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コラム

EVERYONE HAS THEIR PRICE――シチュアシオニストからパンク/ポストパンクへ文:佐藤守弘(視覚文化研究)

2021 02 03

反体制的なイデオロギーを核とし、1970年代の誕生以降、音楽文化に留まらず、あらゆるカルチャーに影響を与えてきたパンク、及びその流れを引き継いだポストパンク。視覚文化研究者の佐藤守弘氏がシチュアシオニストからパンク/ポストパンクへ受け継がれた転用という手法などを軸としながら、パンク/ポストパンクに流れる思想と戦術を読み解く。

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1968年の春、ある22歳の美術学生が自分の部屋でガールフレンドと過ごしていたとき、パリの友人から電話がかかってきた。彼はその電話で、学生たちが主導した五月革命が起こったことを知る。すぐにパリに飛ぼうと思ったもののすでに飛行機会社や鉄道会社のストライキによってその願いは叶わなかった。美術学生は、いてもたってもいられず級友とともに学生を組織して運動を起こし、教育改革を求めて、学校を占拠した。その美術学生とは、当時クロイドン美術学校に通っていたマルコム・マクラレン(Malcolm Mclaren, 1946-2010)であり、ガールフレンドはヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivian Westwood, 1941-)。そして級友はジェイミー・リード(Jamie Reid, 1947-)である ※1 。もちろん、このマクラレンとは、後にニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)のマネジメントを経て、ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン Johnny Rotten/John Rydon, 1956-)をヴォーカリストとしたザ・セックス・ピストルズ(The Sex Pistols)のマネージャーとなり、「偉大なるロックンロールの詐欺師(The Great Rock ’n’ Roll Swindle) ※2 」と自ら嘯くようになる男のことだ。グループの衣装を手がけたのはウェストウッドで、リードはグラフィック面をデザインすることとなる。
マクラレンは、当時を思い出してこのように語る。

ギー・ドゥボールのことと、数人の学生が1968年のパリで彼の着想を得てそれを現実にし、パリの道路を自分たちのものとして、実質的にド・ゴール政権を引きずり下ろしてしまったことは、ここにいた私たちを興奮させた。そして私たちは私たちなりに略奪し、座り込み、自分たちの学校を占拠することで、それにオマージュを捧げたのだった ※3

この発言に出てくるギー・ドゥボール(Guy Debord, 1931-1994)は、フランスの思想家、映画作家で、芸術=政治運動のシチュアシオニスト・インターナショナル(Situationist International)の中心人物であった。シチュアシオニストとは、ドゥボールやラウル・ヴァネイジェム(Raoul Vaneigem, 1932-)が中心となった、ダダやシュルレアリスムの流れを汲み、状況にはたらきかけることを主張した反芸術的芸術運動であり、社会主義者の国際組織「インターナショナル」にならって、その組織名を「シチュアシオニスト・インターナショナル」(以後SI)と名付けたのである。

フランス、マントンの壁に書かれた1968年のシチュアシオニストのスローガン「禁ずることを禁ず!」(2006年)
フランス、マントンの壁に書かれた1968年のシチュアシオニストのスローガン「禁ずることを禁ず!」(2006年)

※1 Paul Gorman, The Life & Times of Malcolm McLaren: The Biography, London: Constable, 2020.

※2 映画:The Great Rock ’n’ Roll Swindle (Julien Temple, dir., Virgin Films, 1980)より。

※3 ドキュメンタリー映像:On the Passage of a Few People Through a Rather Brief Moment in Time: The Situationist International 1956-1972, (Branka Bogdanov, dir., 1989)のなかでの発言より。

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