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コラム

パンクの視覚文化 前半セックス・ピストルズ・プロジェクト文:佐藤守弘(視覚文化研究)

2021 07 09

パンクの暴力性・反体制的なイデオロギーを表現する特徴的なグラフィックの数々。あらゆるカルチャーに影響を与えてきたパンクの視覚性はどこから来てどこに行ったのか。本稿ではパンクの視覚性を分析し、系譜を明らかにすることでその源泉を探る。前半では、主にセックス・ピストルズのグラフィック面を担当したジェイミー・リードに焦点を当て、シチュアシオニストからの影響やダダにおけるフォトモンタージュなど、リードの表現手法やそのルーツを辿りつつ、同時にそれらに宿るデザインの思想について考察する。

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セックス・ピストルズ(Sex Pistols)がロックの歴史上、もっとも重要なグループのひとつであることに異論がある人はそれ程いないだろう。しかし語られるのは、その服装や態度、そしてそれらがもたらしたスキャンダルについてが多く、たとえば、対抗馬と見なされたザ・クラッシュ(The Clash)とは違って、その音楽自体について語られることは比較的少ないように思える——もちろん音楽としてつまらない訳ではなく、「さらばベルリンの陽(Holidays in the Sun)」の冒頭の軍靴の音に重なって入ってくるバンド・サウンドをはじめて聞いた時の衝撃は今でも忘れない。それでも、音楽以外のことが多く語られる理由は、活動期間が短くオリジナル・アルバムが1点しかないことや、音楽面での中心であったベーシストのグレン・マトロック(Glen Matlock, 1956-)が途中で脱退した——その代わりにシド・ヴィシャス(Sid Vicious, 1957-1979)というパンクの一大アイコンを手に入れるのだが——こともあるだろうが、なんといってもセックス・ピストルズが、音楽グループだけに留まらなかった点にあるのではないだろうか。むしろ、それはある種の文化的プロジェクト ※1 であったと考えた方がよいように思える。

そのプロジェクトのリーダーが、毀誉褒貶激しいマネージャーのマルコム・マクラレン(Malcolm McLaren, 1946-2010)であることは間違いないだろう。そしてプロジェクトの構成員とは、当時のマクラレンのパートナーで衣装面を担当したヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood, 1941-)と、マクラレンの美術学校での級友でグラフィック面を担当したジェイミー・リード(Jamie Reid, 1947-)であったと考えてみよう。衣装、グラフィックと、視覚に訴える側面を支える人間がプロジェクトに入っていたこと——もちろんマクラレン自身も美術学校で教育を受けた人間である——が、セックス・ピストルズというプロジェクトを従前のロック・バンドとは一線を画する存在にしたのではないかと私は考えている。

本稿は、パンクの視覚文化について考えることを目指している。もちろんポピュラー音楽においては、視覚的な側面は常に重要なものであった。ハード・バップ・ジャズ、ロカビリー、ファンクは、それぞれ、それらしい服装とセットとして想起される。つまり、それぞれのジャンルのアイデンティティは、音楽だけではなく、視覚面においても認められるのだ。しかし、パンクの場合は、その視覚的特性は際立っていると考えられる。そして服装とともに重要だったのが、レコード・ジャケットやポスター、コンサートのフライヤーなどのグラフィック・ワークであった。本稿では、パンク文化を音楽のみにとどまらない総合的な文化と捉えた上で、そこに見られる視覚性を分析し、その系譜を明らかにし、さらにその方法について吟味することで、パンクの視覚文化の奇妙な面白さの源泉を探ってみたい。

なお本稿は、AMeeTに寄稿した拙稿「ポピュラー・カルチャーとアーカイヴ——期待と困難」(連載「巨大な書庫で迷子になって」第3回、2018年3月31日)および「EVERYONE HAS THEIR PRICE——シチュアシオニストからパンク/ポストパンクへ」(2021年2月3日)を受け継ぐという位置づけのテクストであるので、それらも参照されたい。

※1 セックス・ピストルズを「プロジェクト」として捉えるという着想は、山口百恵(1959-)自身による「私が歌をうたっているということは、〝山口百恵〟個人の仕事じゃないんですね。そのほかに大勢のスタッフがいて、その総体として〝山口百恵〟があるわけでしょう」というインタヴューでの発言に触発されたものである。中川右介『山口百恵——赤と青とイミテイション・ゴールドと』朝日文庫、朝日新聞出版、2012年。

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