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特集

展覧会ドラフト2011
「TRANS COMPLEX − 情報技術時代の絵画」展

2011 02 21

展覧会に求められているものは何か、それを問う試みとして始動した「展覧会ドラフト2011」(主催:京都芸術センター)は、アートの公募の中でも"企画"に焦点を当てたユニークなものである。100件の応募の中から公開プレゼンテーションを経て入選したのが、村山悟郎の「TRANS COMPLEX-情報技術時代の絵画」展である。

京都芸術センターにおいて、2月5日(土)より「TRANS COMPLEX − 情報技術時代の絵画」展が開催されている(2月27日(日)まで)。出品作家は二名、村山悟郎と彦坂敏昭である。村山は東京で、彦坂は京都で、学びアーティストとしての活動を開始した。だが彼らにはいくつかの共通点がある。
一つは共に1983年生まれの同い年であること。つまり、場所は離れているものの、この日本という国で同じ時代の空気を吸って成長し、美術を含めた様々な環境で似通ったアンテナを張り巡らしてきたということ。インタヴューの中で語られているが、とりわけ複雑系や人工生命といった最新の科学理論、個別事象よりも要素間の関係性を基盤とする科学理論に強く共鳴し、自らの制作方法に結びつけていることである。

もう一つは、二人が「画家」であることだ。だが、「画家」という言葉には若干の留保が必要かもしれない。なぜなら、彼らは自身を「画家」と呼ぶことに幾ばくかの戸惑いあるいは疑問を抱いているように感じられるからである。
彦坂は自分の作品を「絵画的なもの」と呼ぶし、村山は「環境を作り描く行為の反復」と言う。それは、今日において「絵画」を成立させることの困難さを彼らが自覚しているからに他ならない。

思えば、絵画平面の限界に直面したドナルド・ジャドが「物体」に可能性の残滓を見出してからすでに半世紀、絵画はアーティストが「描きたいものを描く」フィールドではなくなってしまった。それでもなお「絵画」を目指す者たちは、面としての支持体とその上で展開する絵具によって構成されるイリュージョン空間に、物語や政治やサブ・カルチャーや既製品を再導入し、あるいはそれらの条件を解体して「絵画」の在り方を問い直し続けなければならない。
「なぜ絵画なのか?」「絵画はいかにして生成するか?」このような問いに対して、「画家」としての村山と彦坂は共通した方法論でもってアプローチしている。それは、制作実践において、時間や環境(村山はベイトソンを援用しながら、環境内存在が知覚できない領域のことを環境と呼んでいる)を意識し、制作のプロセスに複数のルールやシステムを仮構して、そのシステム内の変数として自らを介入させながら「絵画」を生成させようとするものである。

具体的にどのようなプロセスを経て作品ができあがってくるかについては、インタヴューをお読みいただきたいと思うが、二人に共通しているのは「ルール」や「システム」を介在させているということであり、同じ「ルール」や「システム」を用いているということではない。結果として形になる作品も全く異なったものである。
だが、単に絵具の置き方にとどまらず、絵画フィールドやイメージ・ソースの解体・再構築から出発する彼らの制作システムは、ある環境内での自己の立ち居振る舞いが「ルール」や「システム」に介入し、作品を随時決定していくという点において、「絵画」の可能性についての今日的な回答の一つとなっているであろう。

さて、二人の作品についてだけではなく、展覧会についても触れておかなければならない。この展覧会は「展覧会ドラフト2011」と冠がつけられていることからもわかるように、公募によって実現された展覧会である。
京都芸術センターはこれまで、美術以外の領域で活躍する人々を審査員として展覧会企画を公募する事業を行ってきた。それに対して、昨年より「キュレーション」を主眼とした企画を募集する事業としてこの「展覧会ドラフト」がスタートしたのである。

筆者も東京都現代美術館チーフキュレーターの長谷川祐子氏とともに審査員として参加し、100通に及ぶ書類審査を行い、最終審査に選ばれた5組(6名)による公開プレゼンテーションを経て、今回の展覧会を最優秀企画として選定した。
それゆえ、選定の基準は、展示作品の質もさることながら、キュレーションの面白さや意義、鑑賞者にとって魅力ある展覧会として練られているか否か、ということであった。つまり、村山+彦坂は出品作家であると同時に、この展覧会のキュレーターでありプレゼンターでもあるのだ。その意味で二人は、この展覧会を実現させるにあたって、二重の視点を自分自身と自らの作品に対して持たなければならなくなったというわけである。それは作家としての自己あるいは自己が造形的に投影されている作品を客体視することになる。

作品を制作することと、作品間に一定のオーダーを与え空間を統御すること、いいかえれば、作品そのものと展示構成という二重化された表現メディアをいかに連動させるか、がこの展覧会では問われてもいるのだ。
実際、最新の科学理論と展示作品との具体的な結びつきについてのプレゼンテーションなど、キュレーター目線で「展覧会」として見た場合にまだまだ不十分に感じられる点はあるものの、展示構成の工夫や、制作背景を共有してもらうための関連イベントなど、展覧会というメディアに対しての積極的な取り組みも見受けられる。

今回の展覧会の実現は、京都芸術センターのみならずキュレーターを目指す者たちにとって意義深いものであり、またキュレーションあるいはキュレーターという役割の意義や可能性を考えていくうえでも重要である。なにより、キュレーターとして企画に挑んだ若い二人のアーティストにとって、今回の企画が、「芸術」を取り巻く環境への問題意識としてフィードバックされ、今後の実践で実を結ぶことを願ってやまない。
(平芳 幸浩 京都工芸繊維大学美術工芸資料館 准教授)

  • Profile

平芳 幸浩 Yukihiro Hirayoshi

平芳 幸浩 Yukihiro Hirayoshi

1967年生まれ。京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授。京都大学文学研究科博士後期課程修了。専門は近現代美術。2000年より国立国際美術館にて学芸員。主な企画展覧会として「マルセル・デュシャンと20世紀美術」「ヤノベケンジ -MEGALOMANIA-」「小川信治 -干渉する世界-」「現代美術の皮膚」など。2008年より現職。


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