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KYOTO EXPERIMENT 2019|アミール・レザ・コヘスタニ/メヘル・シアター・グループ『Hearing』レヴュー聞くことの不確かさと世界の断片性文:金子智太郎(美学、聴覚文化研究)

2019 12 28

3. 見えるものの働き

『Hearing』は聞くという行為から取り去ることのできない不確かさに満ちている。尋問は確信にたどりつかない。サマネは自分の記憶を疑い、変えようとする。それに対して、本作の視覚的要素は観客に少しだけ共感とカタルシスをもたらす。ネダの主観映像は、舞台上では毅然とした態度を取りつづける彼女の内面を観客に見せる。狭い階段をいくら降りても、扉は閉ざされている。観客は聴覚にはない視線を通じて彼女に共感できる。ネダの霊とサマネの対峙の場面にも映像の合わせ鏡が神秘的な演出を加えている。

舞台上のサマネの映像をその背後のスクリーンに映しだすと、「ドロステ効果」と呼ばれる現象が生じ、サマネの像が反復される。
舞台上のサマネの映像をその背後のスクリーンに映しだすと、「ドロステ効果」と呼ばれる現象が生じ、サマネの像が反復される。

サマネのスニーカーやバッグの印象的な青は、ウディ・アレン監督の『ブルー・ジャスミン』(2013年)を示唆しているらしい ※4 。この映画は過去に囚われた人生を描いている。公開時期に起きたアレンのスキャンダルでも、彼の人生は不確かな過去に左右された。しかし、『ブルー・ジャスミン』の主人公はただ立ち止まっているわけではない。サマネの衣装のあざやかな青も、過去に囚われながらも状況を変えていこうとする意志のあらわれとして見ることができるかもしれない。

サマネのスニーカーやバッグのあざやかな青。
サマネのスニーカーのあざやかな青。

劇中に登場する絵画の作者はイランの美術家ショーレ・メーラン。チャドルをまとう顔の見えない女性たちを描いた彼女の「スクール・ガールズ」シリーズ(2009年~)はすでに高い評価を受けている ※5 。その一枚であるこの絵画は、サマネがネダと向きあい、サマネがフードを上げて、二人が視線を合わせているように見える。

会場出口に置かれたショーレ・メーラン「スクール・ガールズ」シリーズの複製。
会場出口に置かれたショーレ・メーラン「スクール・ガールズ」シリーズの複製。

この絵画に描かれた視線の交流を通じて、観客は二人の本来の関係、もしくはサマネにとっての理想の関係を思い描くことができる。この絵画の複製が会場出口に飾られていた。チャドルをさわる仕草は劇中で何度も人物の内面を表現している。しかし、映像にしても絵画にしても事件を俯瞰する安定したひとつの眺めをもたらすものではない。

本作における聞くことはなおさらそうである。コヘスタニはインタビューのなかで、サマネが「声を聞く」ことにはメタファー的な意味があるのかという問いに答えながら、こう語った ※6 。「劇中では声が舞台から、部屋から、フレームの外からやってきます。声は聞きとれず、混ざりあいます。日常でも、記憶のなかでも、心のなかでも、死んでいても」。つまり、問題は声を聞くということが意味するものではなく、声を聞くという行為そのものがあらわす断片的な世界のありかたなのだ。

※4 “Festival d'Avignon 2016 Leaflet”.Festival d'Avignon.

※5 “School Girls”.Sharjah Art Foundation.

※6 “Festival d'Avignon 2016 Leaflet”.Festival d'Avignon.

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