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コラム

身体空間芸術のホログラフィー:前田英一が融和する時空と身体文:橋本幸士(大阪大学教授)

2019 08 10

「宇宙のすべてを支配する数式」に関する著作が話題の理論物理学者、橋本幸士さんによる寄稿文。平成最後の夜に、京都の多角的アートスペース・UrBANGUILDを訪れた橋本さん。その日は、「FOuR DANCERS vol.130」と題して4組のダンサーが舞台にあがったが、物理学者が夢中になったのは、前田英一さんによるダンスだった。「科学の観念と親和性の大きい物理パフォーマンス」とまで言わしめた、気鋭の科学者によるパフォーミングアーツ・レビューをお届けする。

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踊る指先とブラックホールを物理学者は“観測”する

前田英一は空間を圧倒する。それは、宇宙の時空においてアインシュタイン方程式が時空の歪みのすべてを支配するかのようで、近傍で観察していたと錯覚していた観測者の私は、一瞬にして前田英一が作るブラックホールの「事象の地平面 ※1 」のほうへ、自分自身がずるずると引き込まれていることを自覚した。
空間を支配するというのは、容易なことではない。物理学者でさえ、本当の空間は圧倒できない。牛は球であると仮定する、といった小賢しい仮定を置かなくてはならないのだ。宇宙と物質の基礎方程式を知っていても、そして例えその数式が宇宙におけるすべての時間発展を支配していると知っていても、それを適用して実際に宇宙空間の一部を支配するには、人類はまだ程遠い、ということを物理学者はわきまえている。

前田英一+ryotaro(sound)
前田英一+ryotaro(sound)。2019年4月30日、UrBANGUILDで開催された「FOuR DANCERS vol.130」にて、平成最後の夜。
撮影=松尾惠

身体芸術がなぜ空間を圧倒することができるのだろう。前田英一の指先は、そんなことを考える暇も与えなかった。彼の指の小さな動きは、劇場内を彩る薄肌色の壁の隅に至るまでの空間を、支配してしまっていた。彼の身体の部位の中で動いているのは指だけで、そしてそれは踊っているのではなく、空間を動かしていた。ミケランジェロからダ・ヴィンチの、アートと科学が同一だった時代の科学を代表するような、なめらかな流体力学的な動きを見せた前田の指は、そのまま、背後の薄肌色の壁に投影される大きな指の影と一瞬も遅れずに連動した。

指先には何もない。しかし、私にはそこに、ヨーロッパの大聖堂の天井画に見られるような、指と指の接合にある光源と、そこから世界が始まるかのような「特異点 ※2 」が明らかに見えたように感じた。前田の指はその特異点を“いじって”いた。すべての物理法則を破綻させる特異点――それを彼は自分の指で、さわり、そして動かし、回していた。手元から抵抗するかのように発せられた光は、壁面に広がる大きな黒い悪魔の影として、前田の身体を呪うかのように動く。影の運動は複雑だが、しかし前田の指の運動は、確かに自分の指と同じ運動であり、そこに、重力現象を統一するホログラフィーを私は感じる。

自分はもう事象の地平面の中にいたのだろう。どの時点から、中に入ると危険である事象の地平面だったのかは、まったく自覚できない。しかし、その運動の最後に、前田がまた始状態に戻り、運動を停止したことを観測した時、私は、自分が「クローズド・タイムライク・カーブ ※3 」に乗っていたことを知った。この閉じた時間的曲線は、因果的宇宙では起こりえないという意味で破綻的である。その上に自分が乗ってしまったという破綻は、物理法則の向こう側を見せてくれているとまで強制的に感じさせた。

スムーズに、鞍点直上から無限小離れた始状態を無限の時間をかけてスタートした前田の動きは、最終的に鞍点に無限の時間をかけて戻る。次の運動は、始状態を覚えていないカオス的なものだろう。それは、また違う空間に私を連れて行ってくれると確信できるものだ。そして、クローズド・タイムライク・カーブに自分が乗っているのなら、時間を気にする必要もない。ただ単に、ユークリッド的な時空に自分を感じれば良いのだから。

※1 ブラックホールの表面のこと。一度入ると、光さえ外に出てくることができない境界面。

※2 物理量が無限大になり、物理法則を適用することができなくなるような、時空の領域のこと。

※3 過去の同じ場所に戻るような運動のこと。時空内で「時間的」な曲線で、かつ、閉じた曲線となる。

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