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EVENT REPORT

イベント・レポート

「天使/L’ANGE」上映文・撮影:松尾 惠(MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

2021 01 31

-この映画の何がすごいのか、どこが素晴らしいのかは、この1時間あまりをどう生きるかによって認識が異なると思う-
ルーメン・ギャラリー運営メンバーの櫻井氏は、パンフレットへの寄稿文の最後にこう記している。仮想の死と向き合っての<生きる>であろうか。そういえば、鑑賞の間、懸命に酸素をもとめて呼吸していた気もするし、この世にあらざる者の視野を体験したようにも思う。死者の眼には、連綿と、脈絡なく接合された美しい光景が記憶されているかもしれないと思うし、天使の眼には、生身の人間の所業が、白昼夢か悪夢のようなこの映画のように映っているのかもしれない。映像の中に天使の姿はなく、あってもそれは気配でしかない。いつの間にか鑑賞者に天使の眼があたえられていく、あの世のような時間だったのかもしれない。

無数の絵画がつなぎ合わされたような映画である。ストーリーらしいものはなく、10ほどの各場面に、人物の不可思議な行動や出来事の反復、光や空間が交錯する。暗闇からフェルメールの「牛乳を注ぐ女」のような召使女が現れては、台から落下し砕け散る陶製ピッチャー。白くて不透明な液体が飛び散るシーンが何度も繰り返される。暗喩か隠喩かなどと考える内に、また次の白昼夢(または悪夢)に投げ込まれる。図書館と思しき書物の森のような空間では、裾の長い黒服の同じ顔(仮面)の男たちが何かの調べ物を繰り返している。それはレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」と似ている。逆光のような閃光が反復したり重なったりする階段、踊り場、窓、見上げる階上の光景は、視覚がぶれ続けて、ゲルハルト・リヒターの写真表現やスキージペインティングのようである。不可解に交錯する空間などは、20世紀の抽象画家である巨匠サイ・トゥオンブリーが私的に遺した写真にも見える。古典から20世紀までの美術の、光と影へのあらゆる憧憬が込められたような映像である。また、他のディテールを思い返すと、この映画が制作された後の21世紀以降、現代美術作品のいくつもにこの映画が引用されていることに気づく。

「天使/L’ANGE」は、映画監督・画家・写真家であるパトリック・ボカノウスキーが5年をかけて製作し、1982年に公開された。今も、アバンギャルド映画「アンダルシアの犬」(ルイス・ブニュエル+サルバドール・ダリ、1928年)から半世紀以上もたっての<新しいアバンギャルド映画>と評されている。ヨーロッパでの高評価に比べると、日本ではこのような作品への一般的な理解は難しい。コアな映画製作者や上映企画者の熱意が、長年、上映の機会をつくってきた。各地でフィルム上映が静かに継続され、このたびは、念願のデジタルリマスター化による初上映となった。コロナ渦中の京都の片隅でこのように重要な作品に巡り会えたのは幸運なことだ。実現に奔走された櫻井氏の熱意や、個人制作映画やマニアックな映像作品の名作を紹介し続けているルーメン・ギャラリーに感謝したい。

人や物を接触させない世の中で、舞台芸術や対談もまたオンライン配信があたりまえになった。息遣いから遠く平板な映像を見慣れていく中で、情報も平たく無限にだらだらとつながる感じは、感性の行き止まりさえ感じさせる。「天使/L’ANGE」は、誰も予想しなかったパンデミックの40年も前、人が人である意味や概念を揺さぶる力を秘めて、知恵や技を結集して制作されたのだと感慨深かった。弦楽器を中心とする音楽は、夫人のミシェール・ボカノウスキー。音は、イヤホンから流れる情報だけなく、空気の震えというものなのだ。

画像提供:ミストラルジャパン
「天使/L‘ANGE」より 画像提供:ミストラルジャパン
画像提供:Lumen gallery
上映会場(ルーメン・ギャラリー)  画像提供:Lumen gallery
チラシ(手前)とパンフレットに掲載されている絵コンテ

「天使/L‘ANGE」上映

開催日時 2021年1月8日(金)〜17日(日)
各日1回〜3回の上映
会場・主催 Lumen gallery
〒600-8059京都市下京区麩屋町通五条上る下鱗形町543 有隣文化会館2F
http://www.lumen-gallery.com/index.html
配給・特別協力 ミストラルジャパン
作品詳細 https://www.ange-film.com/
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