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EVENT REPORT

イベント・レポート

PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015
「Suujin Park」ヘフナー/ザックス

2015 06 17
会 期: 2015年3月7日(土)〜5月10日(日)
会 場: 河原町塩小路周辺
主 催: 京都国際現代芸術祭組織委員会、一般社団法人京都経済同友会、京都府、京都市

2ヶ月にわたるPARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015が終了し、何が遺り、何が変わり、何が無関係に通過していったのだろうと考えている。考えは方々へ繋がり、時間が経つにつれてリアルな日常や構想へと変換されていくだろう。PARASOPHIAは、先に進むための原動力であったのだと思う。たとえば、ヘフナー/ザックスの"SUJIN PARK"(崇仁地域)からだけでも、さまざまな課題が浮上する。

都市では、もはや芸術にさえ退屈な予測がつきものとなった。落書きも貼り紙も路上のハプニングも、もう起こらないのである。制度や容れ物や人々の自制心が、空隙を無くしてしまったからだ。"SUJIN PARK"は、時空間が複雑に入り組んだ<空隙>にあり、その地場がというよりも、そこをヘフナー/ザックスが通過するということに大変面白みがあったと思う。彼らの「美術的手法」(PARASOPHIAガイドブックによる)は、たとえば、戦場においても、教育の場においても、時機や名を失い、ともすれば<無価値>に見えるものと私たちを接続するだろう。現代美術は、ヒトが前に進むために不可欠な知性だということを、PARASOPHIAは伝えたのだと思う。

また、多くの人の理解だろうけれども、PARASOPHIAは、美術的手法によって美術そのものが崩壊していくことさえ示唆したのではなかっただろうか。蔡國強、高嶺格の仕事も、京都向けに物静かな語らいであったけれども、爛熟した果実の殻がいまにも弾けそうな気配を、濃厚に漂わせていた。

次の京都国際現代芸術祭では、今回、はじけ飛んだ種子が芽吹く機会となるだろう。幅広い世代や地域との接続についての課題は明白だけれども、あえて教育プログラムが設定されていなかったのは、あらゆる知性や可能性への信頼でもあるだろう。PARASOPHIAは、納税者へのサービス還元にとどまらず、<市民>の自覚や文化における種々の権利を認めた、すぐれた策略の上にあったと、あらためて感心もするのである。
(松尾 惠 MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

※掲載画像は、筆者撮影。PARASOPHIAでは、珍しく写真撮影が許されていた。
上から、ヘフナー/ザックスの"SUJIN PARK"、京都市美術館大陳列室での蔡國強の展示より「農民ダ・ヴィンチ」のロボットによるペインティング(製作:呉玉禄)、同美術館地下での高嶺格「地球の凸凹」。

PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015「Suujin Park」ヘフナー/ザックス
PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015「Suujin Park」ヘフナー/ザックス
PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015「Suujin Park」ヘフナー/ザックス

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