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ドライブイン展覧会「類比の鏡/THE ANALOGICAL MIRRORS」レヴュー文:飯田志保子(キュレーター)

2020 12 02

ここでひとつ興味深いのは、本展キュレーターの堤拓也が、1929年に開館したニューヨーク近代美術館(MoMA)が開発した近代的な展示方法に疑問を呈し、ドライブイン形式によって当時包摂されていなかった鑑賞者層の包括可能性を提案する一方で、作品の前景化に成功した要因として看取されるノイズの最小化や会場全体のブラックボックス化、つまり場の特性を抑制し、作品のための中立的な空間としてMoMAが導入したホワイトキューブを志向したことである。美術館のホワイトキューブが表象する近代制度の「中立性」は選別的で、決してニュートラルではないにも関わらず。近代的な制度からの脱却と近代的なフォーマットへの回帰は、自己矛盾を孕んでいる。この両方がいかなる場で共存しうるかという問いは筆者自身も反芻してみたい。本展の場合は、会場がアーティストの共同スタジオであることが自己矛盾の度合いを低くしている。制作の場はホワイトキューブとは真逆で、暗闇で覆っても決して中立的な空間にはなりえないからである。

共同スタジオから拭い去れないのは、空間に染み付いたさまざまな作家の仕事ぶりや多種多様な制作過程の片鱗、衣食住が隣接した雑多な生活感である。オープンスタジオの場合には醍醐味となるそうした生々しさをノイズとして、照明すなわち視界の外に置くことで、本展はラフな環境をそのままに、展覧会然とした様相を呈していた。しかしながら、作品が生まれる場の臨場感が皆無ではないことは強調しておきたい。作家の熱量と、場所を熟知していることが明確に表れた作品が散見されたことがその証左である。宮本亜菜は元々スタジオにあったキャンピングカー内で料理や入浴など日常生活の行為を行い、その記録映像を物理的な痕跡と共に展示した。山中Suplexに実際に住んでいるという坂本森海は、敷地の比叡山から採掘した白川砂を自作の窯で焼成する。《労働(風化する白川石を焼く)》と題されたその行為は、陶芸のパフォーマンスというより、むしろ山中に位置するスタジオで実践される文字通りの労働であり、電気を用いない持続可能な生と制作の営為である。坂本と隣り合う小西由悟も、生の営みに必要なサステナビリティを問いかける。2015年から継続してきた農耕栽培プロジェクトを水耕栽培に発展させ、会期後はそれを常設展示にすることで、小西は土壌汚染の過去から自律した自給自足の未来を展望する。投光器に照らされ暗闇の中で黒光りする、鉄の循環を表現した重厚な若林亮の彫刻は、産業廃棄物が不法投棄されるスタジオの立地背景を踏まえて見ると、大地の浄化作用に甘えてきた人類の進歩主義に警鐘を鳴らすモニュメントとして一層の迫力を増す。石黒健一は人間のためだけでなく、鹿や猪といった夜中にスタジオを訪れる野生動物も招き入れる枯山水の庭園を、灰山庭園跡を参照して白川砂と融雪剤で制作した。鹿は塩分摂取のため塩化物で作られた巨石型の彫刻を舐めにやって来る。敷地突き当りに作られた砂防堰堤の斜面を借景したこのサイト・スペシフィックな庭園は、人為的な造作と有機的なエコロジーが同居し、人間以外の生命体にも開かれている。小宮太郎は、埋蔵された産廃が山積していた入口近くの山の横穴の前に黒い波板を斜めに設置し、錯視効果によって帰路に初めて、近代以降の産業化社会が生み出した深い闇の存在に気づく作品を仕掛けた。これら敷地と環境の文脈から作品を掬い出すような一連の新作のアプローチは、日頃山中Suplexを拠点とするホーム・アーティストならではである。

宮本亜菜《BABA GANOUSH VAN》 2020
宮本亜菜《BABA GANOUSH VAN》 2020
宮本亜菜《BABA GANOUSH VAN》 2020
坂本森海《労働(風化する白川石を焼く)》 2020
坂本森海《労働(風化する白川石を焼く)》 2020
小西由悟《2020.4P2S [W4M×D1M×H3M] Study of Floating soil Project》 2020
小西由悟《2020.4P2S [W4M×D1M×H3M] Study of Floating soil Project》 2020
小西由悟《2020.4P2S [W4M×D1M×H3M] Study of Floating soil Project》 2020

郊外や斜陽な産業地で開催される地域創生を目的とした国内外のアートプロジェクトや芸術祭では時折、広域に点在した各会場に分かりやすいとは言い難いマップを頼りにようやく辿りついたところ、作品を目にしてがっかりすることがある。充実感に満ちた記憶に残る展覧会は、キュラトリアルな信条や形式もさることながら、最終的には作品の質と、作家が制作にかけた手数や熱量がものをいう。本展で失望感がなかったのは、展覧会全体の完成度がオープンスタジオ以上の水準だったことを示している。加えて、本展の作品の大半は静的な視覚芸術であるため、鑑賞者自ら能動的に「見る」態度が求められる。テーマパークの乗り物型アトラクションのように身体もコースも時間も拘束されて仕掛けを受容する受動的な体験とは異なり、鑑賞者が見ようとしなければ展覧会は成立しない。ただし唯一の例外は、展覧会の最後に出会う前谷開。車のフロントガラスがパーソナル・スクリーンに変貌して映像が投影された後、前谷が登場し、車内の鑑賞者を空間に刻印するかのように撮影する。この演出は最後の最後に突如として主客が転倒する驚きをもたらす。ハンドル(主導権)を握る鑑賞者はここで前谷の被写体にされ、結局のところ山中Suplexの掌中にあったことに気づかされる。

前谷開《Burns on the Retina (Dear Cells)》 2020
前谷開《Burns on the Retina (Dear Cells)》 2020
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