21, Dec 2009

LOCA 2009
-京都市立芸術大学油画院生19名による廊下での展覧会

会 場: 京都市立芸術大学3号棟4階廊下
会 期: 2009年11月1日(日)~3日(火)
主 催: 参加学生

京都市ほど芸術系大学生の数が多く、でも、その能力が見くびられている街はない!とつねづね思う。芸術系大学が多いだけに、ことあるごとに各校が公平に恊働する社会的意義は大きい。しかし、たとえば、お役所的な芸術系大学生向けの企画は、公平性を重視するあまり、ことに美術の分野においては、世の中の現状と大きく離れていて、アーティストを目指す学生の実績になっていないのではないかと感じている。もちろん、プロのアーティストを目指す学生ばかりではないので、お役所→大学からのお達しであろうと友達同士の仲良しグループ展であろうと、展覧会出品の機会を得るたびに技術や芸術的思考が伸びたり、いろいろな他者と交わることで人間的な成長をするうえで貴重な体験をする学生がいて、それぞれの満足には、当人にもその周辺にも意味のあることだ。むしろ、京都市や教育関係の法人が企画するのであれば、そちら方向が正解である。美術・工芸家の人口密度が格段に高い土地柄において、芸術系大学生を未熟なヒヨコのひとかたまりと見るなら見るで、オークションだの、企業人を呼んでチャンスをつかもうだのと、目先のニンジンをぶらさげるべきでない、しかも手あかのついた。同じニンジンでも、滋養のあるニンジンを探すか、その土壌づくりをするのが、まともな企画といえないか。

一方、いまや美術ギョーカイでは、芸術系大学生は、若いけれどすでにアーティストなのであって、在学中であるかどうかは二の次三の次である場合が多い。まだ世の中をよく知らないという意味でいえば、大学生を早々とアーティスト扱いする傾向に憂えるべき点も多いが、大学3年生ともなれば就職活動や教育実習・介護実習などをするのと同じで、アーティスト志望の芸術系大学生が公募展や画廊や画商を足がかりに社会参加すること自体を実習ととらえ、それぞれにそれなりの心構えと具体的な策さえあれば、さして深刻な問題ではない。もちろん画廊や画商の場合、彼らの作品が売買される可能性をふくめて<実習>を請け負うのであれば、作品というモノの流通だけに終始するのではなく、社会人としての成長を助ける覚悟が必要であることをよく知っている。ギョーカイは、世間知らずの若いアーティストで一儲けしようというほど、悪者ばかりではないのである。いっときに比べれば、芸術系大学もその大学生の皆さんも、ギョーカイを信じていただいてよいと思う。

さて、前述のような思考をしたかどうかはわからないが、11月に訪れた「LOCA展」は、ここしばらくの美術ギョーカイやお役所的示唆に軽々と肩すかしを喰わしてくれる感じが気持ちよかった。
とはいえ、昨今の京都市立芸術大学の学生・卒業生のペインターたちへの期待は異様なほど高いので、2月の卒業・修了制作展はもとりより、たった3日間開催の「LOCA展」にさえも、ギョーカイ人がうろついていることを出展者たちはよくよく知っているだろう。私だって、純然たる観客とはいいがたい。

が、ペインターの登竜門であるVOCA展と廊下をひっかけたという「LOCA展」は、制作棟のふだんの廊下が会場である。制作現場で作品を見せるという点では、アーティストが自分のアトリエを一般公開するオープンスタジオと同じと考えてもよいと思うが、あえて教室などを使わないところが、謙虚(消極的?)でよいと思う。こういう環境で学祭の一環というのは、やる気と無気力のどちらに偏重してもカッコ悪いなと思うが、落書きやら汚れやら、研究室の表札などもそのままの中で、掛け値なしにリラックスして楽しそうだというのが、第一印象である。展示の内容は、個々にこれまでの一区切りを見せたり、今後の手がかりを探る断片の提示など(よって、今回、作品や展示風景の画像を掲載しないことにする)。去年までに比べると、全体の傾向というものがなく、個々の問題意識に忠実に、いわば、それぞれの方向をさす作品を<堂々と>提示していることに、非常に安堵した。おせっかいだと思うが、この数年、ギョーカイの情報に翻弄されたような学生たちの顔つきは、おおむねハッピーではなかった。画商や画廊の声がかかるまで待ち、その後も関わり方に苦労するというのは、やはり不自然である。こちらも目先の手あかのついたニンジンだったわけである。

傾向のない中での傾向といえば、私の物語やモノローグが減少しつつあり、寡黙な中にも他者との通話の意志が強く漂っていた。
(松尾 惠 VOICE GALLERY pfs/w)

LOCA

LOCA 2009
-京都市立芸術大学油画院生19名による廊下での展覧会

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