26, Oct 2011
月世界旅行社は、京都造形芸術大学芸術学部映画学科2期生の有志5名が集まり、「自らの足で自らの映画を観せに行く」というコンセプトを掲げて、2010年7月に立ち上げた映画製作・上映団体である。当初のメンバー構成は映画監督4名、プロデューサー1名であったが、2011年2月に音響1名、2011年6月に宣伝デザイン1名が加わり、現在は7名で活動を展開している。
月世界旅行社の設立経緯は、所属する映画監督4名が2回生時に制作したゼミ作品5本を学外で上映したいという思いが始まりだった。その一方で、大学で制作された多くの映画が学内のみの上映でお蔵入りすることに全員が危機感を抱いており、プロの映画監督になるという夢を実現する過程において、自らの映画がより客観的な場所で評価される必要性を感じていた。
では、名も知れぬ学生映画を、どのような形で世に送り出し、自分たちが必要とする対外的な評価を得ていくのか。そのことを考えるにあたり、私たちは映画の原点を見直すことから始めようと、映画創世記の歴史を辿り、やがて『月世界旅行』という映画に行き着いた。
1895年、フランスのリュミエール兄弟によって開発されたシネマトグラフ(世界初のスクリーン投影式の映画)の公開に感銘を受けた同国の奇術師ジョルジュ・メリエスは、その翌年に映画製作を開始し、1902年に自身の代表作となる『月世界旅行』を製作する。映画史上、複数のシーンで構成される初期の物語映画として盛んに取り上げられる一方で、劇場経営者でもあったジョルジュ・メリエスは自ら映画興行にも乗り出し、世界初の職業映画監督としても名を残すこととなる。
映画館のない時代、映画館に代わる場所で映画興行が始まったという史実が私たちのその後の活動に大きなヒントを与えることになるのだが、もう一つ、この映画が世界初のSF映画であったこともこれから映画を志そうとする私たちの高ぶる心境と一致した。ストーリーを概略すると、ロケットに乗って月に向かった科学者の一行が、そこで月の住人たちと争いになり、命からがら地球に戻ってくるという単純なものだが、チャールズ・リンドバーグがプロペラ機で大西洋単独無着陸飛行に成功したのが1927年の出来事だったことを考えると、1902年当時、ロケットに乗って月に向かうという発想がいかに夢のような出来事だったか容易に想像できるだろう。しかし、その夢こそが私たちの掴むべきものに他ならなかった。
世間を顧みない大学生のノリで名付けられた「月世界旅行社」という大層な団体名ではあるが、最後に「社」をつけたのは、旅行会社のようにエンターテイメント性を追求する思いとともに、最初から起業を意識し、行く行くは会社組織として映画製作を行う強い意志の表れでもあった。

映画製作上映団体「月世界旅行社」プロデューサー。1999年、関西大学社会学部マス・コミュニケーション学専攻卒業。2002年、日本メディカル福祉専門学校社会福祉士科卒業、社会福祉士の国家資格を取得。2002年~2007年、兵庫県共同募金会で募金・助成事務を担当、地域福祉財源の運用と福祉施設・団体の相談支援を行う。2008年~、京都造形芸術大学芸術学部映画学科に在学中。
私たちの活動の原点とも言える企画「シネマサーカス」は、その名称から想像できるように、映画のサーカス巡業であり、私たちは別称で「映画巡業上映企画」とも呼んでいる。
1905年、アメリカで最初の常設映画館(ニッケルオディオン)ができるまで、映画の上映空間として最も利用されたものの一つにヴォードヴィル劇場があった。19世紀末にアメリカやカナダで生まれたヴォードヴィル劇場は、大衆的な娯楽の殿堂として、歌、ダンス、コント、奇術、アクロバット、珍奇な見世物などのライブ・パフォーマンスが行われており、映画はそのプログラムの一つとして生伴奏音楽とともに上映されていた。そして、1910年代に常設映画館が普及した後も、映画館のない地方へは映画が運ばれるのが常であり、それはスペインの映画監督ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』の中で、内戦終結後の1940年、スペイン中部の小さな村に巡回映写のトラックで1931年のホラー映画『フランケンシュタイン』がやって来るという描写からも端的に見て取れる。
今となっては、映画は映画館で、単一のプログラムとして鑑賞することが当たり前となったが、かつての映画はライブ・パフォーマンスの一つとして、あるいは世界のあらゆる地域や場所を巡回する、庶民にとって最も身近な大衆娯楽として親しまれていた。そして、月世界旅行社の目指す「シネマサーカス」は、まさにその大衆娯楽であった時代の映画のあり方を現代社会に改めて問題提起するものとして、「自らの足で自らの映画を観せに行く」をコンセプトに掲げて出発したのである。
一方、「シネマサーカス」の実現にあたり、私たちは自前で上映機材を整備することが必要であった。ちょうどその頃、京都造形芸術大学の保護者会である「蒼山会」が学生の自由な製作活動に対して助成金を募集していることを知り、「シネマサーカス」の企画運営費とともにプロジェクター、ブルーレイプレイヤー、音響設備などのデジタル上映機材一式を申請し、2010年8月の正式受理に伴って、私たちは月世界旅行社の実質的な運営を開始することになった。
「シネマサーカス」は、デジタル上映機材の利便性と小回りを活かして、映画史初期のようなアナログ回帰の上映を行うことが最大の特長である。2010年8月~9月、私たちにとって初めての自主企画であるシネマサーカスvol.1「目撃せよ!平成生まれの監督たち!」を行うにあたり、大阪心斎橋のライブハウス「KING COBRA」では、インディーズ・バンド「平成女性」のライブをプログラムに組み入れ、映画と音楽の融合を試みた。また、京都駅前のシネマコンプレックス「T・ジョイ京都」では、映画館における映画興行を一から学ぶとともに、1週間20プログラムの上映後に月世界旅行社のメンバーが必ず舞台挨拶を行い、観客と向き合うことの意味を肌身で感じる貴重な機会となった。

シネマサーカスvol.1 KING COBRA 会場前

シネマサーカスvol.1 KING COBRA 舞台挨拶

シネマサーカスvol.1 T・ジョイ京都 受付

シネマサーカスvol.1 T・ジョイ京都 グッズ販売
これらの経験を踏まえ、とりわけ「コミュニケーション」をテーマに企画したのが2011年3月~4月に行ったシネマサーカスvol.2「関西ロードショー」である。平成生まれのメンバーにとって、身の回りの生活はデジタルなものに溢れ、メンバー自身もそれらを使いこなすことに慣れ親しんでいるが、同じ映画空間にいて、映画一つで観客と話をすることができるというアナログな感覚は、今の時代にこそ大切なことではないかと感じていた。関西2府4県、6ヶ所それぞれ違った映画空間での上映を行うにあたり、私たちはその地域や場所の特性を最大限に活かし、映画をもって観客とコミュニケーションする企画とはどのようなものかを考えた。その概要は次のとおりである。
2011年3月11日(滋賀県大津市「龍谷大学瀬田学舎」)
「月世界的映画制作ワークショップ」
(内容)大学のキャンパス内を利用して初心者向けの映画制作ワークショップを行う。
2011年3月12日~13日(奈良県明日香村「美術監督・西岡善信邸」)
「明日香村だんらんツアー」
(内容)田舎での共同宿泊体験とともに地元住民の方々と和室で映画を鑑賞する。
2011年3月15日(和歌山県橋本市「紀見北地区公民館」)
「誰来る?きみきた映画館!」
(内容)地元住民の方々と「もしも橋本市で映画を作るなら?」をテーマに話し合う。
2011年4月1日(大阪心斎橋「KING COBRA」)
「THE STAGE FILM SHOW feat.ミラーボールズ&豊川座敷の猫敷」
(内容)ライブ前にバンドメンバーが出演する映画を上映し、ライブの演出につなげる。
2011年4月3日(神戸元町商店街「こうべまちづくり会館ホール」)
「KOBE映画デモクラシー」
(内容)映画伝来の地で、映画の未来を語るパネルディスカッションを行う。
2011年4月23日~24日(京都河原町三条「ART COMPLEX 1928」)
「関西ロードショーツアーFINAL ― TRIP TIME THEATER ―」
(内容)映画と演劇を融合し、映画の中の俳優がスクリーンの前に飛び出す。
シネマサーカスvol.2「関西ロードショー」のテーマとして掲げた「コミュニケーション」もその一つであるが、人間のアナログな感覚というのは「実際の生活の中でリアリティのあるものとして受け取る身体的感覚」を指すと言っていい。その意味で、かつてヴォードヴィル劇場で映画が生伴奏音楽とともにライブ・パフォーマンスの一つとして一般大衆に受け入れられたことは容易に想像できるし、翻って現代に目を向けると、映画が自宅のDVDやブルーレイで鑑賞され、インターネットでも配信されようとする中、月世界旅行社が行う反時代的な上映スタイルは、日常に確かなリアリティを求める人々の潜在的ニーズを掘り起こす可能性を秘めているのではないだろうか。
こうしたリアリティを求める傾向は一般の商業映画においても見受けられ、2009年にジェームズ・キャメロン監督の『アバター』が公開されて以来、3D映画は人間の知覚に「直接的な体感」をもたらすものとして隆盛を誇っているし、1999年に世界的なヒットとなった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のように、架空の出来事に基づいて作られたドキュメンタリー風の物語の中で観客が主人公と同一化し「疑似体験」することを狙った「フェイクドキュメンタリー」は、この10年間で映画の一ジャンルとして認知されてきた。その一方で、映画が長年に渡り培ってきた「映画館で映画を観る」という行為もまた「他の観客と共に映画を鑑賞する」という映画本来が持つリアリティそのものであると言えるだろう。
月世界旅行社がデジタル上映機材を用いてアナログ回帰の上映を展開する本質的な意味は、映画史の原点に立ち返り、映画興行のあり方を見つめ直すことも然ることながら、希薄な人間関係が問題となる現代社会において「映画が持つ潜在的な可能性や役割」を改めて模索する行為に他ならない。私たちは、映画が人間のアナログな身体的感覚を呼び覚まし、思考や想像力を掻き立て、製作者と観客、観客と観客をより密接に結びつける一つのコミュニケーションツールになり得ると信じて、今はまだ学生映画の領域ではあるが、これからも「シネマサーカス」という独自の上映スタイルを続けていこうと考えている。

シネマサーカスvol.2 映画制作ワークショップ 撮影風景

シネマサーカスvol.2 明日香村だんらんツアー 会場前

シネマサーカスvol2 誰来る?きみきた映画館!
ディスカッション

シネマサーカスvol.2 THE STAGE FILM SHOW
豊川座敷の猫敷 撮影風景
ここまでは月世界旅行社の団体概要と主な活動、その理念を中心に述べてきたが、ここからは日本映画の情勢についてフィルムからデジタルへの転換という現状を重点に、月世界旅行社としての視点も交えながら考察していきたい。
はじめに、現在の映画産業における基本構造を説明すると、企画を基に映画を作る「製作」、映画を映画館に卸す「配給」、映画館で映画を上映する「興行」の3つに大別される。全ての過程でデジタル化の波は確実に訪れているが、その導入時期や程度には差異があり、とりわけ「製作」におけるプロダクション(撮影)、ポストプロダクション(撮影後の映像や音の編集)の段階でいち早くデジタル化が進められてきた。
実写撮影によるデジタル化を積極的に進めたのは『スター・ウォーズ』シリーズで知られるジョージ・ルーカス監督であった。1999年、同氏は2002年公開予定の『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』を全編デジタル撮影すると発表し、デジタルシネマへの注目が一気に高まったが、当初はまだデジタルの画質に疑問を持つクリエーターも多かった。しかし、その後の技術革新によりデジタルでもフィルムと遜色ない画質が保証されるようになると、デジタルではフィルムのようにラッシュ・フィルムの現像を待たずにパソコン一つで映像確認ができることや、予算の都合で難しかった複数カメラによる多アングル撮影も可能になるなど、そのメリット重視に伴って実写撮影でのデジタル化は進んでいった。また、パソコンの普及とともにノンリニア編集(映像をハードディスクなどにデジタルデータとして取り込んで編集する手法)が一般的となったポストプロダクションにおいてもデータ加工が容易になるメリットは大きく、製作費のコストダウンや製作期間の短縮も検討できる余地が広がったと言える。他にも、1995年に公開されたディズニーの『トイストーリー』はデジタル技術によるフルCG映画としてアニメ映画の更なる可能性を提示し、2009年の『アバター』公開以降は3D映画がデジタルシネマ推進の役割を一手に担っていると言える。
「配給」と「興行」におけるデジタル化の問題は関連性が深く、合わせて考える必要がある。「配給」において、フィルムの場合は上映用フィルムの複製作業並びに配送費が直接的経費としてかかってくるが、デジタル化により映画のデータをハードディスクに記録して配送することでその経費は軽減される。また、画質の面においてもフィルムの場合は劣化が避けられないが、デジタルの場合はマスターと同じ画質で上映することが可能である。更には、デジタル化による高度なセキュリティーの実現によって海賊版のコピーを防ぐ効果も期待できる。このように「配給」に限ってみれば確かなメリットはあるのだが、「配給」と「興行」でこれまでデジタル化が進まなかったのは、とりわけ「興行」でのデメリットが大きかったからである。
「興行」において、デジタル化を進めることは劇場内の35ミリ映写機を撤去し、デジタル上映設備を導入するという巨額の設備投資を意味する。また、シネマコンプレックスの場合は元々の人件費率が低いので、映写技師の削減による節約効果もさほど期待できるわけではない。そのような現状を踏まえ、ソニーは「デジタル上映設備を提供する第三者が劇場に映写機等を貸与し、配給と劇場がともに収入の一部を設備提供者に支払うVPF(Virtual Print Fee)」と呼ばれるビジネスモデルを2009年に導入してデジタル化の促進を図ったが、実際にはデジタル上映限定の制約がある3D映画の出現が「配給」と「興行」におけるデジタル化の直接的な契機となったことは否めない事実であろう。
日本の映画産業におけるフィルムからデジタルへの転換に対する具体的対応とその実情に続いて、日本映画の現状についても触れておきたい。
まず、興行面において、日本映画製作者連盟が発表した平成22年全国概況調査によると、2010年の興行収入は歴代最高の2,207億3,700万円で前年比107%増となり、この数字だけを見れば明るい傾向のように思える。その要因としては、洋画の興行収入の1位~5位までを『アバター』を筆頭とする3D映画が占めたように、ここ数年堅調な邦画とともに洋画の興行が好調だったことが伺える。しかし、前述の2010年の興行収入のうち、東宝1社で748億6,961万円、その占拠率が33.9%となっており、映画産業に携わる他の会社や関係者の多くは堅調な興行成績を実感できない状況にあり、実際に配給会社の倒産や映画館の廃業といったニュースも相次いでいる。
また、全国の映画館の概況を見てみると、2010年のスクリーン数は3,412館(うちシネマコンプレックス2,774館)、前年比100.5%となっており、2000年代以降のシネマコンプレックスの増加も一息ついた状況である。また、2011年に入ってからマスコミでは「ミニシアターの閉館が相次ぐ」といった記事が多く見られるようになったが、実際のところ、2000年代以降のミニシアターの館数は増加傾向にある。それよりも深刻な問題は地方の地元興行館の減少であり、従来にも増して映画の過疎化が進んでいる。映画興行界の現状は、大きなシネマコンプレックスと小さなミニシアターの二極化が進行していると言っていい。
続いて、2010年の映画の公開本数は716本(邦画408本、洋画308本)、前年比94.0%であり、その内訳は「商業的なヒットが見込める(数少ない)映画」と「商業的なヒットが見込みにくい(数多い)映画」に大別される。もちろんのこと「商業的なヒット」=「作品の質」という短絡的な見方はできず、後者の映画で良質な作品も多数あるが、その多くが低予算映画であるが故、全国網のシネマコンプレックスではなくミニシアターへの配給となる場合がほとんどである。結果として、ミニシアターの限られたスクリーン数に多数の映画がひしめき合う形となり、低予算映画ほどその上映機会が少ないのが現状である。
平均入場料金の推移については、2010年が1,266円であり、1992年以降はずっと1,200円台が続いている状況である。大人の通常料金が1,800円で定着したのが同年頃であったことを考えると、これまで各映画館が独自の割引サービスを展開してきたものの、実質的な映画料金は全く下がっていないことが分かる。そのような中、2011年1月にシネマコンプレックス最大手のTOHOシネマズが2012年以降の映画料金の見直しを発表したが、2008年の日米韓の平均入場料金の比較を見ると、日本1,214円、アメリカ754円、韓国649円というのが実情であり、観客数の増加あるいは映画産業の発展を考えた時、我が国においてどのような料金設定が最も適切であるか、検討の余地が尽きないところである。
以上、商業映画をベースに日本映画の情勢を概観してきたが、月世界旅行社の将来展望を改めて考えていく上で、インディーズ映画の実情についても触れておきたい。
「製作」の過程では、インディーズ映画こそデジタル化の恩恵を受けていると言えるだろう。デジタルビデオカメラの普及により誰もが映画を撮影できる時代となり、2009年に発売されたキャノンの「EOS 7D」のようにデジタル一眼レフカメラでありながら商業映画の撮影用として重宝される機材も出現しはじめている。かつてのようにプロとアマで使う機材の性能に差がなくなってきていることは、撮影に限って言えば、商業映画とインディーズ映画を埋める差はもはや細やかな技術のみということになる。また、デジタルビデオカメラの市場価格は一般市民の手の届く範囲にあり、コストダウンの実現によってインディーズ映画が製作される機会は今後ますます増えていくだろう。
一方、「配給」の過程では、ミニシアターにおけるインディーズ映画の商業的ヒットが見込みにくい状況であるため、映画製作者がインディーズ映画のみを生活の糧にしていくことはリアルな現実とは言いがたい。また、「興行」の過程では、製作者自身がインディーズ映画を自主上映していくという機運が日本ではまだ乏しいように思える。しかし、資金面の回収ができるかどうかは別として、月世界旅行社が行っているように自前でデジタル上映機材を揃えさえすれば、今や車1台で日本のあらゆる地域を訪ねることができ、ある程度の場所ならどこでも映画空間を作り出すことができる。むしろインディーズ映画にこそそのようなチャレンジがあっていいのではないか。映画評論家・寺脇研氏の韓国映画業界レポートによると、韓国ではインディーズ映画の製作者たちが自らの手で首都ソウルに独立映画上映専門の映画館を作ろうとする動きが進行しているとのことで、今後の日本においてインディーズ映画の地位を今以上に築き上げていくためには、製作者たちによる連帯が重要であるという一つの好例ではないだろうか。
また、飽和状態にある映画の公開本数を前にインディーズ映画が進むべき道は、その発展に多大な役割を果たしてきたミニシアターでの上映も従来通り大切にしていくべきだが、月世界旅行社がシネマコンプレックス「T・ジョイ京都」で映画上映を行ったように、圧倒的なスクリーン数を誇るシネマコンプレックスもその選択肢にあっていいのではないか。他にも、全国には市民ホールのような「非劇場」と呼ばれる映画上映スペースがたくさん存在しており、デジタル上映設備が今後ますます普及していく中で、インディーズ映画の上映機会は確実に増えていくと思われる。フィルムからデジタルの転換期にあり、映画産業においても深刻な経済不況が続く昨今の状況ではあるが、その逆境こそがインディーズ映画を志す製作者たちにとって最大のチャンスであると思いたい。
前節で考察した日本映画の情勢をもとに、最終節として月世界旅行社の将来展望を提示してみたい。
2011年3月~4月にかけて行ったシネマサーカスvol.2「関西ロードショー」の後、月世界旅行社が「シネマサーカス」と並ぶ新たな企画として打ち出したのが「マチヤ映画夜行」である。これは月世界旅行社が団体設立当初から将来的な起業を意識し、ベンチャービジネス支援を行う京都リサーチパーク株式会社(KRP)より様々なアドバイスを受ける中で、次のような提案をされたことがきっかけである。その内容は「起業を目指して活動を広げていくなら、拠点を持って継続的な運営を行うことが重要で、その思いがあるならKRPが運営する「町家スタジオ」で定期的に上映会を行ってはどうだろうか」というものであった。
月世界旅行社にとってシネマサーカスvol.2「関西ロードショー」における関西2府4県での巡業上映は「映画が持つ潜在的な可能性や役割」を模索するという行為においては成果のある内容であったが、実質的な興行面は非常に厳しい結果に終わっていた。その原因を振り返れば、宣伝広報にかける準備不足があったことは当然否めないが、商業映画でも試みていない上映方法や訪問地域である以上、致し方ない面もある。しかし、私たちがそれ以上に痛感したのはインディーズ映画そのものの認知やそれが受け入れられる土壌があまりに狭い範囲であることだった。これまでのインディーズ映画の上映場所がほとんどミニシアターに限られている上、それがミニシアターに足を運ぶ映画ファン層にしか届いていないことを考えれば、関西圏においてインディーズ映画を視聴する層は大阪、京都、神戸の都市部近辺にしかいないということになる。地方の地元興行館の減少による映画の過疎化が進展する一方、そもそもこれまでのインディーズ映画はごく一部の都市部にしかそのマーケットを持っていなかったのである。しかし、映画産業の「製作」から「興行」まで全ての過程でデジタル化が進められようとする今、インディーズ映画が日本国内を流通する下地は明らかに整いつつある。
そんな折のKRPからの提案であり、月世界旅行社としてはこの機会を関西のインディーズ映画関係者の組織化につなげていこうと考えた。その後、KRPと2ヶ月に渡って企画の擦り合わせを行った上で、2011年7月に第1回目を迎えることとなった。
「マチヤ映画夜行」の内容はとてもシンプルで、ビジネス創造拠点としてKRPが運営する一軒の京町家「町家スタジオ」の1階スペースを借り切って、夜19時から明朝5時過ぎまでオールナイトでインディーズ映画の上映と交流を繰り返すというものである。上映プログラムは1日につき3~4回、1時間を目安に組まれており、上映前には監督の挨拶、上映後には監督と参加者による質疑応答を行う。そして、上映プログラムが1回終わるごとに1時間ほどの交流タイムを設け、月世界旅行社のスタッフが提供するフードやドリンク(アルコール類あり)とともに、初見の参加者同士が映画の話に自然と華を咲かせるという流れとなっている。
「マチヤ映画夜行」はこれまでに7月に1回、8月に2回、9月に1回の計4回実施してきたが、毎回変わる上映プログラムと新たな参加者との出会いを求めるリピーターが多く、その一方で評判を聞いた新規の参加者も増えており、9月の実施時には延べ44名もの方々にご参加いただくことができた。参加者の属性はインディーズ映画関係者に限らず、映画好きの方、普段は映画から遠ざかっている一般の学生やサラリーマンまで様々である。しかし、同じ映画空間で「他の参加者と共に映画を鑑賞する」ということ、交流タイムには「他の参加者と垣根のないコミュニケーションができる」ということは、映画が長年培ってきた本来の楽しみ方を参加者の方々に提供するとともに、月世界旅行社が模索を続ける「映画が持つ潜在的な可能性や役割」を提示する機会となり、その成果は私たちにとっても企画当初のイメージを超えるものとなりつつある。

マチヤ映画夜行 会場前

マチヤ映画夜行 上映場所

マチヤ映画夜行 上映機材チェック
近年の映画上映のあり方の一つとして「コミュニティシネマ」という概念が提唱されているが、それが「公共上映、映画文化の振興、地域の活性化、バリアフリーなどの問題が全て入った容器のようなもの」とされるならば、「マチヤ映画夜行」はまさにその具体的実践であり、その上映形態は「コミュニケーションシネマ」と形容することもできる。月世界旅行社が関西のインディーズ映画関係者の組織化を緩やかに進めていく上で、「マチヤ映画夜行」のような上映イベントが他の地域で開催されることが一つの願いであるし、そのことがその地域における「コミュニティシネマ」の更なる実践やインディーズ映画の認知度を高めていくことにもつながっていく。2012年3月まで毎月実施する予定の「マチヤ映画夜行」は、京都にある一軒の京町家から発信する、関西のインディーズ映画関係者、ひいてはその先にいるまだ見ぬ観客に向けたインディーズ映画文化醸成のメッセージでもある。
そして、「マチヤ映画夜行」の先に月世界旅行社が目指すべきところは、所属する映画監督4名全員の商業映画デビューとその成功にある。月世界旅行社が商業映画にチャレンジするのはまだ数年先のことになるが、「マチヤ映画夜行」を契機に、関西のインディーズ映画関係者と連携しながら積極的な自主上映を展開する中で、従来の映画ファンに限らず、新たなファン層を獲得していくことが重要である。現状では、インディーズ映画は商業映画に比べて「内容的・技術的に劣るもの」と世間一般に捉えられている面は否めないが、一概にそう言い切れないのはもちろんのこと、商業映画にはないインディーズ映画固有の楽しみ方をもっと広く伝えていくべきではないだろうか。
インディーズ映画はほとんどの場合、無名のキャストやスタッフ、オリジナルの脚本であるなど、商業映画に比べるとその情報量が少ないが、インディーズ映画が好きな人の中には「先入観がないのでいい映画に出会った時の感動が大きい」という意見もある。また、インディーズという言葉がより一般的な音楽の分野に目を向けると、インディーズ音楽を嗜好するファン層には自身の支持するミュージシャンが成長していく様子を楽しむ傾向が少なからずある。音楽は声や楽器一つで製作者になり得る芸術であるが、映画もまたデジタル化によって同じような状況が生まれようとする中、インディーズ映画の製作者は映画の質の向上を目指すとともに、自身のファンを開拓していく姿勢(精力的な自主上映など)が今後はより一層求められてくるのではないだろうか。
月世界旅行社が行う「シネマサーカス」や「マチヤ映画夜行」は、それぞれアプローチの方法は違うが、ともに将来の商業映画公開に向けたファン獲得のための実践である。そして、月世界旅行社が製作する商業映画は、自らの足で様々な地域に出向き、多くの人々とコミュニケーションを行う中で掴んだ日本のローカルな問題を題材としながら、そのテーマをグローバルなものとして普遍化し、世界各国の様々な映画祭に出品することを前提にした作品でありたいと考えている。
その一例として、シネマサーカスvol.2「関西ロードショー」で訪問した和歌山県橋本市で、映画上映とともに「もしも橋本市で映画を作るなら?」というテーマでディスカッションを行ったところ、ある地元住民の方から人口減少の問題が挙げられた。日本では2005年を境に人口減少社会へ突入したものの、私たちが一般的に都市部で生活する上では、それが大きな問題であるとは思いにくい。しかし、都市部以外の地域では、それは私たちが思っている以上に深刻な問題であり、世界を例に見てもドイツやロシアでは日本同様に人口減少が進み、他の先進国もいずれ人口減少社会へシフトしていくことが予測されている。
そのような中、人口減少の問題を根底に据え、そこに住む人々のリアルな生活や感情をドラマの要素も加えて脚本にすることができれば、私たちが目指す商業映画としての完成はもちろんのこと、国内での自主配給や自主上映、世界各国の映画祭への出品など様々な方法で映画を届けることで、より多くの人々の心に訴えかける映画になり得るのではないだろうか。
このように、私たちにとって「製作」から「興行」までの過程は一つのサイクルであり、より良い「製作」と「興行」の循環こそが今後の月世界旅行社の発展にとって最も重要な課題であると言えるだろう。

マチヤ映画夜行 休憩所

マチヤ映画夜行 フード・ドリンクメニュー

マチヤ映画夜行 監督挨拶

マチヤ映画夜行 交流風景
片岡大樹(京都造形芸術大学芸術学部映画学科4回生、映画監督、代表)
柴田有麿(京都造形芸術大学芸術学部映画学科4回生、映画監督)
藤本啓太(京都造形芸術大学芸術学部映画学科4回生、映画監督)
都原亜実(京都造形芸術大学芸術学部映画学科4回生、映画監督)
倉貫雅矢(京都造形芸術大学芸術学部映画学科4回生、音響)
岡本建志(京都造形芸術大学芸術学部映画学科3回生、プロデューサー)
成尾美奈(京都造形芸術大学芸術学部映画学科2回生、宣伝デザイン)
片岡大樹監督作品
『wonderland's cloudland!』(55分、2010年)
『まごころの会』(17分、2011年)
柴田有麿監督作品
『QULOCO』(35分、2010年)
『Yの日に』(18分、2011年)
藤本啓太監督作品
『野良人間』(20分、2010年)
『モカ珈琲』(26分、2010年)
『ゆびきりげんまん』(18分、2011年)
都原亜実監督作品
『魚肉カレー』(18分、2010年)
『傘』(15分、2011年)
参考文献
日時:
其の四 2011年10月28日(金)19時~オールナイト
其の五 2011年11月22日(火)20時~オールナイト
其の六 2011年12月17日(土)時間未定
其の七 2012年1月8日(日)時間未定
其の八 2012年2月17日(金)時間未定
其の九 2012年3月24日(土)時間未定
場所:
京都リサーチパーク町家スタジオ
(京都市上京区葭屋町通中立売上る福大明神町128)
最新情報はこちらをご覧ください。
公式HP:http://gessekai-ryokousya.com
問合せ・参加申込:gessekairyokousya@gmail.com
インディーズ映画の新たな可能性 月世界旅行社の試み
Category: Digital Imaging