19, Jan 2016

展覧会「散歩の条件」

会 期: 2015年12月1日(火)〜6日(日)
会 場: ギャラリーすずき(本展をもって閉廊)
http://keage-g-suzuki.com/
出 品: 井上明彦・今村源・日下部一司・三嶽伊紗
撮 影: 日下部一司

1950年代生まれの作家4人による。筆者も同世代。

20代から活動してきた<私たち>のおよそ30年間は、映像やデジタル機器の大躍進時代で、表現のどのような場面においても、今やそれらは不可欠だ。が、反面、表現そのものにおいては、旧メディアをふくめて、表現者はメディアの選択に戸惑い、彷徨する時代であるように思う。また、かつてのメディアアートの名作の中には、美術館やその他の保存先で修復も公開もされないまま、すでに瀕死の状態のものがある。振り向かれないメディアアートと同様、制作過程にデジタルを用いないことのない現代、本来の<美術>そのものもいずれ先細りになるのではないかと不安になる。その中で、身体と思考が交差した表現との出会いは、まだ美術に先があると示してくれる。

本展は、その象徴のような展覧会。4人の作家の脳と身体の交感とも逍遥ともいえる記録だ。<散歩>とは、そのたとえであると同時に、約1年前から、ウェブ上で情報や思考の交換を重ねながら、実際に個々の関心の赴くままに散歩をしてきたからだ。散歩は、目的や目的地を定めず、脇道を見いだすことともいえるだろう。美術批評が曖昧な位置づけであるこの国で、美術の指標は、現在、市場や経済だ。美術の公共性が、あたかも娯楽に特化したかのようでもある。新たな(あるいは旧来の)美術の在り方を模索(あるいは再考)するには、そういった土俵を蹴って、脇道へと果敢に踏み込むしかない。4人の作家たちは、これまでのキャリアによって美術が美術であるための要素や条件を、深く濃く、感覚的に備えている。それが<散歩>という言葉に現れていると感じる。脇道そのものが可能性を開き、あらゆる知性に深入りする方法なのだと、彼らは示唆してくれるのだ。

本展会場では、まず箱状の空間が立体交差した大きな構造物に行き当たる。4作家それぞれの時間の経過や、散歩の足取りを立体化したかのようだ。鋼鉄の足場材を支えとする構造物は階段状に重なっていて、鑑賞者は、靴を脱ぎ、よじのぼる。ところどころの写真や立体物には、作家名・作品名など何も説明はないが、4人それぞれの作法や視線の取り方に察しがつき、思考の各領域を感じたりもする。最上段まで上ると、そこはギャラリーの身をかがめなければならない天井すれすれの空間である。

一瞬、散歩の終わり、本展をもって閉廊するこのギャラリーを象徴しているように思うが、実は、行き止まっているのではないという感覚にもなる。なぜなら、天井すれすれの空間でうずくまっていると、立ち上がりたいという衝動にかられるが、それには天井を突き破るしかないわけで、どうすればそれができるかと考えてしまうからだ。筆者の「美術」人生の始まりの頃にすでに開業されていたギャラリーである。32年目のいま閉廊することの意味は、プラスの意味で大きい。日本の美術、とりわけ現代美術をとりまく様相が、大学教育や公共の芸術振興などをふくめ、ちっともダイナミックとは思えないからだ。

本展の<散歩>は、閉廊するギャラリーの天井の向こうにも、きっとまだ「美術」のダイナミズムがあると予感させてくれる。美術家の散歩は、時間軸においても空間においても、ますます枝分かれして、拡散していくと思いたい。
(松尾 惠 MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

撮影者=日下部一司
撮影者=日下部一司
撮影者=日下部一司
撮影者=日下部一司
撮影者=日下部一司

展覧会「散歩の条件」

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