23, Mar 2017

西福寺「檀林皇后九相図」特別展示

期 間: 2017年1月7日(土)~3月18日(土)
※「第51回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」
場 所: 西福寺
京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町81

九相図は、遺骸が朽ちていくさまを9段階に描いた仏教画のこと。京都には3つのお寺に現存しているが、いずれも通常非公開だ。西福寺の「檀林皇后九相図」(江戸時代・作者不詳)も、本来は、お盆の精霊迎えの時期のみ公開されるが、このたび「第51回京の冬の旅〜秘められた京の美をたずねて〜」(京都市・京都市観光協会主催)において特別公開された。初めて実作品を鑑賞するたいへん貴重な機会となった。

「檀林皇后九相図」のモデルとなった嵯峨天皇の皇后:檀林皇后(橘嘉智子)は、仏教に深く帰依し、自らが餌となって飢えた生き物たちを救うため、また、この世のあらゆるものは移り変わり永遠であるものは何一つ無いという教えを示すため、自らの遺骸は路傍に放置し、動物に食い荒らされてても哀れと思うな、と遺言したと伝わっている。美女として名高かったゆえに、死は身分や容姿にかかわらず必ず訪れるという教えとなり、どれほど美しくとも、死後は醜く腐り骨となり土に還る、と、僧の情欲を断ち切らせるために描かれたといわれる。死の瞬間のまだ美しい姿から、腐敗ガスで遺骸が膨らむ→腐る→虫がわく→鳥獣が食べる→ほとんど骨になる→完全な白骨になる→骨が散乱する→塚が建つ、の9場面に描き分けられた1枚の図である。同時に鑑賞した「地獄絵図(六道十界図)」が概念的な<死>であり、リアリズム(写実主義)とすれば、作者が克明に遺骸を観察したであろうといわれている「檀林皇后九相図」の視覚的な死と死者は、リアリティー(真実、実態)以外のなにものでもない。絵を芸術品として特化させるずっと前、絵というものは、直接的に人々に作用していたのだと、深く感じ入った。

西福寺は、平安時代の葬送地であった鳥辺野の入り口である六道ノ辻にある。高貴な人々は山の上のほうで火葬され、埋葬されたそうだが、ふもとでは、運ばれてきた庶民の遺骸が野辺に置かれ、朽ちるにまかされたという。一帯は生きている人々の暮らしと近接していた。人が短命で、病気や怪我であっけなく死がやってきた平安時代、看取りに多くの時間を割くことはなかっただろう。人々は、変化していく野辺の遺骸を眺めながら、ようやく死者との距離をとることができたのかもしれない。いっぽうで、死後を示す地獄図絵を見て、生き方を戒めたり、死者の幸福を祈っていたのだと思う。京都では雅な宮廷文化が強調されるが、それと同じだけ死にかかわる文化が息づいている。今も、町の隅々に残る死者とのかかわりが多様な教えや慣習となり、古都を古都らしく支えているのだと思う。

現代日本画家:松井冬子が一躍有名となった作品に、作家自身が野辺で朽ちていく<自画像>がある。作家自身が九相図であると語っているように、「檀林皇后九相図」に照らせば、血塗相(遺骸が腐乱)や噉食相(鳥獣が遺骸を食べる)にあたる。イギリスの映像作家:サム=テイラー・ウッドの作品には、壁に吊ったウサギの死体が朽ちていく実写映像<リトル・デス>がある。無機的にぼろ布のように垂れ下がったウサギだが、すさまじい量のウジ虫に覆われる段階になると、虫の群れがひとつの生命のようにうねり、まるで死んだはずのウサギが再び脈打ち出したように見えてくる。風葬された遺骸も、きっと<リトル・デス>のウサギのように、脈打って見えたことだろう。「檀林皇后九相図」における蓬乳相(虫がわく)のもととなる光景であったかと思う。

現代表現は、身近な地域コミュニティーとのかかわりをテーマとする例が多く、この作家たちのように、死そのものを直視する表現は少ない。が、生と隣り合わせの禍々しい死は、これからの芸術に具体的な役割を与えるのではないかと思う。「檀林皇后九相図」から、ヒントを得たように感じている。

なお、通常非公開のため「檀林皇后九相図」の画像を掲載しない。今夏のお盆に再び対面できればと思うが、精霊迎えという宗教に基づく行事なので、心して再会したいと思っている。
(松尾 惠 MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

西福寺「檀林皇后九相図」特別展示
西福寺「檀林皇后九相図」特別展示

西福寺「檀林皇后九相図」特別展示

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