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コラム

パンクの視覚文化 前半セックス・ピストルズ・プロジェクト文:佐藤守弘(視覚文化研究)

2021 07 09

まずは、セックス・ピストルズ・プロジェクトに至るまでのジェイミー・リードの経歴を、自伝を含む作品集Up They Rise ※2 を基に見ていこう。リードは、1947年に生まれ、ウィンブルドン美術学校を経て、クロイドン美術学校へと転ずる。そこで彼は、——拙稿「EVERYONE HAS THEIR PRICE」でも触れたように——マルコム・マクラレンと出会い、知り合ってすぐにパリの五月革命に影響された学校占拠を決行することとなる。

リードのようにいくつかの美術学校を渡り歩くことは、当時よくあることだった。社会学者、成実弘至によると、「かつてイギリスは学生に学費や生活費を援助したので、ボヘミアン気取りの若者たちは美術学校を転々とするのが習いであった。英国のロックミュージシャンに美術学校出身者が多いのはそのせいである ※3 」という。マクラレンに至っては、セント・マーティンズ美術学校、ハロウ美術学校、クロイドン美術学校 ※4 、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジと4つの学校を渡り歩いている。美術批評家ジョン・A・ウォーカー(John A. Walker, 1938-)が、「アーティストが自由な個人、反体制のアウトサイダーであるというロマンティックな考えと、アートのイデオロギーと自律性、個の表現、創造性、独創性、実験といったそれに関連する概念が美術学校を支配していた ※5 」と指摘しているように、当時の美術学校は、社会から独立したアジール(自由な聖域)のように受け止められていたのである。

ポール・ウェラー(Paul Weller, 1958-)は、ザ・ジャム(The Jam)の曲「アート・スクール (Art School)」で、「したいことは何でも、行きたいところにはどこでも、したいことをするのに許可なんて必要ない。どんな趣味でも大丈夫、格好良ければどんな服だって着ていい。言いたいことならなんでも言え。だってこれが新しい美術学校だから ※6 」と歌ったが、これこそが当時の美術学校に対して一般が抱いていた印象であり、ウォーカーのいうように「美術学校は、管理され、抑圧的な社会のなかの自由の飛び地のメタファーであった ※7 」のである。実際、リードは自伝のなかで、1980年代中盤のサッチャリズム下での教育予算の削減の結果、将来に怯える学生と違って、自分の学生時代はイギリスに金が溢れかえっていて、保護され、特権を享受していたと回想している。

美術学校を出た後、1970年にリードは、ロンドンのクロイドン地区で『サバーバン・プレス(The Suburban Press)』という雑誌を仲間たちと創刊する。それは5年間で6巻しか発行されなかったものの、「地域の政治や議会の腐敗を徹底的に調査して、そこに私自身のグラフィックとシチュアシオニストのテクストを混ぜた迷惑なフォーマット ※8 」の雑誌だったという。

『サバーバン・プレス』での彼のグラフィック・イメージとは、たとえばそびえたつクロイドン地区の高層ビルの前にドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798-1863)の《民衆を導く自由の女神(La Liberté guidant le peuple)》(1830)をモンタージュしたもの【図1】で、作品集Up They Riseでは、シチュアシオニストの中心人物、ギー・ドゥボール(Guy Debord, 1931-1994)のテクスト「都市開発は、資本主義による自然と人間の環境の占有である——それは論理的に、絶対的な支配にいたるまで発展する ※9 」が添えられている。資本主義にがんじがらめにされた都市生活に叛乱を企てる民衆というメッセージが明解に読み取れるイメージであろう。

図1:ジェイミー・リード、題不詳(Reid, Up They Rise, 39.)
図1:ジェイミー・リード、題不詳(Reid, Up They Rise, 39.)

あるいは『サバーバン・プレス』3号に掲載されたグラフィック・イメージ【図2】を見てみよう。新聞の紙面やテレビやラジオにモンタージュされた手には紙幣が握られていて、手書きで「注意:あなたは常に脅迫され威嚇されている。ライフ・スタイルを操作する者は、あらゆるスクリーン、あらゆるページ、あらゆる放送の裏に隠れている」とある。こうしたマスメディア批判もシチュアシオニスト的といえるだろう。このイメージは、リード自身、「後にセックス・ピストルズで使ったスタイル ※10 」と述べるように、パンクのグラフィックを想起させる。それと同時に、その遠祖として考えられるのが、20世紀初頭の反芸術運動、ダダにおけるフォトモンタージュである。

図2:ジェイミー・リード、題不詳(Reid, Up They Rise, 17.)
図2:ジェイミー・リード、題不詳(Reid, Up They Rise, 17.)

※2 Jamie Reid, Up They Rise: the Incomplete Works of Jamie Reid, London: Faber & Faber, 1987.

※3 成実弘至「ヴィヴィアン・ウエストウッド」、『20世紀ファッションの文化史——時代をつくった10人』河出書房新社、2007、201-229。

※4 これらの美術学校は、1992年の学制改革などによって、現在は大学、あるいは大学の一部となっている。ウィンブルドン美術学校とセント・マーティンズ美術学校はロンドン芸術大学のカレッジに、クロイドン美術学校はポリテクニック(総合技術専門学校)と合併してクロイドン・カレッジに、ハロウ美術学校はウェストミンスター大学の一部になっている。イギリスの美術学校や大学の学制については、「訳者あとがき」(『ヴィジュアル・カルチャー入門——美術史を超えるための方法論』岸文和、井面信行、前川修、青山勝、佐藤守弘訳、晃洋書房、2001、231-240)を参照。

※5 John A. Walker, Cross-overs: Art into Pop/Pop into Art, London: A Comedia Book, 1987. “As, Frith and Horne point out, the Romantic idea of the artist as a free individual, an anti-establishment outsider, and the ideology of art with its associated concepts of autonomy, personal expression, creativity, originality, and experiment, hold sway in art colleges.” この文が前提にしているのは、Simon Frith and Howar Horne, Welcome to Bohemina! (Coventry: University of Warwick, Department of Sociology, 1984)という冊子における記述である。

※6 The Jam, “Art School,” In the City, Polydor, 1977. “Anything that you wanna do, anyplace that you wanna go/Don't need permission for everything that you want/Any taste that you feel is right/Wear any clothes just as long as they're bright/Say what you want, 'cos this is a new art school.”

※7 Walker, op. cit.. “[…] the art school served as a metaphor for an enclave of freedom in an otherwise controlled and repressive society.”

※8 Reid, op. cit.. “[…] a shit-stirring format, with thorough research into local politics and council corruption, mixed with my graphics and some Situationist texts.”

※9 Reid, ibid.. “Urbanism is this taking hold of the natural and human environment by capitalism: developing logically into absolute domination.” ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』(木下誠訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2003)でのフランス語原典からの訳文を参考にした。

※10 Reid, ibid.. “Collage done for SUBURBAN PRESS 3, very much in the style I later used with the Sex Pistols.”

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