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EVENT REPORT

イベント・レポート

FOCUS#1「キウチ芸術センター展」文:松尾 惠(MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

2018 10 09

京都芸術センターの新企画FOCUSは、「着実に制作・発表を続ける中堅アーティストに焦点を当て、個展形式で紹介するシリーズ」。

初個展から20年経ち、はや<中堅>アーティストとして京都芸術センターに招聘されたことはとても感慨深かい。美術史や社会への懐疑や、基本的な手仕事を重視する木内貴志氏の制作態度は、着実に独自性と濃度を増した。商業画廊や美術団体に属さない作家は、制作の動機や場所、発表の機会も、自分の意思で獲得しなければならない。ひとくちに20年というが、お金やビッグチャンスに乏しい京都の若手美術家が生き延びるには、大変長い道のりである。木内氏は、つねに多くの展覧会を見て回り、多くの作家に触れてきた。夏の間、若手作家の展覧会やイベントを見て歩いたが、木内氏ほど美術を体感していないのかもしれないなと思うと、若手作家という波が引いたあとの潮の泡立ちのように、今「キウチ芸術センター展」がじわじわと思い出され、今後の木内氏の展開に新しい期待が沸き立ってくるのである。

さて、<センター>とは何なのか。中国語圏ならば芸術センターは芸術中心であろうし、アイドルグループの<センター>がどれほど重要かと考える。本展は、日本や欧米の美術様式を用いながら、木内氏の美術活動における<センター>や、美術という営み全体のセンターとは何かという意味や用途を遠巻きに、あるいは近接して感じようとする試みである。一見ジョークに見える木内氏の作品群にはいつも笑わされるが、愛嬌のある作品というのは誰にでもできるものではないと感心させられる。それは、ただ自己を見つめるだけでなく、美術そのものへの真面目な取り組みだからだ。いずれも美術史をよく知る仕事である。たとえば、大画面にオーバーオールがたくさん描かれたオールオーバーな絵画作品は、オールオーバーという<全面を覆う>という意味の絵画用語を知っているとさらに面白い。傍に、制作中に絵の具だらけになったオーバオールが展示してあるが、こちらもドリッピング技法を思い浮かべるとおかしさが増す。現代美術は、そのようなに知識を必要とする点が疎ましがられるが、知らなくてもそれなりの鑑賞ができるのが木内作品である。ほかに、文字にモザイクをかける手法も多用してきたが、実際には読めてしまうというおかしさがある。しかも、それらはすべて手仕事であって、機械的なモザイク化に対して確かな意思を持つのである。文化や表現を隠蔽するモザイクを手作業で描くことに、現代美術家としての矜持を感じる。

明治時代に発案された<美術>という言葉は、まだ日本の種々の表現の現実と向き合えていないと思う。木内氏が、京都芸術センター通信のインタビューに、有名になりたいとか売れたいと思わなくなってきたと答えていた。彼が向き合っているのは、明治に持ち込まれた西洋美術との闘いでなく、特定の華やかなシーンを彩る自分なのでもなく、<美術>という造語に引き裂かれた近現代の日本なのではないかと感じるのである。トークイベント「現代アートという言い方が嫌いだ!」に参加できなかったが、同じテーマでは過去にもトークイベントを開催している。筆者も、美術の居場所を探しあぐねているうえに、マスメディアや教育現場で使用される言葉「現代アート」を受け入れられない一人である。

会場風景
会場風景
会場風景
会場風景
会場風景
会場風景
会期 2018年7月27日(金)〜9月9日(日)
※8月14日(火)〜16日休館
会場 京都芸術センター ギャラリー北・南
出展者 木内貴志
関連イベント 7月28日(土)ギャラリーツアー
8月9日(木)ワークショップ「キウチ芸術センター模試」(対象=現代美術に興味のある中学生以上)
9月8日(土)トークイベント「<現代アート>という言い方が嫌いだ!」(木内貴志×現代美術作家=斉と公平太)
撮影 表恒匡
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