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アーカイヴと再制作

悪魔のしるし『搬入プロジェクト』のオープン化に関するインタビュー 後半―第三者により作品が実施されるということ、その可能性と課題

2018 10 10

6. 父と子の歴史の断片が埋め込まれた物体“父子の壁”

――具体的なプランを立てる前に、山城さんの中で「このような方向性を目指したい」というイメージはあったのでしょうか。

(山城)
これまでとは違った『搬入プロジェクト』にしたいと考えていました。『搬入プロジェクト』は建築家が考えたプロジェクトだと言えます。ある空間に入らなさそうでギリギリ入る物体を設計・製作し、実際に入れてみることでその建築を最大限楽しむ、あるいはその建築と対話する。そしてそれによりドラマが生まれることが、これまでの『搬入プロジェクト』では醍醐味とされてきた。しかし「最終的には搬入できる」という点において『搬入プロジェクト』は予定調和です。それ故に、自分はそこに対してあまり興味が持てなかったので、「搬入によりドラマが生まれる」ことが、極力なくなるようなプランにしたいと考えたんですね。

――今までの『搬入プロジェクト』の事例に対して忠実に考えるより、『搬入プロジェクト』自体を批評するような提案をしたかったということですよね。

(山城)
そうです。また『搬入プロジェクト』は基本的に一過性なので、搬入が終わるとその場には“搬入された後の物体”しか残らない。「搬入した後も物体が機能し続ける」ということも、目指していた方向性の一つとしてあります。

(能勢)
危口さんは『搬入プロジェクト』を“擬似演劇”と言っていました。“擬似演劇”というだけあって、パフォーマンスの時間中はその熱量を感じられるけれど、その後展示するとなると別の考え方も必要になります。私は物体がパフォーマンスの痕跡ではなく、作品になって欲しいと思っていました。パフォーマンスの痕跡か作品かの違いは、実際には判断が難しいところもあるのですが。

(山城)
僕と能勢さん両者ともに「搬入した後の物体が展覧会の中で展示として成立し続ける」ということを課題にしていました。というのも、僕たちは展覧会をフィールドにしているからです。

――山城さんが提案して実現したのは、シンプルな壁状の構造に危口さんの遺品や、危口さんの父親が描いた幼少期の危口さんの肖像画などが埋め込まれた物体“父子の壁”でした。このような物体になった理由を教えていただけますか。

(山城)
どのような形状の物体であれ、危口くんの遺品など、色々な彼の“記憶”を埋め込んでいくことは初期から構想していました。ですのでプランを考えるうえで、まず倉敷の危口くんの実家にそれらを見せてもらいに行きました。実家では危口くんが演出した作品に関する資料だったり、描いたドローイングだったり、使っていたパソコンや携帯電話、大量の書籍やCDだったり、危口くんを象徴するようなものをたくさん見せてもらいました。

だけど僕が注目したのはそれらのものではなく、危口くんのお父さんである木口敬三 ※9 さんでした。お父さんのお話を聞いたり、画家であるお父さんが描いた幼少期の危口くんの肖像画を見たことによって、若くして亡くなった息子を想う父の姿に感情移入してしまった。お父さんはパリ留学するなど画家を目指して若いころから勉強し、現在は自宅で画塾を開いていますが、そういう芸術に対する想いが、危口くんにも受け継がれていたんだなということを知りました。

当初は“危口統之の壁”を作ろうと思っていたけど、こういった経験があって、“父と子の記憶の壁”を作ろうと決心した。

(能勢)
私は、危口さんが亡くなられた1週間後の『蟹と歩く』 ※10 の公演の際にご実家に伺い、ご両親から危口さんのスケッチブックや蔵書を見せて貰っていたんです。危口さんは主に演劇の分野で活動していた方ですが、お父さんが画家ということもあり、美術に関する本もとても多かった。人格が形成される過程での家族からの影響とか、それに伴う愛情や気恥ずかしさ、大げさに言うと「父子ともに芸術に憑かれている感じ」だとか、そのことが深く印象に残りました。ちょうど、悪魔のしるしの舞台『わが父、ジャコメッティ』を観た時の感触とも重なった。危口さんのことを考える時にお父さんの存在はとても大きかったし、私も山城くんの“父子の壁”の案に、すんなりと納得ができました。

『搬入プロジェクト#22』の記録写真(搬入後)
『搬入プロジェクト#22』の記録写真(搬入後)(画像提供:豊田市美術館/写真:岡村靖子)。
“搬入物体その1「父子の壁」”。
シンプルな壁状の構造に、危口氏の遺品や、危口氏の父親が描いた肖像画などが埋め込まれている。

――今回の『搬入プロジェクト』には、追悼という意識もあったのでしょうか。

(山城)
ありましたとは言えないですね。亡くなってから1年も経ってなかったので...。「危口くんそのものを搬入する」ような搬入になればいいなとは思っていました。それを人は追悼と呼ぶのかもしれないのですが...。

(能勢)
山城さんと、「危口さん自体を搬入したい」ということは共有していました。ただ、それはあまりに抽象的だし、難しいことではあるのですが。

――「ありましたとは言えない」というのは、「亡くなって1年も経っていないから、死を受け止めて、追悼という言葉を使えるような状況ではなかった」という意味でしょうか。

(山城)
回答するのがすごく難しいのですが...。僕から「『搬入プロジェクト』をやりましょう」と言い出していたら、「追悼です」とはっきり言えたのかもしれません…。しかし、今回は与えられた状況の中で最善の案を考えたところ、“父子の壁”に辿り着いたので…。それが追悼だと言われてしまうと納得できないという気持ちはあります。

(金森)
能勢さんは初期段階から、「今回の展示を通して、危口さんの思想や思考を伝えたい」とおっしゃっていました。展覧会に対しての能勢さんの想いや、それまでの能勢さんと危口さんとのやりとりや経緯を聞き、悪魔のしるしとしてもそれを一つの課題として認識しました。

しかし『搬入プロジェクト』だけでは危口さんの思想や思考の一部分しか伝えられない。また、危口さんの思想や思考の作品化については、能勢さんと悪魔のしるしの現メンバーだけでは対応できない。これらの問題を能勢さんに伝え、「作家として活動している方をチームにいれる必要がある」ということを相互に確認しました。そのうえで、荒木悠さんや山城さんなどの、いわゆる美術作品を手掛ける作家を招き、彼らとの取り組みの中でそれを掘り下げていくという方針をとることにしました。

結果として、それは荒木さんによるサウンド・インスタレーション『誰の声も俺は代弁しないから誰も俺の声を代弁するな』 ※11 と、“父子の壁”という形で現れました。つまり“父子の壁”は、「危口さんの思想や思考が、物体として山城さんにより作品化された」という入れ子構造だったといえます。

なお、荒木さんの作品については相談しながら創作しましたが、山城さんには、もともと「第三者に完全に任せる」ということを念頭に依頼していたので、あえて一切口を出しませんでした。悪魔のしるしメンバーの中には、遺品を展示するという行為に抵抗がある者もいました。しかし、それは山城さんの作品の中での選択なので、異を唱えるべきでないと考えました。

※9 悪魔のしるしの演劇公演『わが父、ジャコメッティ』では、父と子がテーマとして扱われており、さらに同作品には木口敬三氏が出演している。

※10 『蟹と歩く』は悪魔のしるしによる公演。療養生活をおくる中、危口氏が企画を立案し、原案を記した。危口氏は上演の1週間前に亡くなったが、予定通り公演は行われた。

『蟹と歩く』 2017年3月25日(土)、26日(日) 倉敷市立美術館(岡山)

※11 『誰の声も俺は代弁しないから誰も俺の声を代弁するな』(2018年)は豊田市美術館での『搬入プロジェクト』の展示に合わせて制作された荒木悠氏によるサウンド・インスタレーション。2つの物体とともに、会場に展示された。物体に取り付けられたスピーカーから、危口氏のTwitterでのつぶやきの朗読が再生される作品。

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