AMeeT
ARCHIVES

アーカイヴと再制作

連載「巨大な書庫で迷子になって」(全3回)第1回:美術館とオンライン・アーカイヴ文:佐藤守弘(視覚文化研究)

2018 01 11

さて、ここで「アーカイヴ(archive)」という言葉の意味を整理しておきたい。語源はギリシア語で「役所」を意味する「arkheion」(それはさらに「政府」を意味する「arkhē」、そして「arkhein」すなわち「支配する」までたどることができる)。基本的には複数形(archives)で用いられ、「公文書の保管所」という意味である。たとえば1971年に開館した国立公文書館の英語表記は“National Archives of Japan”であり、それに先立つ1963年に開館した京都府立総合資料館(現、京都学・歴彩館)の英語表記は、“Kyoto Prefectural Library and Archives”である。つまり公文書館などは「アーカイヴズ」と称するのが本来正しい。ところが哲学や思想の研究や、さらには美術や写真の研究/批評の世界では、アーカイヴを単数形で用いる場合もよく見られる。ある時代・地域に生きた人びとの思考の傾向を考察しようとするとき、その分析対象となるのは、その時代・地域で発話され書き残された言葉であるが、その一見、無秩序にも見える集合体を比喩的にアーカイヴと呼ぶ。公文書館のように確固たる目的を持って人為的に収集され、分類され、保管されるアーカイヴズとちがい、残された言葉の集合体をアーカイヴのようなものとして見るのである(※6)。単純化していえば、現実世界に物理的に存在し、紙ベースの文書を集め保管する機関を「アーカイヴズ」と呼び、概念/批評用語としては単数形の「アーカイヴ」を用いるというのが基本ではないかと——あくまでも私見ではあるが——捉えている。

ところが、紙ではなく、デジタル化されると前者も「アーカイヴ(archive)」と単数形で用いられることが多くなる。その正確な理由に関しては、門外漢である私には分からない(この点に関してはどなたかご教示いただきたい)が、もともとは物理的存在である紙に記された情報がデジタル化されることにより、実在と概念のあいだを漂うような存在となるからではないかと考えている。

※6)ミシェル・フーコー『知の考古学』新装新版、中村雄二郎訳、河出書房新社、2006年。フーコーの「アーカイヴ/アルシーヴ」概念については、濱野智史「ミシェル・フーコー『知の考古学』を読む──アルシーヴの環境的転回?」(『〈歴史〉の未来』第4回、ウェブサイト『artscape』、DNP大日本印刷、2010年01月15日号)も参照のこと。


PAGE TOP