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COLUMN

コラム

冥府への木戸をくぐるー。
〈京都と伝統芸能〉文:木ノ下裕一 (木ノ下歌舞伎 主宰)

2012 08 31
木ノ下歌舞伎 京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』京都公演

木ノ下歌舞伎 京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』 撮影:清水俊洋

「ああ、ここは胎内なんだな...」
数年前、「都をどり」を観た時のことだ。「都をどり」には二種類のチケットがあって、一つは純粋に舞踊のみを見物するもの、そして、もう一つは開演前に甲部歌舞練場二階のお茶席でお抹茶をいただいてから見物するもの。

このお茶席付きの見物が素晴らしい。まず歌舞練場の細い廊下を練り歩くようにして、幾人もの見物人と行列をなしながらお茶席へとたどり着く。そしてまた、細い廊下を歩き、いよいよ劇場内へと入る。
狭い空間(廊下)の果てに、突如広い空間(劇場)が現れる、そのダイナミックさは否応なく幕開き特有の高揚感をもたらすが、同時に、えも言われぬ、異なる感慨を与えてくれる。
桟敷席や欄干など日本の伝統的な小屋の様式を取り込んだこの大劇場は、全体に薄暗く、ゆえに床と椅子に張られた真紅の絨毯が妙に生々く映る。〈花冷え〉という言葉がしっくりくる季節だけに、ほどよくひんやりとして、なんとも不気味ながら心地いい。
「ああ、胎内に入ったのだな」―その時確かに、そう思ったのだ。

元祖レビュー「都をどり」には、京都が誇るべき純度の高い芸術表現である京舞の伝統とは一味違う、官能的で浮世離れした華やかさがある。
その味わいもさることながら、幕が下り、劇場外に出る、狭い出入り口をくぐった瞬間の、眼前に広がる町の景色に感じる、再びこの世に生まれ落ちたような〈めまい〉に似た感覚も忘れがたい。

舞踊自体も官能的だが、劇場に入って出る、その〈胎内巡り〉さながらのプロセス全体もそれに劣らぬ崇高さとエロティックさを持ち合わせている。舞台を見物するという受動的行為と、劇場に足を運ぶという能動的行為は、二つで一つと考えるべきだろう。
日常の環境がめまぐるしく変化する四月という年度の始めに、「都をどり」にゆくことを、私は、ひそかに、〈生まれ直す〉心の行事として大切にしている。


木ノ下裕一 KINOSHITA Yuichi
(木ノ下歌舞伎 主宰)

木ノ下裕一 KINOSHITA Yuichi

1985年和歌山生まれ。小学校3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受けると同時にその日から独学で落語を始め、その後、古典芸能への関心を広げつつ現代の舞台芸術を学び、古典演目上演の演出や監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。2010年度から3カ年継続プロジェクトとして「京都×横浜プロジェクト」を実施し2012年7月には『義経千本桜』の通し上演を成功させるなど、意欲的に活動を展開している。
主な演出作品に2009年『伊達娘恋緋鹿子』(F/T09秋「演劇/大学09秋」)など。
その他古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中。
創造支援公募プログラム"坂あがりスカラシップ"(2011年度・2012年度)対象者。
京都造形芸術大学大学院 博士課程在籍。研究テーマは「武智歌舞伎論~近代における歌舞伎新演出について」。

木ノ下歌舞伎
http://kinoshita-kabuki.org/


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