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アーカイヴと再制作

過去の音が問うもの——「日本美術サウンドアーカイヴ」の問題意識文:金子智太郎(美学、聴覚文化研究)

2019 04 08

過去の音響機材を使う理由

サウンドアーカイヴはできるかぎり作品が制作された当時の音響機材を使おうとしている——多くの場合はそれに近いものしか準備できなかったが。作品の解釈によっては、再制作のためにわざわざそうする必要はないかもしれない。しかし、サウンドアーカイヴは再制作のためにあえて作家に70年代の音響機材を提供してきた。その理由は、技術を通じて作品がつくられたときの社会のありかたを知り、作品と社会の結びつきを考えたいからである。

オーディオは60年代に家庭に普及し、60年代後半にはハイファイを追求する文化がさかんになった。オーディオマニアは録音にも関心をもつようになり、メーカーが彼らのために録音のできるコンサートやSLを録音するツアーなどを開催した。このころ登場したカセットレコーダーは、当初は音楽の録音より事務用品として用いられたが、70年代になって音質が向上し、オープンリールレコーダーとともにラジオのエアチェックのために用いられるようになった。このように70年代のテープレコーダーは生演奏の記録、仕事や勉強のための道具、身近な音の収集、マスメディアのコンテンツの複製など、さまざまな用途に開かれていた ※10

先に述べたように、音と関わる70年代の作品の多くが日常的な感性のはたらきを見つめようとするものであり、音響機材を通じて日常の断片を取りいれるものも少なくない。稲憲一郎が使用したSONY TC-100シリーズのカセットレコーダーは、事務用品として日常を記録するための機材だった。野村仁が「HEARING」シリーズに用いたカセットレコーダーSONY TC-1000Bは、当時放送局でよく使われ、伊丹十三もおそらく同じ機種を取材のために持っていた。堀浩哉のオープンリールレコーダーは演劇に使われていたものだという。こうした音響機材の用途を手がかりに、作品と日常の場面の結びつきをさらに見ていくことができないか。

ここまでいくつもの疑問や推測について書いてきた。サウンドアーカイヴのこれまでの実践や文章のなかで検討してきたものもあれば、これから取り組みたいものもある。いずれにしてもこれらの問題と向きあうときは、柏原が語った「原作から再制作までの時間が抱える視点の変化」を意識していたい。過去を知ることは過去と現在の違いを理解することであり、現在が変化の過程にあることを自覚することでもある。

「日本美術サウンドアーカイヴ——今井祝雄《TWO HEARTBEATS OF MINE》1976年」展示風景
「日本美術サウンドアーカイヴ——今井祝雄《TWO HEARTBEATS OF MINE》1976年」展示風景。オープンリールテープレコーダー、エンドレステープ、アンプ。

※10 金子智太郎「一九七〇年代の日本における生録文化──録音の技法と楽しみ」 『カリスタ』第23号、2017年、84-112頁。

PROFILE プロフィール

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金子 智太郎 | TOMOTARO Kaneko美学、聴覚文化研究

1976年生まれ。東京藝術大学等で非常勤講師。専門は美学、聴覚文化論。日本美術サウンドアーカイヴ主催。最近の仕事に論文「環境芸術以後の日本美術における音響技術——一九七〇年代前半の美共闘世代を中心に」(『表象』12号、2018年)、「一九七〇年代の日本における生録文化──録音の技法と楽しみ」(『カリスタ』23号、2017年)ほか。共訳にジョナサン・スターン『聞こえくる過去──音響再生産の文化的起源』(中川克志、金子智太郎、谷口文和訳、インスクリプト、2015年)。雑誌『アルテス』でサウンド・スタディーズ/サウンド・アートをめぐる洋書レビュー連載(2011〜15年)。

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日本美術サウンドアーカイヴ 公式サイト

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