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FEATURE

特集

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
『パラ人』インタビュー 吉岡洋

2014 04 01

2. 編集長として白紙にする

(浅見)
『パラ人』は先生が今まで関わってきた『Diatxt.』や『有毒女子通信』とはつくり方が全然違いますよね。もちろん学生とつくるということで、つくる意味も全然変わってくるかと思います。また、『パラ人』は吉岡先生が教える京都大学以外からもいろんな学生たちが集まって来ています。ミーティングでは、先生として授業をしているのとも、編集長として仕事をしているのとも違う、微妙なスタンスを感じます。
(吉岡)
ぼくも未だにわからん(笑)。でも、おもしろいですよ、基本的には。わりとこういう活動って、編集長という人が「こういうものがつくりたいんだ!」というアイディアがまずあって、それで「君ら手伝ってくれたまえ」という感じのものが多い。その方がたぶん作業としてはスムーズにいくと思います。当初ぼくは学生と一緒にやるということを考えてなかったので、じゃあ一緒にどうやってやるのかということをみんなで話し合っているうちに、「あれもある、これもある」みたいな感じになりました。
それである段階に来た時に、学生の中でフリーペーパーをつくった経験のある人もいるし、だいたい形にするにはこんな感じでしょというので、連載とか特集とかそういう形で組んで、分担もある程度決めて、みたいなことが進行していったんですよね。こんなにどんどん進めていくんだったら、もう全部学生で好きなようにやればいいじゃないって感じになったのが、去年の秋くらい。つまり『パラ人』という傘のもとに、もう「勝手に好きなものをつくりました」みたいなんでいいのかなと思った時期があるんですよね。それはちょっと反省すると、ぼくが寛容にそう思ったというんじゃなくて、自分が他の仕事で忙しくて大変な時期だったんで、「まぁいいや」と思ってしまった。でも中身を見てみると、こういうのだったらわざわざぼくが加わってPARASOPHIAの『パラ人』というような枠組みでつくる意味があるのかと感じた。学生がもし自分たちが書きたい記事とか、載せたい記事を自由に載せて出すんだったら、結局のところは、公のお金を使って趣味的なフリーペーパー出してるだけっていうことになっちゃうんじゃないかと思いました。なので、ちょっと悩んだんだけど「やっぱりこれよくないわ」と思って、「いっぺん白紙に戻しましょう」と言いました。それでみんなに怒られたんですよね、「何なんですか!」みたいな(笑)。引っ張ってしまったからね。悪かったけど、ぼく自身もどうしていいか、最初はわからなかったんですよ。
でも、今はちょっと安定してきたというか、どうしたらいいかが少しわかってきた。ぼくは学校の先生をやっているので、現代の学校っていうのは学生に満足してもらわなければならないというプレッシャーがある。学生はお客さんだから。最初の頃やっぱりよくなかったのは、せっかくボランティアとして集まってくれているのに、何も得るものがなかったとか、全然参加する意味がなかったとか、そう思われたらマズイなという配慮をしたのがいけなかった。それはお客さんに対する配慮でしょ。学生をお客さんとみなすのは間違っています。白紙に戻した時からそれはなくなりました。

(尹)
最初はメンバーも吉岡先生を「編集長」というより「先生」として接してましたよね。
(吉岡)
今は大学でも企業でも役所でも同じですが、大人が自分の責任でいろんな権限をふるうのを嫌がるんだよね。これは私が決めたんだからっていうことを背負うのを避けようとする。そのかわりに慣例とか、規則とか、「上からのあれなんです」みたいな、そういうふうになる。言われた方も責任者が誰かよく分からない形で「これは決まってることなんです」って言われたらもう文句が言いにくい。権限がある立場の人も、自分が力をふるって勝手に決めていると思われたくないし、責任も負いたくないという傾向がある。それはいけないと思う。編集長っていうのもたんなる取りまとめ役ではなくて、「ぼくがこうしたいんだから」と方針をはっきり言って、学生が持ってきた記事に対して「これはいいけど、これはダメ」みたいなことを言う立場でしょ? それは引き受けなければならないと思った。それで「なんでダメなんですか?」とか言われたときに、どういうふうに対応するか。それはちゃんと説明します。ただ、すぐにわかってもらえるかどうかはわからないですけど。


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