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朝靄の道行文:木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎 主宰) 絵:ヤマガミ ユキヒロ(現代美術家)

2014 05 04

冬・祇園町

それから、二人で五条坂を下って、東大路を上がり、祇園に出た。
わたしは、まだ、景清さんにただ一つの言葉もかけられずにいる。この男の無明の心に、芥子(けし)の粒ほどでいいから、明かりを灯してあげたいと思ってはいるが、生憎、平和呆けした平成の人間は、そんな言葉を持ち合わせておらず、それもかなわない。都きっての色町ならば、塞ぎ込んでいる景清さんの気も少しは浮くかもしれぬと、ここに連れ出してはみたものの、日も西に傾いて、いっそう冷え込んできたせいか、いつもの賑わいはない。

花見小路に差し掛かったところで、空から白いものがひらひらと舞い落ちてきた。
初雪―。どうやら季節は冬に移ったらしい。
目の前を、子供の背丈ぐらいの小柄なご婦人が足早に通る。ご婦人は、裾に一羽の鶴をあしらった漆黒の着物を、ゆったり召して、なのに、きっちり結い上げた頭(つむり)のてっぺんから、皺ひとつない白足袋の爪先まで、凛とした緊張の筋が一本通った、見るからに只者ではない空気を漂わせながら、祇園名代のお茶屋「万亭」の暖簾の中に消えた。あれが京舞・井上流の家元、かの四世井上八千代師である。その身のこなしがあまりにも自然で美しいので、つい見惚れてしまった。

「おう、どうしたい」
突然、うしろから声を掛けられる。
振り返れば、ごま塩頭に黒縁の丸メガネ、鼠色のコートを着た五十男。四谷の先生こと、わたしの大好きな安藤鶴夫(あんつる)さんだ。先生はちらっと景清さんのほうを見た。まさか誰かとまではわからないだろうが、その如何にも訳あり風の男の姿をみて「おや」という顔をした。慌てて紹介しようとすると、こちらの呼吸を飲み込むようにして、こう続けた。先生一流のやさしさだ。
「顔見世の時分になると、居ても経ってもいられねぇで、こうして京都に来たのさ。聞けば今日が初雪だそうだね。いや、実にいい間(ま)で降りやがる。まるで芝居のようじゃねえか、え、そうは思わねえかい」
先生の口調のほうがよほど芝居がかっている。で、
「しかし、久しぶりだなぁ」
と、最後は十五代目羽左衛門(たちばなや)の与三郎の声色で締めくくった。
「ええ、久しぶりですよ、この前、四谷の〈わかば〉で鯛焼きを御馳走になって以来ですから。しかしながらあんつる先生が、まさか京都に居ようとは、御釈迦様でもご存じあるめぇ」
こちらも橘屋の声色で返していたら、先生はちょっと顎を引き、笑いながら「困った奴だ」というような顔をして
「下手な芝居(しべぇ)の真似はよしとして、今日は君が飛んで喜ぶような御仁と一緒だよ。ふふふ、誰だと思う?ああ、あすこにお出でになった」
塀の影から姿を現したのは、頭巾を被った品のいい茶人風の老人。体格は立派で、どんぐりのような丸い目に得も言われぬ愛嬌がある。思わず、叫んだ。
「古靱、いや、山城少掾さん!」

豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)―。人形浄瑠璃の大夫、大名人である。この方がまだ古靱太夫と言っていた壮年期には、同じく芸の鬼・三世鶴澤清六を相三味線に、聴く者の髪の毛を鷲掴み引き摺りまわすような壮絶な語りで圧倒し、やがて芸の円熟期を迎えると、確かな解釈と音遣いの巧みさで、また聴衆を圧倒した。果ては、秩父宮家から〈山城少掾藤原重房〉と〈掾〉を受領し、名実ともに頂点を極めた人だ。残念ながら昭和三十三年に引退を表明し、翌年に惜しまれつつも華々しい引退興行を終えた。今は、この祇園にほど近い東山安井のご自宅で、静かに隠居生活を送っているという。今の暮らしが心穏やかなのだろうか、すっかり脂の抜けきったそのお顔は、仏様のような神々しささえたたえている。


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