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COLUMN

コラム

京都の女性運動と「文化」 第2回(全3回)――〈シャンバラ〉以後、1980年代のリブ運動村上 潔(女性史研究者)

2014 07 08

さて、最後に〈とおからじ舎〉が抱えていた運動的課題を確認しておきたい。〈とおからじ舎〉には、〈シャンバラ〉で中心的な存在ではなかった若いメンバー(ぎりぎりリブに「間に合った」世代)が半数を占めていたが、彼女たちはリアルタイムのリブを直接知らないがゆえの悩みを抱えていた。本(とおからじ舎 1986)に収録されている「20代○○組による座談会」では、上の世代に対する遠慮や、やりたいことが見つからない不安、うまくものを言えない(表現できない)もどかしさ、が語られている。
座談会を終えて、メンバーの一人はこう吐露する。

私たちは自分を客観的にとらえること、同じ視線で他者をとらえることはできていない。「ここにいる女」「ただの女」からさえ出発できていないのだ。
リブの女たちが創ろうとした関係のあり方を、私たちはその出発点から、ふみつぶしていたのではないか。大きな思い違いを共通して持ってしまっていた私たち20代○○組だ。
私は今、30代りぼん組に対しての申しわけなさでいっぱいだ。彼女たちが創ろうとしてきたものの土台をふみつけにして、私たちは“よくわからない”と言いつづけたのだから。(とおからじ舎 1986: 46)

かなり厳しい自己批判である。「遅れてきた」世代ゆえの、リブに対するコンプレックスととることもできる。また、別のメンバーはこのように述べている。

とおからじ舎へ行くと、私の内部で積み上げかけていたコトバはまたバラバラに崩され、ふくらんでいたものがぺしゃんこになる。ごまかしなし、掛け値なしの私を要求され、私はうろたえ自信がなくなり、またしても恐怖にかられる。一瞬にして悟りをひらくようなわけにはいかないのである。観念ではなく、現実を変えるのだから。
とおからじ舎は、アビキョーカンのシュラバとなる。(とおからじ舎 1986: 50)

ここからは、ありのままの自分を、その本音をさらけ出すというリブ的なマナーは、若い世代には恐怖として、つまりある種の抑圧として認識されていたことがわかる。リブという運動に敬意を払い、自分もそこに入ろうとすればするほど、その高い――自ら高く設定してしまった――壁に跳ね返され、自分を見失うという現象がここで見いだされる。

もちろんこれは、上の世代のメンバーが抑圧的であったという単純なことではない。リブという運動に忠実であろうとすればするほど、(突き詰めるがゆえに)その向き合いかたのギャップが顕在化し、ひとつのグループ内で齟齬が生じてしまう。結果として、グループのなかで、見えない、現実の人間関係とは別次元の抑圧が醸成されてしまう。これは運動体が不可避に抱え込む普遍的な問題であり、言うまでもなく、当事者の努力で解決するのは非常に困難である。


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