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EVENT REPORT

イベント・レポート

「かめおか霧の芸術祭」KIRI WISDOM 第二弾 植島啓司トークショー「パワースポットとは何か」文:松尾 惠(MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

2018 10 26

霧が深いときは自分がつき出した手の先が霞んでますよ、と亀岡のひとが言っていた。しかし、霧には、閉じ込められるよりも、やわやわとすべてを包んでいつの間にか異なる方向へ解放してくれるイメージもある。一方、老ノ坂峠の東側、盆地の底の京都は、水に浸かったように閉塞している(気がする)。霧と水または過度な湿度の文化は、霧から抜け出してきた明智光秀と盆地の底で目を光らせていた織田信長のせいではないだろうが、どこかきっぱりと分断されてきたように思う。

霧はロマンチックでミステリアスだ。文学や音楽には人知を超えた生命体としての霧もあるが、実際には生命を支えていて、亀岡の広い空の下に広がる農地や草地では、霧と紫外線をいっぱいに受けた植物・農作物が元気である。

2020年秋に、亀岡市で初めての芸術祭「かめおか霧の芸術祭」がある。すでにワークショップや情報発信やフィールドワークが始まっており、この8月には情報拠点として、同市千歳町に1912年建築の古民家を改修したKIRI CAFEがオープンした。KIRI WISDOMという種々の知性に触れるイベントが続く予定で、第2回の今回、宗教人類学者植島啓司氏によるトークショーに参加した。1部では、パワースポットと聖地の違い、植島氏が真の聖地と確信する場所の紹介や解説など。2部では、亀岡の神社や寺院、信仰の対象としての山々について、植島啓司・松井利夫(かめおか霧の芸術祭ディレクター)氏が意見交換した。観光資源化される数々の聖地に対して、真の聖地の見分け方や関わり方などを興味深く聞いた。筆者がかつてそうと知らずに訪れた場所も挙げられており、その当時、他の場所と明らかに異なる印象をもった理由が今わかったという例もあった。

さて、「かめおか霧の芸術祭」は、領域を自在に横断する知性、近年表現活動と数えられる農、同じく関心の高まる食も含め、霧が育んだ表の文化・裏の文化、地域文化や独自の思考などにも触れられる貴重な機会だと思う。キャッチーな「パワースポットとはなにか?」というトークショーには、近くて遠い京都や、神話や天皇などとの関わりも隠れていたように思う。

ところで、筆者は繰り返し思うが、欧米方式をそのまま持ち込んだような日本のアートマネジメントでは、欧米文化を良くも悪くも支えるキリスト教運営のメソッドがほとんど関与・機能していないことが認識されていない。社会の形まで真似ることはできないが、無自覚なままでは、地方都市の国際芸術祭やソーシャリー・エンゲージド・アート ※1 や国際アート市場への参加の先行きは暗いのである。非キリスト教文化への関与がどれほど世界を動かしているか、無宗教があたりまえのような日本では、なかなか理解されないのだと思う。ちなみに、curatorという管理人・学芸員を指す言葉は、curate=副牧師が語源である。

いまや過疎や乱開発や社会変容によって解体しつつある氏子や檀家が、かつては機能してきたわけであって、日本式芸術祭を考えていく上では、今回の聖地・パワースポットのありようや関わり方を注視するのは、とても面白いと思っている。キリスト教運営のメソッドが欠けていることは、かえって新たな(実は旧来の日本の)公共や奉仕や共同の概念を考えるきっかけであるとも思うのである。

「かめおか霧の芸術祭」は、土と霧と紫外線が満ちて、新しい土着文化の発見になるのではないだろうか。

なお、11月25日にキックオフイベント「かめおか霧の芸術祭 LIVE 混ざる霧と音」がある。会場:ガレリアかめおか。亀岡ゆかりのミュージシャンやアーティストが出演する。

※1 芸術の閉じた領域から脱して、現実の世界や地域コミュニティーや文化に積極的に関わり、参加・対話のプロセスを通じて、人々の日常から既存の社会制度にいたるまで、何らかの「変革」を目的としたアーティストの活動の総称。

KIRI CAFE 外観
KIRI CAFE 外観
看板
看板
トークショー
トークショー
トークショー観客
トークショー観客
ハンドメイドの椅子
ハンドメイドの椅子
関わっている作家の作品
関わっている作家の作品
開催日 10月13日(土) 13:00-15:30
会場 KIRI CAFE(亀岡市千歳町毘沙門向畑39番地)
主催 亀岡市
共催 「かめおか霧の芸術祭」実行委員会
WEBサイト かめおか霧の芸術祭 公式WEBサイト
http://kameoka-kiri.jp
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