30, Sep 2016

アーティストと移動、海外経験
インタビュー:宮永愛子、小金沢健人、鬼頭健吾、長坂有希

文化庁がさまざまな分野のアーティストの海外留学を後押ししてきた「新進芸術家海外研修制度」は、来年でスタートして50周年を迎える。かつてこの制度を利用して、海外へ渡った4人のグループ展(『DOMANI・明日展 PLUS』)が京都芸術センターで開催されたことを機に、4人それぞれの海外経験と作品についてインタビューを行った。

聞き手: 竹内厚 撮影:大島拓也

宮永愛子、小金沢健人、鬼頭健吾、長坂有希

今年、はじめて東京を離れて京都で開かれた『DOMANI・明日展 PLUS』。その出展作家である宮永愛子、小金沢健人、鬼頭健吾、長坂有希にそれぞれの海外経験について話を聞いた。

そもそも『DOMANI・明日展』は、文化庁の「新進芸術家海外研修制度」(在研)(※1)で海外に飛び出したアーティストの成果発表の機会として、1998年から東京ではじまり、さらに一昨年度から、よりテーマを絞った小規模展示として『DOMANI・明日展 PLUS』もスタート。そして今回、ようやく『DOMANI・明日展』として初の地方開催が実現したことになる。

東京への文化資源集中は今さら言うまでもないことだが、在研制度は当然、住んでいる場所に関係なく応募は可能。最近では、海外在住の制度利用者も増えているという。より広く制度を知らしめて応募者を増やすためにも、『DOMANI・明日展』の形も少しずつ変わりつつあるようだ。

京都芸術センターでの『DOMANI・明日展 PLUS』の展示紹介とあわせて、4人の作家の声をお届けしたい。
(取材・撮影:2016年9月16日、17日 取材場所:京都芸術センター)

※1)新進芸術家海外研修制度(在研)
文化庁が若手芸術家を海外に派遣して、実践的な研修を支援する制度として1967年スタート。2002年「芸術家在外研修員制度」から「新進芸術家海外研修制度」に名称が変わった。美術にかぎらず、音楽、舞踊、演劇、映画、舞台芸術等、メディア芸術の各分野を対象に、これまで約3300人以上を海外へ派遣。派遣期間は、1年、2年、3年、特別(80日)、短期(20~40日)、高校生(350日)の6種類で、いずれも渡航費、滞在費が支給される。
募集案内や詳細についてはこちら
http://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/shinshin/kenshu/

展覧会情報

フライヤー画像

DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センターー文化庁新進芸術家海外研修制度
の成果『ワームホール・トラベル ゆらぐ時空の旅』

会 期: 2016年9月17日(土)~10月16日(日)
10:00~20:00 会期中無休
※10月1日(土)は「ニュイ・ブランシュKYOTO 2016」のため22:00まで延長
会 場: 京都芸術センター ギャラリー北・南
入場料: 観覧無料
お問合せ: 075-213-1000(京都芸術センター)
WEBサイト: http://www.kac.or.jp/events/19023/

竹内 厚 Atsushi Takeuchi

編集者、ライター。大阪在住。


小金沢健人の場合

小金沢健人 《Lost in Delhi》 2007

小金沢健人 《Lost in Delhi》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

小金沢健人 《Lost in Delhi》 2007

小金沢健人 《Lost in Delhi》 スチル

――小金沢さんは、1999年からドイツ・ベルリンに渡って、現在もベルリン在住。最初は「ポーラ美術振興財団」の奨学金で渡航されて、その後に「在研」を利用されました。

(小金沢)
2000年に日本に一度帰ってきましたが、やっぱりベルリンの面白さにハマってしまって、戻りたいという気持ちが強くありました。なので2001年から「在研」をいただいて、またベルリンへ。もともと僕は旅に興味がなかったのですが、ベルリンに住むことになってから、海外のいろんな場所から声をかけてもらう機会が増えて、ひとりで旅をすることにもどんどん慣れていった感じです。

――今回の展覧会に出品された作品も、インド、ギリシャ、ロサンゼルスで制作されたビデオ作品です。制作を目的として見知らぬ国を旅されるんでしょうか。

(小金沢)
自分から求めて旅をするようになったのは、実はここ数年で、それまではレジデンスに呼ばれて数ヶ月、滞在制作するということがほとんどです。いろんなタイプのアーティストがいますけど、あそこにいけば面白いものがあるとか、それを探しに行くといったやり方を僕はとりません。何も知らずに丸裸でその場所に行ってみて、それから考えはじめます。調べるときっといろいろ出てくると思うんだけど、そこをとっかかりにするよりも、なんだろう…やっぱり僕は絵を描くときでも、ゼロからはじめたいという思いがすごく強いんです。自分にとってのアートの立ち上げかたはいつもそうですね。磨き抜かれた表現とか、見事に構築されたものの魅力もわかるけど、自分がやることじゃないんだろうなと思ってます。

――ゼロから異国の地へ行ったとして、どこから作品の手がかりを見つけるんでしょうか。

(小金沢)
相手あっての戦いというか、その場で技を編み出しますね。たとえば、インドの場合、深夜に到着してよくわからないまま連れていかれた宿泊先が、野犬のいっぱいいるアパートのような建物で、コンクリート打ちっぱなしの床にブランケット1枚、窓はびっしり金網で覆われていて…って怖いんですよ。だけど、外では夜中でもクラクションがずっと鳴っていて、彼らにとってはクラクションは、音だけど触覚的なものなんですね。リキシャと身体の延長というのかな。インドの人と話していると、とにかくその距離がすごく近くて、はじめは物盗りかと思ったくらい(笑)。そういったインドの間合いや感覚の違いに初日からやられてしまった。街はとにかくフォトジェニックだし、歩いて見つけた面白いものを拾ったりもしたけど、それでは自分が感じたことに届かない、もっとこの状況を丸ごと生け捕りにできないだろうか。ビデオなら音も動きも捕まえられるな、と。

――モデルの写真をカメラの前に持って、街を歩きまわる作品《Lost in Delhi》ですね。

(小金沢)
ちょうど『VOGUE India』が創刊された頃で、街中にそのポスターがあったけど、実際に僕が見ているインドの現実は、全然ヴォーグじゃない。それも面白いと思って、『VOGUE』から切り抜いたモデルの写真を手に持って、手持ちカメラで撮ってみたんですね。観光ビデオといえばそうなんだけど、モデルの写真がクッションになって、画面内の視点が何度か屈折することで、複雑なレイヤーが生まれました。この作品を後からの編集ではなくて、一発撮りでつくることができたので、現地でどうしようかと悩んだ挙句に、自分にとって技をひとつ増やすことができた作品だと思っています。

――作品の手触りとしてかなり生な感じを受けました。

(小金沢)
うまく説明できないものをやっぱり大事にしています。子どもの頃、ボールペンでぐちゃぐちゃっと絵を描くのが好きだったんですけど、それって途中がいいんですよね。出だしも終わりも全然いらなくて、やってる最中がいいんです。ゴールを設定されると、途端につまらなくなる。

――求められての旅ではなく、自分から求めていく旅に変わってきたとも言われました。

(小金沢)
情報を入れないのは変わらないけど、勘が働くほうに行ってみようと思って、この頃は突然、天草に行ったり、宮古島に行ったりしてます。今は、日本が多いですね。結構、どこに行っても住みたくなっちゃうんですよ(笑)。

――なるほど。ベルリンでの滞在もずいぶん長くなっているのでは。

(小金沢)
もう17年です。自分のかなりの部分がベルリンナイズされてると思うので、そろそろ新しい場所に移りたいなと思ってはいます。気分としては、ひょいっと軽い感じで住む場所は決めてもいいと思うんだけど。ただ、家族と子どもができてからは、旅の質も変わってきました。生活のこととか、アートの領域だけじゃない部分もかなり考えています。ひとりだったら、もっと狩猟に近いというのかな、行った先で獲物は絶対に獲ってくるって気持ちがありましたけど、今はそれだけじゃないですね。

――最後に、今、気になってる場所を教えてください。

(小金沢)
もし今から若いアーティストが海外へ出るなら、誰も行ってないような都市のほうが絶対に面白いと思います。冒険のできる余裕があるうちに、射程距離が届かないようなずっと先まで行かないと。どれだけネットで情報が入ると言っても、行かなければわからないことの割合は、まだまだすごいので、自分の足で行って、たくさん見てきてほしいですね。


小金沢健人 Takehito Koganezawa
小金沢健人 Takehito Koganezawa

1974年東京都生まれ。1998年武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業後、1999年よりベルリン在住。2001年文化庁芸術家在外研修制度によりベルリンに滞在。
映像、ドローイング、インスタレー ション、パフォーマンスと表現領域は多岐にわたる。
主な展覧会に「ザ・コンテンポラリー1 われらの時代」(金沢21世紀美術館、石川、2015年)、「六本木クロッシング2010展」(森美術館、東京、2010年)、「小金沢健人展 動物的」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、香川、2009年)、「横浜トリエンナーレ」(新港ピア、神奈川、2008年)「あれとこれのあいだ」(神奈川県民ホールギャラリー、2008年)、「Dancing in your head」(資生堂ギャラリー、東京、2004年)など。


鬼頭健吾の場合

鬼頭健吾 《Interstellar》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

鬼頭健吾 《Interstellar》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

――鬼頭さんは、2008年から「五島記念文化財団」の助成で、アメリカ・ニューヨークに1年間滞在。その後、2010年から在研を使ってベルリンへ、そのまま2015年まで滞在されました。

(鬼頭)
先にニューヨークに行ったのは、在研に2度申請したけど落ちたということ、そして、ある人に、“今のベルリンは成功した作家が行くところであって、貧乏で無名な作家はニューヨークにしたほうがいい”ってアドバイスされたという理由もあって。たしかに、オラファー・エリアソンがベルリンに巨大なスタジオを買ったりとか、ベルリンは活気があると思っていたけど、もう遅いと言われたらそうかもしれないって。

――実際、同じ都市でも状況はどんどん移り変わっています。どのタイミングのどの都市なのかでかなり違っているでしょうね。

(鬼頭)
そうそう、塩田千春さんや小金沢さんが行った2000年より前のベルリンと、僕が行った2010年頃、そして今とではベルリンの様子も全然違いますから。昔を知ってる人にすればもうつまらないと言われるかもしれないけど、僕がベルリンに行ったときは、それはそれでこういうもんだなと思いました。ニューヨークと比べても、時間がスローで落ち着いた街で、決してエネルギッシュというのではなかったけど、ゆっくり制作をして考える時間がありました。そういったことを思ったのも、日本に帰ってきてからですが。

――滞在中はそこまで客観的になれないと。

(鬼頭)
やっぱり住んでいると、どんどんそれが日常になっていくから。頭の中が固まっちゃうんですね。違う土地へ移動することで、前にすごした時間のことを思い出して、そこで溜まっていたものから、また何か新しいものが生まれてくる。日本に帰って1年ちょっとですけど、今まさにそういう感覚です。即レスが返ってくるわけではなくて、ちょっと時間がかかるんです。

――制作にやっぱりその土地の影響はありますか。

(鬼頭)
身近にある素材を使うので、見た目にも微妙に違ってくると思いますけど、意識して現地のものを使おうとはあまり思わない。ただ、日本では全然興味がなかったこと、たとえばベルリンに住むようになって古いものが好きになったり、公園に行くようになったりとか、単純なことだけど、住む場所によって新しくいろんなものが好きになったりしますよね。当然、そういうことが制作に影響してくると思います。目に見える形で作品に現れてるかといえば、そんなに変わらないかもしれないけど、作る側としては、たぶんそこが違っている。

――今回の出品作《Interstellar》もそういうところがありますか。

(鬼頭)
クリストファー・ノーラン監督の映画『インターステラー』は、今ここにいる自分と、3秒後にいる自分は違っているというような話でしたけど、そういうことも考えながらつくった作品です。作品タイトルは、制作が終わった後につけたんですけどね。

――日本語にすれば「星の間」「恒星間航行」ですね。少し話が戻りますが、鬼頭さんが海外へ出ようと思ったキッカケは何でしょう。

(鬼頭)
そうですね、アートやアーティストの社会的な立ち位置が日本とどう違っているのかには興味がありました。実際、ドイツに5年以上住んでみて、アーティストが当たり前にいる状況を目の当たりにしました。なかなか日本では、「ご近所のあの人、アーティストらしいよ」ってあまり聞かないけど、ドイツだと写真家や演劇をやってる人だとかもごく普通に周りに住んでいて、いい年をしても作家を続けてる人もたくさんいました。 もともと僕も、アーティストが他の人と何か差があるとは思ってなかったけど、日本だとどうしても無意識に負い目みたいなものを感じてしまうことがあるんじゃないかな。それは決していいことだと思わないし、だったら海外へ出たほうが気が楽になるかなとは思います。

――頭でわかっていても、実感がともなうと強度が違いますよね。

(鬼頭)
向こうにいると、誰も日本になんか興味がないんだなというのも実感できるから。こっちが思っているほど、日本人も韓国人も中国人も、ドイツの人からしたらそんなに差がない。だからこそ、どうやって自分に興味を持たせるのかを考えることになる。それはアートに限ったことじゃないでしょうけど。あとは、ドイツはアカデミックな考え方が根強くて、すごく文脈化されているので、日本で学んでいた美術とはやっぱり別物だと感じました。理解できないことは理解できない、そこに逆に強みが出てくる気もしています。

――最後に、次に住むとしたらどこがよいですか。

(鬼頭)
今は群馬の高崎に住んでいて、気に入ってるので当分はそこに住むことになりそう。北欧やパリも好きなんだけど、住むかと言われたら…大変そうだなって。ベルリンのゆっくりした時間に近い場所を求めてたから高崎を選んだのかもしれないって、最近気づいたから、また次に住むならやっぱりベルリンかな。向こうにいた頃は不便だとかブツブツ文句を言ってたけど、離れてみるとよかったなぁと時々、思い出すんです。


鬼頭健吾 Kengo Kito
鬼頭健吾 Kengo Kito

1977年愛知県生まれ。
2001年名古屋芸術大学絵画科洋画コース卒業後、2003年京都市立芸術大学大学院美術研究科油画修了。2010年文化庁新進芸術家海外研修制度によりベルリンに滞在。
日常にありふれた素材を使い、それらのもつカラフルさや、鏡やラメによる反射、モーターによる動きなど、回転や循環を取り入れた大規模なインスタレーション、立体や絵画など多様な表現方法を用いた作品を発表。
主な展覧会に「Migration “回遊”」(群馬県立近代美術館、2015年)、「Mono no Aware」(エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク、2013年)、「Artist File」(国立新美術館、東京、2011年)「世界制作の方法」(国立国際美術館、大阪、2011年)、「パブリックスペースプロジェクト」(東京都現代美術館、2007年)、「六本木クロッシング2007」(森美術館、東京、2007年)など。


宮永愛子の場合

宮永愛子 《手紙》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

宮永愛子 《手紙》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

宮永愛子 《はじまりの景色》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

宮永愛子 《はじまりの景色》
「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

――宮永さんは大学院時代に在研でスコットランド・エジンバラへ。1年滞在した後、帰ってきてすぐに展覧会をした場所が京都芸術センターだったそうですね。

(宮永)
偶然だけど、展示した部屋も同じ。エジンバラでの1年は、自分がすごく揺れていた時期でした。さらにこうなっていきたい、こうしたいということをずっと考えていて、その後の京都芸術センターでの展示から、作品のスタイルも変わりました。それまでの、作品の部分だけを彫刻的にとらえるやり方から、もっと広く考えられるようになって、部屋全体を使ったインスタレーションになったんですね。そのときの作品タイトルが《漕法》。自分らしいやり方で世界を泳いでいく方法を見つけたい、その出発点という気持ちもタイトルに含まれています。

――宮永さんのエジンバラ体験については、CINRA.NETに掲載されている対談記事(※2)で伺いましたが、そのときに京都からエジンバラに飛び出したことで、世界が近く感じられるようになったと言われてましたね。結果、その後も「五島記念文化財団」の助成を受けて、北米~南米大陸のあちこちに旅をされています。

(宮永)
私の作品の中に、ナフタリンでつくった彫刻を、積み重ねた樹脂で封入したものがあります。それがちょっと化石にも似てるイメージだと思っていて。それで、五島文化財団にはボリビアのウユニ塩湖に行きたいというプランを提出しました。ウユニ塩湖は、標高3,700mの山の上に広がる塩の大地。そういった大自然の様子、自然が封入しているようなところを実際に見ることが、自分にとって大切な感覚の広げ方だと思っています。作品がすごく細かくて緻密なものだったとしても、ミクロの世界にどんどん入っていくのではなくて、一方ではマクロの世界を思っていたい。だから、葉脈の繊細な線を見て、グーグルマップの俯瞰した地図を思うようなことがいつも対になっていて、それは私の中ですごくバランスがとれたことなんです。

――作品の実際の大きさに関係なく、地球規模にまでつながっている想像力を持っていると。

(宮永)
たとえ小さな作品だとしても、内側にだけ視点を向けるのではなくて、いつも俯瞰して世界を眺めたいんだと思います。たとえば、ナフタリンの作品は時間とともに昇華して、その結晶がガラスケースの内側に付着していく。けれど、もしガラスケースがなければ、結晶は展示室のどこかにつくし、扉が閉まっていたとしても隙間から、さらに遠くのどこかへ飛んでいく...って際限なく想像していけば、それはもしかしたら宇宙の果てまで可能性があるのかもしれない。だから、そうした感覚が体感できる場所があると聞けば、実際に行ってみたいという気持ちが湧いてきます。

――アンデスの5000mの山中にあるアルマ天文台なども行かれてますけど、簡単に行けそうにない場所がすごく多くて。道中の大変さはまったく気にならないですか。

(宮永)
私の作品から、そういう旅の時間は想像できないって時々言われます。けれど、その道中の時間があってこそ、作品が生まれてくるんじゃないかな。たとえば、5,000mの高さまで上がるためには、3,000mで一度体を慣らす必要がある。そこは真夏でものすごく暑いのに、5,000mの山頂は猛吹雪で国境が閉鎖されてしまいました、とか。いろんな場所でいろんなことがあったけど、ハラハラすることやアクシデントの実体験は重要だと思います。

――地球規模の自然が感じられる場所が行き先としては多いですか。

(宮永)
一時期住んでいたアメリカのデトロイトは、自動車産業が盛んだった時代の場所、今は廃墟みたいなところを観察できるスポットがたくさんあって、人類史、文明史みたいなことに惹かれました。自然は素晴らしいけれど、それだけで世界が成り立っているわけじゃないから。次に行ってみたいのは最近ではモンゴル。延々と大草原が広がっていて何もないのに、衛星機器が発達しているらしくて、パオの中では、テレビや電話が一気に普及してるそうなんです。それを聞いたら一体どういう感じなのか、実際に見てみたくなって。

――今回は、そうしたさまざまな旅の記録写真も《はじまりの景色》として展示されています。

(宮永)
あれは、私にとってのドローイングなんです。もともとは、行った場所の空気感やそこで感じた気持ちを保存しておくために撮っていた自分の観察記録、メモみたいなもの。だから、人に見せることは躊躇していたんだけど、空気に触れると色の深みがささやかに増すというフレスコ紙という素材に出合って、そこにプリントするのなら作品にできるかもしれないって思いました。

――写真だけどドローイング。

(宮永)
ドローイングは絵じゃなければいけないと、ずっと思いこんでいました。私は、作品を構想するのに絵は描いてなくて。だけどある人から、「鏡文字でも写真でも音楽でもいいんじゃないの、それがあなたの作品のもとになったものだったら」って言われて、私らしさみたいなものを救ってもらった感じがしました。去年のアートフェア東京に一度出して、展覧会に展示するのは今回がはじめて。エジンバラから旅したものを中心に、デトロイトの廃墟なども含まれています。今回の展示は、2008年の「漕法」のときのように、自分自身のことをまた整理し直して、新たに漕ぎ出そうという、とてもいい機会になりました。

※2)CINRA 宮永愛子×林洋子 芸術家を育てる「旅」
http://www.cinra.net/interview/201609-domani


宮永愛子 Aiko Miyanaga
宮永愛子 Aiko Miyanaga

1974年京都市生まれ。
1999年京都造形芸術大学芸術学部美術科彫刻コース卒業後、2008年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。2007年文化庁新進芸術家海外研修制度によ りエジンバラに滞在。ナフタリンや塩、陶器の貫入音や葉脈を使ったインスタレーションなど、気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品で注目を集める。
2013年「日産アートアワード」初代グランプリ受賞。主な展覧会に「日産アートアワード2013」(BankART Studio NYK、神奈川、2013年)、「house」(ミヅマアートギャラリー、東京、2013年)、「宮永愛子:なかそら―空中空―」(国立国際美術館、大阪、2012年)、「景色のはじまり―金木犀―」(ミヅマアートギャラリー、東京、2011年)、「あいちトリエンナーレ」(愛知芸術文化センター、 2010年)、「漕法」(京都芸術センター、2008年)など。


長坂有希の場合

長坂有希 《手で掴み、形作ったものは、その途中で崩れ始めた。最後に痕跡は残るのだろうか。01_アンガス》 「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

長坂有希 《手で掴み、形作ったものは、その途中で崩れ始めた。最後に痕跡は残るのだろうか。01_アンガス》
「DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター」展示風景 2016

――長坂さんは早くから海外へ出られたそうですね。

(長坂)
高校の交換留学でアメリカに行ったのが最初で、いろいろと面白かったのでそのままテキサスの大学へ行きました。実は、建築を学ぶつもりだったんですけど、単位を取り間違っていて、留年しないためにはアートをとる必要があると。なので、アートに関わりはじめたのは大学3年から。その後、知り合ったベルリン在住の作家さんが誘ってくれたこともあって、ベルリンに移り、そしてフランクフルトの大学院へ行きました。ドイツには5年半ですね。

――テキサスからベルリン、フランクフルト、そして、次にロンドンへ。そこで在研を使われた。

(長坂)
そろそろ日本に帰ってもいいのかなと思ったんですけど、その前に在研を使って、1年間ロンドンに滞在しました。日本の助成をもらった流れで帰るのが、日本とも少しつながりをつくることができていいかなって思いもありました。高校から日本を出たので、私は日本に存在していないと思っていましたから。 ロンドンは、ドイツにいる頃からよく遊びには行ってたので友人も多くて、アートの状況も面白いように見えていました。私の作品はリサーチをベースにしているので、世界中から物を集めた大英帝国の時代があって、アーカイブがとても豊富なイギリスを選んだということもあります。

――海外にいながらにして、リサーチをベースにした作品に向かったのはどうしてでしょう。

(長坂)
アメリカでは感覚的に制作をはじめたんですけど、歴史や社会のようなもっと大きなものとつながる作品がつくりたくて、フランクフルトの芸術大学のサイモン・スターリングのもとで学ぶことにしました。サイモンは移動や旅をしながら、リサーチをからめて作品をつくっていて、やっぱり彼に影響をうけたところはあると思います。

――今回、出品されている作品《アンガス》は、《手で掴み、形作ったものは、その途中で崩れ始めた。最後に痕跡は残るのだろうか。》という大きなプロジェクトのひとつだそうですね。

(長坂)
そうです。タイトルで言ってるように、文明や国が崩壊して、また立ち上がってということを繰り返した後で、一体何が残っているんだろうという想像がこの作品自体にあって、《アンガス》はその一部を担っています。今は、その次の《ライオン》の制作をはじめています。

――《アンガス》でも、深海探査装置や牛、神話の登場人物、パブで出会った写真家など、たくさんの「アンガス」のことが長坂さんを通して語られていましたけど、壮大でパラレルな文明史を語り直そうとしているかのようですね。

(長坂)
そうかもしれません。ポスターや写真、立体なども使っていますけど、やっぱりお話が軸としてある作品です。リサーチから出てきた「アンガス」を巡るたくさんの事象があって、それをつなげているのは話している人の頭の中なので。必ずしも私が話さなくてもいいとは思ってますけど。

――ちなみに《ライオン》もリサーチは海外で?

(長坂)
先日は、《ライオン》のためにロンドン、アテネ、トルコと旅をしてきました。まずアイデアがあって、そのために、どうしても旅をしなければいけないというわけじゃないし、作品はどこに動かしても成立するものなんですが。実際は、リサーチをして、またそれを壊すために旅しているみたいなものです。本の中に書いてあることだけじゃなくて、そこにどう現実が入って、そのふたつがしっくりくるところを見つけられるかどうかが大事なので。

――最後に、海外経験豊富な長坂さんが次に滞在したいと思っている場所はありますか。

(長坂)
火山が大好きで、バカンスもしたことないのでハワイかな。あとは、ブエノスアイレスやメキシコシティにもまた行きたいし、アテネにも長期で行ってみたい。けど、もう行ったままじゃなくて、たとえば今の大阪にベースを置いたまま、行って帰ってきたいんですよ。

――ちょっと考えが変わってきたんですね。これから在研の利用を考えている人にひと言お願いします。

(長坂)
やっぱり在研のような支援がある形で海外に出ることは、ほんとに大事です。日々の暮らしに引き戻されることなく、1年間とかアートのことだけを考えられることって人生の中でもまずない。自分が選んだ自分がやりたいことを突き詰めて、頭の中でどこまで遠くにいけるかって時間は、やっぱりすごく貴重だと思います。


長坂有希 Aki Nagasaka
長坂有希 Aki Nagasaka

1980年大阪府生まれ。
2005年テキサス州立大学 芸術学部卒業後、2012年国立造形美術大学シュテーデルシューレ・フランクフルト修了。2012年文化庁新進芸術家海外研修制度によりロンドンに滞在。
リサーチをベースとし、遭遇した事象の文化、歴史的意義や背景の理解と作者の空想や記憶が混じりあう現実と架空の狭間を行き来する物語世界を作品によって表現する。
主な展覧会に「マテリアルとメカニズム」(国際芸術センター青森、2014年)、「Attention Economy」(クンストハレ・ウィーン、2014年)、「Signs Taken in Wonder」(オーストリア応用美術・現代美術館MAK、2013年)、「Zauderberg」(フランクフルト近代美術館、2012年)など。共同プロジェクト「アートとサイエンスのあいだ」や「Baby, I lost my handshoes...」への参加や企画も行う。


アーティストと移動、海外経験
インタビュー:宮永愛子、小金沢健人、鬼頭健吾、長坂有希

Category: Feature





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