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林勇気の近作について
―膨大な記憶のアーカイブと非物質的な儚さ文:高嶋慈(美術批評)

2016 07 18

映像作家の林勇気は、デジタルカメラで自ら撮影した写真画像の膨大なストックや、インターネットの画像検索で収集した画像を元に、1コマずつ切り貼りして緻密に合成することでアニメーションを制作している。近作では、投影される空間や鑑賞者の身体との相互介入、電源オフなどの仕掛けにより、デジタル・データとしての映像の成立条件や非物質性について自己言及的な試みを行うとともに、ポスト・インターネット時代の知覚や身体感覚を浮かび上がらせている。本稿では、ここ半年の間に個展・グループ展への参加が相次ぎ、精力的に活動している林の近作を、3つの系統から考察する。

1. 「もうひとつの世界」―浮遊する記憶の断片、現実世界との相互介入

《もうひとつの世界003》や、《another world –eternal–》は、これまでの林のアニメーション作品の代表的なスタイルと言える。デジタルカメラで撮影した画像から切り抜かれたさまざまなオブジェクトが、たゆたうように浮遊し、あるいは視認不可能なほどの高速で流れていく映像だ。食べ物、家電製品、草花、ペットボトル、車、風景の一部などの膨大な画像が、湖のように溜まり、あるいは川面を漂う塵のように流れていくさまは、日々の生活の中の記憶の儚い断片を連想させるとともに、匿名的な無数の画像が蓄積・共有され、消費されては消えていく「もうひとつの世界」としてのネット空間を示唆する。

だがその「もうひとつの世界」は、モニター越しの閉じた窓として、現実の物理的空間から隔絶して存在するのではない。元倉庫であるFLOATで展示された《もうひとつの世界003》は、壁面に加えて床や廊下の奥へと映像が映り込み、現実世界の表面を浸食していく。しかし廊下の突き当りで振り向くと、プロジェクターの眩しい光が視界を襲う。映像とは、プロジェクターから放射された光が生み出す、非物質的な皮膜に他ならないことを再認識させる仕掛けである。また、京都芸術センターでの個展「電源を切ると何もみえなくなる事」に出品された《another world –eternal–》では、プロジェクターをあえて床置きにすることで、4面の壁に投影された映像に観客自身の影が映り込む。それは、映像に空虚な人型の「穴」を穿つとともに、光源との距離によって伸縮する「影」が映像という「もうひとつの世界」の中を自在に歩きまわるようにも見える。同時に、観客の服や身体には、映像の一部が移り変わる模様のように映り込む。私たちは映像=光そのものには触れられないが、黒い「影」に姿を変え、あるいは光を身体の表面にまとうことで、擬似的な交通感覚を味わえるのだ。

《another world – eternal – 》 撮影:表恒匡

《another world – eternal – 》展示風景 撮影:表恒匡

一方、PATinKyotoに出品された《すべての終りに》は、これまでにない暴力性を感じさせる作品。おびただしい画像が視認不可能なほどの高速で接合され、輪郭がキメラ的に溶解し、暴力的に切り刻まれ、渦まく砂嵐となって画面を覆い尽くす。そして、画像の断片が星くずのように瞬きながら暗闇に散らばって集合離散を繰り返すラスト。ここでは、膨大な画像の生成・複製・拡散・変形・消費・消滅がなされる広大なネット空間が、畏怖を覚えるほどの宇宙的なイメージに重ね合わせられている。

《すべての終りに》展示風景 撮影:ニッシャエフエイト株式会社
《すべての終りに》展示風景 撮影:ニッシャエフエイト株式会社

《すべての終りに》展示風景 撮影:ニッシャエフエイト株式会社


高嶋慈 TAKASHIMA Megumi

美術批評。京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員。現在、artscapeにて、現代美術や舞台芸術に関するレビューを連載中。企画した展覧会に、「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展:はざまをひらく」(2013年、京都芸術センター)、「egØ-『主体』を問い直す-」展(2014年、punto、京都)。


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