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COLUMN

コラム

黒板における科学の芸術性文:橋本幸士(大阪大学教授)

2018 11 21

「宇宙のすべてを支配する数式」に関する著作が話題の理論物理学者、橋本幸士さんによる寄稿文。橋本さんの研究室がある大阪大学理学部の壁面には、「湯川黒板」と呼ばれる黒板が設置されている。“湯川”とは、もちろん、かの湯川秀樹博士だ。ある日、彼が愛用した黒板に向き合ってみた橋本さんは、一体なにを体感したのだろう? 理論物理学において、研究者には欠かせない「黒板」という存在を、気鋭の科学者が、語り、考察する。

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大阪大学理学部に設置されている「湯川秀樹の黒板」写真
大阪大学理学部に設置されている「湯川秀樹の黒板」。2014年にコロンビア大学から寄贈された。湯川秀樹がコロンビア大学客員教授時代に部屋で使用していたもの。大阪大学の学生や教職員が自由に利用できるようオープンスペースに置かれており、いまも現役で、日々、科学の議論に利用されている。

思考をカタチにするデバイスとしての黒板

その黒板はひんやりしていた。スレートでできている。黒板の裏には産地の刻印があった。チョークで書いてみる。書き心地が、いつもの黒板とまるで違う。カツカツと良い音がする。そして、チョークがなめらかに滑り出す。

通称「湯川黒板」は、2014年に大阪大学理学部のコミュニケーションスペースに設置された。1949年、日本で初めてノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹が愛用したとされる黒板である。湯川は大阪大学理学部で、湯川理論を着想し論文を執筆した。もちろん、私は湯川と同じ理論物理学者であっても、世代がまったく違うため湯川秀樹に会ったことはない。生まれる前の世界の人である。しかし、湯川の紡いだ数式「湯川ポテンシャル」は、手になじんでいる。素粒子理論の父とも言われる湯川の開拓した地平は、基礎物理学の基盤であり、その湯川が使っていた黒板が、これだ。

非常に不思議な感覚だった。湯川黒板に数式を書くと、まるでそこに湯川がいるような気がする。湯川も、こんな風にこの黒板に数式を書いていたに違いない。そこに、時代を超えて、私という一人の理論物理学者が、同じ数式を書いている。湯川黒板は、まるでタイムマシンのようだ。

芸術は、鑑賞する人をインスパイアするスイッチだ、と私は思っている。そして、黒板に紡ぎ出される科学の数式が、もし幾ばくかの数の人々をインスパイアするなら、それはすでに芸術の一つである。湯川黒板は、その意味で、芸術であろう。

理論物理学は、人間である科学者が新しい科学を数式で生み出す活動だ。その活動において黒板が非常によく使われることを、知らない人も多いだろう。黒板を前にして、科学者は数式を書いて議論し、新しいアイデアを頭から紡ぎだし形にする。黒板に書かれた数式を黙ったまま眺めながら、立ち尽くす科学者の姿は、世界各地の大学や研究所で頻繁に見られる。黒板は、頭の中の思考を投射し造形するデバイスなのである。

『GODZILLA』の瀬下寛之監督も、まったく同じ意見をお持ちだった。アイデアを投射し拡大するためのツールとしての「黒板」。瀬下監督とは意気投合し、映画『GODZILLA 星を喰う者』本編内に登場する黒板の設定制作・監修に協力させていただくことになり、映画パンフレットには監督との「黒板談議」が掲載されている。

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