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アーカイヴと再制作

タイムベースド・メディア・インスタレーション『HUMAN EMOTIONS』の再制作・修復・保存に関する資料と議論 (全4回)―どのような形で作品を残すべきか第4回:再制作・修復・保存に関する15の議論 後半

2018 06 12

16-2. 現実的に考えて全て残すことが難しい中で、どこまで残すか

――堤さんは“時計くん”、“切り株”、“木彫りの人形”について、オリジナル・ヴァージョンで使用されたものの方がよいと思いますか。

(堤)
それらはその方がいいと思います。

――では“ペットボトル”についてはどうでしょう。

(堤)
“ペットボトル”は置き換え可能だと思います。カルピスの“ペットボトル”がコカ・コーラの“ペットボトル”に変わってもいいとさえ思っています。

――そうすると、「実際に撮影で使用されたものか」「オリジナル・ヴァージョンで展示されたものか」ではなく、「大量生産されているような置き換えやすいものか」で判断するということでしょうか。

(堤)
浅はかかもしれませんが、「鑑賞者が分かるか分からないか」が一つの判断基準になると考えています。その基準でいえば、“切り株”が変わっていても鑑賞者にはわからないかもしれません。ただ、“ロウソク”の溶け方にアウラ ※6 があるのかというと...あるんでしょうけどね。

(山城)
...理想としては、全部保存しておいた方がよかったとは思っているんですよ。でも正直、どちらでもいいという気持ちもあります。

――“ペットボトル”などは、撮影時、偶然その場にあったのかもしれないけれど、撮影で使用し、オリジナル・ヴァージョンで展示したことで必然性が生まれ、アウラが宿った。だから、少なくとも構成要素(物質)に関しては、できる限り全部残した方がいいというのが私の見解です。

(山城)
自分でも、できる限り全て保存すべきなのか、物理的に置き換え可能なものは処分してもいいのか、わからなくなっています。

(堤)
全部残すのであれば、床面の“白パンチカーペット”も残す必要があるじゃないですか。“白パンチカーペット”は、展示空間の条件、つまり環境であると割り切れない。
撮影時に“白パンチカーペット”は焦げましたよね?

ARTZONEでの展示(オリジナル・ヴァージョン)  全景。
ARTZONEでの展示(オリジナル・ヴァージョン) 全景。
ARTZONEでの展示(オリジナル・ヴァージョン)と、ラフォーレミュージアム原宿での展示では、インスタレーションの内部全面に“白パンチカーペット”が敷かれており、鑑賞者が靴を脱いで入場し、カーペット上に座って鑑賞することが想定されていた。
床面に白パンチカーペットを敷くことは、[資料A-1. 仕様書:展示空間の条件-フル・ヴァージョン時] ※7 にも明記されている。
撮影:表恒匡

(山城)
ああ、ちょっと焦げましたね。

(堤)
そういった痕跡もある。 でも“白パンチカーペット”を置き換え不可能と定義してしまったら、作品のサイズも決まってしまうし、保存の観点から、“白パンチカーペット”の上で鑑賞してもらうこともできなくなる。「鑑賞者が分かるか分からないか」「物理的に置き換え可能か」を基準にすることは、保存する側、再制作する側にとって必要な逃げというか、予防というか...。実際的に考えて、完全な再現を求めるとキリがないですから。

――「本来は焦げ跡がついた“白パンチカーペット”も残さなければいけない」というのは、重要な指摘だと思います。堤さんが今言ったような問題に加え、保存場所の問題もあるので、「これは残す、これは残さない」というラインを引いた方がいいと思います。ラインを全く引かないのはよくないので、「構成要素(物質)に関してのみ、全て残した方がいい」と考えました。このラインの引き方が、あらゆる作品に当てはまるとは思いません。

(堤)
この記事が公開されていない現段階では、撮影、オリジナル・ヴァージョンで使用した“ペットボトル”を処分したことは公表されていません。再制作時や、今後『HUMAN EMOTIONS/ヒューマン・エモーションズ』(以下、『HUMAN EMOTIONS』)が美術館に収蔵される場合、「これは実際に撮影、オリジナル・ヴァージョンで使用したペットボトルです」と主張することもできますが、そのように主張することについて中本さんはどう考えますか。

――嘘を付くことになるので、倫理的に問題があり、容認すべきではないと考えます。

(堤)
「実際に使用したペットボトルである」ということは嘘ですが、「これが作品の一部である」と山城さんが主張することは嘘ではないですよ。

――「これは作品の一部である」ということは、もちろん主張していいと思います。そのうえで、「この“ペットボトル”は実際に撮影で使用したものではない。撮影で使用したものはオリジナル・ヴァージョンの搬出時に処分してしまったから、作家自身が代替品を用意した」ということをオフィシャルの記録として残し、情報開示するのがいいと思います。

(堤)
ということは、山城さん次第ですよね。

(山城)
「構成要素(物質)は、基本的に現在保存しているものを使い続ける。ただ、もし何らかの理由で破損・ロストした場合には、それと同じ製品か、できる限り近い代替品に置き換えてもよい」というのが、今後僕がとるスタンスじゃないかな。そうなったときに、誰がそれを選ぶのか、破損した場合、どの時点で置き換えるのかという問題が出てくるかもしれないけれど、それは修復する人たちが考えることで...。

(堤)
すでに山城さんが死んでいる可能性もありますからね。

(山城)
例えば作家の死後、経年劣化で“ペットボトル”の色が変わってしまった時、僕は置き換えるという選択をしてもいいと思っている。でも、そう思わない人もいるかもしれない。保存・再制作する人が「作家が指定したもののほうが価値がある」と考えた場合、“ペットボトル”が変色してもそのまま使い続ける可能性はある。そこまで作家が踏み入れなくてもいいかもしれないけれど...。

――重要なのは、最終的にどのような選択がされるにせよ、「作家がそのように考えている」ということを文章として残しておくことだと思います。まず構成要素(物質)に関する作家の考えとして、仕様書に「構成要素(物質)については、基本的に、撮影時に使ったもの、あるいは作家が修復したもの(現時点では“ペットボトル”や“ロウソク”など)を使用する」「破損・ロストした場合に限って、できる限り近いものに置き換え可能である」と記述しておく。そのうえで必要であれば、「どの程度、どのように破損すれば置き換えるべきか」「置き換える際に同製品がない場合、何を重視してできる限り近いと判断すべきか」といった、より具体的な作家の考えを記しておく。

(山城)
まあそうだね。

――それに関しては堤さんはどうですか。

(堤)
今中本さんが言ったようなことになると思います。

(山城)
これからそのスタンスで行きます。

※6 「機械的複製によって芸術作品のコピーを大量生産することが可能になった時代において、オリジナルの作品から失われる「いま」「ここ」にのみ存在することを根拠とする権威のこと。~中略~ベンヤミンによると、写真と映画による複製芸術以前、芸術作品の権威はそのオリジナルが存在する時間と空間に結びついた一回性によって支えられていた。しかし、機械的複製によるコピーがオリジナルを質的(精密な複製の過程でオリジナルにはない特質が生じる)かつ量的(同様の品を数多く出現させる)に超越し、複製品がさまざまな場所に置かれるようになると、オリジナルに備わっていた一回性が相対的に弱まる。こうして新たな複製技術によって生まれたコピーはオリジナルから伝統をはぎとり、この瞬間に芸術作品のアウラが消失するのだという。」(高橋聡太 執筆.“アウラ | 現代美術用語辞典ver.2.0”.artscape.参照2018-05-17.)

※7 詳細は9. “場所性(サイトスペシフィック)”に関する議論を参照。

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