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COLUMN

コラム

京都の女性運動と「文化」 第2回(全3回)――〈シャンバラ〉以後、1980年代のリブ運動村上 潔(女性史研究者)

2014 07 08

〈とおからじ舎〉のスペースは、6人の女たち(のち2人が加わる)の共同出資、合議、共同運営によって成り立っていた。ミーティングは週1回。会員制はとらず、企画ごとに有志のメンバーが参加した。スペース内では粉せっけんや有機農法のお茶などを販売していた。また、女を中心としたグループに限り、会合に使用することができ、メンバーの知人に限り、宿泊することもできた。原則、月曜~金曜の19時~22時のあいだオープンし、メンバーが交替で当番として常駐していた。
このスペースの確保について、中心メンバーだった滝川マリはこのように語っている。

スペースがないと、どこに集まるって話じゃない? リブの立場からすれば……、リブの場合は共同生活に入っちゃうわけじゃない。あれはなかなか大変なのよ。私も大学の時してたけど。そういう動きが終わって、でも共同のスペースがないと、広がらない、共有化できない、っていうのがあったから、ある意味当然のごとく、スペースみたいなのは作ろう、っていうのはあったのね。(※5

そして、〈シャンバラ〉のときの「教訓」からスペース運営に不安はなかったか、という問いには、以下のように回答している。

〈シャンバラ〉はお店だったからね。こっちは違うから、そういう心配はなかったけど。ただ、みんな働いてたから、夜しか集まれなかったり、ハードはハードだった。当番制でローテーション組んで居るようにして。そこに来て欲しいっていうかたちでは言っていたし、知り合いに「おいで」って言ったりしてたから。で、学習会みたいなのやり始めたり。(滝川・冬木・ぶんた 2007: 39)

※5)滝川マリ・冬木花衣・ぶんた(聞き手=村上潔)「(インタビュー)80年代京都におけるリブ運動の模索――〈とおからじ舎〉へ、そして、それから。」(『PACE』Vol.3: 36-49、2007年): 39


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