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ARCHIVES

アーカイヴと再制作

拡張するアーカイブ[後半]文:林田 新(京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員/大学非常勤講師)

2015 04 15

元来、アーカイブという言葉は、公文書/公文書館を意味していたが、近年、その意味や役割を変えつつある。2014年4月に開設された京都市立芸術大学芸術資源研究センターでは、関連する分野の識者を研究会に招き、アーカイブの理論と実践についての議論を重ねてきた。本小論では、各研究会での議論を手がかりにして、今日のアーカイブについて改めて考えてみたい。

一般的にアーカイブは、有形無形の資料を収集・保存し、未来へと伝えることであると考えられている。しかし、こうした理解はアーカイブの一側面しか捉えられていないのではないだろうか。アーカイブとは資料を未来へと伝えるものである一方で、事後的な活用に寄与するものでもあるからだ。その意味において、アーカイブは資料を残すことと残された資料を活用することの両側面から考えられなければならない。しかし、アーカイブについての多くの議論は資料を残すことをもっぱらの論点としており、残された資料とどう向き合い活用するのかについては十分に検討されていないのではないだろうか。

こうした問いに示唆を与えてくれたのが、第五回アーカイブ研究会におけるアーティストの田中功起氏の発表であった。その内容は「アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている」という発表タイトルに端的に表れている。すなわち、アーティストは同時代の観客に向けて作品を作っているというよりはむしろ、将来においてその作品を評価するであろう、未来の観客に向けて作品を作っているということである。いわば、アーティストは自覚的であれ無自覚的であれ、未来からの視線を先取りして内面化しているということである。多くのアーティストが作品を作ったり展覧会を開催したりすることと同程度に(あるいはそれ以上に)、自らの営為を記録し残すことに心を砕いているのはこうした心性の表れなのかもしれない。

未来からの視線を前提にして作品を作るということは、現在/過去から未来へと向かう歴史的展開を前提としている。田中氏の作品は、過去作品の再制作や過去に行われた行為の再演といった傾向を有している。いわば、既存の作品を資料として活用しているのである。しかし、それは過去の作品や制作者の意図を忠実に再現/再演しようとするものではない。その時々の状況に応じたその都度の関心から過去を自在に再解釈しているのである。と同時に、田中氏の作品は自らの営為を映像によって記録した「資料」という側面も有している。その意味において田中氏は過去、現在、未来を自作の中に折りたたみ、単線的な歴史を撹乱しようとしているのである。


林田 新 HAYASHIDA Arata

林田 新 HAYASHIDA Arata

京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員/大学非常勤講師。専門は視覚文化論、写真史/写真論。現在は報道写真をめぐる理念と実践に着目し研究を行っている。主な論文に、「長崎の皮膚――『〈11時02分〉NAGASAKI』」(『現代思想』41号、2013年)「星座と星雲――「名取=東松論争」に見る「報道写真」の諸相」(『映像学』第84号、日本映像学会、2010年)、「写真を見ることの涯に――中平卓馬論」(『写真空間』第4号、青弓社、2010年)など。共訳論文にサンドラ・S・フィリップス「森山大道 ストレイ・ドッグ」(『森山大道 オン・ザ・ロード』月曜社、2011年)。

林田 新 WEBサイト
http://www.arata-h.com/


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