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COLUMN

コラム

パンクの視覚文化 前半セックス・ピストルズ・プロジェクト文:佐藤守弘(視覚文化研究)

2021 07 09

「フォトモンタージュ(photomontage)」とは、広義には多重露光やコンピュータを使った合成写真のことも含むが、ここで取り上げるのは、20世紀初期のアヴァン・ギャルド芸術で用いられることの多かった、写真を切り貼りして編集し、それを再撮影してプリントに仕上げたものを指す——写真だけではなく、雑誌などの文字も切り貼りされることも多かった。再撮影から一枚のプリントにするという点が、よく混同されるコラージュ (collage)と異なる。コラージュは、フランス語の «coller»(糊付けする)という動詞の名詞形であり、パピエ・コレ (papier collé、糊付けされた紙)という異名からも分かるように、さまざまな素材を紙やカンヴァスなどの画面に貼り付けたもので、たとえばキュビストたちによって用いられた技法である。コラージュとフォトモンタージュの違いとしてまず挙げられるのは、複製のしやすさである。一点限りのコラージュとは違い、すでに写真によって複製されているフォトモンタージュは、さらに複製して、雑誌の挿図やポスターのかたちで大量に印刷することに向いている。この手法を作品制作に導入したのは、ラウル・ハウスマン(Raoul Hausmann, 1886-1971)、ジョン・ハートフィールド(John Heartfield, 1891-1961)、ハンナ・ヘッヒ(Hannah Höch, 1889-1978)などベルリン・ダダの芸術家たちであった ※11

図3:ジョン・ハートフィールド『デア・ダダ(Der Dada)』3号表紙
図3:ジョン・ハートフィールド『デア・ダダ(Der Dada)』3号表紙、1920、写真石版印刷、23×15.6cm、ワシントンDC、ナショナル・ギャラリー所蔵(Leah Dickerman, et al. Dada : Zurich, Berlin, Hannover, Cologne, New York, Paris, Washington D.C. : National Gallery of Art, 2005, 132.)

美術批評家ロザリンド・クラウス(Rosalind Krauss, 1940-)は、ダダにおけるフォトモンタージュの使用は「現実のたんなる映像に意味を浸透させる手段と見なされた。それは並置によって、つまり、イメージとイメージ、あるいはイメージとドローイング、あるいはイメージとテクストの並置によって成し遂げられた ※12 」という。つまり、光が人間の手によらず自動的に感光面に残した痕跡である写真は、それだけでは明確な意味を伝えることはできない——ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1980)は、そうした写真の性質を「コードのないメッセージ」と呼んだ ※13 。そのように捉えどころのない写真を切り抜き、貼り合わせ、一枚の写真として再構成することによって、要素としての個々の写真は、単語となり、並置されたイメージやテクストとともに、まるで文章のように意味を伝えることが可能になる。だからフォトモンタージュは、左翼的傾向の強いダダの芸術家が社会や政治を批判する際に使用する道具として最適であったのだ。イギリスの先鋭的な美術学校の学生としてさまざまなアヴァン・ギャルド芸術に接していたリードが、自らのグラフィック・ワークにダダ的なフォトモンタージュを取り入れたのは、自然なことだったのだろう。これこそ「ダダの爆弾」がパンクにおいて爆発したということなのである ※14

ただし、いくら前衛芸術からその着想を得たとはいっても、ポピュラー・ミュージックの世界があくまでもビジネスの世界であるということを忘れてはならない——とくにセックス・ピストルズのような大成功を収めたバンド=プロジェクトの場合は。前掲のウォーカーが、サラ・チャップリン(Sarah Chaplin)と著した教科書『ヴィジュアル・カルチャー入門』では、マクラレンやリードの例が、資本主義市場で売買される商品でありながら、その商品的な性格と矛盾する逆説的なメッセージや内容を持つように構想されている例として挙げられている ※15 。そのひとつがセックス・ピストルズの分解後、マクラレン、リード、ウェストウッドのチームがプロデュースした、アナベラ・ルウィン(Annabella Lwin, 1966-)というミャンマー系の少女をフロントに据えたバウ・ワウ・ワウ(Bow Wow Wow)である。デビュー・シングル「C30・C60・C90・ゴー(C·30 C·60 C·90 Go)」(EMI, 1980)でルウィンは、ウェストウッドがデザインした「海賊」ファッションをまとい、「ジャングル・ビート」風のドラム・サウンドに乗せてラップ的に歌ったのだが、そのメッセージは、カセット・テープにラジオなどから音楽を録音することを推奨するというような逆説的なものだったのである ※16 。もう一つの例は、リードが1986年に行った展覧会で展示した「この店は万引を歓迎します」というステッカーについてであった【図4】。このステッカーは、作品として売られていたので、まさしく矛盾したメッセージであった。これらの例について、この教科書では明確な解釈は行われていないが、その前段では、ポップ・アートやさまざまなポストモダン・アートが「資本主義のもとにある芸術は資本主義的な性質を具えるということを教えてくれる」と指摘されている。私が「EVERYONE HAS THEIR PRICE」でも指摘したように、スペクタクルをもってスペクタクルを愚弄し、嘲笑するというシチュアシオニストの「転用(détournement)」の戦術がここに見られるのだと考えることができるだろう。

ジェイミー・リード、題不詳(Reid, Up They Rise, 42.)
ジェイミー・リード、題不詳(Reid, Up They Rise, 42.)

後半では、セックス・ピストルズなどロンドン・パンクの影響下に北アメリカで登場した、とくにハードコア・パンクのバンドによるフライヤーなどに、どのようにモンタージュの技法が使われてきたかを考察する。そしてそれが当時に普及しはじめたフォトコピー法を携えて——「フォトコピー・モンタージュ」と名づけたい——広まっていく様子や、文化的、社会的、技術的諸条件の変化によるその限界を見ていきたい。

1970年代のパンクのファンジン
1970年代のパンクのファンジン

※11 ジル・モラ「フォトモンタージュ」、『写真のキーワード——技術・表現・歴史』前川修、小林美香、佐藤守弘、青山勝監訳、昭和堂、2001、149-152。

※12 ロザリンド・クラウス「シュルレアリスムの写真的条件」、『アヴァンギャルドのオリジナリティ——モダニズムの神話』谷川渥、小西信之訳、月曜社、2021、136-177。クラウスは、ここでジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)のいう「間隔化(espacement)」という理論を援用してダダのフォトモンタージュを読み解いている。

※13 ロラン・バルト「写真のメッセージ」、『第三の意味——映像と演劇と音楽と』澤崎浩平訳、みすず書房、1984、1-22。あるいは『映像の修辞学』(蓮實重彦、杉本紀子訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2005、49-81)にも収録。

※14 Greil Marcus, Lipstick Traces: A Secret History of the Twentieth Century, London: Faber and Faber, 2001. 拙稿「EVERYONE HAS THEIR PRICE」を参照のこと。

※15 ジョン・A・ウォーカー、サラ・チャップリン「ヴィジュアル・カルチャーと商業」(前掲『ヴィジュアル・カルチャー入門』194-209)。なおこの章の翻訳を担当したのは私であり、若い頃から慣れ親しんだ人名やバンド名が出てくることに喜びながら訳したのを今でも覚えている。

※16 バウ・ワウ・ワウのデビューLP、See Jungle! See Jungle! Go Join Your Gang Yeah, City All Over! Go Ape Crazy! (RCA, 1981)のジャケットが、エドゥアール・マネ(Éduard Manet、1832-1883)による、当時大スキャンダルを起こした《草上の昼食(Le Déjeuner sur l'herbe)》(1862-1863)のパロディであり、原作と同じようにこのジャケット・ワークも当時14歳だったルウィンが全裸で写っていることがスキャンダルを巻き起こした。

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佐藤守弘 | SATOW Morihiro

同志社大学文学部教授。専門は芸術学、視覚文化論。風景/トポグラフィの視覚文化研究、ポピュラー/ヴァナキュラー・イメージ研究など。単著に『トポグラフィの日本近代――江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』(青弓社、2011年)、共編著に『学校で地域を紡ぐ――『北白川こども風土記』から』(小さ子社、2020年)、分担執筆に『開封・戦後日本の印刷広告 『プレスアルト』同梱広告傑作選〈1949-1977〉』(創元社、2020年)、『美学の事典』(丸善出版、2020年)、『クリティカル・ワード メディア論――理論と歴史から〈いま〉が学べる』(フィルムアート社、2021年)など。

佐藤守弘の経歴/業績

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