京都国際舞台芸術祭KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNフリンジ「オープンエントリー作品」 『Pure Nation』
公演日: | 2016年11月3日~8日 |
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会 場: | アトリエ劇研 |
主 催: | あごうさとし |
共 催: | アトリエ劇研 |
助 成: | 芸術文化振興基金 |
構成・演出: | あごうさとし |
振付・出演: | 辻本佳、川瀬亜衣、西村貴治、中島由美子、白鳥達也、山田春江、住吉山実里、井上仁、柴田拳伍 |
ドラマトゥルク: | 仲正昌樹(法哲学者・金沢大学教授) |
カメラ機構・スチール撮影: | 井上嘉和 |
照明デザイン: | 筆谷亮也 |
音 楽: | public on the mountain |
舞台監督: | 浜村修司 |
美術制作・宣伝美術: | 吾郷泰英 |
制 作: | 長澤慶太 |
作品の始まり、最初、観客はカメラオブスキュラとなった狭い空間に閉じ込められる。床に座っていると、やがて目の前にぼんやりと浮かび上がってくる身体に気づく。数人の、近づいたり遠ざかったりする逆さまの身体は、像を結んだかと思えばうやむやに輪郭をほどいていき、まるで心霊写真のようだ。「見られる」ことを拒むように不穏で曖昧だ。この第1シークエンスの暗闇に、いつの間にか時間の感覚が失われていく。開演前、閉所や暗所が耐えられない時は声を出して知らせるようにとアナウンスがあったが、まさか最後の1人が逃げ出すまで続くのではないだろうかと不安になる頃、照明がつき、第2の部屋へと案内された。
そこで観客は、床の中央の光の輪に沿って立ち並ばされ、先ほどまで逆さに蠢いていた身体の持ち主たち=パフォーマーたちが入り混じりながら登場する。肌色のパンツだけをつけている。生まれつき肋骨が内側へ凹んでいるという身体と、それを言葉や身振りで描写していく身体が向かい合っている。描写する側は、歩き方、身体の歪みや揺れを細かく示していく。他のパフォーマーたちは、歩いたり転がったりして、身体で描写を繰り返す。そのほうが快適だとか不自由だとか、さまざまな新発見を口にする。背骨がS字に湾曲した身体が登場したときも、同じような描写と真似が繰り返された。観客の間を縫って蠢いている皮膚や息遣いが近づいたり遠ざかったりする。ついさっきまでカメラオブスキュラの中で重力に逆らって浮遊していた身体は、いまは、重力に縛られている。こんなにも他人の身体を感知することがあるだろうか。不自由な人や変わった人をジロジロみてはいけない、真似をしてはいけないと教わって育った。そのかわりに、透明人間でもあるかのように、視界から消す術をも教えられてきた気がする。ジロジロとパフォーマーたちを観察する。観客はタブーを共有する。身体のフォルムを描写するパフォーマーたちは、次第に、見えない内臓についてさまざまな感覚をつぶやきながら、カメラオブスキュラの穴から指す光に集まり始める。天岩戸や産道を象徴しているかのようだ。ほとんど裸の身体たちが光に向かって縺れていき、終わる。光の先が地獄なのかパラダイスなのかよくわからないままだ。
アトリエ劇研という、完全暗転のできる箱ならではの作品だった。観客は、暗箱に放り込まれて、また解放される。この小さな劇場は、大劇場の華やかさや制度にはない体験を膨大な数の人々に与えてきた。あごうさとしは、空間の管理人でもあり、他者の体験について、感覚が最大限に研ぎ澄まされた監視人でもある。来年の閉館が確定してしまったが、体験者として、同じ質の新たな場の必要を強く感じている。終演後、ロームシアター京都に向かい、池田亮司作品を鑑賞した(京都国際舞台芸術祭KYOTO EXPEIRMENT 2016 AUTUMN主催事業)。アルスエレクトロニカにおいてかつてグランプリを受賞した"matrix"もまた、完全な暗闇である。終盤では舞台から次第に光が見え始め、最後は目も開けていられないような強烈な光が観客を照射する。重低音や突然の爆音などが心臓や精神に負荷をかけるかもしれないと注意書きがあった。
「鑑賞」とは、負荷ぎりぎりのところで体を張る体験なのである。もはや、美術館で劇場でコンサートホールで、制度内における安全な体験を鑑賞とは呼ばない、かもしれないと思っている。


写真撮影:井上嘉和 Yoshikazu Inoue

写真撮影:井上嘉和 Yoshikazu Inoue

写真撮影:井上嘉和 Yoshikazu Inoue

写真撮影:井上嘉和 Yoshikazu Inoue

写真撮影:井上嘉和 Yoshikazu Inoue