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COLUMN

コラム

大震災と美術深萱真穂(ライター)

2011 03 31
水彩画のグループ展会場にも復興を祈るメッセージが掲げられた(京都市中京区)

水彩画のグループ展会場にも復興を祈るメッセージが掲げられた(京都市中京区)

東日本大震災の発生から半月あまり経た3月29日にこの文章を書いている。朝刊によると震災の死者は1万1004人、行方不明者は1万8687人に達し、18万1194人が避難所で生活しているという。亡くなった人たちの冥福を祈るとともに、被災した人たちが直面している日々の困難ができるだけ早く解消されるよう願わずにはいられない。

今回の震災では、地震と津波が戦後最大規模の被害を及ぼしたのに加え、東京電力福島第1原発が原子炉や使用済み燃料を冷却する機能を失い、多量の放射性物質が外部に放出される重大な事態に至った。政府は同原発から半径20キロ圏内の住民に対して避難を指示したのに続き、半径30キロ圏内の住民にも自主避難を呼び掛けた。冷却のため自衛隊や警察、消防も出動して懸命の放水を行ってきたが、復旧に携わる作業員が放射能汚染された水で被曝し、敷地内で猛毒のプルトニウムが検出されるなど、事故は終息の見通しが立たない。1979年に起きた米国スリーマイル島原発事故を上回る深刻さだという。

スリーマイル島原発事故に際して、あるいは86年に発生したソ連のチェルノブイリ原発事故に際しても、放射能による汚染が世界的に不安を呼び起こした。原子力への依存を改めようとの主張もなされたが、増大する電力需要を背景とし、さらに近年は地球温暖化への負荷が火力発電に比べ小さいとの指摘にも後押しされて、原発の建設は進み、日本では総発電電力の29.2%を原発54基がまかなう(「エネルギー白書2010」)。列島の北や南へ高速鉄道網を伸ばし、家庭でオール電化の導入を進め、24時間営業のコンビニやファミレスに慣れ親しみ、電気自動車をエコだともてはやす半面で、日本は世界3位の設備容量をもつ原発大国になった。日本に暮らす人の多くは、安全性に疑問を抱いたとしても、便利さや快適さと引き換えに、原発に対して暗黙の同意を与えてきた。空調や照明を備えた部屋でパソコンを使い原稿を書いているわたしもなんら変わらない。わたしの住む京都は関西電力のエリアだが、ホームページによれば同社の発電電力の実に48%が原発による。加えて、日本の原発の発電量の半分以上を福井、福島の両県が送り出しているという。その偏在は、在日米軍基地の四分の一を沖縄に押し付けている事実と根底の部分でつながっているようにおもえる。震災が暴き出した日常を支える構造に対して、違和感を意識し続けなくてはならない、とわたしは自戒している。

震災は美術界にも被害を及ぼした。「ポンペイ展」を開いていた仙台市博物館や「スタジオジブリ・レイアウト展」を開催中だった福島県立美術館は休館、岩手県立美術館は2011年度の企画展をすべて中止した。多くの人が亡くなり、また多くの人が避難生活を強いられているなか、展覧会どころではない、というのも被災地の正直な気持ちかもしれない。4月1日から開く予定だった東京アートフェアは、会場の東京国際フォーラムが被災者受け入れ施設となるため7月に延期。広島県立美術館は4月5日から予定していた特別展「印象派の誕生」が、出品作の6割を占めるフランスの美術品が原発事故の影響で日本への移送を停止されたため、開催中止を余儀なくされた。

企業の生産活動や鉄道、家庭全体で使う電力に比べ、美術に関連して消費される電力は微々たるものだろう。けれども停電になれば、収蔵庫や展示室の空調、照明、出入り口の自動ドアすら使えない。わたしたちの日々の暮らしと同様に、美術館やギャラリーで作品を鑑賞するという行為もまた、いやおうなく電力に依存している。停電の続く被災地に、あるいは電力供給の行き届かない地球上の少なからぬ地域に視点を移せば、その行為が実は非日常的であることに思い至る。

阪神大震災の発生当時に芦屋市立美術博物館の学芸員だった山本淳夫さんは「館の建物に被害はなく、電気も比較的早く復旧したが、展覧会を開ける状況ではなかった」と振り返る。市職員として震災当夜は遺体の搬送に従事し、その後は救援物資の仕分けに携わった。ようやく開館したのは半年後。「美術より、心を癒やすような音楽が街角で演奏されるほうが早かった。即効性のものもあれば遅効性のものもあるということでしょう」。被災地では、しばらく制作に手がつかない美術作家も多かったが、苦しみ悩むなかから生み出された作品には胸に迫る「本物」の力が感じられたという。

東日本大震災を受けて、関西の美術界では被災地を支援する動きが広がっている。奄美大島の瀬戸内町を中心に毎年、水中展覧会などを実施している「アクアート実行委員会」は4月から5月にかけ京都市内の6会場で、売り上げを震災被災地への義援金とする展覧会「ものうみ」を開く。本来は集中豪雨の被害を昨秋受けた奄美への復興支援展として企画したが、義援金を東日本大震災へ寄付したいと同町から申し出を受けた。ギャラリーが会場を無償提供し、美術作家120人が賛同出品するという。染色作家の有田やえさんは3月26日まで京都市下京区で開いた個展で、表紙を染めたメモ帳の作品の売り上げを震災の義援金に充てた。有田さんは阪神大震災で被災し、2005年のJR福知山線脱線事故でお母さんを亡くしている。京都市伏見区のアトリエ「GURA」では同26日、21人の作家有志による作品をチャリティー販売する展覧会「DONATIONS!!」があり30点が完売したという。このほか復興を祈るメッセージを掲げた展覧会場もある。被災者でないわたしもこころ励まされるおもいがする。

そして直接の行動には出なくても、震災の報に接して「何ができるか」と自身に問うた美術作家は少なくないのではないか。もとより答えは一つではない。長いあいだ真摯な問いを抱き続けるうちに、作品に思いがあらわれてくることもあるかもしれない。その作品が鑑賞者を揺り動かし、変わらないように見えた世の中が少しずつ変わることだってあるかもしれない。あまりに大きな災害を前にすると美術など無力で小さな存在に見えるかもしれないが、美術に限らず人間のあらゆる営みもまた、非常時には無力さをさらけ出してしまうものだ。むしろ政治や経済が目を向けようとしない真実を照らし出すことができる美術は、いかなる時にもすぐれた力を秘めているとわたしは信じている。


深萱真穂 FUKAGAYA Maho

深萱真穂 HUKAGAYA Maho

1961年名古屋市生まれ。2010年3月末まで地方紙記者として美術や学術、文化などの取材を担当した。同年9~10月、「Le Noir et le Rouge ~カラフルな黒、とりどりの赤~」展(染・清流館)企画。雑誌への寄稿を中心に活動している。共著に『神々の匠』など。


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