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EVENT REPORT

イベント・レポート

学術映像博2009

2009 10 06
会 期: 2009年8月5日(水)~12月13日(日)
※09:30~16:30(入場16:00まで)
※月・火休館(平日・祝日にかかわらず)
会 場: 京都大学総合博物館
〒606−8501 京都市左京区吉田本町 tel.075-753-3272 http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/expo/
入場料: 一般¥400/大学生・高校生¥300/中学生・小学生¥200

この博物館は、京都大学が開学以来100年以上かけて収集した約260万点の学術標本資料を常設する施設である。研究機関らしく、ふだんから謙虚な広報活動をされてきたと見えて、市内の芸大・美大のすべてに映像学科(クラス)が設置されているにもかかわらず、そこでまだ爆発的な話題にならないのが不思議な、今回の驚くべき映像展だ。初日からひと月以上もたったのちに訪れ、多くの貴重なプログラムを見逃してしまったことをとても後悔しているところだ。

配布されるリーフレットには、
「...近年の映像機器・メディアの進歩と普及は学術研究をさらに新たな展開に導きつつあります。こうした状況下、本映像博は、研究用の映像と、映像に関わる研究者の実践を広く紹介し、学術と映像の関係を問い直すために企画されました。(後略)」
とある。私たちが時おりNHKなどで目にする類の映像が想像されるが、「学術映像」という日々の研究の成果として、"のこす・よみとる・あらわす"をキーワードに、貴重な映像が公開されている。

会期のはじめからほぼ一週ごとに代わる上映プログラムは、こまめに分類された学術的テーマによって成り立っている。それらは、学者・研究者のみならず、一般人をぐいぐいと引きつける力にあふれている。たとえば、常設の映像展示に加えて、8月~9月のプログラムは「映像と五感で感じるアフリカ」、「映像で見る南極観測」、「生き物をめぐるイメージー野生動物・海洋動物と動物行動学」、「登山・探検からフィールド医学へ」、「生命科学の動き」などのテーマのもとに、特別上映や、ワークショップ・トークイベントが開催された。さらに、まだこの先12月まで「文化・無意識・コンピュータ映像の創造力」、「映像と写真で見る東洋学」と魅力的なプログラムが並んでおり、会期の最後には、本展のもうひとつの大きなプログラム:この夏に公募した「学術映像コンペティション」の優秀作品上映がある。

さて昨今、芸大・美大の進級・卒業制作展における映像作品発表では、長編のドラマや娯楽性を追求した作品の増加傾向にあると感じる。記録映画もまた、ごく身近な人々との日常から大きくはみ出ることはない。自己表現に客観的事実の説明や解釈は不要なのかもしれないが、かつての実験映像時代に比べれば、昨今主流の絵画と同様、映像表現の世界も、より具象的で、啓蒙的・教条的で、ただ冗漫な気がするときさえある。現在の若い表現者たちにとって、鑑賞者に「わからない」「むずかしい」と反応されることは、もっとも恐ろしく辛い仕打ちなのだろうか。それだけに、デジタルカメラのスチルもふくめて、映像メディアは、他者との接触を恐れたがためのパーソナルなメディアとなり、人間の深淵に踏み込まずにすむ表現スタイルとして定着していくのではないかと、少々気がかりでもある。

このたびの「学術映像博2009」のリーフレットには、またこうもある。

「通常は公開しないような研究用の映像も上映します。物語性を見出せそうにないそうした映像に研究の魅力を感じ、知的な探究心をかきたてられることがあるかもしれません。」
これぞ、まさしく、芸大・美大というところで、人類の重要な研究として芸術をとらえなおすことと同じではないかと思う。そうか、学術映像と聞いてNHKのアレを想像するばかりでは、研究の本筋に触れたことになるまい。

京都大学を見るにつけ、日本の官立美術大学は、なぜ、すべて単科(学部)大学だったのかという疑問が頭をもたげる。芸術を分離して閉じ込めた結果が、未だに日本の美術が世界での居場所をつかみかねている要因だと思うからだ。医学部、理学部などと隣り合って芸術学部があったなら、たとえば京都の美術シーンはもっと面白くなっていたのではないかと。もちろん、その逆の作用も必ずあるに違いない。
(松尾 惠 VOICE GALLERY pfs/w)


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