを経て、 2000年に立命館大学文学部助教授着任、2007年4月から立命館大学映像学部准教授。専門は映画史。
立命館大学アート・リサーチセンターにて映画文化のアーカイブ活動に取り組む。編著に『映画読本千恵プロ時代』(フィルムアート社)、赤間亮・冨田美香『イメージデータベースと日本文化研究』(ナカニシヤ出版)、山田洋次・冨田美香『山田洋次映画を創る』(新日本出版)あり。
立命館大学映像学部
http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/

1970年兵庫県生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。川崎市市民ミュージアム映画部門学芸員を経て、2007年から立命館大学映像学部准教授。主な論文に「戦争責任論と一九五〇年代の記録映画」、「大島渚とヴェトナム」(奥村賢編『映画と戦争―撮る欲望/見る欲望』森話社、2009年)、「戦記映画について―カメラマンが「作家」になるとき―」(黒沢清、他編『踏み越えるドキュメンタリー』岩波書店、2010年)など。
立命館大学映像学部
http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/
――今お話が出た、上映会への集客ということに関しては現在どのように考えていらっしゃるのですか?
(冨田)
上映会を定期的に行っていくのであれば、ソフト化もされていない“マニアック”な作品で上映会の個性を打ち出し、足を運んでいただける固定客をつくるというのは重要です。
そうした方は、京都のはずれや他府県からもいらっしゃいますが、若い学生さんとか、いわゆる将来的な文化の、ベースとなる人たちのところにまで観客層をどうやって拡げていくのか、というのは課題としてありますね。
(川村)
学生は大きな対象となりえますね。でも、実際は、学生がなかなか足を運んでくれない。会場を見ると客席に座っているのはかなり年齢が上の方なんです。
(冨田)
作品の選別を国別などにすると、その国の文学や文化に興味のある学生が来てくれますが、例えば、邦画とか映像の歴史を学ぶ学生さんに響くわけではないですね。
――いわゆる“マニアック”ととらえられることの多い作品を選ぶという背景には、何か理由があるのですか?
(川村)
確かに、現在の上映作品に関しては、マニアックだというご意見もいただきます。しかしこうした選定の中には、フィルムセンターさんの所蔵する映画、いわば国有の財産をできるだけ広く還元したいという気持ちがあります。
実は、関西でフィルムセンターさんのフィルムが上映される機会は、MoMAK Filmsだけではないんです(例えば「優秀映画鑑賞推進事業」による日本映画上映)。しかし、そういった時に取り上げるような作品ではないもの、つまりほかの場で見られる機会のあるものよりも、京都国立近代美術館と東京国立近代美術館が同じ独立行政法人の中にあるからこそできる、希少な作品を公開していきたいという思いがあります。
もうひとつの理由としては、京都国立近代美術館のmuseum of modern artとしてのコンセプトに合わせて作品を選択していると、どうしてもモダンアートの対象としての映画を選んでいくことになります。
MoMAK Filmsで行われた『鉄路の白薔薇』とか『イワン雷帝』上映の狙いは、基本的にモダンアートを扱う美術館が取り上げる、モダンアートとしての映画を見せるということなんです。当然こうした根底にあるコンセプトは守り続けていきたい。こういう観点から見ると、どうしても、単発で行われる関西でのフィルムセンターさんのフィルムを使った上映会とか、映画館での特集上映とは、性格が異なった上映になってしまうのかもしれません。
(冨田)
例えば、フィルムセンターの活動で発掘、復元された稀少な映像で、フィルムセンターでのお披露目上映以後、上映される機会のなかった作品などを選んでいます。特に作品がマニアックだからといって選んでいるつもりはないんです。そのこだわりが結果としてマニアックと呼ばれたりするんですが、それもまた京都国立近代美術館らしさだと思いますね。
(牧口)
それでも「ここに来たら今まで見たことのない、珍しい映画作品に出合える」と思って毎回足を運んでくださる方もいます。現在、そうした方が固定客となっていて、限られた少数だけれど、作品を深く味わっていただける人というのも、美術館としては大事にしたいと思います。アートに関するイベントがあまた世の中にある中で、割とこの美術館では、少数だけれども熱心な人に深く楽しんでもらうという機会を大切にすることを心がけ実践してきたように思います。MoMAK Filmsもまたそういう企画のひとつだと思っています。

フランス無声映画「鉄路の白薔薇」上映会 チラシ

野外上映会「イワン雷帝」 チラシ
――現在上映しているフィルムは、フィルムセンターから提供されているということですが、これらのフィルムは、しっかり保管されている原版が東京にあった上で、それのコピーというかプリントされたものがやってくるという感じですか?
(冨田)
フィルムセンターがアーカイブしたフィルムを原版とすれば、それを上映用にコピーしたプリントの場合と、原版の場合の両方ありますね。ただし原版の場合は、外国映画で、日本での上映用プリントだったものですが。
(川村)
例えば、ドイツ映画の特集の際に上映したロベルト・ジオドマーク『激情の嵐』(1931年)は、日本公開時の上映用プリントが寄贈されたケースですね。
これは、1930年代に公開された時の字幕が付いています。そうしたものはフィルムセンターには、そのポジプリントしかなく、上映して傷を付けると大変なことになります。それだけでなく、可燃性のフィルムであるという理由もあります。そのためそこからコピーのネガを作って上映用のプリントをもう一度作る。そうすると作品には、字幕は最初から焼きこまれていることになります。提供された作品には、こうした古い時代を偲ばせる字幕の作品もありましたね。
(冨田)
それらには、当時の日本の検閲でカットされた痕跡もそのまま残っているんです。ですから、オリジナルの作品を見るのとは、ちょっと違った発見があることも多いんです。そうした場合は、当時の日本での受容のあり方を体験する、という文脈も生まれてきますね。
――ここでしか見られない作品を選ばれることも多いということですが、いわゆる商業ベースでされている映画館のプログラムとかぶらないように配慮をされる、というようなスタンスをとっていらっしゃるんですか?
(牧口)
詳しくは冨田先生と川村先生からご説明いただくほうがよい思いますが、確かに京都市内の映画館や文化博物館、また「午前十時の映画祭」などで上映されるものは、あまり含まれていません。例えば、日本映画であれば京都文化博物館さんが上映をずっとされていますが、近代美術館で上映するとなれば、やはりちょっと違うもの、映画(史)の文脈とは異なる視点で作品を選ぶことになりますね。
(冨田)
大阪や神戸にも、映画を上映しているアーカイブがいくつかあるんです。そこではあまり上映されることのないもの、所持されていないものを選んでいます。ただし、プログラムの関係上、選択肢がない時にはその限りではなくて、2010年4月に上映したスイス映画『山の焚き火』のように、かつてミニシアターでやっていたものを取り上げることもありますが…。それ以外は全部ほかではやらないものですね。もちろん、今度上映する日本アニメ・外国アニメのプログラムでも、そうした基準で選んでいます。
(川村)
例えば、京都文化博物館さんの場合は「京都で作られた日本映画」を柱にされていますし、京都映画祭などでも、同様に京都にちなんだ日本映画作品が上映されています。それに対して、我々は同じ日本映画でも京都では上映されないようなもの、東京の撮影所で作られたものを持ってくるとか、あるいはアニメーションやドキュメンタリーといった、あまり文化博物館さんで上映されていないものを選んでいます。
もちろん、ただ珍しいものを選んでいるわけではありません。
フィルムセンターさんは95年にリニューアルして以降、ものすごい勢いで映画史に残る重要な発見をしています。その中には、よく知られていながら、名前のみ伝わっていた作品の断片もあるんです。そうした発見は非常に重要ですが、私たちの目に触れるほど広く上映されているわけではありません。ましてや断片であれば、完成品ではないので、普通の劇場では上映しづらいものです。
しかしそれらは、一度は失われたと考えられていて、名前だけは広く知られているのに、もはや、映像ではなく、言葉でしか伝えていくことができないと思われていたものなんです。
そうした作品を上映するにあたって、京都国立近代美術館は非常に適した空間です。
私たちの上映作品選びには、こうした発掘作品の拾い出し、といった役目もあるのだと思っています。

京都国立近代美術館


MoMAK Films @ home 2011
上半期上映作品:スイス映画、外国アニメ映画、実験映画 チラシ
――川村先生は、立命館のホームページで「「見せる」活動があってはじめて映画/映像は作り手と観客をつなぐことになる」とおっしゃっていますね。映画・映像を見せる活動というのはコミュニティー形成にどのような役割を果たしうると思いますか?また、「これからMoMAK Filmsをこのような方向にもっていきたい」という展望はありますか?
(川村)
そもそも、映画を嫌いな人っていないですよね。もちろんレベルに差はありますが、「映画は好き?」と尋ねられて「嫌い」と答える人はまずいない。
だから、映画はそういう場で、人と人をつなげるというか、人と場所をつなげるということが割と得意なはずです。
ただ、これまで美術館や博物館は、公共の空間を作ることに非常に重要な役割を担っていたわけですが、映画館はなかなかそういうところに入り込まなかったし、今もなお十分に入り込んでいない。
京都は、幸いなことに、非常に狭い領域の中で、いろんなものが横に、しかも簡単につながってしまう街です。立命館大学映像学部ができたのが2007年で、着任したての頃、たまたま京都国立近代美術館に遊びに行ったら、ちょうど、イチハラヒロコさんと箭内新一さんが「プレイルーム。」をやってらっしゃいました。
私は、京都に来る以前は川崎市市民ミュージアムにいたのですが、その川崎市市民ミュージアムでの展覧会(「偶然の振れ幅」展、2001年)に、作家として出展されていたのが箭内さんだったんです。「プレイルーム。」に箭内さんがいらっしゃったので、「久しぶりですね」と話をしていたら、当時近美の学芸課長であった河本信治さんがたまたまそこにいらっしゃったんです。
箭内さんから河本さんを紹介されて、「私は川崎で上映活動をやっていたんですよ」と自己紹介したら、河本さんから「実はここでも映画をやっていきたいという狙いがあるんだよ」とおっしゃっていただいて、そこから話がMoMAK Filmsの『鉄路の白薔薇』につながっていきました。
本当に京都という街は、知り合いと話しているだけで、そこに次々と人が関わって、あっという間に企画が決まってしまうような、つながりやすい場所なんです。これはとても素晴らしいことで、そうした性格をもっているからこそ京都では、私たちのようなスタンスで、上映会の場を広げていくための、いろいろな試みができるんです。
試みという点では、一般のミニシアターとも協力した映画の上映や、映画祭も開催したいと思っています。だから、MoMAK Filmsという、いろいろな企画のできる場があること自体が大事なんです。こういうことは、誰かがやろうって言わないと始まらないし形にならない。現に、MoMAK Filmsに毎回足を運んでくださる方は、今までこういう映画を見る機会をずっと失っていたわけですから。

MoMAK Films @ home 2011 上映風景 2010年6月より隔月開催 京都国立近代美術館にて


MoMAK Films @ home 2011
下半期上映作品:日本のドキュメンタリー、日本アニメーション映画 チラシ
――冨田先生は、映画史を取り扱っておられて、フィルムセンターの客員研究員もされていましたが、そうした立場から、今後どのような作品の上映を目指していますか?
特定の映画作品、もしくは映像作家のものに焦点を当てるといった構想を持っていらっしゃいますか?
(冨田)
映画史的な側面から教育的に必要な作品を鑑賞するというのは、大学や学校内でやればいいことだと思うんです。そういう意味では、映画史を勉強しようという学生であれば、自分で見に行ったり、DVDで見る習慣がついていると思うし、ネットでも見ています。私は、MoMAK Filmsには、教室としての役割は求めていなくて、むしろ映像をみんなで見るサロンのような役割を目指しています。例えば、映像を学んでいる学生が、ここに来ると、「何か違うぞ」と感じる、視野が拡がる、そんなきっかけになればいいなと思っているんです。
作品の方向性や焦点ということでは、川村先生と二人だからできているというのもすごくあって、これまでは国や地域単位でプログラムを組んできました。しかし、三年目ともなると新鮮味がなくなってくるような気がして、同じようなコンセプトでやると、来年度は人数が増えるどころか減りかねない。やはり、集客というのはなかなか大きな問題ですね。国や地域単位のプログラムも遣りつくした感があるので、今後は別のテーマを決めて、できればサロンの雰囲気を保ちつつ、門戸を広げていける方法を模索したいと思います。
(牧口)
これまでのMoMAK Filmsの取り組みを理解してくださって固定客となったお客さんを大事にしたいという気持ちは割とみんな持っているんです。でも、それだけではなくて、ちょっと起爆剤的なテーマや作品もたまには入れてもいいのかな、とは思いますね。展覧会や上映会のプログラムとその広報についてはちょっとした工夫をしていきたいと思っています。例えば、先日も仲正昌樹さんにお願いしたように、上映会にあわせてレクチャーを企画するとか、著名な映画作品を上映する場合でも、新しい解釈や批評的視点をあわせて紹介するような企画ですね。展覧会やコレクションなど日常的な美術館の活動のなかでMoMAK Filmsの宣伝をしていくような、広報的な工夫はもっと必要かもしれませんね。
(川村)
こういう場合、二つ解決策があると思うんですよ。
ひとつはもっと上映会を定期化、日常化する。そうすればお客さんはもっと来ます。
同じ作品の繰り返しであっても、毎週やっているとなると、必ず30人くらいが固定客になってくれるんです。そういう人たちが映画のタイトルにかかわらず、この時間に行けば何か見られる、と期待して来てくれるということになります。
もうひとつは、作家の特集をすることですね。フィルムセンターのストックの中から、例えば木下惠介の特集をやるとしましょう。そうするとみんなが「あぁ木下惠介が見られる」「デビューから最後まで全部見られる」ということでお越しになる。
でも、それを二つともやってしまうと、サロンの意味合いが壊れてしまう。それこそ木下惠介特集をやったら、ミニシアター、名画座とどこが違うのかとなってしまうわけです。だからこそ、私たちはこのMoMAK Filmsの使い方を模索していく必要があるんです。
(冨田)
前回のアニメーション特集の時は、結構子ども連れで見に来てくれた人がいたじゃないですか。あのプログラムには、なかなか上映機会のない、しかも評価の高い作品が入っていて、私はすごく良かったと思うんです。
ただこうしたプログラムは、アニメーションをやっている人からしたら必見なんですが、子ども連れで来た人たちにとっては、ちょっとモードが違うので難しいかもしれません。
反対に、先だって国立博物館で『ジャングル大帝』の上映が行われましたが、あの会場には180~200人くらいのお客さんが入っていたんです。多分、『ジャングル大帝』も子どもたちからしたら、モードが違うとは思うのだけれど、そんなにわぁわぁ騒いだりしないんですよね。親たちも、おばあちゃんなんかもみんな満足できる。
(川村)
このプログラムでは、東映動画の『長靴をはいた猫』(1969年)とか、アニメーションの歴史の中では中心的な作品を外しているんですよね。
でも、お越しいただいて、ご覧いただいたら、本当に楽しんでいただけると思います。フィルムセンターさんでもイチオシの『三匹の小熊さん』(1931年、岩崎昶監督)とか、漫画家の横山隆一がやっていたおとぎプロの『ふくすけ』(1957年、横山隆一監督)とか、いいものばかりですよ。
(牧口)
そう。見に来たら絶対に面白いものばかりやっているんですけどね。『うかれバイオリン』みたいな可愛らしい作品もあれば、亀井文夫と下村兼史などの近代日本のドキュメンタリーの特集などもしていて、川村先生と冨田先生の企画は本当に幅広いんです。

MoMAK Films @ Goethe(ドイツ文化センター京都、2009年) 会場風景

「京都学 前衛都市・モダニズムの京都 1895-1930」展(2009年)にあわせて、マキノ映画など大正期の映画作品を活弁・ピアノ伴奏つきで上映した。
http://www.momak.go.jp/Japanese/
news/2009/20090710-11.html

東京国立近代美術館フィルムセンターと連携した展覧会「無声時代ソビエト映画ポスター展」(2009年)も開催。会期中にはロビーにて関連作品の上映会を実施した。
http://www.momak.go.jp/Japanese/
exhibitionArchive/2009/374.html

京都国立近代美術館・講堂の映写室にて。フィルムプロジェクトの開始当初から映写を担当する映写技師の方々。
――近代美術館、あるいはミュージアムで映画を取り扱う、上映することをどう考えられていますか?もちろん海外でも大きなミュージアムに、シネマテープとか、ビデオテープはありますが、映画というもの、特に商業映画とか劇映画をアートの中で取り扱うことについて、今の流れはどうなっていて、皆さんはこの流れをどうとらえているのかを、お聞かせいただきたいと思います。
(川村)
ニューヨーク近代美術館(MoMA, The Museum of Modern Art)が1929年にできて、1930年代から映画のコレクションを始めました。つまり、その時代からmuseum of modern artという言葉には、モダンアートの対象としての映画は、厳然としてあったということです。
1930年代末になって、国際フィルムアーカイブ連盟が結成されましたが、MoMAは、その構成団体のひとつでした。美術史的な視点に立った、キュレーションの技法が確立されるのとともに、映画も美術館活動の対象になったわけです。そういう意味では、こうした映画のとらえ方に対して、常にまっとうな、そのままの延長の先に京都国立近代美術館はあるのだと思っています。
日本国内には、県立、市立のものを含めて、いわゆる近代美術館がたくさんありますが、映画そのものを対象にしているところはほとんどありません。これまでは、コンサート・イベントなどと同様に、集客目的の映画上映が一般的だと思います。
ここの場合は、東京国立近代美術館フィルムセンターとの連携が前提になっているので、先ほど申し上げたコンセプトのもと、ある意味では必然的に映画との関わりを持つという側面はあると思います。
――私がミュージアムと映画の間で違和感を覚える点として、映画批評されている方に、ミュージアムの文脈の中で文章を書かれる方が少ないということなんです。そうした方々と、学芸員やキュレーターの方というのはどういう関係にあるんですか?
(川村)
そうした批評などはいろんな文脈の中で発展してきたんです。そのいろんな文脈で発展してきたものが混在して見えるのは、今という時代だからです。つまり、1950、60年代に大きく映画の領域の揺り動かしがあって、映画館で上映されることだけが映画ではないという考えが出てきました。そうして、例えば、万博せんい館での松本俊夫の作品のように、「映写機10台いっぺんに動かして、でこぼこした壁に映写してもいいではないか」ということになってくるわけです。
そういう形で映画が、それまで考えられていた映画の領域から越え出ていくような流れがすでにあって、ちょうどそのころは、museum of modern artの制度も解体していくようなタイミングでもありました。
そういう意味では、映像のとらえ方がさまざまな文脈の中でマグマ的に混ざり合って分化していくきっかけが60年代にあった。やがてそうした考え方が、それぞれの道を確立していって、実験映画の領域は大学へ入りこむなりしながら、制作する環境を獲得していったんです。
そうした風潮は今また合流して、そのさまざまな要素が混じりあっているさまを楽しめるような環境ができてきているんだと思います。京都国立近代美術館の今の展示を見ても、上ではモホイ=ナジの科学映画が、DVDを使って、展覧会のホワイトキューブの壁にプロジェクターで投影されている。かたやこの下の講堂では、映写に徹底してこだわりながら、フィルムでの上映を追求している。そうした映像の見せ方が今は混在してきているから、かえって、実験映画の領域と、いわゆるエンターテインメントの領域を支えている映画ジャーナリズムが離れているように見えてしまう。
今は、そうした映像のとらえ方が共存できてしまう時代であり、それゆえに過去を振り返って、一度は領域の確立されたものが、なぜ一緒にあるのかという疑問につながるわけです。
今、そういったメディアの混合が起きているがゆえに、旧来のメディアの境界が際立って見えているんです。そうした境界を分けるのではなく、そういうものが混在している環境を楽しめばいいのではないかと私は思います。
(冨田)
それこそ映画/映像のあり方についてはずっと、理想としてあったにもかかわらず、語られるのはジャンルの話なんですよ。映画/映像はフィルムであってもデジタルであっても媒体は関係なく、近代美術館やフィルムセンターという名において、きっちりと映写していくことが大事で、ジャンルや権利の問題でうんぬんということではないんですよ。
(川村)
こうした映画/映像のとらえ方がいろいろと混在しているといっても、それは全部デジタルビデオにしてしまえばいい、という話ではないんです。それぞれのメディアの特性は特性として残すべきで、ひとつの方法でしか体験できなくなること自体、望ましいことではないんです。それぞれのメディアは固有性を持っているけれども、その固有性を保持しつつ、多様な映像表現がクロスし合うような環境が必要なんです。それをモダンアートの制度が支えていると思うんですよ。
こうしたことは、1960年代に一回問われているんです。今の段階で同じことを反復しても仕方がない。それが一回問われたことがあるという前提のもと、私たちは近代美術館としての映像の取り扱い方を続けているんです。
まぁ難しい状況ではあるんですけど、難しいからこそ面白いと思うんですよ。



ミュージアムにおける映画との関わり
京都国立近代美術館 MoMAK Films
Category: Digital Archives