
06, Oct 2009

ダムタイプ結成からの中心メンバーであり、多様なソロワークでも国際的に活躍する高谷史郎氏。ダムタイプ25年の歩みをめぐって、創作の進め方やパフォーマンスに関する考え方、今後の展望などを聞いた。
古くからダムタイプの知己であり、前事務所の隣にギャラリーを構えていた松尾惠さんによる2万7,000字ロングインタビュー。
――ダムタイプは今年で設立25周年ですが、継続にはどのような努力をされてきたのでしょうか? ぼくたち自身にとっては、続けてきたっていうよりは続いちゃったという、そんな感じですね。何かを始めたら終わらせるほうが反対に難しかったりするときがある。そうしてずっと続いてきたっていう気がすごくしていて。続けなければと思った瞬間もありますけどね、古橋悌二 が亡くなったときとか、そういうときはやっぱり、ここで終わらせちゃうとグループでやってきたっていうのが嘘になっちゃう。そんなことは少し思ったりしましたけど、そういうときぐらいかなって。それ以外は本当に、こんなこと集団でやっていても意味ないと思う瞬間もいっぱいあるけども、そういうときに思うのは、自分のやりたいことをやれるようにしていくために続けているだけだから、無理になればやめればいいと、そんなふうに思っていたのが長続きの秘訣かなという気もします。でも、それはメンバーみんなに聞いてみないとね。 あとメンバーがどんどん入れ替わっているというのも大きいと思うんです。昔からいるのは数人ですからね、ぼくも含めて。最初から、ダムタイプの前身からっていうと、薮内美佐子 とか、、それほど多くないですよね。
――メンバーが入れ替わるということは、ダムタイプとして制作や発表をしたい人が次々と現れて、その人たちの情熱や能力などが、さらに先へ、あるいはさらに広くつながってきたわけですね?
出会いとしてはそうですね、難しいですよね、ダムタイプみたいな集団がどうやって新しいメンバーと出会っていくかというのは。例えば、どうしたらダムタイプに入れますかって聞かれたことがあるけど、「どうしたら」というのはなくて。たまたま見たパフォーマンスが面白くて、それでその後、話してみたら面白いからそのまま...友だちになっていくような感じなので、システマティックじゃないんです。だから次の作品がこういう作品で、こういう人が必要だから集めるというよりは、この人のここが面白いから、こんな作品ができないかみたいな話になってくることが多い。そんな考え方なので、プロフェッショナルのダンサーを呼んできてこうしてほしい、とか、あらかじめプランがあるわけじゃないんですよ、ダムタイプ作品の場合は。この人のここが面白いからそれをもっと引き伸ばして、他の要素をくっつけたらこんな作品になるね、みたいな。
それは人に関してだけじゃなくて...以前、シアトルの「On the Boardsオン・ザ・ボード」というオーガナイゼーションに『memorandum』の公演で行った時、もう次の作品(『Voyage』)の制作準備をしていたんですが、そのときに、何かネタになるようなものはないかなと思いつつ、空き時間を見つけては、メンバーでお互いにプレゼンテーションし合っていたんですよ。こんなライティングはどうだとか、こういう動きはどうだとか、こんな話はどうだとか。そんな中で、オン・ザ・ボードの事務所にこれが(机にある旧式のタイプライターを指して)転がってて、キーを押してみたらすごくいい音がする。ガチャガチャッて。何かすごく古臭いんだけどメカニカルな。面白いなあと思って事務所のスタッフに聞いてみたら、欲しいんだったら持っていっていいよみたいな話になった。でもこれ、こんな旧式ですけど一応使ってるらしくて、この押し込み式のタイプライターじゃないと打てない書類があるとか、カーボンコピーが取れるとかで。運よく予備が見つかったのでもらって帰ってきた。
――人もモノも同じように出会ってつながっていったのですね。 そんな感じ。出会いで...こんなことがしたいなあとかって。
――私の画廊とダムタイプのオフィスは、同じ建物の中で長らく隣同士でした。 はいはいはい、ですね。
――17年間ぐらいだったと思いますが、ダムタイプはオーディションしないのかとよく聞かれました。どうやったらダムタイプオフィスの戸は開くのか?という憧れや関心は当時とても強かったですよ。 グルッと開けてもらったら開くんですけど(笑)。
――どなたかメンバーがいらっしゃるときは事務所もオープンな雰囲気にされていたから、偶然友だちになれたり、建物内で合同パーティーを開いたときに出会った人もあると思いますが、普段は、やはり近づきがたい雰囲気もあったのだと思います。
もう全然そんな敷居高いつもりはなくて。
とにかく基本的に、「その人個人から出てきたものをどう活かすか」っていうつくり方をしていて...例えば、パフォーマーやダンサーの人は、これをやれ、あれをやれと言われたら、できることはできるし、できないことはできないって言える。でも単に「さあ、何か見せてみろ」って言われたら一番困る。すごく緊張してしまうというか、こちらもすごく気をつかってしまう。本当は面白いものをいっぱい持っているのに、最初の人間関係のつくり方次第で、もう、急に出てこなかったりするじゃないですか、その面白いものが。逆に、こんなことできるよって言ってクルクル回ってもらっても、こちらが全然ほしくないことだったら自分も盛り下がっていくし、相手も盛り下がっていく。そういう意味で人と出会うときっていうのは、自分も同じぐらい緊張する。
――パフォーマーに対しては、そういうハードルの高さ、つまり今まで積み重ねてきた技術が通用しなかったり、必要とされないということがあるのでしょうか? あり得ますよね。
――いくらでもクルクル踊れるのに、ふつうに食べてる姿が面白いからそっちが使われたりということがあり得るのですね。 そうなる可能性は大ですよね。
――日常においてハートフルな関係でないといけないというか。
そうそう。基本的にフラットな関係で一緒につくっていこうというスタンスですけど、だからお互い信頼関係がないとアイデアも出てこないだろうっていう感じはする。そこに至るまでが難しいというか。ずっと一緒にやってるメンバーとでも同じことなんですけどね。
「この人は何を考えてるんだろう?」とお互いわからないまま新しい作品制作に入っていくわけだから、そのときに最初のきっかけというか、「こんなアイデアを出してもこの人は認めてくれるかも」って思えるところまで来ないと、なかなか言えないじゃないですか。「これ言って無視されたら、どうしよう」とか思っちゃったり...。返事の仕方ひとつで変わるっていうか。お互いに何を求めてるのかわからないまま、「何か面白いものができれば」っていう一点のみで話をしてるから、信頼関係ができるまでは「えっ、そんなん面白い?」って言われたらスーッて気持ちが引いてしまってもう何も出てこなくなる。そういうのは緊張もするし、一方で面白いとも思いますよね。変なつくり方だなと。
――設立当時、メンバーの皆さんは学生だから、時間はゆっくり流れていただろうし、活動のゴールが経済的な成功ではなかったと思います。具体的で合理的な作品のつくり方を目指さなかったのは、京都で活動されていたからだという気がします。これがもし、目の前でいろいろな効率とか情報に巻き込まれていく東京やニューヨークでなら、作品のつくり方も違っていたでしょうか?
それもそう思うんですけど、例えばいまのダムタイプでいうと、すごく個人個人の作業というか...藤本(隆行) は藤本で個人のプロジェクトをやってるし、薮内も他のアーティストとパフォーマンスしたりとか、池田亮司 ももちろん個人的に活動してますし、そういうのが始まり出すと、もう時間が調整つかなくなって、ほとんど会えなくなってくる。だからダムタイプとしてつくったのが『Voyage』でもう5、6年たってるのかな...そんなことになってきますよね。
東京にいたら、もっときっかけが多かったような気もしますね。出会う機会もどんどん増えて忙しくなっちゃうかも。そうなるとさっき言ってたみたいにドキドキしながら毎回緊張しつつ集団制作やってるよりは、自分の好きなことを自分の言った通りになるならやろうかみたいに、わーっとやっちゃう可能性はありますよね。そっちのほうが良かった人もいるだろうし...。
たまたまそのとき集まっていたダムタイプのメンバーが、みんなでつくるのを良しとするというか、楽しみにしていたというか...そういう意味では京都にいたからなのか、そういう人たちがいたからなのか。両方だとは思いますよね。
最初にダムタイプを立ち上げた頃の、古橋(悌二)、小山田(徹) 、穂積(幸弘) 、ほかにもいっぱい面白い人たちがいたけども、そういう人たちがいたっていうのは、本当にいろんな人がいたんで...そういう人たちがたまたま(京都市立)芸大にいて、いっしょの4年間の幅の中ですごい出会いができたなとは思うことがありますよね。それぞれが全部違う感じで、個性の違う人たちがうまいタイミングで集まったなっていうか。
▼古橋悌二
京都市立芸術大学美術学部卒。1984年のダムタイプ結成時からの中心メンバー。映像、音楽、身体表現などを駆使したパフォーマンス作品やインスタレーションを発表。1994年パフォーマンス『S/N』をアデレード・フェスティバル(オーストラリア)で初演。以降、翌年の古橋の急逝までの約20ヶ月間に、『S/N』は12カ国16都市で上演され、各地で大きな反響を呼んだ。古橋の死後も古橋不在の『S/N』は5ヶ国・6都市で上演された。また、『S/N』と同時期に古橋個人名義で発表されたビデオ・インスタレーション『LOVERS-永遠の恋人たち』は、現在、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。1995年10月、HIVによる敗血症のため急逝。
▼薮内美佐子
京都市立芸術大学大学院美術科修了。個展、グループ展で絵画やビデオ(アニメーション)作品を発表。1984年からダムタイプに参加し、舞台創作およびパフォーマーとして国内外で活躍。その他、The OK GIRLS、The Best ADULTSなどパフォーマンスユニットに関わり、ジャンルにこだわらない活動を展開している。現在、高谷史郎パフォーマンス作品『明るい部屋』に参加。
▼藤本隆行
1987年、ダムタイプに参加。『S/N』以降の作品では、照明並びにテクニカル・マネージメントを担当する。また、池田亮司のコンサートや海外のアーティストの舞台作品にも、照明デザインを軸に参加。近年は、デジタル・ディバイスの同期にフォーカスを当てた、LED照明デザインを特徴とする有機的な舞台を構築している。
▼池田亮司
1990年より音楽活動を開始。1995年以降は、コンサートやインスタレーション、レコーディングを通してサウンドアートの領域で積極的に活動している。振付家のウィリアム=フォーサイス(フランクフルトバレエ団)、現代美術家の杉本博司、建築家の伊藤豊雄、そしてダムタイプの舞台音楽など多方面にわたる活動をおこなっている。
▼小山田徹
1984年、京都市立芸術大学在学中に友人たちとダムタイプを結成し、おもに企画構成、舞台美術を担当(『S/N』まで参加)。1990年よりコミュニティセンター「アートスケープ」や「ウィークエンドカフェ」などの企画をおこなうほか、コミュニティカフェ「バザールカフェ」の立ち上げに参加。さまざまな共有空間の開発をおこなっている。
▼穂積幸弘
京都市立芸術大学在学中に古橋悌二、小山田徹ら友人たちと劇団座カルマで活動。それが前身となり、1984年ダムタイプ・シアター、さらには以降のダムタイプへと発展した。『睡眠の計画 Plan For Sleep』シリーズまで中心的な役割を担う。その後『Pleasure Life』からはメンバーによる共同演出へと、ダムタイプは創作形態をシフト・深化させていった。



1963年生まれ。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン科卒。1984年アーティストグループ「ダムタイプ」の創設メンバーとして活動に参加。以降、ダムタイプのパフォーマンスやインスタレーションの創作に携わり,映像,照明,グラフィック・デザイン,舞台装置デザインなどを手がける。
主なパフォーマンス作品:「PLEASURE LIFE」(1988年初演)、「pH」(1990年初演)、「S/N」(1994年初演)、「OR」(1997年初演)、「memorandum」(1999年初演)、「Voyage」(2002年初演)
個人的な活動としては、1990年 建築家ダニエル・リベスキンド氏の依頼をうけて浅田彰氏との共同作業でオランダのフローニンゲン市の都市プロジェクト「STADSMARKERING - GRONINGEN / MARKING THE CITY BOUNDARIES」に参加。1998年 アール・ゾイドとリール・ナショナル・オーケストラ(フランス)のコラボレーションコンサート「DANGEROUS VISIONS」の映像制作。1999年 坂本龍一氏オペラ「LIFE」の映像を担当。また、ソロワークとしての映像インスタレーション「frost frames」を1998年に、「optical flat」(国立国際美術館蔵)を2000年に発表。2001年 霧の彫刻家・中谷芙二子氏とのコラボレーションによるインスタレーション作品「IRIS」をバレンシア・ビエンナーレ(スペイン)にて発表。2002年度京都市芸術新人賞受賞。
2005年 ラトビア国立自然史博物館で開催された「雪と氷との対話」展に参加。2006年日豪交流プロジェクトでオーストラリアに滞在、インスタレーション「Chrono」を制作・発表。2007年 坂本龍一氏とのコラボレーションによるインスタレーション「LIFE - fluid, invisible, inaudible...」(山口情報芸術センター)制作・発表。気候変動について考えるための北極遠征プロジェクトCape Farewell(イギリス)に日本人アーティストとして初めて参加。2008年 新作パフォーマンス「Die Helle Kammer(明るい部屋)」をTheater der Welt, Halle 2008(ドイツ)にて制作・発表など。




――とくに初期ダムタイプのメンバーを見ると、今更ながらすごい面々だと思います。 昔話ばかりしてても仕方ないんですけど、最初の頃でいうと映画が基本的な共通の話題になっていたことが多かったかな。タルコフスキーの『ノスタルジア』とか、ヴィスコンティとか、その頃まだ名画館が残っていた頃で、だから名画館に行って、みんなでどれだけ観るかみたいな。で、すごく観た覚えがある。そうしないと話についていけないので。ダムタイプの初期はコピーというか、ぼくの中でもいろんな人から影響を受けていたから、パフォーマンスをするときにも、例えばタルコフスキー映画の緑の光の感じが良かったから、今度はあの緑だとか言いながら照明デザインやってたりとか。コピーじゃないですけどすごい影響を受けた、それぞれの作品が。ローリー=アンダーソンとかボブ=ウィルソンとかも…そういう、最近何が面白かったかというのをみんなで話し合いながら、いろいろ組み合わせていた時代ですよね。その中からダムタイプらしいものが出てきたのかな。それまではまだ、わーっ、これは面白い、これは面白い、とダーッと集めてたというか。そういう意味ではマルチメディアな感じですけどね、いろんな分野のものを取り込んだというか。どれかひとつにこだわっていたわけじゃなく、たとえばローリー=アンダーソンだけが好きで、ああなりたいっていうわけじゃなくて。ローリー=アンダーソン、もちろん好きですけども、いまでも。それとこれを組み合わせて、新しい表現にできないかとか、そんなことをすごく話していた覚えがありますね。
――私は大学時代に皆さんと重なっていないので、その時代のダムタイプを知らないのですが、社会人になって2年目くらいに、梁画廊(京都)でダムタイプのインスタレーションがあったとき、すごい人たちが出てきたと周辺で話題になりました。他と違う、目指してるものや出て来る方法が、他のアーティストと違う。80年代前期だからコンテンポラリーアートの若い人たちが隆盛してきましたが、多くは「美術内美術」の話で盛り上がっていくけれど、多分ダムタイプは美術にだけ目を向けてはいなかったということかと思います。 そうですよね。実際、パフォーマンスも数多くやってますし。アーティストグループとは一応言ってますけど、パフォーマンスのイメージが大きいかも。知っている人は少ないでしょうけど、その中でもやはり、ダムタイプはパフォーマンスのグループだと思っている人がほとんどでしょうね。
――しかもパフォーマンスって言葉は、当時目新しく、耳新しかった。誰が使いだしたんでしょう? 誰なんでしょう。
――ローリー=アンダーソンが情報として入ってきた時点でパフォーマンスという言葉や形態はもうしっくりきていたのですが、多分いち早く日本で使っていたのはダムタイプかと思います。 いやいや、そんなことはないと思いますけど、あんまりそんなことも考えずにパフォーマンスと言ってたかな。
――私の世代にとっては、あたかも新しい表現のフィールドができたという印象でした。 そうですね。音楽、コンサートでもないし。ローリーを観たときに思ったのが、コンサートなんだけどコンサートだけじゃないのがパフォーマンスなんだ、ぐらいにしか思ってなかった。ぼくの場合は演劇の下地があったわけじゃないし、演劇がしたかったわけでもないので、パフォーマンスってわざわざ言い換えることには別に何も抵抗がなかったというか。どちらかというと、まだダムタイプ・シアターっていう名前だった頃、周囲から自分たちの作品が演劇だって区分されることに違和感があったかな。演劇じゃないと思ってたので。
――元々はダムタイプ・シアターっていう名前だったんですね。 そうですね。当時、劇場形式での表現にこだわっていたから、そういう名前が付いてたんじゃないかな。それに、とくに寺山修司さんの影響とか、穂積、小山田、古橋も、みんなそうだったと思いますけど、結構あったみたいです。
――ダムタイプをかっこいいと思ったのは、既存の美術も抜け出して、さらに「むき出しで洗練されにくいもの」という印象のあった演劇にも該当しなかった点です。何しろ新しかったですね。 この頃、なぜ、パフォーマンスっていうか、人が出てるものをやってるのかなって、よく思いますけどね。ぼく自身はそういう人間が出てきて泥臭いことには本当にあんまり興味がなくて、どちらかというと、メディア・アートの方が近いなとすごく思ってて。
昨年つくった新しいパフォーマンスが『明るい部屋』(フランスの思想家ロラン=バルトの写真論と同名)っていうんですが、内容とはそんなに関係なくて、写真のことをその頃よく考えていたのと、あとは『明るい部屋』ってタイトル自身がいいなと思ったので選んだんですけど — その中で書かれている写真というのは、メディア・アートの走りなのかなと。最後の仕上げの部分で人間が描き込むのではなく、科学的な方法とか、光がレンズを通って…みたいな。そういう人間を介さない方法で表現されているっていうのがやっぱりメディア・アートで、でも、すごく感情的な写真とかもいっぱいあるじゃないですか、泣けてくる写真もあるし。でも、それも機械っていうか、人間が感情を込めて一筆一筆描いたものじゃなくても出るっていうのが、ぼくにはやっぱり面白いのかなと思って。一筆一筆描くっていうのはもちろんいいとは思うんですけども、そうなるとすごく濃すぎるっていうか。
それでいうと演劇っていうのは、その一筆一筆、人がまさしく関わってる。(パフォーマンスは)対極のような気もするものが混ざっているとこがやっぱり面白いのかな。この頃はそのバランスがどんなふうに取れるのかなというのを考えてるというか。ビデオであるとか、写真であるとか、そういうメディアを使って、いかに現実にそこにいるパフォーマーから現実感を取り除くことができるか、反対に生にすごく近づいてくる人の面白さというか、魅力的な部分を押し出すことができるか。そのバランスをどう抜いていくのかっていうことを実験する場所なのかなと、パフォーマンスというのは。
――『S/N』のビデオを最近になって見せていただくと、多分に演劇的だなと思います。すごく生々しい、それが真実であろうがなかろうが、人間が創造したり体験できる最大限の幅みたいなものが押し込まれているからです。『S/N』の後は、いまおっしゃったみたいな、むしろ体も道具、表現のひとつの道具みたいに思えてくるんですよ。90年代も半ばぐらいまでは、美術では、身体をことさら取り上げました。あるいは身体性です。身体と身体性は違うんですね。ダムタイプは、身体性じゃなくて身体そのものにかなり果敢に切り込んだ気がします。『S/N』に関してなんかは、いまのお話にすごく凝縮されていると思いつつ、その後の『OR』とか『memorandum』の方が、身体についてダムタイプのやりたかったことに近いのかと思ったりもします。 その辺は古橋の影響大かなって思うんですけど、やっぱり舞台に出ている人が演出していて、つまり本人が出たいので、だから、どう出るか。どれだけかっこよく、まあ、こんな言い方したら悪いけど、どれだけきれいに自分を見せられるかっていうところがやっぱりある。そこが面白いんですね。人の、パフォーマーの魅力ってそこじゃないですか。「私が」っていうナルシスティックな部分がある程度ないとダメで、古橋の面白かったところは、(キュレーターの)四方幸子さんもどこかで文章に書いてくださっていましたけど、「醒めたナルシストの手つき」っていうのがすごくピッタリだなと思うんですよ。外から自分が見れていて、整理できていて、じゃ、ここでビデオを使ってこうやって自分はこう立って、みたいなことをすごく考えられた人なんだなと思って。でも根底にあるのは自分をいかにかっこ良く見せるかであって、演劇っぽく自分の何かをさらけだしてしまうかっこ良さよりも、自分はほとんどしゃべってなくても、ここにこういう絵が1枚あるだけでこう見えるみたいな関係性を探ってたんじゃないかという気はしました。
そんな人がいる一方、ぼくは舞台に出たいという欲望があってやってるわけじゃない。ぼくの興味は、どういう空間をつくり、人の配置をつくるか。ぼくは元々、(京都市立)芸大では建築をやっていたんですけど、気持ちいい空間のつくり方みたいな感じというか、建築をやっているような気でいる。そして、その中に身体というのが入ってくる。この頃やっぱりよく悩むというか面白いなと思うのは、その身体やパフォーマーの魅力っていうのをどうやって引き出して、どういうふうに気持ちいい空間の中におくのかということ。モノだけでも気持ちいい空間はつくれるわけじゃないですか。いろんな家具をアッセンブルしながら、近代的な技術、例えばナトリウム灯とかそういうものを合わせたらこういうふうに見えるとか、そういう実験をしながら、空間はつくっていける。でも、人から出てくる魅力っていうのをどういうふうに引き出して空間と合わせていくか。そこなんですね、本当に。




――日本人のパフォーマーが出演していることに、よくも悪くも、私がよく理解しているだろう文化を重ねて見てしまいます。ここに大きな黒人や白人が出てくるのとでは違うなというか。 例えば(傍らにある小道具のテーブルを指して)見てもらったらわかるように、ヨーロッパっぽいじゃないですか。これ。古道具なんですけど、イギリスの1920年代のテーブルです。そういう古いテーブルが使いたいなと思ったときに、日本の古道具屋さんもいっぱい回って探したんですけど、インターネットでも調べて。でも、やっぱり日本の道具がしっくりこないんですよ、自分の中でね。で、選んできたのがこういうのになってるんだけど。
西洋のアンティークの家具でも、最近は日本にいいものがたくさん入ってきてるんですよ。蚤の市で日本人が買いあさってるんだろうなっていう感じで。ヨーロッパの人から見たら、こんなの本当にその辺にころがってる普通にあるものだろうけど、しかし座ってるのは東洋人だと。そしたらどういう話に見えるのかなというのは気になるというか、考えさせられますね。
でも日常でいうとね、椅子で生活してるし、畳なんてぼくのいまの生活にはないんですよ。別に嫌いなわけじゃないですけど。そんな日本っぽい生活をしている人は本当に限られてますよね。少ないような気がします。だからそういうミックスされてしまっているものが出てくるのかなとも思うし。
――ダムタイプの舞台って、この時代の普通が乗っかってる感じもありつつ、一方で作品が普通の再現であっては困るわけですよね。そのバランスが絶妙に面白い。 まあ、(舞台のビジュアルが)抽象的ですからね。今回の舞台(高谷作品)も、真っ白の。ものすごく抽象的で、ヨーロッパっぽいでしょ?
――しかも、この並び方が旧作『Pleasure Life』をちょっと彷彿させますね。ところでダムタイプに対して、東洋的というような批評はあまりないでしょう? ありますよ。インタビューとか受けると、いまだに。「禅」とか言いたい人は言いたいみたいで、きみたちの作品には「間」があるとかって言い始めて。そんなの、いい作品には全部「間」があるって言って、(ウィリアム=)フォーサイスの作品だって、絶妙の「間」があると思いますよって答えているんですけど。(一部の西洋人には)そんな風に見えてしまうのかもしれないけど、こっちはそんなこと考えてやってるわけじゃないってことを伝えるしかないなと思って。それが嫌なわけでもなく、仕方がないんですよね。日本から来てるわけだし。そういう人はそういうふうに思うんだろうなっていう。とにかく自分の知っている東洋に関する知識やイメージを並べてしまうというか、そんなもんですよね。
――論じる人によって、落としどころがあらかじめ決まってたりするもんねえ。そんなことを言う方は高齢の方が多いですか? いや、そんなことないですよ。
ただ、アメリカは結構、日本のことを知っているんです。すごく割り切れているところもあるし。昔、建築家の磯崎新さんをはじめ、日本の文化がバッと向こうに行ってるんですよ。「間」とか、日本の抽象的な昔のそういうコンセプトがあると知っていて、一方で、もう若い人たちは違うということがわかっているっていうか。でもヨーロッパの人はね、まだ日本人をそういう(「間」とかいう)ふうに見る人もいます。だから遠いんですよ、やっぱりヨーロッパから日本は。知らなくても関係ないというか。そういうところはすごくあります。
他方、ファッションと建築のおかげで、日本人でも若い世代は違うぞって理解している人はだいぶ増えてきていると思います。やっと、っていう感じですよ。ぼくたち学生の頃から言ってたんですけど、ファッションが世界的に注目され活躍してくれたおかげで、古い日本のイメージ — 畳とチョンマゲっていうのから解放されて認められる。認められるというのは、同じ舞台に乗ってないと認められないじゃないですか。だからダムタイプの作品に「間」とか言って批評してくる人というのは、結局、同じ舞台に乗せてないんです。東洋から来たよくわからないもの、だから自分でわからないから、そういうのを押しつけて、評価のポイントにしてるだけ。もう亡くなってしまったけど、例えばピナ=バウシュとダムタイプを同列において批評しようとしているわけじゃなくて、ヨーロッパのアートっていうピラミッドがあってもそこには入れていない。外れたところにおいている。もちろん違う人もいっぱいいますけどね、そんな人ばかりじゃないです。だから、そういうのがなくなったのは、やっぱりファッションと建築のおかげだなあと思います。建築家は純粋に、対等に評価されてますからね。どんどんそうなっていかないとダメですよ。
――例えば日本の「舞踏」も西洋のピラミッドには入らない。英語でも「ブトウ」で通じるけれども、山海塾でさえアウトサイダーのリーダーみたいな感じですしね。ダムタイプが海外へ出ていこうとしたときは、「山海塾に続くダムタイプ」という意識ではなかったんですね。 そうですね。どちらかというと、もっと、「ハイテクノロジーアート」みたいな部分で注目されている感じでした。ある種、日本らしいともいえるけど。マルチメディアで、ビデオと音と照明とあって、音もオリジナルで、というグループは珍しかったというか。芝居とか、そういうシステムの中でつくっていたけれども、まったく違いますからね、ダムタイプの場合は。
そういう意味では、やっぱり(欧米のアートのピラミッドと)違うところにいたから呼んでもらえているというのもあるかな…。そこでもっともっと頑張らないといけないということですよね。
――日本のアートは、巨大な国際マーケットと全然違うところで成り立っている気がするのですが。 マーケットとなると、ぼくはわからなくなってくるんですよね。急に興味がなくなるというか。わからなくなりますね。(マーケットの存在自体は)悪くはないんだけど。
パフォーマンスという形式が面白いなと思うのはその辺もあって、アートはパトロンがいて、作品を買って作家を育てていくみたいなところがやっぱりあるじゃないですか。美術館にしろ何にしろ。パフォーマンスの方はどっちかっていうと、やっぱり大衆文化っていうか…いくらかの入場料(三千円とか五千円とか)で見に来た人みんなでサポートしてるっていうのがベースの考え方。それはやっぱり面白いなというか、だれか一人のお金持ちに媚びなくていいっていうか。もちろんお金を出してもらったからといって、アーティストが媚びてるわけじゃないので、全然そんなことは関係ないと思うんですけど、そういう(パトロン的な)システムじゃないというのは面白いと思います。下から支えられてるっていうか。
――前にそんなお話、したことありましたよね。入場料5,000円で100人来たのと、50万円の作品が1個売れるのと(同じ)っていう。けれどそうなってくると、ダムタイプがダムタイプであり続けるためには、やはり入場料5,000円くらいのパフォーマンスということをし続けて、多くの人が共有できるスタイルでやっていくんだというのがコンセプトなのでしょうか。 ダムタイプで作品をつくる場合はとくに、(制作)予算がやっぱりある程度かかっちゃうので。美術館に作品もいくつか売れたりはしてますけど、すごく稀っていうか、そういうのは。インスタレーションにしても、ローンフィーみたいなかたちでレンタルしていくことでしか回収できない。その機材代がね、売れるような値段じゃなかったりする。
――ここ10数年、機材の進化が著しいですね。そのため、かつての作品が再現できないようなこともあり、ダムタイプのピースを売っていくのは大変ではないかと思うのですが。 でも、だから面白かったっていうのもあると思うんですよ。新しいテクノロジーがどんどん出てきて、これは使えるのか使えないのかみたいな、いろんな実験ができたというか…。
活動を始めた80年代の初頭っていうのは、ビデオプロジェクターがやっと出てきた頃で、業務用でものすごく高いプロジェクターがあって、プロジェクションの技師とセットでレンタル1日70万円とか、そんな話だった。そういうのは全然パフォーマンスでは借りられないので、最初はスライドプロジェクターを使ったりとか、そんなことをしながら、ようやくプロジェクターが自分たちで買えるとか借りられるようになった段階で、パフォーマンスにどんどん導入されてくるようになった。
だから『pH』まではスライドなんですよ。それと16ミリのプロジェクターを使ってるんです、フィルムの。なぜそうなっていたかというと、それはもう本当にテクニカルな理由だけで、ヨーロッパ各地をツアーして回るときに、ビデオのプロジェクターを現地で調達してもらうようにオーダーしてもほとんど揃えられない。で、何が用意できるかというと16ミリのプロジェクターならあるよ、みたいなことだった。それで、ビデオで編集したものを16ミリのフィルムにコンバートして持って行ってツアーした。でも、面白いなと思って。時代とともにどんどん変わってくるっていうか、いまならそんなことのほうが全然高くつくっていうか。
――面白いですね。電機メーカーなどから、「ダムタイプさん、こんなんできたんですけど使ってくれませんか」というような話はないんですか? ウム(瞬間調光ガラス)のメーカーさんから、液晶で曇りガラスになるようなものとか、そういう話はありましたけどね。使ってもらえないでしょうかっていうよりは、どっちかというと営業に来られた(笑)。80年代、「ビデオギャラリー スキャン」というのが東京にあって、毎年1回「ビデオテレビジョンフェスティバル」っていうのを企画していて、89年とか、何回かお手伝いで行ったんです。会場構成とか印刷物のデザインとか手伝わせてもらいました。その頃80年代は各企業がこぞって、フェスティバルで使う機材とか貸してくれましたよ。無料で、協賛というかたちで。
でも、バブル崩壊以降ピタッてなくなりましたね、90年代の頭。その頃には(企業の)文化事業部とかが無くなっちゃった。こういう作品をつくりますので機材を協力してくださいっていうのを相談に行くとこが無くなって、前にいただいた名刺のところに電話をかけたら、「そんな部署はございません」って。えっ、あの人はどこ行ったんだろう、みたいな(笑)。
――確かにそうでしたね。そういう文化事業部が活性化した時代、ダムタイプはそれらと併走していた印象があります。いまは、ダムタイプのようにユニットを組んでやりたいと思ってる若いアーティストの駆け出しの時期にパートナーがいない状況ですね。 でも、そんなにサポートしてもらったわけじゃないですよ、作品をつくることに対しても。スライドプロジェクターも、エルモ社に機材協力はお願いしてましたけど、一応いくらかの値段でレンタルするかたちで…。
――ちょっと安くしていただくと。 そうです。フェスティバルとかだと、やっぱりバンッと企業名がクレジットされるから貸してくれるけど、個別グループの作品にはあんまり。きっとひとつのところに出しちゃうと、ほかにも希望者殺到みたいになると困るから出さないんじゃないのかな。
――それはよくありますね。「貸すけれど名前を書いてもらわないと」とか。 そういう意味では、昔から作品をつくることにおいて企業とはそんなに関係なかったっていうか。あんまり企業サイドから、「こんな商品ができたからこれを使って何かやってくれ」とかっていうのに合わせてつくるような器用な人間でもないので。できることしかできない。
――いわゆるコミッションワークをしないのがダムタイプらしいとも思います。東京が拠点だったら、「コマーシャルつくってください」「ファッションショーをやってください」とかっていうお仕事がいっぱい来そうな気がするけれども。 話はあって、進めようとしたのもあるし、進められなかったのもあるし…いろいろありますけど、そういうときにメンバーがいっぱいいるから、じゃあ、これは高谷がやったらっていう話になってやったのはありますよ。ダムタイプでやると規模も大きくなって予算もかかっちゃうしということで、個人的に受けて、それはササッと仕事としてやっちゃうというのはありますけど。だから、まったくやってないわけではないんです。
――テレビや雑誌で、ダムタイプのパクリじゃないかって思うものを見てしまったりしますが。 ああ、でも、そんなのはやってないかな(笑)。






――アートの中の人はダムタイプを別格扱いしているところがあるけれども、他のジャンルの人から見れば、まだこれからもっとダムタイプの持ってるセンスとか質みたいなものに、非常に興味を抱くんじゃないかなという気はするんですが。 何でしょう、ダムタイプの雰囲気っていうのは。別にそんな「ハイテク」っていうわけでもないし、実は。 ぼくは、アートってやっぱり、「美しい」ものをつくるっていうのが目標だと思う。「美しい」っていうのはいろんな意味を含んでですけど。社会的なメッセージも含んで、ちょっと恐い感じだけど「きれい」だとかいうのも含めて、「美しい」ものをつくるっていうのが目標だとすると、メディア・アートが扱うプロジェクターとかのメディアって、従来の絵具とか写真とかいうメディアから比べると、ものすごくダサいと思うんですよ。その中で、「でも、まだこの方法なら使えるんじゃないか」っていう使い方を見つけ出せるかどうかというところだと思うんですね。
例えば液晶のモニターひとつとっても、この密度のモニターを使って、こういうプレゼンテーションの仕方で使えば、アートとしてのクオリティというか、「ああ、これは美しい!」っていうか、ゾクゾクするとか、そういうものを持つメディアになり得るかどうかという、その使い方だと思うんです。
だからプロジェクターが映しているものが別にきれいなわけじゃなくて、そのメディアが持ってる機能的美しさをどううまく出せるか。色調とかそういうものを含めて、内容と技術をいかにマッチさせるか。多分それが見つからなければ、そのメディアはアートとしては残っていかないと思うんですよ。
――でも、そういう機械とかシステムに対する愛情が元々あるんですよね。 ぼくはものすごくあります。
――やっぱりそれが特徴なんじゃないかな。 そうですね。ビル=ヴィオラとかゲイリー=ヒルとか、ああいう人たちのビデオ・アートといわれる作品は、ブラウン管の時代から制作されているじゃないですか。だからブラウン管を使ったすごく美しい作品があるんですね。だから、そういうのはやっぱりブラウン管でしか成立しない作品であって、だから残っていくんだと思う。例えば、ビル=ヴィオラのビデオ・インスタレーション「Heaven and Earth」(1992)を液晶モニターで置き換えても成立しない。あれは。やっぱりブラウン管のガラスだから、向かい合った映像(老人の顔)が反対側(こどもの顔)の映像に映り込んでいるので成り立っているんですよね。そういうのが見つけられるかどうか。アーティストとしての面白みはそこにあるし、メディアとしても残れるかどうかっていうのは、そういう、見つけてもらえるかどうかっていうところにもかかっているんじゃないのかな。
例えば宮島達男さんもそうだと思うんですよ。あのデジタル(液晶数字)のパーツ自体は、その辺に、アキバにころころ転がってて、だれもアートと思わなかったけども、ああやってプログラムして並べて見せれば新しい見え方があるっていうか。別にデジタルの数字を表現するだけじゃなくて、その持つ意味が全然変わってくる。あのメディアが生き残れるかどうかは別として、というのは量産しないと無理なものだから無くなっちゃうかもわからないけど、アートとしてのクオリティを持っているかどうかというのはやっぱり、その使い方だと思うんですね。元々(のメディア自体)は別にきれいでも何でもないというか。
――いま『Voyage』が最新作(2002年初演)ですよね。『Voyage』の中でそういう発見とかありました? 『Voyage』は、ダムタイプのなかでも変わった作品だと思うんですよ。というのが、普通、作品をつくるときはひとつのコンセプトなりテーマを決めて、みんなで全体の流れをつくって、その中にはめ込んでいくというつくり方をするんだけど、『Voyage』の場合、全体としては「旅」というすごく抽象的なテーマはひとつありますけど、それ以外は2、3人ずつ6個とか8個ぐらいにグループを分けて、その小さいグループの中でやりたいことをまずやって、プレゼンしながらみんなでどうしようああしようとやっていく…というようにしていました。なので、コンピレーションというか、短い作品のコラージュのようにも見える。長い間ツアーしているうちに何となく流れがまとまってひと続きにはなっているんですけど。
――それはパフォーマーが考えるわけでしょうか?メディアに対して身体はこんなふうに反応できるというような発想の仕方なのか、逆に、パフォーマーの身体や動きをメディア側が補うようにぶつけているのか。後者であれば、パフォーマーの身体や動きがきっかけになって、メディア側の新しい使い方も同時に発見されるのではないかと思いますが。 何してたかな…あの作品もフランスで制作したんですけども、2ヵ月ぐらいトゥールーズにレジデンスして。プロジェクターをいろんな角度で設置して実験してみたり、音は音でつくり始めて、映像は映像でつくり始めてというのをやっていたので…技術的には池田君がやっていたような、1ピクセルずつ液晶プロジェクターのピクセルを使って、何か数字であるとかテキストであるとかをバーッと出せないかとか、あとはその考え方から地図みたいなものに発展できないかとか、そんな実験はしてましたけど。まだ具体的にパフォーマンスでどう使うかとか、そんなことはさて置いて、プロジェクターで何ができるかっていうのはいろんなことをやったような気がしますね。
――真っ黒な球体がだんだん見えてくるシーン、それはいまも変わらないですか? 変わらないですね。球体っていうアイデアはあのシーンをつくった砂山典子 と平井優子 から出てきて、最終的に鏡の床に球体を置くことになったんですが、鏡の上での照明がむちゃくちゃ難しいんですよ。照明をバンッと当てちゃうと、反射で余計なところに光があたってしまう。どうやったら真っ暗な中に球が浮いているように見えるか、それが宇宙みたいな感じにできないかなって話しながら。うまく球体だけに照明をあてて周囲に漏れないようにして、すると球の立体だけが見えて、下は真っ黒になる。その真ん中にパフォーマーがひとりポンと浮いてるみたいに見えたら、という感じで始まった。照明は結構工夫していて、球体の影がこう、グーッて回っていくように、1つの球に4方向から照明を仕込んで順にゆっくりクロスフェードさせてたりするんです。
――テクノロジー先にありきじゃなくて、そういう絵がすでに頭の中でできていて、それをどういうふうに具現化するかということなんですね。それに向けて、こんな機械があるとか技術があるとか。 それはそうですね。何をどうするかっていうことですよ。
――長らく見てきたメディア・アートのいくつかの陥りがちなこととして、「機械先行」みたいなのが多かったなと思ったもので…。 ダムタイプの場合はあまりそういうことはない。そういう実験もいっぱいいろんなことをやりましたけど、機械先行でやっちゃうと、空っぽな感じになっていくんですよね。やっぱり人がやることっていうのは、人から出てきたアイデアでないとやらされているみたいになる。機械がこう動くから、これに合わせて避けてこう動いてとかっていうのもいろいろやりましたけど、そうじゃない方が面白いです。 テクノロジーを使ったことと、身体の表現っていうのと、アイデアとしては並行して出てきてるような気がしますけどね。さっき言ったように、照明がこう動いていくっていうのも、元々そういうイメージがあったというよりは、真っ暗にしたいとか、そういう抽象的なことがあった。球がある、人がいるっていうのをどう構成するか、どう照明で昇華していくか、その中から振り付けも出てきたというか。
――むしろダムタイプを見たこともない人が、「ダムタイプは先端的、先鋭的、ハイテク」ってみんな思っていますね。それは使われている機材やテクノロジーが先端的というイメージ。ダムタイプが先端的という意味はもっと他にあるので、それは誤解だと私は思うのですが。とくに若い人で見る機会に恵まれなかった人は頭だけでそう思いがちなので、ダムタイプが本当に先端的であるということの意味をもうちょっと言葉にできないかなと感じています。作品のつくり方、身体とメディアとの関係も。 ダムタイプ自身が誤解されているのは仕方ないことだけど、何がイヤって、そういうイメージで安易にプロジェクターを使って、何か映像が映ってて、ダンスがあって、みたいなのが最近いっぱいあるじゃないですか。若い人がそういうのをつくっているのを見て、面白くないと、ものすごく盛り下がるんですよね。 ぼくたちは別にそんなハイテクなつもりもないし、意外とプログラムでインタラクティブにやってるわけでもなかったりする。すごく単純なこと、…内容がないと面白くないというのは、当たり前のことなんですけどね。
――若い人にとっては憧れであり、お手本だから、ある種「ダムタイプ的」っていうのがゴールなんです。これは多分パイオニアの宿命だと思いますが、若いアーティストが不勉強すぎるということだと思います。 「これ、ダムタイプっぽいって言われてくれればいいな」と思えるものがあればいいんだけど。そうじゃなくて、単にビデオを使ってダンスがあればダムタイプっぽいとかって言われると、ああ、そうなんだ、別にぼくはいいけど、こんなことで大丈夫かな、みたいな。
ぼくたちはどっちかっていうと、さっきも言ってたみたいに、ヴィスコンティとかタルコフスキーとか、ピナ=バウシュとかローリー=アンダーソンとかボブ=ウィルソンとか、そういう素晴らしい先輩たちからむちゃくちゃ影響を受けてるけど、よく考えてみると、むちゃくちゃテクノな人ってそんなにいないんです。もちろんクラフトワークとかYMOとか聴いてましたけど、作品的に直接影響を受けたというのは、いま言ったような人たちで、そういう人たちから影響を受けて作品も編み出された。ダムタイプのようなビデオとダンスと何かを使った作品があって、それっぽいものをつくったわけじゃないっていうのをわかってほしい。世の中にはもっといろんなものがあって、もっともっと幅が広いよと。別にビデオを使わなくてもメディア・アートとしてのステージワークというのはつくれるだろうし。
少し前に、坂本(龍一)さんと京都のお寺の庭でコンサートをしたんです。1回目を2004年に法然院で、次に2007年に大徳寺の養徳院というところでさせてもらった。ぼくはビジュアル担当、坂本さんは音を担当、ライブで各々自由にプレイするシステムをつくって何かしようって…まあいろいろ実験をやってるつもりで。1回目のときにビデオプロジェクターを6台使った。そしたらプロジェクターっていうのはすごくうるさいんですよ、換気用のファンの音とかがあって。これは良くないと。静かな庭で、こんなにノイズの少ない音で音楽をかけているのに、こんなうるさいものはいけないと。だから二度目の時は静かなメディアを使おうと思って、モニターを使おうかとか、ラップトップ(PC)を何台か置いてやろうかとか、遠隔操作でそこから映像を出しながらやろうかとか、いろいろ考えてたんですけど、それもうるさいことがわかった。それはコンピュータが音を出してうるさいんじゃなくて、そのライブは夕暮れ時からすっかり日が暮れて真っ暗になるまで自然光の中で庭の自然の変化を楽しみながら音を聴くというイベントだったんですけど、例えば、あたりが真っ暗になってもモニターは真っ暗にならないじゃないですか。じゃあ電源を落とすのかっていうと、落としちゃうと次に電源を入れたときに何か変なノイズが出るしどうかなみたいな話をしてて。それで結局、最終的に鏡を使ったんですよ。1メートル角の鏡をモーターでいろんな角度に動かせるようにしたのを3枚庭に置いて、それを見ながら音が流れてるだけ。その鏡をぼくが適当に手でぐにゅぐにゅ動かして(笑)。
――もう全然コンピュータではなく(笑)。 コンピュータじゃないっていうか、映像じゃないんですよ。でも鏡に映ってるのは、角度によっては空が映ったり、屋根瓦が映ったり、庭が映ったりとかしてるんですね。で、これも映像だよっていう話で坂本さんと、それ面白いからやってみようってことでやったんですけど。午後6時から7時にかけて真っ暗になっていくんですね。最後の最後はもう(鏡を)真上に向けて止めて、だんだん庭が真っ暗になっていくんだけど、空の方がちょっと明るいんですよ。で、鏡に空が映って平行四辺形っていうか、台形の抽象的なものがぼんやりと薄明るく光ってて、まるで浮いてるみたいに見えてくるんですよ。それがちょっとゾッとして、うわーっ、かっこいいなって。次どこかで、もっといっぱい並べてできないかなって言ってたんですけど。
つまり、それだってメディア・アートだと。技術を使って何かを見せるっていうことだから。ビデオとコンピュータを使ってインタラクティブに人がこう動いたら…というのがメディア・アートだと思っているのは、幅が狭すぎるという気がすごくします。もちろん、そうじゃない人もいると思いますよ。ぼくは別に世の中の作品全部を見てるわけじゃないし、どちらかというとパフォーマンスはそんなに見に行かないので。だから、あまり知らないのにこんなことを話してると怒られちゃうかもしれないけど。
――他の作品を見に行かないのに、自分でやったことに自分でゾッとできるってすごいです。私も展覧会とか見に行ってね、面白くないな、と思うときが多いですよ。最後のこのコーナー曲がったら泣かしてもらえるんちゃうんかと思ってても、やっぱり肩透かし食らって帰ってくるでしょう? そのゾッとすることを探すってすごく大事で、それがどんなスタイルをとっていようが、あんまり関係ないことですよね。 ぼくの作品だからビデオを使ってるだろうとか、別にそんなふうに思ってもらわなくてもいいと思ってるし、自分ではね。作品を見て「良かった」と思った人は、ビデオを使っているからとかじゃなくて、そこの部分を見ていかないと面白くないような気がするんですよね。
――つまり「内容」ってことですよね。 何を見せたいかっていうことになってくるので、空を見せたいなら、その(鏡を使う)方法だってできるってことですよね。
ダムタイプがメディアを使っているから面白いんじゃなくて、こういうことをやってるから面白いって、ちゃんと言えないとダメなんだろうなとは思ってる。それは観ている側もそうかもしれないし、自分の問題でもあるっていうのかな。見せ方もあるだろうし、情報の提示の仕方とかもあるだろうから…。 反対に面白くないっていうのも、やっぱり内容的に面白くないからってことで批評されたりするわけで。
▼砂山典子
内気な性格を心配されて母親に連れて行かれたバレエが仇となり30年ほど舞台の人となる。「踊る事が好き」という次元から、独特の個性が光る全身舞踊家/黒沢美香氏に出会う事で開眼。黒沢とダムタイプの共同製作に参加した流れで活動の幅が広がる。90年よりダムタイプメンバーとなる。並行してソロのパフォーマンス作品を展開。現代美術からサブカルチャー、キャバレーダンスからパフォーミングアートまでジャンルを横断し国内外で活動中。雑食型の46歳。
▼平井優子
幼少よりクラシックバレエを始める。神奈川芸術文化財団主催ASKにてコンテンポラリーダンスを学ぶ。ソロパフォーマンスや他ジャンルアーティストとのコラボレーション、珍しいキノコ舞踊団、ニブロール等での客演ダンサーとして活動した後、2000年仏政府給費留学生としてCDC(トウルーズ振付センター)留学後MarcoBerrettiniやNadia Lauroの作品に出演。Sharon Lockhart映像作品への振付等行う。2002年よりダムタイプのメンバーとなる。現在、高谷史郎パフォーマンス作品『明るい部屋』に参加。




――これまで年齢的に若いから面白いとか、若いから先端的だとかっていうイメージでやってきた側面もあると思うんですけれども、ある意味、年齢を重ねてきたでしょ?中高年から老年になっていく過程で、表現者として何をやっていこうかとか、もしあれば。 でも、日本人って若く見えるじゃないですか。ダムタイプって、もちろんもういい年なんだけど、例えばパフォーマンスでいうと、若く見られちゃうんですよ、出演している人が。
――わりと若い子が出てると思われてる? 年相応に思われてないというか。例えば、ぼくは45歳で、薮内美佐子は1つ年下だけど、その年齢には絶対に見えないっていうか。そういう意味では45歳ぐらいに見える人が出てほしい気もするんですよ。大人のパフォーマンスっていうかな。この頃よく話してるんですけど、50~60年代のジョン=ケージとか、(デイヴィッド=)チュードアとか、あの辺の人たちは、ニューヨークで、じゃあ来週の週末にこういう機械とこういう機械を持ってきて、どこそこのステージを押さえとくしライブやろうぜ、なんていうノリで、なんかいいオッサンがネクタイ締めて、わけのわからん機械をクチクチしながら、キーッッッヴーッッッていわしてるんですよ。それをみんなが、すごい大きな会場で、じーっと見てる。ケージのピアノだってそうじゃないですか、チュードアが「これ4分見といて」って言われて、何かすごい、帰っていくやつもいるけど、じーっと見てたってチュードアも言ってるけど。ああいうある種無茶苦茶の、大人がわけのわからんことを真面目にやってるっていうのはやっぱり面白いなあと思ってて。そういう意味でダムタイプは、もうちょっと見た目にもオッサン、オバハンになったほうが面白いのかなと思うところもありますけどね、ああいうのを見てると。かっこいいなと思って。まあ、機械もかっこいいんですけどね。いまはもっとコンピュータの中でできちゃうから、ソフトウェアでやっちゃうから、単にラップトップのキーボードで、つまみが並んでるのをマウスで触るみたいになってきちゃって面白くないですけどね。
――先日の「club METRO」で刀根康尚さんのライブ見ましたか? 70歳とかには見えない若い感じで。オペレーションのフェーダーの卓とコンピュータを使っていたと思うんですけど、そう、ラジオとか使ってたような気がします。そういう特殊な機械がいくつかあって、それを使いながら、でも、ほとんど動かない。で、音はキーッッッヴーッッッて爆音(笑)。それを若者がじーっ見てるんですよ。もう未来でしかないですよね。これはもう「今」じゃない、過去でもないみたいな。
――そういうことって起こり得ますよね。 うん、ですよね。でも年相応っていうかな、おじさんパワーをそろそろ見せないといけない。
――私なんか老眼が来てるけど(笑)。でもメディア・アーティストとか、いわゆる現代美術の1980年代に出てきたアーティストは、そろそろ老眼なわけで。 表現も変わりますよ。たとえば最近、印刷物で、文字のサイズが4ポイントとか使われたら無茶苦茶腹立ってくるんですよ。昔の自分は「読めなくても(デザイン的に)かっこいいほうがいい」とか思ってたくせに。だから不思議なのが、自分が若い頃、「こんな小さい文字、読めへんわー!」って言われてたのが、今はすごくわかる。そうか、このことかと。だからデザインも変わってくると思いました。
――それこそ身体は100年前の人と同じように老化していくでしょ? それと逆に、ずっと昇り調子のテクノロジーの進化との亀裂というか…組み合わせの良さもあるかもしれないですけど、面白い時代が来るんじゃないかと私は思うんですね。 音なんかも聴こえない音を使っても意味がないわけでしょ。モスキートノイズって若い人には聴こえるけど、若い人にいくらそれで作曲されても(一定の年齢を越えたわれわれには)聴こえないわけですよね。だから、例えば、ちっちゃい字を写真のフィルムにブワーッて池田君がそういう作品つくってたけど、ああいうのも見える範囲内でつくってもらわないと、もうかっこいいかどうかもわからなくなっちゃうっていうか(苦笑)、やっぱり美術ってモノだから見えないといけない。だから変わってくるなと思って、自分がつくるものも。音も変わるだろうし、目も変わるから、どんどん変わる。
――そろそろ最後としますが、「ダムタイプならやってくれる」「先端を見せてくれるに違いない」というような期待感や、「ダムタイプは若造と違うはず」みたいな先入観が、作品を発表するごとに受け手の側にも醸成されてきて、おそらくは批評家の方々も同じなんじゃないかと思ってるんですけど、そういうマス(大衆)である受け手との乖離を意識しますか?プレッシャーに感じたり、重いと感じたり…。 いや、そんなのはないですよ。ヨーロッパでも日本でもいっしょのことですけど、アートやパフォーマンスっていう業界の中ではある程度名前が知られていたとしても、その業界自体がパーセンテージとしてすごく小さい。アートっていっても、モナリザは知ってるけど村上隆は知らないみたいな人たちがほとんどじゃないですか。アートのことなんて、知らなくても生きていけるし。そう思うと、もう、そんなマスのなかで認識されてるっていう意識もないので、プレッシャーはないですよ。だから意外と気楽にやってます。
確かにそういうふうに言う人もいますよね。それは、「昔(の作品)は面白かった」という意見でもあるだろうし。でも、そういう意見っていうのはそういう意見だなと思うぐらいで、そのことをプレッシャーに感じて自分がこうしないといけないとか、そんなふうにはあんまり考えたことないですね、ぼく自身は。
でも、新しい何かを見せられたらな、とは思いますね。それは面白いというか、自分が興味のあることだし。見に来た人がそう思ってくれるようなことが提示できたらいいなとは思います。さっき言ってた「メディアの新しい見せ方」っていうことからいうと、それは「新しい」ということになるわけですからね。ただ、それが腑に落ちるように使われていないといけない。
――テクノロジー的にも内容的にも「ラディカル」で「先鋭的」であるということを、ダムタイプって行きがかり上、宿命みたいに背負っちゃってるような。 そうですね。ラディカルでいろ、みたいなね。だから『S/N』をやったときに、「80年代以降に生まれてきたラディカル」というのを背負わされたようなところがあって、それに対して、何ていうのかな、政治的な意見とか、そういうことを言い始めたって、すごく批評されたこともあるし。そのこと自身に対していちいち反応もしてますし、反論がある分は反論してますけど、だからといって萎縮しちゃったりとか、プレッシャーに感じてモノがつくれなくなったりとか、そういうのは(ない)。気楽な…性格の問題ですけど、そんな繊細じゃないので大丈夫です。
――アーティストがいま陥りやすいのは、批評によって、何かあるピンポイントで、それに反応することが社会的なアーティストであると言われてみたり、それを自分も受け止めてしまったりすることかと。ところが「創造」という営みに関して言えば、そんな人間が起こしてしまった些細な出来事なんていうのはテーマではない、はっきり言って。多分、直観的にダムタイプってお気楽っていうか、そういう広さというか、持ってるような気はしますけど。 まあ、集団だからというのも強いのかなと思うんですよ。個人名で言われると、「お前は俺の何を知ってるってゆうねん!」みたいなケンカ腰になっちゃうじゃないですか。集団だと、「えっ?古橋さん言われてるよ、こんなん言われてええの?」とか(笑)。自分のことなんだけど、ちょっと他人にふったりして(笑)。そういうのも良かったのかなと思いますよね。いっぱいいろんなことを言われたし。自分のグループのことなんだけど、個人で全部を引き受けなくてもよくて。
アーティストってそうだと思うんです。その作品を見てどう思うかは受け取る側の自由で、アーティストは、作品を見た人の反応に対してというより、次にどういうモチベーションでどういうものをつくっていくかという自分の中の話のような気がする。批評家からこう言われたからこうするとかって、できるならやってみたいというか。それは気楽でいいですよね。批評家にこう言われて、ああ、そうか、こうしようってね。いいものができるならね、そりゃそうした方がいいんですけど、できないんですよね。だからそこはあきらめたほうがいい、そうやって気にすることを。
もちろん反応ということでいうと、パフォーマンスしていて面白いなと思うのは、やっぱり、リハーサルの時とお客さんが入った時とは全然違うから、そういう意味でのやり取りっていうか。何が違うのかなっていうのは面白いですけどね。観ている人がいるっていうことによって、内容はほとんどいっしょでも何か空気が違ってくるというか、パフォーマーのテンションももちろん変わってくるだろうし。エネルギーの出し方というか。そういうのはやっぱり面白いと思いますね。




ダムタイプの事務所と私の画廊は、かつて同じ建物の中で隣り合っていました。私が開業した翌年の1987年から、ダムタイプが現事務所へ移転する2004年までの17年間のことです。ダムタイプが私の画廊の隣に引っ越してきたのは、1987年頃すでにメンバーの泊博雅さんと私が親しく、それまでの彼らの事務所を出なければならないと聞いて、空いていた隣室を紹介してあげたからでした。私たちは仕事の上で隣り合う必要があったのではなく、同じ大学の出身という気軽な間柄だったのです。
泊さん以外との初対面は、建物の前の横断歩道です。ある晩、道の向こうから「横断歩道を一歩で渡る~」と叫んでどたばたとすれ違っていったのが、泊さんと、小山田徹さん・穂積幸弘さん・藤本隆行さんと、たぶん古橋悌二さんか高谷史郎さんでした。これから賑やかになるな、と嬉しく思ったものでした。私たちの部屋を仕切っている壁は薄かったので、ダムタイプのミーティングでは、10分に1回くらいどっと起こる笑い声が筒抜けでした。そんなふうに、陽気というか無邪気というのか、彼らにはまだまだ学生サークルっぽさが残っていました。が、実際に [036-PLEASURE LIFE]や[pH]を見ると、それらの完成度の高い作品が、同じ壁の向こうで発想されており、いつのまにか着々と製作されていた事実を知って、あらためて彼らの情熱や才能に驚くのでした。
それにしても、17年とは、今にして思えばたいそうな年月です。私はその間に30歳から47歳になりましたが、気持ちの中では年をとることを忘れていました。ダムタイプとのつきあいだけが要因でないにしても、やはりダムタイプから受けるいろいろな刺激が、日々を充実させてくれたからです。互いに自分たちを取り巻く世界への関心は強かったと思うけれど、当時の世間並みの開発から取り残されたような建物の中では、それぞれの身近な周辺よりも、何かずっと遠いものへの共感を求めていたようにも思うからです。
今ほとんどの記憶が薄れてきた17年間ですが、古橋悌二さんの病気を知った1992年から、パフォーマンス作品[S/N]が熟していき、古橋さんが亡くなる1995年までの約3年間は、忘れられない濃厚な日々です。ダムタイプはもとより、私の画廊を通じて彼らと縁を深めていった若いアーティストたちや、医療や介護の専門家など、多くの人との忙しい毎日でした。新しい価値観や人間関係が次々に誕生する、皆にとっての激動期だったと思います。私は私で、それまでの生活が一変した時期でしたが、新しい生活に踏み出せたのも、その頃の人々との出会いや一緒にした仕事で得た自信によるところが大きいのです。
私は、そこで生きるための基本的な技術(アート)を学びました。それは、この世界全体における<隣人>のつくり方であり、それぞれの個人にとって常に違和感でしかない<隣人との関わり方>です。あるいは、自己とか孤独の再認識でもあるでしょう、どういう他者とつながるために自己を探しているのか、それにもっとも真剣に取り組んだ時期といえます。それは、人生にとって重要な学習でしたが、アートとの対峙についての学習でもありました。眠りの底から起き上がっていくときの、最後にぽっかりと水面に顔を出すような、そのような時期が、私にはあの頃なのです。
そして、一生懸命だったけれど人生における長い休暇のようなそれまでを経て、1995年、ダムタイプと隣り合った17年間のちょうど真ん中あたりに、いろいろな出来事がありました。阪神大震災によって故郷の風景の多くが消失しました。そのときそこにいなかった私には、未だに形容しがたい喪失感が残っていますが、当時、家の再興を手伝うことなく、9月末私はニューヨークに発ちました。アジアン・カルチュラル・カウンシル日米芸術交流プログラムに申請したらと勧めてくれたのは、その前々年に同奨学生だった古橋さんでした。3ヶ月後に帰国したら、「おばさん同士これから頑張りましょうよ」と便りをくれた彼とたくさんの話ができるはずだったのですが、出発から1ヶ月後、その年のサマータイムが終わった晩に、古橋さんが亡くなったという知らせは届きました。
ニューヨークでの独りの週末は大抵つまらなかった。その夜も、ベッドでアマチュア・ナイトを見ていたら、その間に古橋さんが旅立っていたのでした。翌々日のハローウィーンの夜、偶然ニューヨークに居合わせた長谷川祐子さん、児玉公義さん(児玉画廊)、その他にも古橋さんの友人が私の部屋に集まってお通夜をしました。BGMは、ドラアグ・クイーン:グロリアス・ワンソン(古橋悌二)の素晴らしきリップシンクの元ネタ、ダイアナ・ロスの"ain’t no mountain high enough"でした。
アメリカにいた短い間に、現地のアート活動を視察したり、日本にいたなら読まなかったであろう日本文学のいくつかを読み、遠く家族を思いながら、私の中では世界に対する解釈が大きく違って見え始めました。そして、古橋さんから、私自身は何を受け継いだのだろうと考えました。
それからまた何年も経ってしまった今、ダムタイプがそうであったように、私もあの懐かしい建物を出て、新たな場所で画廊の仕事を続けています。今回のインタビューを終え、ダムタイプの人々と思い出を数多く語り合ってきたけれど、それは、一方で互いに未来を楽しく想像する機会でもあったのだということを実感しました。私自身の休暇は終わり、新しい学習はいよいよこれからだという気がしています。年齢や体験を経たぶん、やらなければならない事柄は、以前にもまして具体的な目標のもとにあります。17年という時の流れをひとまたぎにしてしまう、京都という空間でこそ。

神戸生まれ。京都市立芸術大学卒。1986年、京都市上京区にヴォイスギャラリー(現MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w)開業。京都芸術センター企画委員、主催公募展審査員などを経て、現在、財団法人京都市芸術文化協会評議員、京都嵯峨芸術大学・短期大学非常勤講師、京都精華大学非常勤講師、大阪成蹊大学芸術学部非常勤講師など、多方面で活躍中。
ヴォイスギャラリーは、アーティストとして活動していた松尾が、アーティスト・ラン・スペースとして開設しました。ヴォイスとは、アーティストの<声>の意味です。アーティスト間の情報交換や実験的作品(無名で金銭的価値のつかない)を中心に紹介してきました。
貸し会場/企画展の両方を行いながら画廊を維持運営する一方、京都市の芸術環境整備への協力として、松尾個人が京都市や企業との共同プロジェクトなどに参加してきました。
2005年に画廊を拡張。2室になった展示室で多彩な企画展示を開催してきましたが、さらに大きな空間をめざして、2009年2月に元染織工場に移転しました。その際、これからの海外との交易や情報交換をめざし、名称にギャラリスト名を明確にするために松尾の名を付け足しました。
――ダムタイプとの具体的な関わり(内容、時期)を教えていただけますか。 ダムタイプの創立メンバーは京都市立芸術大学の先輩でした。ダムタイプが卒業して演劇部がしばらく廃部になっていたところを、数年後に私が入学してから部室を引き継いだ形で、新しい演劇部を創設することになったんです。そんなことから、在学が重なる時期はなかったのですが学生時代から色々とアドバイスを受けたり、私のプロジェクト実現の相談に乗ってもらったりしていたのです。また、より親密な関係になったきっかけは、13年前に自作の初劇場用映画『狂わせたいの』に役者とて、パフォーマー個人の方々に出演頂いたことです。また現在も、イベントや映像作品の照明効果を、LED照明のスペシャリストであるダムタイプのメンバーの藤本さんに協力頂いています。
――最も印象的だったダムタイプ作品は?またその理由をお聞かせください。 ビジュアル、サウンド、テーマ全てにおいてパワフルで衝撃的な作品は『S/N』です。多くの斬新なアイデアや洗練されたビジュアル、サウンドエフェクトが凝縮されています。モーショングラフィックを見る様に平面的に構成された舞台演出は圧巻で、強烈な影響を与えられました。
空間性を意識した作品として、またシンプルでセクシーな作品としても『ph』はインパクトがありましたが、『S/N』と並んでそれらは皆が大好きなダムタイプ作品ですね。また、私はメンバーの方々の個性が溢れていて、娯楽性も豊かで好きなのは『memorandum』です。こちらも平面的にビジュアライズされたスピーディな空間に、純粋にワクワクしました。
――石橋さんから見て、ダムタイプ作品の内容や時代性についてどう思われますか? HIVをテーマにした作品が、最も大きな社会的意義を持ったのかもしれません。しかし、作品の発するイマジネーションはダムタイプの一番重要な要素だと考えています。ダムタイプ作品の中にあるショー的な要素、計算された演出効果は観るものを引き付けます。アーティストにとって、時代は常に作っていくものです。自分もいつも思考が時代の先を行くダムタイプに惹き付けられ、引っぱられています。ダムタイプというグループも個々のメンバーも、これからも刺激し続けてくれる憧れの存在であることは間違いないですね。
――ダムタイプとの具体的な関わり(内容、時期)を教えていただけますか。 80年代の後半に彼らが登場して以来、京都の公演を見たり、古橋さんを中心としたメンバーの方たちと親交をもっていました。
2003年、水戸芸術館で企画した『アナザーワールド―異世界への旅』に新作インスタレーションを出品していただきました。またテクストを何度か執筆しました。
今年の10月、高谷史郎さんに香港で企画する展覧会『A Blow to The Everyday』に参加していただきます。
――最も印象的だったダムタイプ作品は?またその理由をお聞かせください。 『Pleasure Life』です。この島国から世界へ発信しようとする知的な戦略と批評性が明確でした。
――現代美術の世界において、ダムタイプの活動・作品のもたらした影響、あるいは時代・シーンにおける意味・意義についてどう考えますか。 支配、被支配関係のないコラボレーションをめざすグループであったことの先駆性。マルチメデイアであることによって可能な恊働の形態を予見していた。
時代を批評的にとらえる視点、より具体的な社会政治的な問題への言及もふくめて、対象となるイッシューへの距離のとりかたがすぐれている。またスタイリッシュで美学的な形式を維持しつつ、強いインパクトやコミュニケーションをもとめる働きかけへの意思をもっている。
――ダムタイプとの具体的な関わり(内容、時期)を教えていただけますか。とくに具体的な関わりがあったわけではありませんが、90年代は京都に住んでいましたし、メンバーの何人かとは知りあいだったりしていました。
――最も印象的だったダムタイプ作品は?またその理由をお聞かせください。 80年代に京都書院という書店に置いてあったフライヤーでダムタイプの存在を知ったのですが、そのフライヤーは当時の自分にはとても新鮮で、おそらく今でもどこかに保管しているはずです。
――伊藤さんから見て、ダムタイプ作品の内容や時代性についてどう思われますか?80年代より、アートや音楽なども含めて、海外の情報ばかりに惹きつけられていたのですが、同時代的に全く違和感のない刺激的な表現が日本から、しかも京都から登場したことにとても驚いた記憶があります。
ダムタイプがまだ京都市立芸術大学で制作活動を行っていた80年代の後半に、大学でダムタイプに出会いました。芸術の知識も経験もなかった僕は、先輩であるダムタイプのクリエイションの現場を目の当たりにして、大きな衝撃を受けました。そして迷わずダムタイプのお手伝いを始めました。
現在まで、僕が取り組んできた表現活動の殆どは、ダムタイプから影響を受けて始めたものです。アートユニットを結成してインスタレーション作品を制作したり、グラフィックデザインの仕事を始めたり、DJとしてパーティーをオーガナイズしたり…と、その活動の多くの基礎をダムタイプから学びました。
ダムタイプの最大の魅力は、そこに関わる人と人との関係性にあります。そこには磁場のようなものがあって、関わる人をぐんぐん巻き込みながらダイナミックなうねりのように変化するのです。奇跡的とも言えるような関係から生み出される作品は、それはもう魅力的で、刺激的で、美しいのです。
ある時、高谷史郎さんの代行で、作品搬入の為にフランスに行った時のことです。ダムタイプのパフォーマンス作品に関わったという現地のスタッフに呼びとめられ、興奮気味に話しかけられました。「ダムタイプは最高だよ!あの時、私達スタッフ全員が、彼らが何をしようとしていたか理解できたし、そこに向けて最高のステージを創りあげることが出来たんだ。ミラクルだよ!」
おそらくダムタイプは、世界中のあちこちで、奇跡の関係を築いてきたのだろうと、ドキドキしましたし、どんな形であれ、そこに関わることができることを幸せに感じました。
気づいてみれば、ダムタイプに出会って20年以上になりますが、人生の中で最も影響を受け、そして尊敬しているのがダムタイプです。必要あらば、いつでもお手伝いに駆けつけますよ!

京都生まれ。京都市立芸術大学大学院造形構想に在学中、英国王立芸術大学映画科に交換留学。1997年公開の映画『狂わせたいの』を製作・監督。1998年より映像&パフォーマンスグループ「キュピキュピ」の活動を開始し、国内だけでなくニューヨーク、パリ、ロンドンなど海外でも展覧会やライブ活動を続ける。2000年に異色のTV番組『バーミリオン・プレジャー・ナイト』を製作・監督。また2002年より製作を続けるマネキンのドラマ『オー!マイキー』がベルリン国際映画祭に招待される。

京都大学法学部卒業。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。
水戸芸術館学芸員、ホイットニー美術館研修(ACC奨学金)、世田谷美術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長(1999-2005)、芸術監督(2005-2006)を経て、2006年4月より東京都現代美術館チーフキュレーター、多摩美術大学芸術学科特任教授。内外で多くのビエンナーレ、展覧会を企画する。2001-現在ウェックスナー・センター・フォー・ジ・アーツ国際芸術諮問委員、グッゲンハイム美術館アジア芸術委員、2008年より西九龍文化地区公社理事、美術館評論家連盟会員、犬島ハウスプロジェクト・アーティスティック・ディレクター。

1963年生まれ、新潟県出身。大学入学より、あわせて14年ほど京都に在住。1993年よりグラフックデザイン・チーム、グルーヴィジョンズを設立。1997年より東京に移転。以来、グラフィックやムービーを中心に様々なデザインを行う。

京都市立芸術大学大学院修了。成安造形大学准教授。アートユニットsoftpadのメンバーとして活動中。ダムタイプお手伝い歴20年以上。現在、高谷史郎、藤本隆行ディレクションのパフォーマンス作品に参加中。
ビジュアル・アート、建築、コンピューター・プログラム、音楽、映像、ダンスなど様々な分野に興味を持つ複数のアーティストによって構成されるグループです。
1984年、京都市立芸術大学の学生を中心に結成。以来、京都を拠点に集団による共同制作の可能性を探る独自の活動を続けてきました。その活動は、美術、演劇、ダンスといった既成のジャンルにとらわれない、あらゆる表現の形態を横断するマルチメディア・アートとして内外で紹介されてきました。
また、海外のアーティストとのコラボレーションも積極的に行い、これまでに、デンマークのホテル・プロ・フォルマとの共同制作(1987、1992)、ノルウェーのザ・ブリッジハウス・コレクションとの共同制作(1989、1990)や、1996年 アメリカの建築家エリザベス・ディラー&リカルド・スコフィディオと ホテル・プロ・フォルマとの共同制作パフォーマンス作品『モンキー・ビジネス・クラス』のヨーロッパ3都市での上演、1998年にはアールゾイドとリール国立管弦楽団によるコンサート『デンジャラス・ビジョン』のための映像制作などを行ってきました。また、2001年にベルリン世界文化館で開催された展覧会「Translated Acts - Performance and Body Art from East Asia」展では、現地ベルリンの若手ダンサー7名と共同で振付を創作し、ダムタイプのインスタレーション作品にライブ・パフォーマンスを組み合わせた作品を発表しました。
近年の活動としては、パフォーマンス『Voyage』ツアーを中心に、2008年3月南米コロンビア・ボゴタ公演(FESTIVAL IBEROAMERICANO DE TEATRO DE BOGOTA)、10月北米ツアー(ニューヨーク州トロイ、ニュージャージー州モンクレア)、11〜12月フランスツアー(ミュールーズ、ルアーブル)を実施。2009年秋にはアテネ公演、カンヌ公演を予定。
『Voyage』は、トゥールーズ振付センターの協力のもと、2001年末に約1ヶ月間トゥールーズ(フランス)に滞在し制作、翌2002年4月にトゥールーズ国立劇場で初演されました。その後、2003年のびわ湖ホール(滋賀)公演の際に新たな改訂を加え、現在の完成形となりました。
本作品はトゥールーズ振付センター(フランス)、シアター・ドラマシティ(大阪)、Le Maillon Théâtre de Strasbourg(フランス)、Maison des Arts de Créteil(フランス)、REDCAT (Roy & Edna Disney/CalArts Theater)(アメリカ)の共同製作により製作されました。
また、インスタレーション・バージョン『Voyages』は、2002年8月に東京のNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)にて制作・発表。その後2004年に山口情報芸術センター(YCAM)に於いても展示されました。
pH (パフォーマンス、インスタレーション、ビデオ 1990 - 95)
1990年、東京・スパイラルでの初演時にはパフォーマンスにあわせて展覧会、ブックレットの出版も行い複数の表現媒体で展開。その後、パフォーマンスはヨーロッパ各国やニューヨーク、シドニー、トロント等海外において公演多数。また、1991年に日本衛星放送(WOWOW)との共同で製作した映像作品『video-pH』が、1992年にBest Stage Recording賞(DANCE SCREEN 92 / IMZ ドイツ)、Sole d’Oro賞、(TTVV-Riccione / イタリア)を受賞。
photo: Shiro Takatani
S/N (パフォーマンス、インスタレーション 1994 - 96)
1992年「THE BINARY ERA」展(ブリュッセル)にてインスタレーション『S/N#1』発表。
同年「アナザーワールド」展(水戸芸術館)にてインスタレーション『S/N#2』発表。
1993年『S/Nの為のセミナー・ショー』を経て、94年アデレード・フェスティバル(オーストラリア)にてパフォーマンス『S/N』初演。以後、モントリオール(カナダ)、シアトル(アメリカ)、リュブリアナ(スロベニア)、モブージュ、クレテイユ(フランス)、ウェリントン(ニュージーランド)、サンパウロ(ブラジル)、香港、東京、京都などで公演。1995年 第2回読売演劇大賞選考委員特別賞受賞。
photo: Yoko Takatani
OR (パフォーマンス、インスタレーション、コンサート、ビデオ、CD 1997 - 99)
『pH』『S/N』に続くプロジェクト。本作もパフォーマンスのみでなく様々な形で展開。
まずパフォーマンスは、1997年モブージュ(フランス)に1ヶ月間滞在し制作、毎年春に開催されているフェスティバルVIAにて初演。その後 リスボン(EXPO98)、ロンドン(バービカン・センター)、アムステルダム、チューリッヒ、米国ツアーなど公演多数。
インスタレーション・バージョンは、1997年NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)に於いて発表。2000年にリヨン現代美術館(フランス)収蔵。 コンサートは、1997年に パレルモ(イタリア)、神戸アートビレッジセンター、スパイラル・ホール(東京)で実施。
photo: Arno Declair
memorandum (パフォーマンス 1999 - 2003)
1999年フランス、コルシカ島の「スタジオ・ビデオ・ダンス・フェスティバル」の招聘により、10日間の滞在制作の後、公開リハーサルとして約30分の作品を発表。その後、再びモブージュ(フランス)にて3週間の滞在制作を経て初演。以降、パリ(フェスティバル・ドートンヌ)、マドリード、ベルリン(世界文化館)、ベルギー(シャルルロワ・ダンス)、トゥールーズ(国立劇場)、セビリア、デュッセルドルフ、東京・新国立劇場など公演多数。
photo: Kazuo Fukunaga


Voyage (performance)


Voyages (installation)
photo: Kazuo Fukunaga
1984
結成
賞賛すべき健康法 (performance) 京都市立芸術大学/京都
ひとでのたし算 (performance) 京都市立芸術大学/京都
睡眠の計画#1 (performance) 京都市立芸術大学/京都
睡眠の計画#2 (performance) アートスペース無門館/京都
1985
広場の秩序 (installation / printed matter) 京都府内10ケ所
風景収集狂者のための博物図鑑 (performance) 京都市立芸術大学/京都
LISTENING HOUR #1 (performance / installation / video) ギャラリー・ガーデン/京都
LISTENING HOUR #2 (performance) 滋賀県立近代美術館/滋賀
庭園の黄昏 (performance) アートスペース無門館/京都
1986
睡眠の計画#3 (performance) オレンジルーム/大阪
睡眠の計画#8 (installation / printed matter / symposium) 梁画廊/京都
睡眠の計画#5 (performance) 「大阪国際演劇祭」近鉄小劇場/大阪
1987
YES,THE SALT OF PASSION (performance / installation - ホテル・プロ・フォルマとの共同制作)「利賀国際演劇祭」/利賀
036 - PLEASURE LIFE (performance / video / printed matter) アートスペース無門館/京都
サスペンスとロマンス (installation / music concert) つかしんホール/大阪
1988
PLEASURE LIFE (performance)
原宿クエストホール/東京:「第1回ニューヨーク国際芸術祭」P.S.122 /ニューヨーク(USA):Theatre im Pumpenhaus/ミュンスター(ドイツ): ICA/ロンドン(UK):王立美術館/コペンハーゲン(デンマーク):京都府民ホール・アルティ/京都
1989
多角の旅#1 (performance - The Bridgehouse Collectionとの共同制作 ) アートスペース無門館/京都
MEDIA ART MUSEUM (NHK 主催イベントの空間構成とアートディレクション) 原宿クエストホール/東京
THE NUTCRACKER ( performance - 黒沢美香との共同制作 ) 青山円形劇場/東京
PLAY BACK (installation / video) 「アゲインスト・ネイチャー」展(アメリカ巡回)
サンフランシスコ近代美術館、アクロン美術館、MITリストヴィジュアルアートセンター、ボストン銀行アートギャラリー
1990~ シアトル美術館、シンシナティ現代美術センター、ニューヨーク大学グレイアートギャラリー、ヒューストン現代美術館
1991~ ICA/名古屋
1990
多角の旅#2 (performance - The Bridgehouse Collectionとの共同制作) ノーザンライト・プラネタリウム/トロムソ(ノルウェー)
pH (performance / installation / video / printed matter) スパイラル/東京
pH (performance) アートスペース無門館/京都
1991
pH (performance)
京都市美術館/京都:ICA/名古屋:「グラナダ・フェスティバル」/グラナダ(スペイン):「ART IN THE ANCHORAGE」Creative Time/ニューヨーク(USA):モーダホール/大阪: CHAPTER/カーディフ(UK):TRAMWAY/グラスゴー(UK)
pH (video) 日本衛星放送(JSB)との共同制作
1992
pH (performance)
「ウィーン芸術祭」MESSEPALAST/ウィーン(オーストリア):ソフィア王妃芸術センター/マドリッド(スペイン):Theatre im Pumpenhaus/ミュンスター(ドイツ):「Zones of Love」展、シドニー現代美術館/シドニー(オーストラリア)
TV - METROPOLIS - DUMB TYPE - 30'00”TELEVISION ESPANOLA(スペイン国営放送で制作・放映)
pH (video) Sole d'Oro賞(TTVV-Riccione/イタリア) 受賞、Best Stage Recording賞(IMZ - DANCE SCREEN 92/ドイツ) 受賞
S / N #1 (installation) 「THE BINARY ERA」展 MUSEUM OF IXELLES/ブリュッセル(ベルギー)
1993~ KUNSTHALLE/ウィーン、オーストリアへ巡回
THE ENIGMA OF THE LATE AFTERNOON (performance - ホテル・プロ・フォルマとの共同制作) GLYPTOTEK MUSEUM(カールスバーグ美術館)/コペンハーゲン(デンマーク)
S / N #2 (installation) 「アナザーワールド」展 水戸芸術館/水戸
1993
pH (performance) スパイラルホール/東京:「JUNEFESTIVAL 」Theaterhaus Gessnerallee/チューリッヒ(スイス)
S/Nの為のセミナー・ショー(performance & talk) アートスペース無門館/京都:藤沢市湘南台文化センター市民シアター/藤沢
pH (video) 「ヴィデオ・フィルム・ダンス・フェスティバル」/リュブリアナ(スロベニア)
S / N #1 (installation) 第5回ふくい国際ビデオビエンナーレ 福井県立美術館/福井
1994
LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE (installation) スパイラル/東京
S / N #1 (installation) 「戦後日本の前衛美術」展 横浜美術館/横浜:グッゲンハイム・ソーホー/ニューヨーク(USA)
S / N (performance)
アデレード・フェスティバル/アデレード(オーストラリア):モントリオール現代美術館/モントリオール(カナダ):ON THE BOARDS/シアトル(USA):「第1回神奈川芸術フェスティバル」ランドマークホール/横浜
pH (video) 「ヴィデオ・フィルム・ダンス・フェスティバル」/香港
1995
S / N (performance & CD) スパイラル/東京
S / N (performance) 第2回読売演劇大賞・選考委員特別賞受賞
「フェスティバル "VISAS"」La Luna - Le Manège/モブージュ(フランス):「ヨーロッパ文化首都 ルクセンブルグ95」Theatre d'Esch/ルクセンブルグ:Cankarjev Dom/リュブリアナ(スロベニア):Theatre im Pumpenhaus - Halle Münsterland/ミュンスター(ドイツ):「フェスティバル "EXIT"」Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス):「KUNSTEN FESTIVAL DES ARTS」/ブリュッセル(ベルギー):「ZURICHER THEATER SPEKTAKLE」Theater Werft/チューリッヒ(スイス):「ARHUS FESTUGE」Musikhuset/オーフス(デンマーク):SPIEL.ART - Muffathalle/ミュンヘン(ドイツ):FESTIVAL INTERNACIONAL DE ARTES CÊNICAS」Theatre Castro Alves/サルバドール(ブラジル):「FESTIVAL INTERNACIONAL DE ARTES CÊNICAS」Sesc Anchieta/サンパウロ(ブラジル)
S / N #1 (installation) 「戦後日本の前衛美術」展 サンフランシスコ近代美術館 Center for the Arts at Yerba Buena Gardens/サンフランシスコ(USA)
pH (performance)
「フェスティバル "VISAS"」La Luna - Le Manège/モブージュ(フランス):「フェスティバル "EXIT"」Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス):「Today's Japan」ハーバーフロント・センター/トロント(カナダ)
LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE (installation) 「Fluctuations Fugitives」展 Espace d'Art Yvonamor Palix/パリ(フランス)
1996
S / N (performance)
「TOKYO演劇フェア '96」東京芸術劇場/東京:京都府民ホール・アルティ/京都:「香港芸術節」香港文化センター/香港:「ニュージーランド国際芸術祭」Shed 1/ウェリントン(ニュージーランド):テアトロ・セントラル/セビリア(スペイン):「フェスティバル "EXIT"」Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス)
MONKEY BUSINESS CLASS (performance - ホテル・プロ・フォルマおよびディラー&スコフィディオとの共同制作)
Malmø Musikteater Storan/マルメ(スウェーデン):Albertslund Music Theatre/コペンハーゲン(デンマーク)
1997
OR (performance)
「フェスティバル "VIA"」Le Manège - Théâtre du Manège/モブージュ(フランス):「フェスティバル "EXIT"」Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス):「アルス・エレクトロ二カ」/リンツ(オーストリア):パークタワーホール/東京:「フェスティバル・ドートンヌ・パリ」Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス)
OR (installation) NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)/東京
OR (concert)
「Palermo di Scena」サンタ・マリア・デッロ・スパシモ/パレルモ(イタリア):神戸アートビレッジセンター/神戸:スパイラルホール/東京
1998
Dangerous Visions (concert - アール・ゾイドとリール国立管弦楽団との共同制作) リール、モブージュ、クレテイユ(フランス)で上演
S/N#1 (installation) ヴォイス・ギャラリー/京都
OR (performance)
「JULIDANS」市立劇場/アムステルダム(オランダ):「EXPO '98 LISBOA」べレム文化センター/リスボン(ポルトガル):「チューリッヒ・シアター・スペクタクル」Theater Werft/チューリッヒ(スイス):het pact - de warande stad turnhout/トゥルンホウト(ベルギー):「BITE 98」バービカンセンター/ロンドン(UK):カンプナーゲル劇場/ハンブルグ(ドイツ):DANSENS HUS/ストックホルム(スウェーデン)
1999
Sweet Memories (仮題 performance - 公開リハーサル) 「スタジオ・ビデオ・ダンス・フェスティバル」Théâtre Kallisté/アジャクシオ、コルシカ(フランス)
OR (performance)
高知県立美術館/高知:「芸術祭典・京’99」京都市北文化会館/京都:「ドナウ・フェスティバル」Theaterhaus Alte Sporthalle/クレムス(オーストリア):On The Boards/シアトル(USA):PICA (Portland Institute for Contemporary Art)/ポートランド(USA):ウォーカー・アート・センター/ミネアポリス(USA):シカゴ現代美術館/シカゴ(USA)
LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE (installation ) 「ファンシーダンス」展
アートソンジュ美術館/慶州(韓国):アートソンジュ・センター/ソウル(韓国)
memorandum (performance)
「Festival de danse」Le Manège Scène Nationale - Espace Gérard Philipe/モブージュ(フランス):「フェスティバル・ドートンヌ・パリ」Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス):世界文化館 - Arena/ベルリン(ドイツ):YSARCA - Teatro Albeniz/マドリード(スペイン)
2000
OR (installation)
「Musiques en Scène」展 リヨン現代美術館・収蔵/リヨン(フランス):「GENDAI: 日本の現代美術-ボディとスペースの間」展 ワルシャワ現代アートセンター/ワルシャワ(ポーランド)
memorandum (performance)
「シャルルロワ・ダンス」/シャルルロワ(ベルギー):GRAME + Maison de la Danse/リヨン(フランス):CDC(トゥールーズ振付センター)+トゥールーズ国立劇場/トゥールーズ(フランス):テアトロ・セントラル/セビリア(スペイン):「Julidans 」市立劇場/アムステルダム(オランダ):Tanzhaus NRW/デュッセルドルフ(ドイツ):「La Bâtie Festival de Genève」/ジュネーブ(スイス):高知県立美術館/高知:新国立劇場/東京:シアター・ドラマシティ/大阪
cascade (installation & performance) 「Stanze e Segreti」展 Salone del Mobile/ミラノ(イタリア)
LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE (installation) 「vision.ruhr」展 オストワル美術館/ドルトムント(ドイツ)
2001
cascade (installation & performance) 「Translated Acts: Performance and Body Art From East Asia」展 世界文化館/ベルリン(ドイツ)
2002
memorandum (performance)
テルアビブ新オペラ劇場/テルアビブ(イスラエル):シカゴ現代美術館/シカゴ(USA):On The Boards/シアトル(USA):PICA (Portland Institute for Contemporary Art)/ポートランド(USA):ウォーカー・アート・センター/ミネアポリス(USA):「フェスティバル・アート・ロック」La Passerelle/St Brieuc(フランス):Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス):「シンガポール・アート・フェスティバル」ビクトリア劇場/シンガポール:国際交流基金クアラルンプール日本文化センター+イスタナ・ブダヤ国立劇場/クアラルンプール(マレーシア)
Voyage (performance)
CDC(トゥールーズ振付センター)+トゥールーズ国立劇場/トゥールーズ(フランス):Le Parvis - Scène Nationale/Ibos-Tarbes(フランス):彩の国さいたま芸術劇場(さいたま):シアター・ドラマシティ(大阪):Le-Maillon Théâtre de Strasbourg /ストラスブール(フランス)
OR (installation) Ecole supérieure des beaux-arts/トゥールーズ(フランス)
Voyages (installation) NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)/東京
2003
Voyage (performance)
Deutschen Nationaltheater und Staatskapelle Weimar/ワイマール(ドイツ):びわ湖ホール(滋賀):REDCAT (Roy and Edna Disney/CalArts Theater)/ロサンジェルス(USA):Maison des Arts de Créteil/クレテイユ(フランス)
memorandum (performance)
「The 22nd International Modern Dance Festival」The KCAF Theater/ソウル(韓国):「ヴェニス・ビエンナーレ」Teatro Piccolo Arsenale/ヴェニス(イタリア):Bangkok Playhouse /バンコク(タイ):メルボルン国際芸術フェスティバル/メルボルン(オーストラリア):REDCAT (Roy and Edna Disney/CalArts Theater)/ロサンジェルス(USA):ピッツバーグ・ダンス・カウンシル/ピッツバーグ(USA)
2004
Voyage (performance)
山口情報芸術センター(山口):Novel Hall for Performing Arts/台北(台湾):ピナ・バウシュ・フェスティバル/デュッセルドルフ(ドイツ)
Voyages (installation)
山口情報芸術センター(山口)
2005
Voyage (performance)
Théâtre d’Angoulême/アングレーム(フランス):Le Carré des Jalles/St Médard en Jalles(フランス):Dansens Hus/ストックホルム(スウェーデン):ベルゲン国際フェスティバル/ベルゲン(ノルウェイ):国際モダンダンスフェスティバル/ソウル(韓国):Muffathalle/ミュンヘン(ドイツ):Altstadherbst Kulturfestival Düsseldorf/デュッセルドルフ(ドイツ)
OR (installation) TESLA BERLIN/ベルリン(ドイツ)
2006
Voyage (performance)
La Comète – scène nationale de Châlons-en-Champagne/シャロン(フランス):Théâtre de Nîmes/ニーム(フランス):
Posthof/リンツ(オーストリア):Tramway/グラスゴー(イギリス): “Exodos Festival,” Cankarjev Dom/リュブリャナ(スロベニア):メルボルン国際芸術フェスティバル/メルボルン(オーストラリア)
2007
Voyages (installation)
「Body Media」展 Shanghai Sculpture Space, O ART CENTER, Shanghai Institue of Visual Art Fudan University/上海(中国)
NAMURA ART MEETING(大阪):「Vom Funken zum Pixel」展 Martin-Gropius-Bau/ベルリン(ドイツ)
2008
Voyage (performance) : 「XI FESTIVAL IBEROAMERICANO DE TEATRO DE BOGOTA」/ボゴタ(コロンビア): EMPAC (Experimental Media & Performing Arts Center), Rensselaer Polytechnic Institute/トロイ(ニューヨーク州、USA): ニュージャージー州立モンクレア大学、Kasser Theater/モンクレア(ニュージャージー州、USA): LA FILATURE/ミュールーズ(フランス): LE VOLCAN – Maison de la Culture du Havre/ルアーブル(フランス)
パフォーマンス 『Voyage』


山口情報芸術センター(YCAM) 2004
"Voyage"
conception, creation: dumb type
creative members:
Takayuki Fujimoto
Manna Fujiwara
Yuko Hirai
Ryoji Ikeda
Takao Kawaguchi
Hidekazu Maeda
Seiko Ouchi
So Ozaki
Noriko Sunayama
Shiro Takatani
Yoko Takatani
Mayumi Tanaka
Hiromasa Tomari
Misako Yabuuchi
Ichiro Awazu
・2009年11月25日、26日
Megaron, The Athens Concert Hall(アテネ、ギリシャ)
・2009年12月3日
Palais des Festivals et des Congres, Cannes(カンヌ、フランス)
Theatre Debussy
http://www.palaisdesfestivals.com/article.php3?id_article=4824
※12月23日commmonsから、
『OR」』と『memorandum』のDVDが発売予定。
パフォーマンス 『La Chambre Claire(明るい部屋)』

"La Chambre Claire"
Shiro Takatani
performer: Misako Yabuuchi, Yuko Hirai
adviser: Hiromasa Tomari
sound: Takuya Minami
lighting: Seiko Ouchi
video technician: Ichiro Awazu
programmer: Ken Furudate
stage manager: So Ozaki
company manager: Yoko Takatani
production management: RichardCastelli (Epidemic)
[world premiere : Theater der welt 2008/Halle, Germany]
・2009年11月19日~21日
Festival de Otoño(マドリード、スペイン)
http://www.madrid.org/fo/2009/es/fichas/teatro/casalucida.html
<渋谷慶一郎+高谷史郎 ライブ>
for maria concert version
Keiichiro Shibuya playing piano solo
Shiro Takatani playing visuals
2009年11月1日(日)18:00開場/19:00開演
dumb type 25+
結成25年目のダムタイプ、その軌跡と現在。
Category: Feature