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特集

KYOTOGRAPHIEにおける〈まなざし〉の諸相
京都グラフィー レビュー 寄稿:林田新

2013 04 29

その一つの典型として、JR東海が1993年より展開している京都観光キャンペーン「そうだ 京都、行こう。」を挙げることはおそらく間違いではないだろう。京都への観光誘致キャンペーンの一環として制作された一連のポスターには、一貫して人影の少ない寺社仏閣がモチーフとして選択されてきた。京都駅ビルや京都タワーといった近代的な建築物は決して姿を見せることはない。加えて、そこに添えられた様々な広告コピーが、寺社仏閣によって表象=代表される「京都」という場所に、〈過去〉、〈不変〉、〈四季折々の自然〉、〈静けさ〉といったコノテーションを付与していく。いわば、〈現在〉時において常に〈変化〉する〈都市〉の〈喧騒〉という、〈東京っぽさ〉との差異の内に〈京都っぽさ〉という都市のイメージ、「白昼夢」を形成しているのである。

広告に誘われて京都を訪れた観光客の多くは、あてどなく遊歩し、自らが期待する「京都っぽさ」をあちこちに見出し、それをカメラに収めるだろう。また、時には写真を撮ることこそが自己目的化することすらあるかもしれない。その意味で京都はそれ自体において〈京都的〉であるというよりはむしろ、観光客が期待する〈京都的〉なものを京都に見出し、そのようなものとして〈まなざし〉を向ける限りにおいて、京都は〈京都的〉な姿を見せる。かつて糸井重里が手がけた有名なコピーをもじって言えば、「みたいものが、みたいわ。」とでも言えるだろうか。もちろん、京都側がしばしばそうした「観光のまなざし」を内面化し、〈京都っぽさ〉を観光資源として積極的に流用することもあるだろう。

歴史的に見ると、京都を〈伝統〉や〈過去〉と結びつけて「伝統的な古都」とみなすこうした地理学的想像力は、実はそれほど古いものではない。佐藤守弘は、〈京都的〉〈京都っぽさ〉なるものをめぐる言説の起源を、近代国民国家形成期のイデオロギー的地政学の中に見出している (※3)。日本が明治期において近代的な国民国家として成立するためには、欧米諸国と比肩しうる国際的な普遍性と、他国とは異なる地域的な独自性を同時に兼ね備える必要があった(※4)。そうした力学の中で、東京が前者の、京都が後者の表象を担うこととなったのである。そのきっかけとなったのが1877年に東京の皇居に移っていた明治天皇の京都来訪である。幕末の騒乱による旧居の荒廃を嘆いた天皇の言葉によって、御所の保存を目的とした京都御苑開設が始まったのである。

※3)佐藤守弘「伝統の地政学−−世紀転換期のマスメディアにおける京都の表象−−」『トポグラフィの日本近代』青弓社、2011年。

※4)この点については、T.フジタニ『天皇のページェント−−近代日本の歴史民族誌から−−』(米山リサ訳、日本放送出版協会、1994年)を参照のこと。

© 大西清右衛門

© 大西清右衛門

© Marie Sommer / École Nationale Supérieure de la Photographie d’Arles

© Marie Sommer / École Nationale Supérieure de la Photographie d’Arles


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