17, Dec 2009

©高橋耕平
南川憲二、増井宏文、吉田武司らを中心としている活動体。自宅や公園、学校、美術館、ギャラリーなどに机や椅子を並べ、そこに集まった(集めた)人たちと唐突にアイデアを出し合い、面白いものが出たら即興的にかたちにしていく"企て(プロジェクト)"を展開している。アイデアが生まれ、かたちになってゆく過程のどこかで、参加者たちの感覚が飛躍するような「一瞬」、視界が異化するような「瞬間」、その機会を提供・共有することこそが彼らのテーマである。
wahは2002年に南川が京都精華大学の仲間とともに結成、だが活動は2005年ごろに一度頓挫する。南川曰く、「表現したいものが見えなくなり(もしかしたら、そもそも何も無くて)、活動内容が現代アートにありそうなものを作り、単にそれなりの制作理由を捏造していると思えてきたから」。
その後、「不特定のメンバーを募り、その場で表現を駆動させる」という現在のスタイルによる活動を、2006年から展開している。
wahの活動はプロジェクトの完了と同時に基本的に完結するものであり、プロジェクトの参加者以外の人間が彼らの活動を包括的に理解しうる機会は原則的にあり得ない。プロジェクトが進められていく過程を鑑賞=傍観するだけでは、wahの活動を理解したことにならないのである。彼らにとって重要なのは「参加」「共有」であり、そのプロジェクトに参画し損ねたわれわれには、すでに理解の機会は失われている。さらには、その活動を追体験するための「作品=モノ」というものが、ほとんどの場合は一過性の産物であり、後々まで保存され、鑑賞に供される機会も(ほとんど全く)ない。
つまり、wahはアートの世界でも当たり前の「(作品の)流通」と、それのもたらす「(商業的)見返り」いう観点から見れば、誠に不利な方法論を採用していると言える。というか、「流通」させること自体に関心がない。
彼らは一方でプロジェクトの記録となる「ドキュメント」(※)をストックし、ギャラリーでの展示はもっぱらそれらが陳列されることになる。右に掲載しているのは、そうした「ドキュメント」のいくつかであるが、プロジェクトの記録写真とともに、その出発となったアイデア用紙が併載されている。wahの活動の展示の場では、必ずこの一対のドキュメントが陳列されることになる。
では、これらを鑑賞することで、われわれは彼らの活動の記録/記憶を追体験し、その残り香を共有することが求められているのであろうか。
次ページ以降のインタビューで明らかになるが、彼らにとっては陳列する「ドキュメント」の背後に、自分たちやプロジェクトの存在を前提していない。つまり陳列されている「ドキュメント」は記録写真にせよ、アイデア用紙にせよ、背後に何の意図も意志もない、(南川の言葉によれば)「ペラペラの」シートでしかない。ここでわれわれに要請されるのは、記録写真とアイデア用紙の「間」を、その両者の関係を好き勝手に想像することのみである。 プロジェクトの中で「一瞬」生じる参加者との一体感、異化作用の共有を"企て"ようとする彼らは、「ドキュメント」の陳列に際しても、鑑賞ではなく「想像」を、批評ではなく「飛躍」を要求しているのである。
本特集は、彼らへのインタビューと、南川自身の香港における展示会レポートで構成されている。wahの活動体としての本質を探るには、前述のとおり、プロジェクトへの参画が必須とも思われるのだが、そもそも今回の特集記事自体が「偶然」「アイデア」「一瞬」の連鎖でここに成立しており、ある種のwahプロジェクトに回収されてしまったというのは感傷的過ぎる認識であろうか。
2010年1月、彼らはロッテルダムにレジデンスする。海外での初プロジェクト。"企て"はもう始まっている。
(編集部)
※ wahが固定しない不特定多数の参加者総体のプロジェクトを志向することもあって、中心メンバーである南川、増井、吉田らも自分たちのことを 「wah」とは称さない。ドキュメント展示の場や個人の名刺においては「wah document」という名称が使用されている。


wah34「川の上でゴルフをする」
2009年6月7日
東京、隅田川周辺


wah30「照明器具を飛ばす」
2008年12月27日
京都造形芸術大学ギャラリーRAKU


wah27「バスタブ」
2008年9月10日
北海道東士狩小学校


wah13「千手」
2007年6月7日
京都shin-bi

※背景の作品:「妄想ポップ」(2009年作)
MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w ― 現代美術二等兵<駄美術展>
――では自己紹介から。 (南川)
南川です。生まれは大阪でして、京都精華大学の版画コースを出まして、4年間、小中学校で図工と美術の講師をやって、その後、東京藝術大学の先端芸術表現科の修士を今年卒業して、いまに至ります。
(吉田)
吉田です。出身は大阪の鶴橋で、大学から京都造形芸術大学に行って、卒業してから1年間、京都文化博物館で働いて、そのあとwahに参加しています。
(南川)
ずーっといっしょにやってるやつがもう一人いるんですけれど。
――そうですね、増井さん。もともとは南川さんと増井さんで始まったんですか? (南川)
そうです。今のスタイルはほとんど増井と僕で。スタートは精華大の仲間と僕で立ち上げて、すぐに増井が入って、関ってやつもしばらくいて、その後吉田が入ってという感じです。活動はその都度に参加者を集めて、それを今はぼくら3人(南川 ・増井・吉田)で運営しているというか、ま、そういう感じです。(そこで出てきた)アイデアを、ぼくら実行するのがちょっとした売りで…
――アイデアを募集する際は、どれぐらいの範囲で募集をかけるんですか? (南川)
それも、その都度その都度、東京都現代美術館でやったときは1ヵ月間、美術館でずーっと募集して、1,000枚以上集めたこともあったり…あとは東京の隅田川でやったときは調査して町の人から直接アンケート的な感じで集めたりとか。毎回いろいろ試しながらやってます。
――公募展みたいな方法ではないんですよね? (南川)
そうですね、そういうやり方ではないですね。
――権威的にwahが「上から目線」でアイデアを選んであげるのではないんですね。 (南川)
あ、それは違います。
――じゃ、どうやって選ぶんですか? (南川)
その場の空気を信じるだけなんですが、何かワーッて出て、グッてこう上がるやつが「やろう!」ってなるんです。めっちゃ抽象的な言い方ですけど…
(吉田)
一瞬、こう空気が変わるというか。いままで宙ぶらりんだった会話とかアイデアとかが重なってくると、ある時点で全員が一致するポイントがあって、全員何となくわかってくるんですね。そういう形で決めたりしています。多数決もあったり。
――それは比較的人数が限られているグループが編成されたときに、要するにディスカッションできる場合のことですよね。アイデアを出したり決めたりする人たちの集め方の方法はどうしているんですか。 (南川)
プロジェクトの流れを先に決めて、通りすがりの人などを含めて毎回ごとに人を集めていくやり方と、最初から固定の参加者と最後までやるというやり方と、いろいろ状況に応じてやっています。
――アンケート的なやり方と先ほどおっしゃいましたが、アンケートというと基本的に書面的なものを連想するんですけど、それを取って、さーっと見て、それで「これや!」っていうのを選ぶときもあるんですか? (南川)
いや、町でアンケートを取ったついでに、その中からアイデアを選ぶ会議の日を宣伝して、また参加者を集めてみんなで選んでいくという形をとっています。
――その場に居合わす人、不特定だと思うんですけど、その人たちとは必ず対話やコミュニケーションが発生するということですね。 (南川)
そうです。逆にコミュニケーションが発生しないことはやらない。人々との対話やその反応というのを頼りにアイデアを選んでるんで。そのほうが面白いものができるという確信のもと、やっている感じなんですけど。
――単にアンケートだけ集めて上から目線で選ぶというと、単なる公募というか「アイデア募集」になってしまいますが、そうではないということで理解したらいいですね。 (南川)
はい。ただ、絶対違うとも言い切れない(笑)。それはぼくらが他の参加者に比べて、どうしてもすべてのアイデアについて知っている状態って生まれるじゃないですか。ただ一方でディスカッションの場はフェアにしておく必要があります。ぼくたちと他の参加者が完全に同じレベルにいるかというと、やはり100%そうだとは言い切れない面がある。その辺をいろいろ手探りしながらやっています。
――アイデアの中には、やはりとてつもないプランが出てくると思いますが、絶対に実現が無理であるものは外すわけですよね? (南川)
プロジェクトの中では、予算とかも全部オープンにしてて、それが結構みんなのアイデアを選んでいく判断基準になったりしてるんです。ただ、地上30センチをものすごいスピードで飛ぶっていうアイデアがずっと残ってたことが一度あって…(笑)、本当に決まったらどうなるのかなと自分たちでも思いながら。
――そこのところは、やはりどこかでセンサーシップが働くわけですか?「ぼくらには無理」みたいな。 (南川)
そうですね。そのセンサーシップをぼくらが持っているということではなく、プロジェクトを進めている現場のある一点がセンサーシップに結びついているというか…それによって当然、実現できないものはいやだとかいうこともジャッジの要素に入ってきます。
――参加者から出てきたアイデアを選ぶ最後のジャッジは、他の参加者も交えて行うとおっしゃってましたね。結果的にボツになった場合でも、「そんなこと言わないでやってよ!」っていう声は出ないんですか? (南川)
ぼくらにですか?どうなんやろな(笑)。「やってよ!」っていう感じはあんまりないと思うんですけどね。そういう人はアイデアだけ出して、選ぶときはちょっと遠目で見てるとか。
――比較的若い方がプロジェクトの参加者の場合、アイデア出しとか、それ実現するプロセスの中で、不満とかが出てこないですか?「結局、wahの中心メンバーが振り回してるだけで、おれらは外野でしかない」みたいな。 (南川)
あらかじめ展示の予定が決まってたときに、それはありましたね。何で展示の予定が決まってんのかって。参加者にとったらあまり関係ないですからね。それがけっこうコンプレックスになってしまったことがありましたね。
――作品もアイデアもまだ何も決まってないのに、展覧会の予定が先に決まっていたと。 (南川)
決まっていて予算もついてる。もちろん、そうしたことは参加者にすべて話すんですけど、いまから何か面白いことやろう!っていうのに、ピュアじゃないっていうか…
――そうですね、それって何かこう「お仕事」って感じ。作業っぽいもんねえ。
南川 憲二(wah document)
吉田 武司(wah document)

神戸生まれ。京都市立芸術大学卒。1986年、京都市上京区にヴォイスギャラリー(現MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w)開業。京都芸術センター企画委員、主催公募展審査員などを経て、現在、財団法人京都市芸術文化協会評議員、京都嵯峨芸術大学・短期大学非常勤講師、京都精華大学非常勤講師、大阪成蹊大学芸術学部非常勤講師など、多方面で活躍中。
ヴォイスギャラリーは、アーティストとして活動していた松尾が、アーティスト・ラン・スペースとして開設しました。ヴォイスとは、アーティストの<声>の意味です。アーティスト間の情報交換や実験的作品(無名で金銭的価値のつかない)を中心に紹介してきました。
貸し会場/企画展の両方を行いながら画廊を維持運営する一方、京都市の芸術環境整備への協力として、松尾個人が京都市や企業との共同プロジェクトなどに参加してきました。
2005年に画廊を拡張。2室になった展示室で多彩な企画展示を開催してきましたが、さらに大きな空間をめざして、2009年2月に元染織工場に移転しました。その際、これからの海外との交易や情報交換をめざし、名称にギャラリスト名を明確にするために松尾の名を付け足しました。
――wahの活動やいまのお話しから思うことですが、どこかで「現代美術崩し」的に見える部分があります。テレビ的というかエンターテインメント的な要素がありますし。ただ一般的に「現代美術崩し」が成立するのは、作家の軸足がどっぷり美術にあるからなんですね。だったら美術は何にも変わらないじゃない? って思ったりするんですけど。 (南川)
例えばテレビを見てたときに、バラエティ番組で、これアートって言っていいんじゃないか? っていう瞬間がないかというと、そうでもないですよね。その辺のテレビとアート、エンターテインメントとアートというのは、ぼくらが分けてしまうともう参加者といっしょにやらなくてもいいことになってしまう。ぼくたちのスタンスは、町の中でポツポツとクリエイティビティみたいなものが浮いてて、それをポンとつついて割っていくような感じなんですよ。
――それはよく理解できるんですけど、それでもやっぱり美術の内側からの話っていう印象があって、だからこそ美術家の仕事だとは言えると思うんですけどね。どちらを狙っているのかというか…別にエンターテイナーになれとか、美術家に決めちゃえとか、そういう意味で言ってるんではないんですけどね。 (南川)
結構その辺はフラットに見ているつもりですよ。
――部分的に見れば、ああ、すごくパフォーマンスとして面白いなあという面もあって、プロジェクトの結果生じた造作物が作品として成立しているものもあって…。一方で偶然の産物ようなことを作り出していたり、どっきりカメラっぽいというとちょっと言い過ぎですが、多分いろいろ複合的にもってるのが wahの生態なんだと思うんですよね。 (南川)
その結果として、単なるイタズラとしか取れないようなものもあるんですけど…でも、やりたいのは、最終的にどういうものができたかというより、その前の期待感というか、「これ、いくんちゃう?」みたいな感覚って、絶対に誰でもわかると思ってて。結果的に、後からこうして写真の記録で見たときに、「これ、ただのイタズラやん」とかよく言われるんですけど、そうじゃなくて、その前の一瞬、参加者みんながビクッとなる瞬間があって、その瞬間を共有できたらと思ってやってるんです。
――アートの文脈を押さえたうえでのアート崩しっていうのは、モダンアート以来連綿としてあると思うんですけど、wahのやってることも、その延長線上にあるという認識ですか?それとも、あまりそういうことは意識せず、まさにそういうびくっとなる瞬間みたいなことを純粋に追っかけてるだけなんですか? (南川)
どうなんやろ(笑)。多分意見がみんな違う。一方では確かに文脈を踏まえた目線で見てたりもしますよね。だけど、プロジェクトを現場で進めているときに、アート文脈からの視点とか全然機能しなくて…それが現実というか。例えば以前のプロジェクトで地面の中に家を作ったとき、ポンと踏んだら家を感じるんですけど、そのときにアートがどうとかって関係ないんですよね。アートの文脈やバックボーンが機能してるんだったら、参加者とミーティングしてるときに出てくるはずですけど、いままで、たまたまか知らないですけど、ほとんどアートとしてどうかっていうことを議論したことはなくて。それはぼくらが無意識にそうしてるのかも知れない。
――プロジェクトを実施する際の資金などはどうされているんですか? (南川)
その都度その都度で。活動し始めたころはだいたい参加者が10人来て、2万円ぐらいとか。土日に出せるお金って決まってくるじゃないですか。それがアイデアにけっこう影響して。いまはお話をいただいて、例えば何十万円って決まっていたら、その金額でやっています。
――私見ですけど…アートには資本主義系と共産主義系があると思うですが、多分wahは共産主義系なんですよ。 (南川)
そうですねえ(笑)。
――で、私はやっぱりね、資本主義系のアートでないと生き残れないというか、これってちょっと危険な思想なんですけど、要するに上流階級をつくること?共産主義系はすごく目線を下げて人々と共有して、そしてアートであろうがなかろうが労働の喜びを分かち合うと。 (南川)
それ、めっちゃわかるんですけど、ただ、共産主義系でつくった作品が資本主義系をびっくりさせることもある。
――そうなんですよ。だから、二つあって、でもけっして別々の方向に向かっているんではなくて、現在の美術はおそらく両方を気にしながら進めている。しかもアーティストにとってはどちらかの生き方があるし、両方とも生き方として選択することができるという状況ですよね。 (南川)
とくに東京に住んでいたり、京都精華大学を卒業しても箸にも棒にもかからないという現実を目の当たりにすると(笑)、資本主義系の現代アートがいかに自分の現実に作用していないかってことを気づくというか、ギャラリーとか有名なキュレーターはどんどん素通りしていく現実の中、アートを探すとどうしてもこうなっていくかもしれないですね。
――すごいリアリティのある発言ですね(笑)。 (南川)
そこからなんですよ。資本主義系の強さももちろん知ってるつもりだけど、それをどうひっくり返すのかっていうのを考えるのも楽しいという。君臨してる作品、つまりギャラリーとか美術館でアートの文脈を知ってはじめてわかる作品とかには、例えばうちのオカンはいっこうに接触できないですけど、wahのような形式だと伝えられるっていうか。
東京都現代美術館で開催されていた石上純也さんの『Space for Your Future』っていう展覧会であったじゃないですか、4階建てビルがヘリウムで浮くっていう。それ、ぼく、めっちゃ好きなアイデアで、見に行ったんです。けど何か伝わりきらないものがあった。すると後日、しばらくしてNHKのテレビ番組の中で、制作から展示へ至る作業風景を写した映像が放送されて。業者さんとかキュレーターの長谷川祐子さんとかがみんなヘリウムを入れる現場に立ちあっていて、作家もいて。で、浮くか浮かないかっていう瞬間でグッと浮いたんです。その時、みんなひっくり返ってて、長谷川さんも「この瞬間だけは大切だ」みたいなことを言ってて。その瞬間は業者さんもビクッ!てなっていたし、それって絶対だれでもわかると思うんですよ。 ただ、その一瞬っていうのはけっこう決められた人数にしか伝えられない。でも、そこに無条件の、アートの喜びみたいなものがあるんだと思って。それでまた自分たちのプロジェクトの中にもある、「あの瞬間」みたいなものを伝えられるってまた確信したというか。
そこだけは資本主義的であっても共産主義的であっても、あるアイデアが作品になる瞬間というか、この絵が完成する瞬間というか、そういうのはきっとあるんだと言いたいです。


――プロジェクトで出てくるアイデアには、老若男女いろいろ出てくると思うんですけど、いままでで印象に残ったというか、大成功だったものはどれなんですか? (吉田)
成果をどう捉えるかにもよるんですけど、この前「越後妻有トリエンナーレ」に参加してて、家の中をアスレチックにするという試みを行いました。子どもたちといっしょに取り組んだんですが、出来上がったものはひとつの成果として、その次の展開が面白いなと思うことがありました。一人の中学生が毎日来てくれてたんですけど、ぼくらがやっていたことを見て、自分でも作品をつくりたいと言ってつくり始めたんですよ。それはひとつの作品のかたちでもあるのかなと思うんです。ぼくたちがやったことをきっかけに、誰かが一人また何かをつくりたいというので実際につくり始めるという。自発性を促すというとおおげさですが、ぼくの中では印象に残っています。
――アスレチックはどんなふうに、何を使ってつくったんですか? (南川)
主に木材です。インパクトドライバーとかは小学1年生の子も使って、現場はめっちゃガテン系でしたね。男の子ばかりだったので。
――大工さんごっこ的な部分もあったんでしょうか。 (南川)
ところが、すごく上手になるんです。びっくりしたけど。最初はインパクトの遠心力で手が震えてるんですけど、もう慣れてきたら自分でどんどんビスを打って。
――ワークショップとどう違うんですか? (南川)
ワークショップベースみたいな感じです。
――ワークショップは何方向かあると思うんです。アーティストが本当に未知の人々とか未知の感性や才能と出会って、アーティストのものでもないし、その未知の才能の人たちのものでもない、第三のものが出来てくるっていうのが、これが本当のワークショップじゃないかなって思うんですね。だから美術館で、子どもを対象とした保育所代わりのワークショップってよくやるじゃないですか。あれだと何も、誰も変わらないし、アーティストは疲弊するばかりで、子どもは保育所の代わりに行かされてる感があってね。Wahの妻有でのケースは違うのだろうと思うんですが、ただ、入り口としてワークショップっぽいなあって少し思いました。 (南川)
子どもとプロジェクトをする場合は、確かに子どもがそこまで自分の活動にしたり、そこまでまだのめり込んできてはいないです。一方、同世代とのプロジェクトになってくると、当然しがらみができるし、そのしがらみがあって初めて、その第三者的なものが見えてきて面白くなってくるというか。
プロジェクトに参加した連中は、もう勝手にみんなその成果をコンペに出したり、就職活動に使ったりもしていて(笑)。で、wahは wahでしっかりドキュメントとして残すことだけを淡々としている。ぼくらはプロジェクトの成果を作品として発表したり、次の展開を図ったりはしていないんですよ。行ったことをさらに掘り下げていくと、もっと何か見えてくる気はするし、かなり完成度の高い作品が見えたことも何回かあるんですが、それは一応ご法度にしています。そういうことは誰かがしてくれたらいい。ぼくらはその前のタネというか、アートになり得るようなものの、その瞬間を作っているので、もし参加者がコンペに提出して入選とかしたら、おもしろいし。
――モノとして独占するつもりはないということですね。ましてや、マルC(著作権表示)も付かないということですか。 (南川)
それがよく問題になっていて(笑)、逆に困らせています。たとえばアサヒビールさんの助成でやったときなどは、wahのものにしないと逆にややこしいと言われて。まあ、臨機応変に。
――例えばパフォーマンスとか、wahの場合、家もつくって壊しちゃったんですよねえ。そうした消えてなくなるものに関してはいいでしょうけれど、後々残っていくものについてはもしかしたら著作権とか肖像権とかいう何かが… (南川)
そうですね、いままではない。たまたまないけど、彫刻的なものとか作ったときは。
――写真はどうなんですか? (南川)
写真はみんな持って帰ってますね。
――撮りまくり? 撮りまくっていいんですか? (南川)
撮りまくって全然いいです。
――じゃ、それがYouTube に流れようが何しようが。 (南川)
もう流れてます。
――もろに共産主義系ですね(笑)。とは言いつつも、情報の発信というのか、使いこなせるのはおそらく受け手の側でしょうけれど。 (南川)
でも、広がっていって欲しいという感じではなくて、ぼくらはやっぱりプロジェクトの活動を記録していって、それを見せようとも思ってるし。今回出展した『A Blow to the Everyday』(香港)で、ディレクターの長谷川祐子さんが指名してくれたのはけっこううれしかった。そういう共産主義的でありながら資本主義系のフィールドでも著名な人から指名を受けて、いままでみんなでやってきたことが、ギャラリーで展示されたときに通用して欲しいという思いは強かったです。その心意気で現場を動かしているし、だからうれしかったです。まあ、これからもビビッドなものを出していきたいなと思ってます。


――wahのプロジェクトって一回限りの企てじゃないですか。もちろん記録したドキュメントはあって、雑誌とかにはドキュメントが載ったりするんですけど、おそらくwahが一番情熱を注いでる部分というのは、こうした記録ドキュメント上では表現しきれないと思うんですね。 (南川)
そうですよね。先ほど話した『A Blow to the Everyday』での展示も、プロジェクトのアイデア用紙と記録写真か映像をポツポツと並べて掲示するわけですが、結局そのアイデアと写真の間を見てほしいというか、そこにあるよっていう。
――その場のプロジェクトに参加してない我々、ギャラリーの観衆という立場の人たちが見ようとすると、後追いで想像するしかないですよね。その場の情景をビデオでいくら撮ったとしても、おそらく全然漏れていると思うし。 (南川)
変にプロセスを展示しても、めっちゃ編集臭くなるっていうか。地面の中に家を作ったのとか、「やったんやで!」って見せたかったりするんですけれども、でも、もうポツポツなんですよ。写真とアイデア用紙しか香港では展示していないんです。で、そこの場で間を想像してもらったら、それが見た人にとって作品になるっていう。
――香港とか一戸建ての家が非常に少ないから、かえってその辺りはプロセスを見せたほうが面白かったかもしれない(笑)。家なのか小屋なのかっていうところも含めてね。香港ではプロジェクトをやらないんですか? アイデアを募集して。 (南川)
香港でもやりたかったんですけど、たまたま話がいろいろ急だったのがあって、またもし次に機会があれば…
――『A Blow to the Everyday』展は、邦訳として「日常への一槌」と付いています。wahの皆さんが、日常へ一槌を浴びせているという意識があるのかわかりませんが、出品している他の作家の方々と、ある種の共通性があるとしたらどういう部分だと思いますか? (南川)
どこに結局アートな瞬間があるのかみたいなことを、それぞれ多分持っておられるというか…作品があって、その向こう側に作者がいて、作者の意図とかがあって、作品を通してその向こう側を垣間見ていくような仕組みではなくて、作品のペラペラの表面と反応し合うことで見えてくるっていうか、そういう作品を作られていると感じます。
――見る人とそのペラペラとの間で生じる何かがあると。 (南川)
そうですね。wahもペラペラだっていうのはわかっている。それと反応して何か出てくるっていうか、反応するしかないっていう、そういう装置なんだと思います。
――wahのアイデアって、何か子どもの夢みたいなものとは違うんですか? (南川)
あまりそうとは考えてない。たまに言われますけど。でも、子どもは面白いというか、けっこうやりやすいですよね。
以前、面白いって何やろう?って考えたことがあって。それは何か面白いと感じた瞬間を思い出すことに近いのではと思います。うまく言えないのですが、忘れてないけど思い出せないみたいな感じでしょうか…自転車に乗れた瞬間ってあったはずじゃないですか。すごく気持ちよかったはずなんですけど、絶対思い出せないんですよ。でも子どもは知ってるんです、そういうことを。子どもとプロジェクトをしていると、ぼくらが忘れてないんですけど思い出せないみたいな感じのアイデアが出てくる。輪ゴムを材料に何でもやろうと言ったときに、子どもが学校でやったんですけど、校舎に輪ゴムをつなげていって、ピッチピチに張って巻いて、それを切りたいというアイデアを出して。「やろう!」っていうことではないけれども、「そういえばやりたいなあ」っていう変なところを突くなあと思って。子どもとアイデア出しをすると何か出てきますね。しばらく子どもにばっかり関心が向いているときがあって、大学の先生に「子どものアイデアを搾取するテキ屋や」とか言われたけど(笑)。
――元々、子どもさんを教える仕事をしていらしたんですね。wahの活動はそれで思いついたんですか? (南川)
はい。よくメンバーでも話すんですけど、本当に表現したいことって、どこまで明確かわからないというか。ないんちゃうか?っていう疑いも、ぼくが学生のときはあって。版画学科に在籍していたんですが、「まずコンセプト」っていうんですけど、どうも捏造くさくなると。そう信じてしまったんです、これは嘘やと思って。で、担当の先生からは作品を「リヒッてる」って言われた。リヒターを略して「リヒッてる」と言われたんですけど、それでぼくは絶命して(笑)、これは嘘やーと思って。それなりにもういっぱい本も当時は読んだし、流行りのキーワードも入れたりしました。だけど結局、コンセプトは嘘っぽいと、そっちを信じてしまった。
ちょうどその時、子どもの図工を教える仕事をしていて…さっきの輪ゴムの話ですが、子どもは朝、学校来るときには輪ゴムで何かしてやろうとか一切思ってない。でも、輪ゴムを見て、何人かと話して、友だちと反応すると、もう表現の動機を一瞬で手に入れてしまって、そのことしか考えてないっていうか。結果はどうなるかわからない、でも、ある瞬間にやっぱり子どももウォーッ!ってなるんですよ。
それを大学の同級生に話しているとき、「うまい棒でも買おうか」っていう話になって、その話の流れで、積み立てていた貯金を全部うまい棒に変えようとなって、それで実際やってしまったのがきっかけ。


――wahにはいわゆる「作者」が不在だし、完成される「作品」っていうものも基本的に不在ですよね。アーティストの中には、成果物である「作品」というものが残る/残らないっていうのを気にされる方もいますよね、やっぱりかたちになってなんぼやねんっていう。あまりそういう「作品」に対するこだわりはない? (南川)
いや、そんなこともないです。残ったら何か使えます。いまでっかい照明器具があるんですけど、これ買ってくれたらまた次のプロジェクトができるって。
――ああ、そういう意味合いでね。ちなみに影響を受けた作家とか、部分的であれwahが活動していくに際して、すごい参考になったというアーティストはいますか? (南川)
何かあるかな。あんまりないかもしれないです。アートも演劇も、ぼくは普通の学生並みにしか接していないですが、吉田は多分…
(吉田)
自分の感覚として近いなっていうのはあって…小学生のときの話なんですけど、たとえば日曜日に集まって、自分たちで遊びのルールを考えたりして遊ぶことがあって、そうやって話してルールを決めて何かを実行するっていうのに、感覚としては近いかなあと。
アーティストとして近いものを感じる方というと、西野達さんは近いところがあるなと思いつつ、また違うポイントでKOSUGE1-16さんだったりとか、そういうのは思いますけれども、あえてそれを盗んでとか、採り入れてっていうことは考えてないですね。
――どちらかというとオリジナルに出てきた手法というか方法論なんですね、wahは。 (南川)
そうだといいんですけど(笑)。どうなんですかね。
創作のときのプロセスに情熱を注ぐっていうか、川俣正さんとかね、その流れはすごく感じます。そこからさらに、プロセスが作品ではない、プロセスはプロセスだっていう考えがwahなんで。そのプロセスの胡散臭さっていうか、本当に参加者とやってるのかって言い始めたのがKOSUGE1-16さんとかで、日比野克彦さんとかも参加者との「場」というものはちゃんと作っていく。そういう概念や流れを生み出したのは川俣さんからだと思ってる。
そうした、「場」をちゃんと機能させた世代の人から始まって、ぼくらが「場」から結局作品となるものを作ると一周するというか、作家が作品を作るっていうことに戻るというか。でも、そこでは何か変化しているような気もしたり。そういう流れは感じますね。
――いまのwahの活動も、「作品」だということですね。 (南川)
そうです。作品というかアートっていうか、ちゃんと「モノを作る」ということ。 KOSUGE1-16さんは巨大な紙相撲とかを作って「場」をすごい湧かせるんですけど、そこから子どもたちが何か楽しくなったらいいのに…じゃなくて、ぼくらは子どもと、子どもがウォー!ってなるものを実際に作るっていう。
そういう一連の流れの中で、ぼくらの次の世代はもっと著作権なんかに対しても、何か答えを出していくのかもしれないなあと。そういうことも感じています。
(取材・撮影:2009年11月20日 VOICE GALLERY pfs/wにて)


キュレーターの長谷川裕子さんによって集められた日本の若手アーティストの作品が香港で紹介される。僕は事前にデータで送った自分たちの作品の展示がうまくいっているかな~と心配しながら、普段の活動の中ではあまり縁のなかった「ギャラリー」の中で、僕らと何らかの共通点のあるアーティストたちが香港でどのように紹介されているのかということに興味を持って日本を発った。
香港の街中、少し古びた高層ビルが雑踏し、運送車が多く出入りする地区にOsage gallery(オーセージ・ギャラリー)の入った「健大工業ビル」を発見した。一階は運送車が荷物を出し入れする為の車庫(日本のギャラリーでもよく見かける立地)になっているビルの前で地図を持ってウロウロしていたところ、ガードマンにここだと教えてもらってようやく場所がわかった。エレベータを上がり5階の扉を開くと、osageとロゴが記された白い壁面のギャラリーの入り口に出る。天井高4m程で床はツルッとしたコンクリートのきれいなギャラリーである。扉を開けてギャラリーのキムさんに挨拶をしたら、早速、展示空間へ入った。(以下ギャラリーの中の僕の足取りである。添付写真や作家のHPなどの作品を参考にイメージしていただけたらと思う。)
入り口を開いた正面から、本展のタイトルが記された白い壁、同時に壁の左奥に大久保亞夜子さんの淡いピンク色のウォールペインティングの空間が広がって見えている。大久保さんの作品は、コの字型の壁面に直接漫画本の絵を描き、その漫画本の中の1コマから絵が飛び出して壁全体に物語が流れてゆく構成になっている。
そこから次の展示空間の方向をみると、各作家の展示ブースを区切るパーテイションの端と通路だけが見えるが、作品は見えていない。とにかく通路がのびる方向へ進むと、wah(ワウ)のドキュメント展示の空間があった。 コの字型の空間には、これまでの活動から選抜した6つのプロジェクト<家庭用の照明器具をヘリコプターで吊るして上空に飛ばすものや、交差点の通行人の背後から10人くらいの人が手を延ばして千手観音のように見立てるものなど>の写真または映像(モニター)が展示されている。また、それらのプロジェクトのアイデアが一般の参加者によって描かれていることを説明するように、展示空間の端にアイデアを描く参加者の様子を映すモニターとwahの活動の説明文が添えられている。
続いて隣の田口行弘さんのブースには、香港の建設現場で見かける竹材(日本では鉄製の単管パイプ)による構造物がある。また、香港の街中で目にするゴミ箱や工事現場にあるコーンやブルーシートなどが竹材の上に置かれたり引っ掛けられて多数展示されている。その中にモニターが数台あって、おそらく今回の展示の為に現地で制作された街の中のゴミ箱やブルーシートなどがコマ撮りで動いてゆくアニメーションの作品や、香港の街中を唐突に駆け抜けてゆく男の映像を集めた映像作品が映されている。それらの映像に登場する様々なモチーフは、竹材の周りに展示されていたものと一致する。
続いて小泉明朗さんの映像展示ブースがあった。暗室には大きなスクリーン映像と、隅に20インチくらいのモニターがあり、今回の展覧会のDMの表紙に使われている作品を含め近年までの映像作品が上映されていた。
高谷史郎さんの展示ブースでは、中央にガラス板を設置しガラス板の両面に映像を投射、天井に設置したスピーカーから頭にチクチクするホワイトノイズのような音が出ていた。
続いて入り口の方へ戻ると、荻原健一さんの展示ブースへ入った。まず観たのは1人でダンスをしている若者の映像が2台のモニターに映されている作品である。2台のモニターの映像を比較すると踊っている人物が同じで、動きも全く同じように見えるが、服装が違う。よくみると実は微妙な動きの違いが見えてくる。別撮りされた映像なのだと後でわかる。続いて写真パネルと映像モニターからなる作品を観た。写真パネルは、おそらく香港のどこかの駅の中に設置された黒い布で覆われた仮設テントの写真と、その中に入った一般客が夜景などを背景に合成写真を撮ってもらえる仕掛けになっていることを説明する構成になっている。モニターはその仮設テントで合成写真をつくってもらう為に撮影されている客が、写真を長々と撮られている様子が映されている。





最後に萩原さんの隣にあるchim↑pomのブースを観た。中央には砂を表面に(隅々まで)まぶしてある車。車内には砂をまぶされた男女が性行為をしているような置物がある。周りの壁面にはマーライオンの置物などに砂をまぶしている作品と、砂をまぶされたキャンバスにはっきりと覚えていないが「Fuck on the beach」と描かれたものがあった。そして、おそらく砂浜で撮影されたサングラスを着けたまま砂がまぶされた(あるいは砂で作られたような)人物の写真が2点展示されていた。
展示の構成としては、先述のとおりそれぞれの作品がブースに分けられており、最初の大久保さんの展示スペースから他の作家の作品はほとんど見渡せず、歩いて進むごとに、目に優しいもの、おもしろいもの、恐ろしいもの、という具合に、1つ1つお皿に盛られたコース料理のように展示ブースが登場する配置となっている。個々に特色を持った作品をバランスよく楽しむことができた。また、出品された作品の多くは作家独自に、作品が起こった活動「現場」を展示会場とは別の場所に設けており、広い意味でそれぞれの活動現場からのドキュメントが展示されている。
さて、ここまで展示の説明をした上で、展覧会を観て僕なりに感じたことや考えたことを少し述べようと思う。まず、それぞれの作品が観やすくておもしろかった。作家がそれぞれの「現場」からギャラリーに展示する際、広い意味で「観やすく」編集していることがその理由としてある。しかし、それが故にこの展示現場にはメインディッシュの役目をするような、直接作品の磁場が発生している生々しいアートの力は無かった。ただ、だからといって出品作家がやたらに展示空間にボリュームを持たせたり、ギャラリーの空間専用に作品をプランニングするのも不毛なことに思う。ここは、ただ白い壁で平面形の物や立体形の物が観やすく設計された場所なだけではなく、僕が知っているあの「ギャラリー」なのである。この展覧会では、あえてこういった「現場」を外(の日常)に持つ作家が紹介されているのである。僕は出品者として、展示場に自分の活動の魅力をよりいい形で運べる方法を引き続き考えてゆくことと、もう一方でアトリエからギャラリーに直結できない活動の「現場」自体を、どうにか多くの人にみてもらう方法を考えたいと思った。
もっとみせる方法を考えたい。そして、既存のアートシーンを越えて多くの人に活動のおもしろさ伝えたい。また、それは、僕らが生き残ってゆく手段でもある。そんなことを考え、眉毛がひきつったままギャラリーのキムさんと挨拶をしてOsage galleryを後にした。




| 2002 | PAXAWARD 入選者展/ギャラリーPAX:東京 ART CAMP IN CASO/海岸通ギャラリーCASO:大阪 |
| 2004 | 大人揚棄・名古屋展/ギャラリーBe&be:名古屋 オープンスタジオ/wah studio:大阪 大人揚棄・神戸展/CAP HOUSE:神戸 大人揚棄・札幌展/PRAHA project:札幌 |
| 2006 | video cafe/シュデーデル院:ドイツ meeting party/千丸アトリエ:京都 |
| 2007 | グッバイ展/岩倉かどや:京都 Nippon connection/フランクフルト アイデアをだす/shin-bi:京都 アイデアをだす2/shin-bi:京都 +meets program/大阪プラネットステーション 人形劇団クラルテワークショップ/クラルテ:大阪 そんなことからはじまる絵/大阪府立現代美術センター 公開講座GARDEN/京都精華大学 おもしろいこと・ごっついことしよう/川崎市アートセンター 髪場/shin-bi:京都 |
| 2008 | wah exhibition/shin-bi:京都 wah lab/東京都現代美術館 川俣正[通路]展内:東京 うわさのコミュニケーション/sunsui:大阪 非日常のあたりまえ/北海道東士狩小学校:北海道 人と関わり合ってできる作品がある/ギャラリーRAKU:京都 |
| 2009 | 東京藝術大学先端芸術表現科修了制作展/BankART Studio NYK:神奈川 sapporo2/北海道札幌市リンケージプラザ:北海道 松代中学表現集団/越後妻有トリエンナーレ:新潟 すみだ川のおもしろい展/隅田川アートプロジェクト:東京 紐タワーワークショップ/水都大阪2009:大阪 |
wah30「照明器具を飛ばす」
2008年12月27日
京都造形芸術大学ギャラリーRAKU
![wah[ワウ] 南川憲二・増井宏文・関秀樹・吉田武司ら](/images/feature/0912/p9/rimg0349_280x210.jpg)
南川憲二・増井宏文・吉田武司・関秀樹らが中心となって運営する参加型表現活動集団。2002年より活動を始める。動機や意図をあらかじめ明確化せず、一般募集した参加者同士の会話や反応から生まれた企画を実行し、その場に生成された可能性を体験するプログラムを展開している。
南川憲二(みなみかわ けんじ)
1979年大阪生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修了。
増井宏文(ますい ひろふみ)
1980年滋賀生まれ。佛教大学教育学部教育学科卒業。
吉田武司(よしだ たけし)
1984年大阪生まれ。京都造形芸術大学芸術表現・アートプロデュース学科卒業。
関秀樹(せき ひでき)
1983年京都生まれ。京都精華大学卒業。
wah
見返りのない"企て"
Category: Feature