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「かげ」を「うつす」こと
――展覧会「かげうつし―写映・遷移・伝染―」に寄せて林田 新(京都造形芸術大学/関西大学/京都精華大学非常勤講師)

2012 12 27

そもそも、デジタル写真とアナログ写真という区分自体が、デジタル化以降、遡及的に画定される事後的な区分であり、デジタル化以前にアナログ写真なるものが存在していたわけではない。むしろ、デジタルとアナログという二項対立を強調することは、これまで「写真」と呼び表されてきたもののうちに潜む差異を捨象し、まるでそれが(アナログ)写真という、一貫した同一性を保持していたかのような印象を与えてしまいかねない。たとえば、ダゲレオタイプと銀塩写真とプリクラを等しく「写真」と呼んでいることの奇妙さを思い返してみても良いだろう。写真史家ジェフリー・バッチェンが指摘するように、写真は一貫した同一性を常に有していたわけではないのである(『写真のアルケオロジー』前川修、佐藤守弘、岩城覚久訳、青弓社、2010年)。

むしろ、デジタル以降において「写真」を思考する際に重要なのは、これまで自明視されてきた写真、絵画、映画といった区分が曖昧になっているということである。たとえば、デジタル写真を撮影する際、多くの場合、私たちはファインダーをのぞくのではなく、カメラに備わるディスプレイに写る像を眺め、ある瞬間にシャッターを切りそれを凝固する。つまり、私たちがデジタル写真と呼んでいるものは、一時停止された動画とも考えられる(ゆえに、デジタルでは動画/静止画といった区分がよく使われる)。

また、たとえば、美術史の授業などで、講師はプロジェクターを用いてスクリーンに絵画作品を投影し、絵画の歴史について講じる。しかし、そこに写しだされているのは絵画そのものではなく、絵画を撮影した「写真」(絵画を撮影した写真が印刷された図録をスキャンした画像)である。同様に写真史の授業では、写真家が撮影した「写真」をスクリーンに写し出す。私たちは便宜的にそれらを「絵画」、「写真」と区別している。しかし、正確にいえば、どちらもjpgやgifといった形式で保存されたデジタル・データなのであり、私たちは、それらをこれまでの慣習的な区分に基づき「絵画」、「写真」というように便宜的に区分しているにすぎない。

そのように考える時、デジタル化とは、これまでに視覚的イメージに対して用いられて来た区分、とりわけメディウムに応じた区分が原理的には意味をなさなくなるという事態なのである。いずれ来るであろう、3Dプリンターの普及がこうした事態にいっそう拍車をかけることになるだろう。

展覧会「かげうつし―写映・遷移・伝染―」 ポスター

展覧会「かげうつし―写映・遷移・伝染―」 ポスター


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