AMeeT
COLUMN

コラム

京都の女性運動と「文化」 第2回(全3回)――〈シャンバラ〉以後、1980年代のリブ運動村上 潔(女性史研究者)

2014 07 08

スペース運営はメンバーにとって負担ではあったが、そのなかでリブ運動を総括する学習会のような「女解放の理論化と運動の方向づけ」の取り組みを地道に行なっていた。
また、このスペースの外でも、〈とおからじ舎〉は、精力的な活動を展開した。

①1984年9月22日・23日:西ドイツ映画『ドイツ 青ざめた母』上映会(於:社会教育総合センター)

戦中・戦後のドイツで困難な状況のなか生き抜いてきた一人の女性の姿を描いた映画作品(東京〈岩波ホール〉で上映された)の自主上映会を、京都で開催。情宣のポスター貼りやチラシ撒きで、京都の街じゅうを駆け回った。2日間で約650人を動員。福井・広島・金沢からの来客もあった。

②1985年6月2日:ビデオ『キャリーグリンナムホーム』『完黙』上映会(於:京都府部落解放センター)

実践的な運動のありかたを考えるのに参考となる映像作品の上映会。

③1985年7月:「国連婦人の10年」ナイロビ世界会議NGOフォーラムへの参加

メンバーの一人、井上はねこが同フォーラムに参加し、ワークショップを主催した(※6)。これに際して、〈とおからじ舎〉の取り組みと問題意識を国内の女たちに知ってもらうためのパンフレット(とおからじ舎『世界の闘う女たちへ――'85年夏 KENYA NAIROBI 国際婦人年世界会議にむけて』〔1985年〕*写真2・3)も作成した(※7)。

④1985年9月21日~23日:「女のからだから合宿」(於:東京・早稲田奉仕園)での分科会企画

東京の〈82優生保護法改悪阻止連絡会〉(略称「ソシレン」)の呼びかけによって2泊3日で開催された、「女のからだから合宿」(このときが初回。現在まで10回開催されている)の1日目に、分科会「女解放のあさって」を主催。メンバー全員が大きな刺激を受け、「リブはこれからが第2期よ!」(とおからじ舎 1986: 125)という興奮を共有した。

⑤1985年11月23日:「母子保健法改悪阻止全国同時大行動・京都編」(於:京都府部落解放センター)

④の合宿で、同年中に国会に上程される母子保健法の改悪案に反対する全国同時大行動を行なうことが提起され、札幌・仙台・東京・名古屋・京都・大阪で連携した企画を行なうことになった。その京都編を〈とおからじ舎〉が主催した。12月15日にも追加で勉強会を開催。

※6)井上本人によるレポートが、とおからじ舎(1986)に収録されている。

※7)〈とおからじ舎〉は、「国際婦人年」(1975年)以降の「国連婦人の10年」における政府の女性政策(結果的には1985年の「男女雇用機会均等法」制定につながる)と、それに積極的にコミットしようとする女性運動を一貫して批判した。このパンフレットにもその問題意識が反映されており、「私達は政府や経済界が隠している日本の現実の姿を広く伝えたいと考え、このパンフレットを作成した。ここにあるのは私達の日常であり闘いである」(とおからじ舎 1985: 3)と宣言されている。


PAGE TOP