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アーカイヴと再制作

悪魔のしるし『搬入プロジェクト』のオープン化に関するインタビュー 後半―第三者により作品が実施されるということ、その可能性と課題

2018 10 10

7. 2つの物体

――当初の予定では「今回の『搬入プロジェクト』は山城さんに完全に任せる」ということでした。しかし最終的に物体は、山城さんが主導して設計・製作した“搬入物体その1「父子の壁」”(以下、“父子の壁”)と、悪魔のしるしが主導して設計・製作した“搬入物体その2「物体」”(以下、“物体その2”)の2つになりました。“父子の壁”のみにならなかった理由を伺えますか。

『搬入プロジェクト #22』の記録写真(搬入中)
『搬入プロジェクト #22』の記録写真(搬入中)(画像提供:豊田市美術館/写真:岡村靖子)。
“搬入物体その2「物体」”。悪魔のしるしが主導して設計・製作しており、過去の『搬入プロジェクト』にて制作された物体を踏襲した案と言える。

(石川)
山城さん提案の物体だと特殊解過ぎて、今回初めて『搬入プロジェクト』を観る人におもしろさが伝わるのか心配になりました。こちらとしても「山城さんに丸投げしてしまってすまないなぁ」という気持ちはあったのですが、山城さん提案の物体に口を出すのも筋違いですし...。なので、悪魔のしるし主導で物体をもう1つ作り、2つの物体を搬入することで補完しようと考えました。

――山城さんの案では、「今までやってきた『搬入プロジェクト』の魅力が伝わらない」と感じた理由を具体的に伺えますか。

(石川)
やはり『搬入プロジェクト』における搬入には、「3次元の空間を目一杯使った動き」や「物体を回転したり角度を変えることによって初めて通過できる」みたいなことが醍醐味としてあります。それは物理的に難しそうな状況を乗り越えていく、ということかもしれません。山城さん提案の物体にも「入口の開口部を移動する際、物体の高さとの差が僅か数ミリ!」というような、マニアックな盛り上がりはあります。しかし、今回初めて『搬入プロジェクト』を観る人が多いということを考慮すると、やはりもう少し動きがあったほうが良いのではないかと考えました。

『搬入プロジェクト#20』の記録映像。搬入の様子を生中継した映像のアーカイヴ。
こちらの動画の51分頃からをご覧いただければ分かるように、声を掛け合いながら物体を回転したり角度を変えることによって初めて通過できるギリギリさが、『搬入プロジェクト』をよりエキサイティングにしている。

――オープン化の事例という観点から見れば、“父子の壁”だけでもよかったかもしれません。山城さんは、もちろん「それのみで成立する」と思って“父子の壁”を提案したのですよね。

(山城)
はい。

――悪魔のしるしから「“父子の壁”のみではなく、物体を2つにしましょう」という提案があった時、山城さんはどのように感じましたか。

(山城)
「それはない」と思いました。それならば最初から本家がやればよかったし、物体が2つになるとどちらかがメイン、どちらかがサブに見えてしまう可能性もあります。

――悪魔のしるしのメンバーに伺いたいのですが、一度手放したバトンを、自分たちに半分引き戻すことについて、どのように自分たちの中で折り合いをつけたのでしょうか。

(金森)
今回、「第三者にお任せしてどういうものが出てくるか」という実験は絶対にしたいと思っていました。しかし山城さん、能勢さんとのやりとりなどを通して、「危口さんの没後初めての多くの人が見に来るパブリックな場での『搬入プロジェクト』 ※12 なので、悪魔のしるしとして彼と積み重ねてきた行為はきちんと伝えたい」という思いが沸き起こりました。結果的に、新解釈アレンジ版とオリジナル版を両方鑑賞できるという、観客にとってオトクな体験を提供できたし、作る側としても比較する中で得られる発見が多かったです。

――オープン化の事例という観点では矛盾している気はします。

(金森)
今回は2つの異なるチームが異なる物体を設計・製作しました。一つは初の取り組みとなった第三者主導によるもので、もうひとつはオリジナルの『搬入プロジェクト』をやり続ける悪魔のしるし主導によるものです。それぞれ独立した作品なので矛盾はないと考えています。

(能勢)
私も初めに2つの物体ができる案を聞いた時に、矛盾が形になって現れてしまうのではないかと危惧しました。しかし結果として、トラディショナルな物体とオープン化第1弾の物体の2つができたのは、良かったと思っています。あの時はああいう風にしかならなかったし、できなかったというのが正直なところでもありました。

――観客の立場からすると、それは伝わっていなかったと思います。私は事情を知らずに『搬入プロジェクト#22』に観客として参加しましたが、「なぜ2つあるか」ということに対する疑問すらも浮かびませんでした。全く別の部屋にそれぞれの物体が個別に搬入されていたならばまた見え方は変わったかもしれませんが、最終的に2つは組み合わさって密接に関係していましたし、ほとんどの観客は“独立した作品”とは捉えなかったのではないでしょうか。

『搬入プロジェクト#22 』の記録写真(搬入後)
『搬入プロジェクト#22 』の記録写真(搬入後)(画像提供:悪魔のしるし)。
搬入後の物体。最終的に2つの物体は連結されて展示された。
『搬入プロジェクト#22 』の記録写真(搬入後)
『搬入プロジェクト#22 』の記録写真(搬入後)(画像提供:悪魔のしるし)。
“物体その2”に座って、“父子の壁”に埋め込まれた資料や映像を鑑賞するという構造が採用された。

また今回は、最初から2つの物体を作る予定だったわけでも、それぞれに全く共有・干渉せずに進めていたのでもありません。山城さんから案が出た後、それを補完するような意図で悪魔のしるしから「物体を2つにしてそれを組み合わせましょう」という提案があったという経緯を考えると、“父子の壁”についても手放したとは言い難いように思います。

今日のお話を聞いて、「豊田市美術館での『搬入プロジェクト』が有意義だったか」「完全に手放すべきだったか」とはまた別の視点として、「果たしてこれは第三者主導と言えるのか」「オープン化の実績なのか」「手放したと言えるのか」という点に関しては、グレーな部分があるように思いました。

(金森)
伝わらなかったのであれば残念です。力不足でした。

(能勢)
そのことは解説パネルに書いていたのですが、もっと工夫が必要だったかもしれません。危口さんのことを直接知っている人が関わっていたことによる影響も、もちろんあります。これから危口さんのことを知らない人が『搬入プロジェクト』を行っていくことになればまた違ってくるでしょうし、そうなると良いと思います。

――今回、物体を2つにしようと提案した背景には、「危口さんならばそのように提案しただろう」という仮定があったのでしょうか。

(石川)
それは全くなかったですね。ただ、以前にも2つの物体を搬入したり、2つの物体が交錯するようなアイデアは何度か出ていたので、全くの新しいアイデアというわけでもありません。

――では基本的には、悪魔のしるしのメンバー3人による提案ということですね。

(宮村)
日々の様々な状況において、「危口くんが生きていたら…」という“たられば”は、意識的に考えないようにしています。その思考が感傷的なものではなく、創作のヒントになったり、『搬入プロジェクト』を前進させるきっかけになるのであれば、耳を傾けるということはあるかもしれません。しかし、当時はそういった余裕はありませんでした。話し合いの中で、物体を2つにするというアイデアが生まれたときには、「行き詰まっていた状況を突破できる」という手応えを感じました。

(金森)
石川、金森、宮村で考えました。様々な関係者の賛否両論がありましたが、荒木さんが「それは非常に悪魔のしるしらしい」と背中を押してくれました。

――プロジェクト・メンバーは、2つの物体で異なったということですが、それぞれの物体のプロジェクト・メンバーを教えていただけますか。

(能勢)
“父子の壁”を設計・製作した山城大督と搬入プロジェクトあいち組(以下、あいち組)のメンバーは、山城さん、豊田市在住の建築家 小野健さん、名古屋でオルタナティブ・スペースを運営している新見永治さん、展示設営のミラクル・ファクトリー(青木一将さん、小柴一浩さん、谷薫さん、高橋和宏さん)です。“物体その2”を設計・製作した悪魔のしるしチームのメンバーは、設計が悪魔のしるしの石川さん、設計助手が内装デザイナー 渡部紘史さん、そして施工が石川さんとミラクル・ファクトリーです。

――あいち組は山城さんがディレクションしたということですよね。メンバーも選んだのでしょうか。

(山城)
能勢さんから、小野さんと、『搬入プロジェクト』にプロジェクト・メンバーとして関わったことのあった新見さんを推薦していただきましたが、最終的には僕が選びました。

――山城さんは、小野さん、新見さんとは元々面識があったのでしょうか。

(山城)
はい。

(能勢)
あいち組で、もともと危口さんを知っていたのは、山城さんと新見さんの2人でした。

――先程少し話に出ましたが、展示会場には2つの物体と『搬入プロジェクト・マニュアル(2018年/豊田市美術館)』 ※13 以外に、荒木さんによるサウンド・インスタレーションが展示されていました。

(能勢)
物体が2つあったことに加えて、荒木さんによるサウンド・インスタレーションも重要でした。あれは荒木さんの作品ともいえますが、発言自体は危口さんの言葉なので、危口さんそのものでもありました。作品名の『誰の声も俺は代弁しないから誰も俺の声を代弁するな』も、危口さんの言葉からの引用です。言葉はモモンガ・コンプレックスの臼井さんが代読しているのですが、その声は、作家亡き後、私を含めて遺された人々があれこれ勝手に模索している中で、まるで危口さんのツッコミのように聞こえてきました。

ランダムに流れていたけれど、私はしょっちゅう展示室にいたので、ほぼ全てを聞いています。「刺身が食べたい」とかいう言葉に混じって、生や死に対する深淵な言葉が語られたりする。また、危口さんの命日には、偶然「そろそろ命日だな」という言葉を聞きました。危口さんが知り合いの命日についてつぶやいていたことなのでしょうが、不思議な付合を時折感じていました。

※12 危口氏の没後行われた『搬入プロジェクト』に、高円寺での『搬入プロジェクト #21』がある。しかし、その時の会場は個人が所有している建物であり、とても小さく、参加人数も少なかった。

※13 マニュアルについては、記事前半の3章などを参照。

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