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特集

KYOTOGRAPHIEにおける〈まなざし〉の諸相
京都グラフィー レビュー 寄稿:林田新

2013 04 29

平安遷都1100年を記念する内国勧業博覧会が開催された1895年には、岡崎に平安京大極殿が模造されている。佐藤によるとそれは、京都という地方自治体が、古都として京都を再構築するという国家的な要請を流用し、内面化したものなのであり、すなわち「京都自身による自らの〈京都化プロジェクト〉として理解される」。また、興味深いのは、こうした京都を伝統と結びつける「伝統の地政学」において写真が重要な役割を果たしたという点である。佐藤が指摘するところによると、日本初の総合雑誌『太陽』の「地理」欄には、京都の名所を撮影した写真図版が数多く掲載されていたという。今日でもしばしば目にすることの多い、紋切り型の観光写真である。「京都化/古都化された京都のイメージは、『太陽』などの近代的なマスメディアに掲載され、流通することによって、全国的に流通し、一種の消費財」となったのである。

さて、ここまでKYOTOGRAPHIEという言葉を端緒として「観光のまなざし」について論じてきた。「観光のまなざし」に代表されるような、他者/他所へと向けられる〈まなざし〉の力学は、KYOTOGRAPHIEに出展された写真においても指摘することができる。個別具体的な分析を詳細に行う余裕はないが、例えば、メイン会場の一つ、虎屋京都ギャラリーに展示されたクリスチャン・ポラック コレクションが好例であろう。展示の大部分を占めていたのは、明治時代の日本の風景・風俗の手彩色写真である。実際のところ、展示されていたのはコロタイプ印刷による複製であるが、鶏卵紙にプリントされたもともとの写真は、革張りのアルバムに収められていたものである。通称『赤いアルバム』と呼ばれるこのアルバムを所有していたのは明治時代の日本を旅した西洋人であり、そこに掲載された写真は、外国人観光客向けに撮影・販売された土産物であろう。そうした写真に、日本という異国に欧米人が向ける「観光のまなざし」と、日本人によるその内面化を見て取ることはそれほど困難ではない。彼/彼女らは、珍奇な土産物という「消費財」となるべく、欧米人らが日本に夢見る「白昼夢」を実演しているのである。そうした中で趣をことにするのが、アイヌの家族を写した一枚の写真である。異邦人たちから向けられる〈まなざし〉(=カメラ)に対して彼らの表情は決して穏やかではない。彼らがカメラに――そして観客である私たちに――向ける警戒心と猜疑心に満ちた表情は、他者から向けられる〈まなざし〉に対する抗いであるかのようである。このアイヌ人家族のしかめっ面に気がつくか否かで、この展示の印象は随分と異なったものになるだろう。有斐斎弘道館には、スイス人旅行家であり写真家のニコラ・ブーヴィエが1950年代、60年代の日本を撮影した写真が展示されている。彼の日本への〈まなざし〉を、明治期の日本に向けられた異国からの〈まなざし〉と比較しても面白いかもしれない。

© Christian Polak Collection

© Christian Polak Collection

“People sleeping in a night train” (1964)
© Nicolas Bouvier,Musée de l’Elysée, Lausanne

“People sleeping in a night train” (1964)
© Nicolas Bouvier,Musée de l’Elysée, Lausanne


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