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EVENT REPORT

イベント・レポート

並木文音個展「空白の装い」

2016 05 07
会 期: 2016年4月19日(火)〜24日(日)
会 場: ギャラリーアーティスロング
〒604-8332 京都市中京区三条通堀川西入ル一筋目角
Tel & Fax: 075-841-0561
http://www.artislong.info/

かつて、元立誠小学校を会場に「京都学生芸術作品展2010 Arts Bar@Rissei」という展覧会があり、11の大学から、絵画、立体、工芸、書などの学生作品が展示された。京都精華大学在学中だった並木文音(なみき・あやね)は、図書室を展示場所に「わたしのおとぎの国へ」というインスタレーションを出展し、京都府知事賞とオーディエンス賞を受賞している。作品は、紙を素材としていて、児童図書の並ぶ棚の前に吊ったカーテン状の大きな造形物と、左右に開かれたカーテンの陰に寝かせた少女像で構成されていた。作家の年齢相応のリアリティーというか、自身の傷つきやすさや不安などの気配が濃かったが、作家としての可能性にも満ちていた。体験や思考を重ね、大きく変化していくタイプだと感じた。その後も、オーガンジーのお城、ビーズの家、ディズニーランドのチラシでできたお城、不思議の国のアリスを思わせる紙造形など、作品は、「おとぎの国」と現実との間を行き来し、ドールハウスの鏡台や机のような造形物によるインスタレーションをつうじても、「わたしの」・「おとぎの」を継続させていたようだ。

が、今回、並木は、静かな語りかけ=お伽(おとぎ)から、混沌とした現実へ大きく踏み込んだ気がする。まず、案内状にも写真を使っていた、さまざまな「人形」の作品。ぬいぐるみやマスコット人形やノベルティーグッズらしき約30体それぞれの頭部は、これまでもたびたび用いてきたオーガンジー(透けた布)で包まれており、布の表面には、元の人形の顔とは別の目・鼻・口が刺繍されている。手足や全体の形から元のキャラクターを察することはできるが、刺繍された第二の新しい顔と覆われた頭部が並ぶ様子は、「わたしのおとぎの国」の仲間に囲まれているというよりも、世界のさまざまな出来事や人々の異なる在り方などを想起させる。虚構と真実を同時に透かし見るような、そのそこはかとない恐ろしさは、並木のこれまでの手工芸的な「わたしの美術」から、世界の混沌へと、静かにぶつける怒りや苛立ちに映った。また、優雅に泳ぐガラス鉢の中の金魚に向け、突然、真上から勢い良く水が注ぎ込まれる映像作品があり、そこにも同様の不穏さがある。映像では水の出どころが隠されているが、モニターの外に、実物の水道管と蛇口が設置されている。蛇口と映像の間には、象徴的な空白があるのだ。たとえば、蛇口からほとばしる水は生命を支えるが、金魚が逃げ惑う泡立つ水は、ふいにやってくる暴力や戦争にも見えるのである。

本展のタイトルは「空白の装い」。メインの作品は、ハンガーや机や延長コードが偶然つくる空隙を意識させるインスタレーションだろう。彫刻家としての第一の関心は、空隙と空間の関係性であったと思う。が、可視的な「空白」を取り扱うことから、世界のねじれや意味の表裏など、不可視の空白へと関心が動く過程が、本展ではなかっただろうか。

この並木の変化に、80年代半ばに美術手帖が名付けた「美術の超少女」を思い出す。好きなもの・好きなことを自由に手にした手工芸的なインスタレーションが、超少女の特徴で、多くの超少女にとって、美術はいわば「わたしの部屋」であった。しかし、美術に関わるということは、いずれ、わたしの部屋から世界の混沌に踏み出すということだった。混沌の海に飛び込んで、今もしなやかに泳ぎつづける元超少女の幾人かと並木文音の現在が、筆者には重なって頼もしく見える。
(松尾 惠 MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

『何物・何者』 45~380h×25~280w×25~320d mm ミクストメディア

『何物・何者』
45~380h×25~280w×25~320d mm
ミクストメディア

『金魚』 1110h×780w×210d mm 蛇口、水道管、モニター、映像(2分08秒、ループ)

『金魚』
1110h×780w×210d mm
蛇口、水道管、モニター、映像(2分08秒、ループ)

『空白の装い』 サイズ可変 布(オーガンジー)、刺繍糸、机、椅子、延長コード、ハンガー、セロハンテープ、布団叩き、はさみ、コップ

『空白の装い』
サイズ可変
布(オーガンジー)、刺繍糸、机、椅子、延長コード、
ハンガー、セロハンテープ、布団叩き、はさみ、コップ

『空白の装い』 部分

『空白の装い』 部分


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