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特集

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
『パラ人』インタビュー 吉岡洋

2014 04 01

4. 座談会の場所、空き地の思想

(吉岡)
座談会を中心にすると、編集会議がある種オルタナティブな学校みたいになる。放課後の雑談みたいな感じになるでしょ。それは悪くないと思う。なぜかというと、今学校ってそういうことが起こらない場所になってしまったから。

(浅見)
それは大学、高校も含めてですか?
(吉岡)
高校はどうだろう。ぼくの頃は高校まではわりと縛られてきたけど、大学に入ったらわりと自由で時間もあった。高校はだいたい地域の似たような人が寄ってくることが多いけど、それに比べると、大学って結構いろんなところから違う階層の人が入ってきたりするから、そういう刺激があったり、自由なところがあったり、暇だったりというのがあった。今はそういうのがなくなってるでしょ。まず学生が忙しすぎるよね。バイトとか約束とか就活とか。 昔は4限や5限の授業が終わってから、雑談したり映画観に行ったり飲みに行ったりするというのが、別に約束とか計画とかしなくてもふつうにあった。今は暇な時間を作るのが怖いというか、スケジュールをびっしり埋めないと不安なのかな。昔別の大学で、授業のあと「どっか飲みに行く?」って言っても、学生たちが「すいません。今日これからバイトなんで」「約束があるんで」とか言って全部帰っちゃって、「一番暇なのは俺か」みたいな(笑)。就活とか言われたらもう絶対何も言えない。

(浅見)
いま思い出したのが、元・立誠小学校であるイベントで「学校で教わらなかった音楽」というのがあって、それは授業では出てこないようなアーティストが集まるんです。それを、学校でやっているのも面白いんですが。まあでも本当はそういう音楽って学校で教えてくれてたなと思うんです。つまり、放課後。授業外で友達が聴いてる音楽だとか、先生が実は趣味で聴いてる音楽とか、そういうものも本当は学校で教えてくれてた。だけど、今の学校はそういう余裕もなくなって、カリキュラムには含まれてないけど、学校で覚えたことが少なくなっている気がします。『パラ人』はそういうことを学校じゃないところでやるのがいいなと思っています。ゼミでもないし塾でもない……当てはまる言葉が見つからないですけど。
(吉岡)
そうだよね。そういう場所がもっとあってもいいと思う。ただ、学校では教わることのできない何かすごい知識がそこに行ったら得られる、というものでもないとも思う。とりあえず空き地みたいな暇な空間をつくり出すことが大事です。例えば「学校では教えてくれない〇〇」というのは、ある種ジャーナリスティックな言い方だし、テレビ番組のタイトルみたいですよね。昔は学校では教えてくれなかったものを、学校で教えるというのが今の流れですね。京都精華大学には「ポピュラーカルチャー学部」ってできたでしょ。ファッションとポピュラー音楽を教えている。斬新な試みだと思うけど、それは逆に言うと、学校がどれだけ変われるかというチャレンジでもあると思う。 ぼくらが小中学校のときには、例えば学校の音楽の教科書には唱歌とかクラシック音楽ばっかり載ってて、いわゆるフォークソングとかロックとか、そういうものは家でこっそり、あるいは友達同士で聴いていた。でも今は音楽の教科書にビートルズの曲とか載っている。そういう、昔は学校の外でしか享受できなかった文化、学校外のものとして意味づけられた文化が、世代交代してポピュラーなものに権威が与えられると、どんどん学校の中に入ってくる。コンテンツ、内容としての文化というレベルで考えるとそういうことになってしまうんですが、ぼくは内容レベルで考えてるんじゃないんです。内容はともかく、学校の外や放課後という言葉によって、そこが何をするため場所だという定義がされてないような場所のことを考えている。「空き地」というのはそういう場所。だから学校の外っていうのが問題ではなくて、例えば学校の外でもカラオケボックスとか行ったら、そこは何をする場所って決まってるじゃないですか。その意味で学校と同じ。それは楽しいかもしれないけど、決まった楽しみ。それに対して、例えば何をするかが決まってない場所っていうのは……たとえば体育館の裏とか?
(大久保)
今はいじめじゃないですか?

(浅見)
いや、告白じゃないですか(笑)?
(吉岡)
(笑)。ぼくが初めて自分のホームページ を90年代の終わり頃につくったときに、一番最初にそこに書いたエッセイが「〈屋上〉の思想 」というエッセイなんです。屋上って一種の「空き地」なんだよね。そこで何をするでもなく、ぼんやりしているのが楽しい。忌野清志郎さんが歌ってたRCサクセションの初期の歌に「トランジスタ・ラジオ」というのがあって、あれがちょうど授業をサボってトランジスタラジオを持って屋上でそれを聴いてる。自分の好きな女の子は真面目だから下で授業を受けてる。それを想像しながら、自分はタバコを吸って、リバプールとかベイエリアから来る最新の洋楽をトランジスタラジオで聴いてる。まあ不良なんだけど。そういう場所が、昔は屋上だった。じゃあ今の「屋上」ってなんだろう、「トランジスタラジオ」ってなんだろうっていうふうに考えたとき、90年代には、ぼくはインターネットっていうのがそういう「屋上」的な場として発展して欲しいと思っていたので、そういうエッセイを書いたんです。屋上っていうのは人工的な構造物なんだけれども、その突端であって、上は空、宇宙が広がっている。そこからいろんな信号が飛んできて、それを受信機で音楽に変えて聴くという場所。ぼくがインターネットに対して抱いていた希望というのがそういうイメージの形をとったので、それを「空き地」という言葉で表現した短いエッセイを書いた。

(浅見)
『パラ人』は、学校やPARASOPHIAに対しての空き地とか屋上に適応できますよね。
(吉岡)
そう。この『パラ人』も、ぼくという学校の先生が来て、学生ボランティアが来て、もうひとつの学校というか、学校の外のもうひとつの授業みたいに、こういうスペースがあるんだけども、でもなんかここは「ポカン」と空いてるみたいな印象がぼくはあって、それがいいところだと思います。集まっても「じゃあ何しましょうか?」というとこから始めてるんだから(笑)、これは仕事じゃないと思ってる。ぼくはもしこれが「仕事」だったらつまんないからやらない。『パラ人』も、最初の頃学生のアイディアだけである程度形ができかけたときに、ぼくはつまらないと言っていっぺんひっくり返したでしょ? あれは言わば、このままだと「仕事」になってしまうと思ったんです。別にお金が儲かるという意味ではないですよ。やり方がわかっていて、到達目標が見えていて、あとは作業を進めていけばいいみたいなこと。そういうのが見えている作業は、それは仕事だから。もしそういうのだったらやりたくないし、どうしてもやらないといけないのだったら、お金もらわないと耐えられない(笑)。だけど一銭ももらわずに時間や労力を割いているのは、これが仕事じゃないからです。だから楽しい。

(浅見)
物理的にflowing KARASUMAというこの場所が解放されているという状況はすごいいいなと思います。その目的はそもそもPARASOPHIA事務局なんですけど、それを「パラ人」という名前で、ある種、空き地的にしてしまう。
(尹)
今1階が空いているので、よりそんな感じがするんです。下に何もないところに2階から始まる建物。すごいダウンタウンのど真ん中で1階は空いてるけど、2階で何かやってる(笑)。


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