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アーカイヴと再制作

(非)物質化とアーカイヴ:ephemeral/ephemera寄稿:上崎千(慶應義塾大学アート・センター講師、兼任所員[アーカイヴ担当])

2012 12 27

2010年、米スミソニアン(ワシントン D.C.)の AAA(Archives of American Art)が50周年を迎えた折、リパードは AAA の機関誌に「開かれた引き出し:アーカイヴのためのアーカイヴ」という短い文章を寄せている(※3)。彼女はアーカイヴを「養兎(ウサギの養殖=繁殖力の旺盛なウサギが不断に殖え続ける様子を指して)」や「パンドラの箱」、さらに地質学や考古学とのアナロジーにおいて「文化的コアサンプル(錐芯試料)」などの比喩で語り、続けてジャック・デリダの著作『アーカイヴの病』(1995年)から「戸棚、柩、牢獄、あるいは貯水槽、貯水池」という一連の語群を引用している。「制度的記憶は通常、選択的そして/あるいは拒絶的である」とした上で、リパードは"ephemera" を抱え込む容器としてのアーカイヴの重要性を改めて強調し、「『あらゆるもの』がオンライン上で真に "ephemeral" になろうとしている今日、アーキヴィストたちがこの状況をどう扱うのかを見守らなければならない」と結ぶ。
リパードが標榜した「非物質的」な芸術は、それらの物理的属性において、残存物としての "ephemera" を残した。アーカイヴをある種の表現形式として(アーカイヴに特有の表現というものが可能であることを)自覚していたリパードの関心が、アーカイヴ化(そしてデジタル化)を巡って繰り広げられたデリダの問い連鎖を何度か横切ったことは確かである。しかしデリダならば、過去の出来事の宿命的に “ephemeral” な質が、“ephemera” というコンセプトに焦げ付きを起こしているに過ぎないこの状態を決して見逃すことはないだろう。「なぜならアーカイヴは、もしもこの語または比喩[figure]が何らかの意味作用に安定化するならば、それは決して、自発的で生き生きとした内的体験としての記憶でも想起でもないだろうからである。まったくその逆で、アーカイヴは当該の記憶の、根源的で構造的な欠陥の代わりに生じる[欠陥の場で場を持つ]のである(※4)。」

つまり私たちは、アーカイヴが要請される条件としての「自発的で生き生きとした内的体験としての記憶[……]の根源的で構造的な欠陥」について常に意識的でいなければならないのであり、また、今日の “ephemeral” な媒材の多くが、もはや “ephemera” としては残され得ない類いのものであることについて問う必要があるのだ。ただしこの問いは、デジタル化を非物質化の真の状態としてとらえるという意味においてではなく、むしろ「デジタル化」と呼ばれているプロセスが、非物質化のプロセスとしては不完全であるという事実において必要な問いなのである。

※3)Lippard, "The Open Drawer: Archives for Archives' Sake," in Archives of American Art Journal 49, nos. 1-2 (Spring 2010): 10-11.
http://www.aaa.si.edu/publications/journal
ちなみにAAAにはリパードの個人文書が所蔵されている。

※4)ジャック・デリダ『アーカイヴの病:フロイトの印象』福本修 訳(法政大学出版局、2010年)、17頁。引用文中の「欠陥」の原語は défaillance であり、英訳では breakdown が宛てがわれている。


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