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「日本映画原点の地」の空気を感じながら
-元・立誠小学校 特設シアターの日々寄稿:石塚就一(元・立誠小学校 特設シアター スタッフ)

2013 06 30

元・立誠小学校 特設シアターは2013年4月、京都市内の木屋町にある元・立誠小学校の校舎内教室にオープンした映画館。京都市と京都を基盤に映画製作や配給事業を展開するシマフィルム株式会社の共同主催により運営され、新しい映画の在り方を提案する拠点として、注目を集めている。今回はシアタースタッフの石塚就一さんに、本シアターについての記事を寄稿していただいた。

元・立誠小学校 特設シアター

元・立誠小学校 特設シアター―。

なんとも長い名前のスペースが生まれて、早二ヶ月が経とうとしています。
一年前にはサラリーマンをしながら映画ファンを続けていた自分がスタッフとして映画の上映に携わるようになるなんて、予想もしなかったことです。しかも、一部上映作品の選定まで行なっているのだから、ある意味で、映画ファン時代の夢が叶ってしまったと言えなくもありません。自分の好きな作品を思う存分上映できるシアター、それは全ての映画ファンにとっての夢に他ならないからです。
ですが、現在、自分が抱いている思いはそんな無邪気な喜びではなく、もっと複雑で重い責任感です。それは元・立誠小学校という場所の持つ、あまりにも独特な歴史と切り離して説明することはできません。この機会に、立誠小学校そのものや特設シアターの成り立ちを踏まえつつ、一観客から興行側に回ることとなった自分の胸の内を曝け出せれば、と思います。

まずは、元・立誠小学校の歴史から。ここは昭和三年に開校し、平成五年に閉校となった小学校の校舎をそのまま利用した施設です。ここ数年は主にイベントスペースとして、演劇、音楽、ワークショップの会場に使用されてきました。特に学生演劇や小劇団の公演は頻繁に行われており、関西の演劇人の中では非常に知名度の高い場所です。

しかし、実はこの場所、「日本映画原点の地」と呼ばれているのです。なぜなら、日本で一番最初に映画(フィルム)の上映が行われた場所だから。1897年、フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフが輸入された際、最初の上映実験が行われた場所が当時、この地に建立されていた京都電燈(現・関西電力)だったのです。小学校が建てられたのは、その後のことでした。
それから京都では映画の撮影所が次々に生み出されるようになり、映画の街として全国的に有名になりました。そんな流れもあって、元・立誠小学校は「日本映画原点の地」と呼ばれるようになっていきました。

今回、シマフィルム株式会社、京都市の主催、立誠・文化のまち運営委員会の共催で、映画がほぼ毎日上映されるかたちになったのも、そんな背景があったからこそです。 「立誠・シネマ・プロジェクト」と名付けられたこの計画に、スタッフとして誘われたとき、自分の胸は高鳴りました。「東京とその他」になってしまった映画興行のシステムや、地方のタイムラグに苛立ちを覚えていた自分としては、なんとか状況を京都で変えていけるきっかけになれるかもしれないと思ったからです。


石塚就一 ISHIDUKA Shuichi

石塚就一 ISHIDUKA Shuichi

1984年生。脱サラ後、アニメや映画のフリーライターを経て現在、立誠シネマ・プロジェクトとシネマカレッジ京都の両方でスタッフを務める。執筆協力に『俳優の演技訓練 映画監督は現場で何を教えるか』(三谷一夫=編著)、配給協力に『太秦ヤコペッティ』(宮本杜朗監督)。京都府在住。

立誠・シネマ・プロジェクト
http://risseicinema.com/


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