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アーカイヴと再制作

連載「巨大な書庫で迷子になって」(全3回)第3回:ポピュラー・カルチャーとアーカイヴ——期待と困難文:佐藤守弘(視覚文化研究)

2018 03 31

3. アーカイヴの破壊

こうしたポピュラー・カルチャーやサブカルチャーが産業として注目されだすのも1990年代のことで、90年代の終わり頃には「クール・ブリタニア」のキャッチフレーズとともに、アートや音楽やファッションは、金を生み出す「コンテンツ」として、トニー・ブレア政権の基で国策的に振興されていくようになる(それを模したのが「クールジャパン」であるとも言われている)。政策としては、クール・ブリタニアは、2000年代になると終息していくが、ポピュラー・カルチャー、サブカルチャーは、まさに「資源」として活用され続ける。

それを如実に示したのが、2012年ロンドン・オリンピックの閉会式であった。60年代から当時に至るまでのイギリス生まれの音楽の数々(そしてモンティ・パイソンまで!)が会場を沸かせたのである(※8)。なによりも、ザ・フーの曲「ピンボールの魔術師」が演奏されるなか、モッズのスクーター・ランが行われたことは、衝撃的であった。10代から親しんできたモッドというサブカルチャーが、このような大規模なイヴェントに登場することへの喜びとともに、それがまさしく国家的、経済的資源として消費されていることに、ある種の悲しみが襲ってきたのである——あくまでも個人的な感傷かもしれないが。

このようにサブカルチャーが研究され、保存され、その果てに国家や企業によって利用されていくことへの違和感を感じていたのは、私だけではないだろう。そのことが表面化したのが、一昨年(2016年)のことであった。

一昨年、「パンク・ロンドン——破壊的文化の40年」というイヴェントが開催され、さまざまな展覧会、コンサート、映画上映、講演会などが1年間にわたってロンドン各地で行われた(※9)。協賛したのは、ロンドン市と国営宝くじであり、1976年のザ・セックス・ピストルズのデビューから40年、パンク・サブカルチャーは、公的に顕彰される文化となったのである。

これに対して公然と批判したのが、ジョセフ・コーという人物であった。彼の父は、ザ・セックス・ピストルズのマネージャーであったマルカム・マクラレン、母はパンク・スタイルをつくりあげたデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドである。コーは、「パンク・ロンドンを焼き尽くせ (Burn Punk London)というウェブサイトを立ち上げて、パンクの資源化に抗議の意を示した。

1976年、パンクによる既成勢力への挑戦、その不満のメッセージ、「未来なき(ノー・フューチャー)」世代による「反抗の叫び(レベル・イェル)」は、変革へのドゥ・イット・ユアセルフ的、創造的な権限付与であった。それははじめからモノを創造するにあたってのインスピレーションであった。またこれは、それらが現在においてはなんの価値も意味もないことの理由でもある。もしそれらが失われる前に、商業的文化のスープに沈み込んでいくさなかに、私がその価値を守るために抵抗しなければ、他の誰もやらないだろう。それらの物品は、私にとっては無用のもの、存在しない何かの聖堂、聖像、物神となるだろう! オスカー・ワイルドは、すべてのものの価格を知りながら、そのどの価値も知らない人びとについて語った。いまこそ、それを本当に考えるべき時だ。私たちは経験している現在の文化的、政治的忘却とパラレルである。(※10

そして彼は、2016年11月26日にテムズ川に浮かべたボート上で、亡父から受け継いだ500万ポンド(日本円で7億円強)に値すると言われるパンク・コレクションを焼き尽くすこととなる(※11)。

彼のしたことは、単なる売名行為かもしれないし、税金対策かもしれない。私も文化研究者としては、彼の行為をある種のヴァンダリズム(文化破壊行為)として大いに批判するだろう。その一方で、アーカイヴをめぐる寓話として捉えることもできるのではないかと考える。つまりエフェメラル(一時限り)であることにその存在の価値の多くがあるモノを、恒久的なかたちで保存し政治的/経済的な目的のために利用するという矛盾の終局が破壊に至ってしまうという暗い寓話として(※12)。

さらにいえば、ポピュラー・カルチャー/サブカルチャーを収集・保存するための基礎的な考え方が、いまだに高級文化/芸術を保存するための方法論から抜け出しきれていないというのが、問題のひとつなのではないかと考えている。近代的な芸術概念のなかでかたちづくられてきた創造的な主体としての「作者」とその成果物としての唯一無二の「作品」というモデルを、そのままポピュラー・カルチャー/サブカルチャーに当てはめていいのか? これはパンクだけではなく、マンガ、アニメ、ゲーム、その他のポピュラーなメディアを収集、保存、アーカイヴ化する時には、根源的に考え直さなければいけないのではないかと考えている。

もう一つ大きな問題は、文化の資源化に関わる。「日本の文化財や特色のある文化、芸術などの有用な資源を活用して、新しい経済的価値を創造していこうという政策(※13)」に関するニュースが昨年来インターネット上で話題になっていて、その課題や懸念についてもさまざまな視点から論じられている(※14)。こうした資源化の具体的な方策として挙げられているのが、デジタル・アーカイヴなのである。本稿ではマンガ、アニメ、ゲームのアーカイヴ化に関する諸問題や、ジョセフ・コーの「寓話」を例に挙げたが、アーカイヴ化を進めると同時に、「どのように」アーカイヴしていくかについてつねに論議をし続けていかないといけないのではないだろうか。

※8)MailOnline, “Feeling sad about the end of the Games? Eric Idle leads 80,000 crowd in rendition of Always Look on the Bright Side of Life”(2012年8月12日)、およびウィキペディア「2012年ロンドンオリンピックの閉会式」を参照のこと。

※9)Culture 24, “How did we get here? Punk.London: 40 Years of Subversive Culture reignited at The 100 Club”(2015年1月20日)にその一部が掲載されている。

※10)“In 1976 Punk’s challenge to the establishment, it’s a message of discontent, the Rebel Yell from generation No Future, underpinned the DIY creative empowerment for change. That was the inspiration for the creation of these objects at their inception. In turn this is why they have any value or meaning today. If I don’t make a stand to defend these values before they are lost entirely, as they sink to the bottom of the commercial cultural soup, no one else will! These items would become worthless to me, a shrine, icon or fetish to something that doesn’t exist! Oscar Wilde talked about people knowing the price of everything and the value of nothing. It’s time to really think about that! There are parallels to be drawn with the current cultural and political oblivion we are experiencing.” (拙訳)
http://burnpunklondon.com/?page_id=415

※11)The Gurdian, “Punk funeral: Joe Corré burns £5m of memorabilia on Thames”(2016年11月26日)

※12)この寓話は、パンクだけでなく、その源流である芸術運動のシチュアシオニスト・インターナショナルにも当てはまるし、さらのそのおおもとの反芸術としてのダダにも言えることかもしれない。

※13)『毎日新聞』ウェブサイト、「『稼ぐ』文化財 経済価値創造で地方創生」(2018年1月10日)という記事に詳しい。

※14)『朝日新聞』ウェブサイト、「(社説)文化財の活用 万全の保存あってこそ」(2017年12月19日)など。


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